シャーロック・ホームズ。
 エルキュール・ポアロ。
 オーギュスト・デュパン。
 ミス・マープル。
 フィリップ・マーロウ。
 ネロ・ウルフ。
 エラリー・クイーン。
 ファイロ・ヴァンス。
 ギデオン・フェル博士。
 V・I・ウォーショースキー。
 ナンシー・ドルー。
 コーデリア・グレイ。


 ――――世の中には、良くもまあこんなに名探偵がいるもんだ、ってくらい
 世界的に有名な探偵が存在している。
 とは言え、みんな実在はしてないし、そもそも俺にとって何の馴染みもない、 
 ただ名前だけはなんとなーく知ってるって言う程度の存在だ。
 正直に言えば、ホントに知ってたのはホームズとポアロ、マープル、
 あとネロ・ウルフくらい。
 それ以外は、つい今しがたネットで調べて知っただけの架空の人物。
 思い入れなんて、欠片もない。
 ホームズですら、俺の中の序列で言えば、シソの葉の次くらい。
 ショウガには遠く及ばない。
 要するに、それくらい俺と探偵には全く接点がない、って事だ。
 それなのに――――今こうして、探偵事務所と言う名目の部屋がある建築物の中で
 クッションのない硬い椅子に座っているのには、勿論理由がある。
 そりゃーもう、涙なしには語れない、切実な理由だ。
 けれど、俺は過去を振り返るのを止めた男。
 敢えて多くは語るまい。
 少しだけ顛末を話せば、親がニートで一向に働こうとしないので高校の授業料が払えず
 奨学金の申請もニートのクセにモンスターペアレンツと言うどうしようもない親の
 所為で受理されず頑張ってバイトで自ら稼ぎ出そうとするも勤めた飲食店が
 脱税で瞬殺されて二進も三進も行かないトコロに女子高生の痴漢冤罪ゴッコの
 標的にされた結果退学を余儀なくされて途方に暮れている中で知らん中年のオヤジに
『オレの事務所で働かね?』と誘われて失恋中にアプローチ掛けられた女みたいに
 ホイホイついて行った結果そのオヤジは『アトはよろしこ』と書いた紙一枚を残し逃亡。
 今に到るってワケだ。
 こんな過去、忘れて当然。
 二度と思い出すものか。
 俺は今を生きる男。
 探偵なんてモン、フツーは何かしらの推理小説か推理ドラマか推理マンガにハマって
 自分もそうなりたい――――と言う、現実と虚実の区別が付かない一部の人達がなる
 職業だと個人的には思うんだけど、なっちまったのは仕方ない。
 新人探偵、狭間十色(ハザマトイロ)。
 それが俺の偽らざる肩書きだ。
 ヘンな名前だが、偽名じゃない。
 親の業だ。
 ま、それはさておき――――俺は今、幾つかの作業を並行して行っている。
 まず、この探偵事務所の掃除。
 俺がこの建物に足を運んで、今日で2週間になるが、未だに片付かない。
 手際の悪さは認めざるを得ないが、それ以上に余りにも無駄なスペースに
 埃が溜まり過ぎている。
 この事務所、外から見る分には、取り立てて特徴もない、幾つか並んでいる
 古く細いビルの一つの二階にある、なんてコトないスペースって感じなんだが、
 実際に入ってみると、奥行きが異様にあると言うコトに気付く。
 全四階で成り立つこの『坂上ビル』って言う建物、他の階はフロアごとに
 幾つかの部屋を有しているって言うのに、この二階だけは全部ぶち抜きで一室のみ。
 つまり、この事務所だけがにゅーーーーーーーーーっと伸びている。
 その所為で、今俺が座ってる椅子と、目の前にあるオフィスデスクのある
 この場所から見える視界は、まるで超大金持ちの家のダイニングルームにいるかのようだ。
 ただ、そこに超長い食卓はなく、あるのは床と無駄に散らかった衣類や
 大量の『おさつスナック』の袋、そしてビール缶。
 他の物は、この2週間でほぼ片付けてしまったが、これ等は置き場に困っている。
 クローゼットがないから衣類を収納する場所が見つからないし、
 スナック菓子とビール缶は中身が入っているんで、捨てる事も出来ない。
 尚、俺は高校中退と言う経歴ではあるが、根は到って真面目な好青年なもので、
 ビールなんて飲まない。
 決して、クソ苦い麦の汁なんて飲んでられっかボケ、と言う理由じゃない。
 お酒は二十歳から。
 これは、いかなる場合でも必ず遵守しなくちゃならない規律ゆえ。
 あと、お菓子も基本あんま食わない。
 お子様の舌は持ち合わせていないのでね。
 俺の好物は、ハンバーグ・ステーキとライス・オムレット。
 気品漂うメニューが俺の舌には良く馴染む。
 ま、それは良いとして……そんな前住人の残物を処理するのが一つ。
 次に、この知名度皆無の事務所の宣伝。
 2週間経つってのに、掛かってくる電話は借金の取立てのみ。
 本人は逃げた、と伝えると毎回地鳴りのような歯軋りが聞こえて来るのは、
 正直言って精神衛生上余り宜しくない。
 要するに、依頼人が全然いないってコトが問題ってワケだ。
 恐らくその借金取りの連中から逃れる為に、俺にココの管理を押し付けて失踪した
 あのオヤジ――――名前は『金田一小五郎』と言うらしい、当然偽名だろうが―――― 
 は、どうしようもなく無能だったようで、『金田一探偵の煌々たる事件簿』と
 銘打ったパソコン内のエクセルデータの最終更新日時は、今から79日前になっていた。
 そもそも、このパソコン自体、『Windows Me』と言う困ったちゃんなOSが搭載されてる。
 ネットが使える環境なだけマシと言えばマシなんだが、今時ISDNってどうなんだ。
 いや、中にはADSLすら使えない地域ってのがあるのは俺も知ってはいるが、
 ココはそういう環境では断じてない。
 そもそも、何処に請求が行ってるのかすらわからないんで、固定料金でないと言う
 以前に、どれくらい使って良いものかも不明だ。
 ってか、それを言うなら、このビルの所有者も知らんし、もし仮にあのオヤジが
 その所有者なら、管理費やら固定資産税やらは俺に請求が来るのか、と言う
 不安や懸念もあるワケなんだけど……今はそんなコトを気にしてる余裕はない。
 兎に角、仕事を得ない事には明日の糧すらままならないんだから。
 この2週間、オヤジが残していた『おさつスナック』で糊口を凌いで来たが、
 そろそろ色んな意味で限界だ。
 電気水道は止まってないから、取り敢えず生活は出来ているものの、
 このまま生命を持続出来る保証は、何処にも存在しない。
 まずは仕事。
 そして報酬。
 それがなければ、未来はない。
 最低でも年齢の欄に三ケタを刻む目標を持つ俺にとっては、この探偵事務所の
 宣伝を行う活動は死活問題ってワケだ。
 そして、もう一つ。
 探偵には、助手が必要らしい。
 理由は良くわかんない。
 ただ、のび太にドラえもんが必要なように、ヤムチャにプーアルがいるように、
 探偵には助手が要るらしい。
 人を雇う余裕なんてある筈もないんで、ボランティアでやってくれる人を
 募集しなくちゃならない。
 以上、3つが今の所切実に施行しなきゃなんない項目だ。
 それを敢行すべく、俺はこの2週間、『夏の大三角大作戦』を立ち上げた。
 季節は春だが、気にすまい。
 冬に桜って曲がヒットする国だし。
 で、その作戦って言うのは、要するにこの3つを連結させてみる、って言う
 我ながら効率的な内容となっている。
 まず、掃除をしてくれるお手伝いさんを募集。
 ボランティアってのは、これくらいユルい内容の方が来てくれ易い。
 そこで、来てくれた人に『最近、ペットがいなくなったとか、ストーカーに
 狙われてるとか、浮気を疑ってたりする知り合いはいないかい?』と気さくに問う。
 上手く行けば仕事ゲット!
 そして、その仕事をなし崩しに手伝って貰ってる間に、ドサクサに紛れて助手になって貰う!
 これが、『夏の大三角大作戦』の全容だ。
 ただ、コレにはちょっとした穴がある。
 ボランティアに来てくれる人が未だに名乗り出ない事だ。
 今、このビルの入り口、更には最寄のスーパーの掲示板、コンビニの窓などに
『ボランティアスタッフ熱烈歓迎』の張り紙をしているんだけど、一向に効果が現れない。
 おのれ時代!
 今の時代!
 これが時代か!
 隣人との交流を断絶し、善行を鼻で笑うっていう最新の時代か!
 お陰で俺の人生は残り一ゲージだ。
 最悪、近隣のコンビニに余り物の弁当を恵んで貰えるよう交渉に出かけなくちゃならん。
 だが、アレもその周囲をテリトリーとしているホームのレスなおっさんおばさん達が
 権利を獲得しているケースが多いと聞く。
 何処の世界でも生存競争は甚だしく熾烈。
 甚だしく凄惨だ。
 頼む、電話よ鳴れ。
 電話がムリな今時の人見知りちゃん用にメールアドレスも書いたんだ。
 ちなみに、携帯は持ってない。
 払えないんだよ基本料が!
 今更、あのニートな親の生活保護をアテにするワケにもいかんし、
 この事務所の黒電話とポンコツなパソコンに賭けるしかない。
 鳴れ。
 鳴ってください。
 ホント、寿命半分くれてやっても良いんで――――って、どわっ!
 黒電話が謀ったようにジリリリリリリリリリリリリリリリリって鳴き出した!
 なんてこったい。
 死神に命売り飛ばそうとした瞬間にコレかよ!
 今のは軽い冗談なんで、マジで寿命縮めないで頂きたい。
 ……取り敢えず、電話を取るか。

『もしもし! 金田一探偵事務所あたらめ、狭間探偵事務所へよくぞ、よくぞ電話を
 下さいました! ホントもう、もうね、もうとってもね、とってもダメなの!
 お掃除して貰わないとね、肺が灰色になって肺魚になるの! ギョギョ!
 ギョギョギョ! ギョギョギョギョギョ!』
 ああっ、興奮のあまり途中からサカナくんになっちゃった。
 悪い癖だ、治さんと。
『あの……』
『すいません、今のは私に声の良く似た甥っ子です。お電話変わりました、
 金田一探偵事務所あたらめ、狭間探偵事務所の所長、狭間十色です。
 この度はお電話頂き誠にありがとうございます』
 変わり身の早さは、数少ない自慢の一つだ。
 小学生の頃の通知表のティーチャーのワンポイントコメント欄にも『十色君は
 話す相手に応じて人格を変形させる悪癖があります』って書かれたもんだ。
 悪癖ばっかだな俺。
『あ、はい』
 よし、電話してくれた助手候補のお方は落ち着いてくれたようだ。
 声から察するに、若い女性。
 いいね!
 104通りあるって言われている英国紳士の条件を101コクリアしてる俺だが、
 やはり助手にするなら女性。
 そう主張する事に何ら疑いの余地はない。
 肥満体型の中年のオッサンが身の回りの世話をするような環境はノーサンキュー。
 出来れば、助手と言う名のラ・マンヌを所望したい。
 ここで突然だが、俺の女性の好みを述べよう。
 深い理由はない。
 ただ、俺の生きた証を刻みたいって言うエアプレイをしたかっただけだ。
 エア生きている証打ちつけ。
 と言う訳で述べるとだな、俺はズバリ、年上の女性が好みだ。
 2つ上が理想。
 黒髪がいいね。
 ショートも嫌いじゃないが、長い方がいいね。
 ポニーテールに出来るくらい長い方がよりいいね。
 前髪も変に弄らないで、ナチュラルなのがよかろうもん。
 肩幅は普通が良い。
 首の長さも、首長族をディスるワケじゃないが、普通がいい。
 体型に関しては、贅沢は言わないが、安産型が好み。
 胸は貧から爆まで何でもOK。
 チクビさえあれば自分、大丈夫なんで。
 顔。
 顔かー。
 顔はねえ、やっぱ大事だよね。
 美人ってよりは、カワイイ感じの方がいいかな。
 最初はケバいんだけど、なんか知らんけどいつの間にか童顔っぽくなってて、
 最終的には数年の年月が経過しているのに寧ろ若返ってるやんけ、的な顔が良い。
 性格は、こんな俺を包んでくれる、ぬるま湯みたいな母性が欲しい。
 ただ、優しいだけじゃノーグッド。
 基本的には優しい。
 それは大事だ。
 偶にお弁当を作ってくれたり、部屋を掃除してくれたり、玄関で掃除しながら
 帰りを待ってくれる心遣いが身に染みる今日この頃。
 が、それだけじゃ物足りないさね。
 時には厳しく叱咤してくれて、こっちが言い返せば俺の弱点を的確についてくる
 精度の高いしっぺ返しを叫んでくれる強さも欲しい。
 あと、これ重要。
 嫉妬深い。
 コレ重要ね。
 俺が他の女性と仲良くしようものなら、なんか闇のオーラみたいなのを
 無言で発してくるような、そう言う女性が良いのです。
 そして、コレも重要なんだけど、誤解や勘違いが多い女性って魅力的だよね。
 天然はちょっとイヤ。
 あくまでも、成り行き的に『そうとるかー!』って言うの。
 俺が『そろそろ実家に帰ろうと思うんだ』と言えば、普通は『まあ、私を両親に
 紹介してくれるのネ♪』と取るが、そこで『ええっ、私を置いて実家の食堂に
 再就職するの!? 私を置いていくの!?』って取るくらいの女性が良い。
 細かく言えばキリがないが――――まあ、こんな感じの女性が好みだ。
『あの……3分も沈黙されてますけど、どうかなさいました?』
『え? あ、す、すいません! ちょっと甥っ子がスネを蹴って来て、
 悶絶していたもので!』
 いかん、折角の貴重な助手候補を世にも詰まらん理由で取り逃がすトコロだった。
 つーか、良く3分も返事のない電話口で待っててくれたな。
 それだけ、切実な依頼ってコトか。
『あらためて、お電話ありがとうございます。それで、この度はどう言った御用件で……』
 ほぼ100%、ボランティアの名乗りである事を確信しつつ、探偵事務所としての
 体裁を繕った質問をする。
 まだ二言三言しか話してないけど、大人しくて助手に向いてそうな感じだ。
 誰に対しての弁明か自分でもわからんけど、さっきの例はあくまでNo.1の理想。
 理想も、角度を変えれば100通りくらいは存在する。
 大人しくて小動物みたいな女子……もう全然いいね!
『はい。実は、依頼をしたくて』
『えーっ、依頼ーっ? うそーん』
『……え』
 ああっ、しまった。
 探偵として決して出してはいけない本音を露見させてしまった。
『すいません。今のは甥っ子の綿密に計算された私への嫌がらせです。
 依頼人を遠ざけようとあの手この手で妨害してくるもので……』
『そうですか。甥っ子にそこまで嫌われいるなんて、もしかしてこの事務所の所長は
 救いようのない最底辺の社会における肥溜めの中のウジなのかしら』
 ……ん、んんんー?
 なんか今、これまでの印象を根底から覆す発言が耳に届いたような……
『……と、私の傍にいる声の良く似た妹が後ろで叫んでいますが、
 どうか気にしないで下さい。私はそんな事、全く思っていませんから』
『はあ』
 妹がいるのか。
 妹もいいなあ。
 越した事はない、人数が多い事に。
 ま、それは兎も角。
 依頼、と来たもんだ。
 ボランティア募集の張り紙を見たワケじゃなかったのか。
 だが、これは嬉しい誤算。
 重要度で言えば、掃除や助手より断然仕事だ。
 しかも、ここに来て『夏の大三角大作戦』はまだ死んではおらぬ。
 もし、この依頼をカンペキにこなせば、だ。
 依頼人である所の電話の主は、俺に惚れる。
 かなりの確率で恋に落ちるとみた。
 だって、探偵だべ?
 もし『口に出すとダッセーって思われるから普段は言わないけど、実は密かに
 憧れを抱いている職業は?』ってアンケートがあれば、ブッチギリで1位の職業だ。
 そんな探偵さんが、自宅に華麗なる登場をし、気さくに微笑んで、自分が数年
 悩んで悩んで脱する事が出来ずにいた困難をサラリと解決してくれるワケだ。
 惚れてしまわにゃどうすんだよ。
 しかも妹までいるんだ。
 助手と、(姉と違い活発で明るい性格。ラクロス部に所属していて、
 毎日一生懸命部活に励む。男女隔てなく接する為、同性だけではなく
 異性にも慕われているが、今のところ特定の恋人はいない。実は姉の恋人である
 ところの主人公に淡い恋心を抱いており、それとなくアタックしているが、
 鈍い主人公に中々気付いて貰えず、やきもきした日々を過ごしている)その妹までゲット!
 これは好機……史上最大の好機…… 
『あの、何やら気仙沼の底なし沼の底にあるヘドロのような不快な空気が
 受話器越しに漂っている、と妹が訴えかけているのですが』
『それは甥っ子が公園から持って帰った泥団子の所為だと妹さんにお伝え下さい。
 で、依頼とのコトですが……内容をお伺いしても宜しいでしょうか?』
 いかんいかん、つい電話を忘れて自分と会話してしまうヘンな悪癖が出てる。
 コレも治さんとな。
『はい。実は、私の友人が先日、失踪してしまいまして』
 失踪事件とな。
 これは予想以上に大きな事件だな。
 てっきり、下着ドロボーとかペットの失踪とか隣人の騒音問題とか、そんな類の
 何処にでもある小さな事件だとばかり思ってたんだが。
『警察には話しましたか?』
『いえ』
 言葉短かに否定。
 なんか、キナ臭い香りがしてきたな。
 確かに俺は探偵だが、まだ一度の依頼もクリアした事のない、新米中の新米。
 つーか、経験ゼロなんだから、ぶっちゃけ素人だよね。
 そんな俺が、高レベルの案件をいきなり手掛けても良いものなんだろうか。
 ヤバ、ちょっと緊張してきた。
『警察には、やんごとなき理由で』
『わかりました。理由は問いません。それが狭間探偵事務所のポリシーです』
 今決めた。
『助かります。それで、その失踪した友人を捜して欲しいと思いまして』
『成程。心当たりはありますか? その友人が失踪前に行きたがっていた場所とか』
『異世界です』
 電話を切った。
 窓を覆っていたカーテンを開ける。
 これも金田一のオヤジが残した物の一つだが、実に薄ら汚れている。
 太陽の光を覆う布としては清潔感に欠けているが、この際贅沢は言えない。
 二階の窓から見える景色は、向かいの二階のビルが大多数を占めていた。
 あっちは、カーテンが閉まっている。
 と言うか、一日中一階のシャッターが下りている時点で、機能してないんだが。
 世の中、無駄が多い。
 あのビルだって、遊ばせておくより、安価で野心溢れる若者に貸せば、
 もしかしたらソコが日本の経済を動かす拠点となるかもしれないのに。
 つーか、さっきから電話の呼び鈴がうるさい。
 もう30コール目を突破してるが、一向に鳴り止む気配がない。
 仕方ないな……
『もしもし。さっき電話が切れたのは甥っ子の悪戯です』
『そうですか。それでは仕方ありませんね』
 その声からは、一切の感情が封印されていた。
『で、心当たりと言うのを今一度聞きたいですが、生真面目に』
『異世界です』
 ……もう一度切ろうかどうか本気で悩んだが、それこそ時間のムダなんで
 なんとか耐えた。
 でもなあ。
 どう考えても悪戯、だよなあ。
 ったく、暇な女だな。
 売れない探偵弄んでせせら笑って、何が楽しいんだろうか。
『もしかしたら、悪戯や悪ふざけでこんなコトを言っていると思われているのかも
 しれませんが、これはれっきとした事実であり、純然たる真実です』
『はあ』
 生返事しか出来ない。
 コレはあれか、電波とか言う女か。
 参ったな。
 100ある理想の中に、そのジャンルはないなー。
 天然と電波って、割と紙一重だとは思うんだが、決して超えてはいけない一線を
 越えてるってのは、やっぱキツイよなー。
 異世界て。
 それはちょっとないわ。
 くっそおおおお、折角待望のお電話頂いたってのに。
 それも女子なのに。
 妹もいるのに!
 寧ろ妹がいるのに!
『お願いです。失踪した友人を捜して下さい。大した額は払えませんが、
 もう貴方の探偵事務所にしか頼めないんです。それ以外の全ての事務所には
 断られてしまいましたので』
『だよねー』
『その内の3件は、事もあろうに説教をしやがりました。こんな悪戯は良くないよ、
 育てた親や先生の顔に泥を塗るよ、と。私は結果的にそれらの事務所を強制捜査の
 対象へと仕立て上げる事に成功しましたが、もうこのような事は二度としたくないのに、
 と妹が嘆息交じりに呟いています。ツイッターで』
『アレは恋人の携帯の履歴見るのと一緒で誰も得しないから、止めておいた方がいいって
 妹さんにお伝え下さい』
 冷笑が返って来た。
 なんか……怖いぞ、この依頼人。
 最初は癒し系の大人しい子を想像してたのに、今ではその真逆の髑髏みたいな
 イメージが浮かんでる。
 電波と髑髏。
 なんか、オカルト系の小説のタイトルになりそうな組み合わせだ。
 最早、理想とは程遠かった。
 とは言え――――この依頼をスルーすれば、一体次は何時になる事やら。
 よし、決めた。
 受けよう。
 そして、前払いで依頼料を半額受け取って、その後は適当に茶を濁そう。
 探偵業の支払い方法って、こんな感じのが多い筈だ。
 この瞬間、狭間探偵事務所の支払いプランAが決定した。
『……わかりました。この依頼、我が狭間探偵事務所が請け負わせて頂きます』
『そう。では、今後についてお話しましょう』
 俺の確固たる決意を添えた返事に対し、依頼人は感激の言葉など全く述べず、
 事務的に待ち合わせ場所を指定してきた。
 結構、ここから近い。
 移動手段が徒歩しかない俺としては、かなり助かる。
『了解しました。では、明日の10時、駅に向かえば良いんですね』
『ええ。遅れたら依頼料97%引きだから、寝坊はしないように』
 無茶言いやがる。
『つーか、依頼料をまだ提示してない時点では、その罰則は無意味に思えるんですが。
 仮に3%になったとしても、依頼料を1億に設定すると300万貰えるし』
『訂正。依頼料が強制的に97円天になるから、寝坊はしないように』
『微妙にネタが古りーよ!』 
 持ってるだけで阿呆扱いされそうな単位。
 久々に聞いたなあ。
『ま、寝坊はしませんけど……それより、名前聞いて良いですか?』
『小日向』
 苗字しか言わなかった。
 ま、それで不自由するワケでもないし、別にいいか。
『どうも。では小日向さん、明日また』
『ええ。必ず来て頂戴』
 最後らへんはもう敬語どころか命令形に限りなく近い口調で、
 依頼人、小日向は電話を切った。
 ……………………なんか、えらいコトになっちゃったなー。
 探偵ってのにも未だに引いてる自分がいるのに、最初の依頼が、異世界に
 失踪したかもしれない人間の捜索と来たもんだ。
 とは言え、嘆いても仕方ない。
 依頼料50%ゲットの為だ。
 つーか、依頼料の相場ってどうなんだろう。
 ネットで調べれば出て来そうだけど、このダイヤルアップ接続な上に
 全くウイルス対策してないパソコンで繋ぐのは心許ない。
 向こうの懐事情もあるしな。
 その辺は、探り探り決めていこう。
 と言うワケで――――この瞬間から、『狭間探偵事務所』は稼動を始めた。







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