やあ諸君、久しぶりだね。
新米探偵として、板に付いてきた感のある狭間十色(ハザマ
トイロ)だ。
ついでに貧乏生活も板に付いてきた感があったけど、そのイメージは既に払拭されたと
言っても、過言ではあるまい。
そう、先日のハーレムの件だ。
アレで、妙に潤沢な資金を得てしまった。
6人いた依頼人の中の1人が、超が4つは付く大金持ちだった、ってのが大きかったな。
こっちの言い値に加えて、成功報酬として10万円が振り込まれていたんだから。
これだけあれば、当分食費には困らない。
さすがに助手を雇える程の資金じゃないけど、まずは日々の生活だ。
現代の探偵が戦うのは、怪盗でも殺人鬼でも元数学教授でもない。
日常だ!
日々襲いかかる食欲を満たし、乾きを潤し、眠気を迎える。
それが如何に難しいか、ぬるま湯に浸かってた頃の俺は知らなかった。
強敵さ。
なにより恐ろしいのは、それが毎日、間断なく襲ってくる事。
そのしつこさは、油汚れや風呂場の水垢の比じゃない。
ストーカーやクレーマーなんて問題にもならない。
探偵は、そんな難敵と毎日、死ぬまで戦わなきゃならない。
安定した収入って言う最大の味方は、いないんだから。
ま、今はその強敵も、粒あんの粒じゃない方くらいに程よく漉されてる。
甘っちょろいもんさ。
そんな俺は現在、現状に甘える事なく、宣伝活動に勤しんでいる。
我ながら、向上心の塊のような人間だと自負する事になんら躊躇は要らないね。
わっはっはっはっは!
「コラ! そこの貧乏探偵! フザけんな!」
心の中で大笑いしていた筈なのに、突然怒号を浴びせられ、俺は思わず
エスパーの存在を疑った。
「何キョロキョロしてんだよ! 下! こっちだっ!」
言われた通りに下を見ると、ふんがーふんがーと怒った子供が見えた。
「何だ、静葉ちゃんか。相変わらず名前の割にけたたましいな」
「きーっ! あんだよバカーっ! ナメた口利いてっと、母に言って追い出すぞコラ!」
ピーチクパーチク囀ってるこの子は、小田中静葉(おだなか
しずは)。
我が【はざま探偵事務所】のある、この街の町長の娘さんだ。
非常に口が悪い小学生として有名。
同時に、我が町のアイドルとしても有名。
街のホームページには、この子の写真がこれでもかと言わんばかりに使われている。
それが、ネット上でちょっとした話題になっていて、全国のロリっ子愛好家を
喜ばせているらしい。
一度、その様子を眺めてみたが、『ツインテ小学生ムッハー』とか言う文面を
見た瞬間、鳥肌が立ったんで窓ごと消した。
ま……それは今はどうでも良い。
ちなみに、町長は母親の方だ。
「つーか、何やってんだよ? ヘンすぎるぞ、その格好」
「何って言われても、頑張って宣伝してるだけだ」
「……宣伝って、それの何が宣伝なんだ? バカにしか見えないぞ」
静葉は俺の由緒正しき格好にケチを付け出した。
「これは日本古来より伝わる、チンドン屋の正装だ。バカとは何だバカとは。泣かすぞ」
ちなみに、鳴り物はシンバル……はなかったんで、100均で買った鍋のフタを二つ使って
代用している。
背中に背負っているプラカードは、手作りだ。
「へっ、泣かせるモノなら泣かしてみろ! 母に言いつけて、この街に居られ――――」
《ガション!》
「ふにゃっ!」
鍋フタシンバルの音にビビッた静葉は、驚きの余り尻餅をついた。
目には涙が浮かんでいる。
「フッ、たわいもない」
「うう、う、今のはヒキョーだろ! 急に鍋ブタが来たからビックリしただけだ!」
「言い訳はいいから、とっとと家に帰れ。探偵さんは宣伝で忙しいんだ。子供の相手を
してる暇なんてない」
「ううう……」
屈辱感からか、静葉の目には更に涙が溢れてきた。
しかし、女子供の涙は所詮、同情を買う為の道具(偏見)。
ほぼ泣き真似に等しい。
油断してると――――
「おう? 兄ちゃん? ガキ泣かして随分イイ気になってんな? おぅ?」
その同情を買った大人が、絡みにやって来る。
しかも……コレ、ヤーさんやんけ。
この町には、××組の支部があるから、多いんだよねー。
青褪めて俯いた俺を、しゃがみ込む静葉がニヤけながら見ている。
こ、このガキ……
「オラ? 何シカトしてんだ? ナメてっと殺すぞ? あ?」
やけに『?』が多いのは、ヤーさんならでは。
しゃくり上げるようなしゃべり方が、どうにも鼻につく。
ま……探偵がヤクザに屈してるようじゃ、話にならない。
「わーっ! 怖いお兄さんが子供泣かしてるーっ!」
よって、大声でそう叫ぶ。
「ハァ? 何フザけたコトぬかしてんだ? 泣かしてるのはテメーだろ? あ?」
しかし――――世の中と言うのは、怖いお兄さんに対して偏見を持っているもので。
チンドン屋姿の俺と、グラサンにオールバックの男を見比べた周囲の人々は、
明らかに後者の方に疑惑の目を向けていた。
「な……何見てんだコラ? オレが泣かしたんじゃねーよ? なんでオレがンな目で
見られなきゃならねーんだ? オイそこのガキ? オレが助けてやったのコイツ等に
教えてやれ? あん? いねーぞオイ?」
静葉は既に脱兎の如く逃げ出していた。
あのガキはいつか、シメなきゃならんな……
「どいつもこいつも? フザけやがって? テメー? 覚悟しやがれ?」
「うるせーぞ、ヤクザ」
だが、それ以上に俺の神経に障る存在が、目の前にある。
「俺はなあ……お前らがちょっと良い事したくらいでチヤホヤされるのが死ぬほど嫌いなんだよ!
何がギャップだ! 反吐が出んだよ! 死ぬまで悪人やってろや!」
「上等だ? テメー殺すぞ? やってやんぞ? 中途半端じゃ終わらねーぞ?」
「うっせ! くらえっ、鍋ブタクラッシュ!」
「ぶほっ!」
「プラカードストラーーーーーーーーッシュ!」
こうして、俺は何故か構成員と一戦交えた。
「いちち……」
多少ダメージを受けたものの、最後はプラカード・アルティメットで仕留め、無事に
事務所へと帰還した。
一見、理不尽に見える俺の行動だが、ヤクザは問答無用の社会悪。
探偵にとって、常に戦うべき相手だ。
馴れ合ってはいけない。
屈してもいけない。
常に事を構える姿勢でいるというのが、俺のファイティングスタイルだ。
ま、扮装してるし、常にプラカードは裏返しにしてたし、報復は大丈夫だろう。
いざとなったら、夜逃げすれば良いし。
この事務所も、所詮は預かりモノだしな。
さてと、取り敢えず着替えるとするか。
「……ん?」
上着のポケットから、覚えのない小さなモノが落ちてきた。
良く見ると、代紋付きの銀色のバッジ。
うーむ……戦利品にしては、ちょっと過激すぎるな。
ま、短期間所持している分には危険もないか。
テキトーに処分しておこう。
指紋を消して。
そんなコトより、仕事だ仕事。
留守電は入ってるかな……?
《ジリリリリリリリリリリリリリリリリ》
おぶっ!
痛てて……受話器がアゴを直撃しやがった。
普段滅多に鳴らんクセして、嫌なタイミングで鳴りやがって。
つーか、この鳴ったら飛び出す仕様、考え直した方が良いな……
「はい。こちら【はざま探偵事務所】。なくしたネジの行方から、貴方の見えない希望の未来まで
何でも探しますですよ?」
……返事がない。
イタズラ電話だろうか?
実は、この事務所を預かって(無理矢理押しつけられて)最初の一月は、それはもう
膨大な数の無言電話や罵詈雑言が押し寄せてきた。
前任者のちゃらんぽらんな業務が生み出した業、とでも言うのか。
そんな事があったんで、事務所の名称と同時に電話番号も変えて、番号の記載も
この街の所々に貼ってあるビラ限定にしてあるんだよな。
本当は、公式ホームページ作って、そこで大々的に宣伝する……なんて言うのが
一番お金も掛からないし、効率的な集客方法なんだろうけど、どうにも
こっち方面のセンスは俺には縁がないらしく、計画は頓挫している。
とは言え、実際問題、そろそろ宣伝の方法は考えなきゃならない。
流石にあのチンドン屋スタイルは、ちょっとダメな気はしている。
……って、こんだけ待ってもまだ返事、来ないな。
無言電話で決定か?
ったく、暇な探偵からかって何が楽しいんだか……
仕方ない、二度と掛けてくる気が起きないよう、戒めるとするか。
「ワーニング。ワーニング。お掛けになった電話番号は、無言状態が1分続きますと、
自動的にトラッキングモードに移行し、電話回線を通して、貴方のお住まいや
個人情報をこちらに転送するようになっています。速やかに切って下さい」
当然嘘だが、いきなりこんな警告をされれば、大抵の人間はビビると言うモノ。
これもまた、当時の経験から得た、一つの武器だ。
探偵というのは、洞察や推理も重要だけど、何より『経験を活かす事』が大事。
ま、人生概ねそうなのかも知れんが、他よりちょっとだけ特殊な職業なんでね。
中々代替が利かないと言う一面があるんだ。
『……面白い探偵さんですね』
そんな事を考えている間に、声が返ってきた。
警告を掻い潜って届いたソレは、明らかにボイスチェンジャーによって
変換された、偽の声。
ヘリウムガス的なアレだ。
怪しさ全開。
こ、これは……もしや、【はざま探偵事務所】開設以来初の、推理小説っぽい展開か!?
く〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!
ついにこの日が来たか。
お待ちしておりました、心より。
口では、もとい、脳内会話では、毎度毎度『推理なんて興味ねーし』とか言ってはいたが、
探偵として事務所を構えている以上、こう言う日が来る事を心の何処かで望んでいた俺を
今日は敢えて曝け出そう。
事件のかほりとか、超ワクワクするよね!
だって、探偵だもの!
と言う訳で、高鳴る胸を恋する乙女のように抑えきれなくなった俺は、
恐る恐る受話器の向こうの怪しい人物に話しかけるのでした。
「用件を聞きましょう」
取り敢えず、クールに。
探偵って言うのは、常にそうでなくちゃならないからね。
『へえ、この声でも、聞いてくれるんですか?』
「無論です。外見や声で人を判断しないのが、【はざま探偵事務所】のモットーですから」
『嬉しいです。では、早速用件を言いますね。相談したい事があるんです』
おう、何でも来い。
誘拐犯が、逃亡の為の助言を聞きに掛けてきたのか。
それとも、身分を明かせないくらいのVIPな人物が、秘密裏に捜査の依頼をしてきたのか。
さあ。
さあ!
『人類を滅亡させたいんですが、可能だと思いますか?』
「……」
FUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU……
思わずアメリカナイズに溜息。
そうだよね、所詮は社会に片隅にひっそりと咲いた、雑草みたいな探偵事務所。
こんなしょーもないイタズラ電話がお似合いさ。
ガッカリだ。
俺の人生にガッカリだ。
ま、良いよ。
暇だし、つきあってやるか。
『どうですか、探偵さん』
「そうですね。それを結論づけるには、まず貴方の考える『滅亡』の定義を教えて貰う
必要があります。現在世界には70億人の人口が確認されていますが、その全員をデリートする、
と言う事で宜しいですか?」
『…………ええ、そうです』
少しの間を置き、そんな答えが返ってきた。
「わかりました。つまり、貴方も死亡する事が前提となりますが、良いですか?」
『……え?』
「貴方、人間ですよね? ですから当然、そうなります」
『確かに。その通りです』
「でも、貴方まで死んでしまうと、誰も結果を観測できませんね。どうしましょう」
『それなら……………………僕、だけは生き残ると言う前提でお願いします。
一人だけ生き残っても、いずれは寿命で死にますし、そうなれば全滅ですから』
「わかりました。正しい認識だと思います。では、その状況を最終目標として、これから
シミュレートして行きましょう」
と言う訳で、模擬思考。
「まず、貴方が死亡しない事が前提なので、100年以内に達成する事が条件の一つに
なります。よって、今からの100年間における技術の進捗内である事も、条件となります。
また、地球の破壊も、貴方が生存する可能性が皆無なので、除外します。
念の為に聞きますけど、知り合いにスペースシャトルの所持者は?」
『いません』
「了解しました。では、以上の条件を元に考えましょう。一番現実的なのは、どう言う方法だと
お考えですか?」
まずは、問う。
こんな質問をするくらいだ、何らかの想定はしてるだろう。
『……核兵器を使う、と言うのはどうでしょう』
「最もスタンダードな方法の一つでしょう。現在の核保有国全てが所持している核兵器を
一斉に全て使用すれば、核シェルターに入っている人間以外は、全て死に絶える可能性は
ある程度期待できます。ただ、それには幾つかの絶対条件が付与します」
『絶対条件……?』
「まず、貴方以外に誰も、核シェルターに入っていないこと。何気に難しい条件ですよ?
中には、常時シェルター内で生活してる人もいるかもしれません。世界滅亡説を
信じ切ってる人、とかね。そう言う人が、この世に一人もいない状態で、核兵器を
併発させる事が、まず第一条件。ちなみに、単発では絶対に滅亡は無理です」
受話器の向こうにいる依頼人は、押し黙ったままこっちの話に耳を傾けている。
さて……次は、と。
「また、貴方が全て、若しくは大多数の核保有国に対して、核兵器を使用する事を
命令できる立場にいる、と言う事も必須ですね。核兵器は基本、報復用です。
能動的に使用する事はありませんし、そう出来ないようになっています。
当然、発射方法は国家機密。しかるべき施設に侵入して、操作する……なんて事は、
現実的ではありません」
『それは……そうですね』
「よって、核保有国のアメリカ、中国、ロシア、フランス、イギリス、インド、パキスタン、
北朝鮮、その他秘密裏に保持している国の大半において、核の使用を、しかるべきタイミングで
命令出来る状況が必要です。ただ、これはかなり難しい。貴方が例え、何処かの国の首相で
あっても、世界一の富豪であっても、容易じゃないでしょう」
『不可能……と言う事ですか?』
声は、相変わらず変わったまま。
そこから感情を読み取るのは難しい。
「仮に、サミット等の各国首脳が公に出る機会を狙って、彼等を人質に取る計画を立て、
それを実行したとしましょう。そして、その中のアメリカ、ロシア、フランス、イギリスの
いずれかの首相に対し、『命が惜しければ、自国の核兵器を発射するよう命じろ』と脅します。
アメリカ、イギリス、ロシアだったら、いわゆる『核のフットボール』を首相が所持してますから、
話は早いですね。上手く脅せば、その箱を開けるかもしれません。
そうすれば、その国が照準を定めている国に、核兵器は発射される……かもしれませんね。
そうなると、当然核保有国は、報復の為に核兵器で反撃をするでしょう。この応酬によって、
世界全体に放射線が蔓延し、全ての人間を死に至らしめると言う可能性は、
あるかもしれません。この御時世に、こんな話をするのは、少々気が引けますけどね」
『つまり……核保有国の首相を狙えば、実現できる可能性がある、と言う事?』
「机上の空論では、です。実際に貴方が、それを計画し、実行に移したところで、
成果は上がらないでしょう。既にテロリストとして、世界最高の能力を持った軍団を
従えているとしても、そのミッションは極めて厳しい。それに、実際問題として、首脳を
人質に取った程度では、核兵器は放たれないでしょうね。流石に、そこまで利己的に事は
進まないでしょう」
人間は弱い。
場合によっては、人類の滅亡を引き替えに、命を助けて欲しいと請う者もいるだろう。
でも、国を背負う立場の人間に、そこまでアホな人間がいることは、期待できない。
核兵器を発射しろ――――なんて要求をする人間が、自分を生かし続けるなんて言う
楽観的な考えが出来るアホは、中々いないだろう。
何より、核兵器の使用は、首相一人の判断では行われない……と思う。
勿論、そこがトリガーにはなるだろうけど、他にも発射命令に対する認証は複数存在する
可能性が極めて高い。
首相が洗脳されている可能性もあるしな。
となれば、その全ての認証機構を通過できるような状況を作らなきゃならない。
要するに、無理だ。
『なら、核兵器の使用できる立場に就けば……核開発の責任者に就けば、実験と称して
実際に使用する、なんて言うのは可能じゃないですか?』
「成程。今から世界最高峰の科学者を目指す。ある意味、一番現実的ですね。
けど、私がもし核保有国の軍事を任される立場だったら、その野心には最も警戒をしますね。
絶対に、そうならないようなシステムを構築します」
『それを破るのは、不可能なくらいの?』
「そうです」
『それじゃ……核兵器の使用は無理ですね』
「そう言う事になりますね」
『なら、細菌兵器やウィルスはどうでしょうか。炭疽菌やエボラなら、かなりの数の人間が
死に絶えますよね。直ぐは死ななくても、僕が生きている70年間で、僕以外の人間全てに
菌が広がって、死に絶える……と言う可能性はありますか?』
「不可能です。それらのウィルスや細菌で、70億人もの人間に対して致死率100%を維持する
コトは出来ません。それに、キャリアが死に絶えた時点で、細菌の蔓延も途切れますから。
大多数を死滅させるコトは出来ても、全滅は無理です」
『そうですか……難しいんですね、人類滅亡というのは』
今度は、声が変わっていても落胆の色がハッキリと窺えた。
実際、その通り。
これだけ増えてしまった人間を淘汰するシナリオなんて、それこそ
隕石が直撃して地球が粉砕するくらいじゃないと、描けやしない。
極端な話、男と女が一人ずつでも生き延びれば、そこからまた人類は増えていく。
第二のアダムとイブとなって。
文明はリセットされるけど、人類が滅びると言う事にはならない。
『とても参考になりました。ありがとうございます。こんな相談に、最後までしっかり
答えて頂けるとは、夢にも思いませんでした』
満足してくれたのか、依頼人は締めの言葉を紡ぎ出した。
『普通、こう言う話をしたら、まず頭を疑われるじゃないですか。若しくは、イタズラって。
仮にそう思われなくても、最初は動機を聞きますよね。どうしてそんな事を考えたの、って。
探偵さんは、それもしなかった。ただ質問に対して、真面目に向き合ってくれた。
それがとても嬉しかったです』
「お役に立ててなりよりです」
『それで、あの……相談料は幾らくらい……』
「最初の30分は無料ですよ。まだ30分どころか、10分も経ってない。当然、無料です」
『そうですか。では……』
「ですから、あと20分。まだ付き合えますよ」
暇だから――――と言うのも、少なからずある。
ただ、このままグッバイじゃ、こっちは単なる時間の無駄遣い。
ここからが、探偵としての腕の見せ所だ。
「貴方が本当に相談したいコトを聞くには、十分な時間です」
『本当に相談したい……? 僕の相談したい事は、もうしましたよ?』
「いやー、それはどうでしょう。本気で人類滅亡を考えるなら、滅亡論を謳っている
新興宗教やマッドサイエンティスト辺りに連絡するでしょう。私の所じゃなくて、ね」
返答は――――ない。
なら、遠慮なく続けよう。
「ただ、君の中に『周囲の人間を消してしまいたい』と言う強い思いはあるんでしょう。
それが、人類滅亡と言う壮大なテーマになった。その方が、具体性が消える。ある種の
自己抑制ですね。そうしないと、殺しかねない程に憎んでいる相手がいる……違いますか?」
『それは……』
依頼人は、何かを言い淀むように押し黙った。
当たらずとも遠からず、と言ったところか。
なら、ここは押すべし。
「ここから先は、私が勝手に喋る事なので、無理に答える必要はありません。
ただ聞いていて下さい。20分は掛かりませんから、お代も発生しません」
そう前置きして、俺は自分なりの見解を語る事にした。
長くなるので、覚悟しておくように。
「まず、貴方の年齢ですが……これは簡単。10代ですよね。さっき『僕が生きている70年間』
と言ってましたから。貴方は、物事を論理的に知りたがっている。って事は、自分にもそれを
当て嵌めると言う事です。現在の日本人の平均寿命は、女性が86歳、男性が80歳。恐らく、
そこから算出した数字でしょう。そして、貴方が10歳とは考えにくい。恐らく、男性ではなく、
女性ではないでしょうか。『僕』と言う一人称は、男性が使うモノではありますが、
ボイスチェンジャーを使った上でそれを用いると言う事は、女性である事を隠している、と言う
仮定が成り立ちます。敢えて敬語に終始したのは、どちらでも通用する口調に統一した、
と言うのは穿った見方でしょうか」
取り敢えず、ここまでで一区切り。
反論はない。
ま、構いはしない。
仮に、全くの見当違いで、受話器の向こうで笑われていたとしても、別に何かを失う訳じゃない。
そもそも、推理なんて出来ない人間なんだし。
今やってるのは、練習みたいなモンだ。
失敗を恐れるな!
そう自分に言い聞かせつつ、続き。
「次に、お住まい。恐らく、近所でしょう。何しろ、この事務所の電話番号、この辺りにしか
貼られていないビラ以外は、電話帳にもインターネット上にも載ってませんからね。
情報収集の場は、かなり限られています。恐らく学生さんでしょうから、旅先で知った……
と言うのも考えにくい。この辺りには、修学旅行や家族旅行で訪れるような名スポットも
ありませんからね」
『……』
依然として、反応なし。
それじゃ、そろそろ――――
「本題に入りましょう。どうして、こう言う相談を私に持ちかけてきたか。考えられる理由としては、
さっき話した通り、『殺意を抱いている対象がいる中で、それを抑制する為』と言うのが一つ。
自分の中の殺意を、人類滅亡って言う言葉で発散させたかったんじゃないでしょうか。
この10分強の会話で、貴女から受ける心証の中に、自分勝手さや利己性は微塵もない。
真面目で、優しい。そう言う印象です。きっと、殺意を内に閉じ込めておく事で、本当に
殺してしまう……と言う最悪のシナリオを恐れたんでしょう。それが一つ」
そして、もう一つ。
これが最も重要だ。
「貴女が私を相談相手に選んだ最大の理由は、周囲に相談相手がいないと言う事でしょう。
失礼な話ですが、きっと貴女には、友達がいない。少なくとも、心から信頼できるような
友達は。と……なると、普通は両親が相談相手になります。ですが、貴女はそれをしていない。
もしかしたら、殺意を向けている相手は、親なのかも知れませんね。これは強引な推理ですが。
ただ、それなら、私のような第三者、それも社会的地位の皆無な探偵事務所に相談した事も
頷けます。万が一にも、大事になる事はない。下手に親身になられて踏み込まれる事を
恐れたのではないでしょうか?」
『……それ、は……』
ようやくレスポンスがあった。
言葉を成さない、小さな欠片。
それが、俺の推理の方向性に間違いはない事を示していた。
「親との関係が、良好ではない。それは非常に厄介な事です。日頃、常に顔を合せている……
なんて言うのは問題じゃない。厄介なのは、『その親の庇護の元で生活している』と言う事です。
負い目がある。命綱を握られている。その相手を憎むと言うのは、とてつもない心労を生みます。
袋小路に迷い込んでもおかしくない。何かしらの行動に出た貴女は、かなり度胸があると
言って良い」
『私は……』
とうとう、依頼人は一人称を変えた。
自然な方へと。
『私には、度胸なんてありません』
「ありますよ。貴女はこうして、私にサインを送った。貴女が相談を持ちかけた『もう一つの理由』。
それは、今の状況を私に伝える為、でしょう。勇気ある行動だと思いますよ?」
『え……』
「人類滅亡と言うと、破壊衝動の一種のように思われがちですが……実際はきっと、そうじゃない。
貴女が本当に壊したいのは、周囲の人間は勿論、その憎しみの対象となっている人物の命
ですらない。恐らく、人間関係でしょう。今の人間関係のない、別の世界へ自分をいざなって
欲しかった。貴女自身は自覚してないかも知れませんが、貴女のこの電話は、そう言う
サインだったと、私は受け止めていますよ」
これで、俺の見解は全て披露し終わった。
正直、少しだけ口の中が渇いている。
返答は――――
「……探偵さんって、スゴい人なんですね」
ボイスチェンジャーが外れた。
受話器から届いたその声は、瑞々しく、澄んだ女声。
ほんの少し、肩の荷が下りる。
そんな気分だった。
「悩み、とも言ってないのに、そこまで想像できるモノなんですか?」
「と言う事は、私の推理は的中していた、と考えて良いんでしょうか」
「……親を憎んでる訳ではないんですけどね」
あれま。
思いっきり外れてるやんけ。
「親は交通事故で、1年前に他界しました。今は、親戚の叔父の家に住んでいます。
その叔父に……乱暴されそうになっています」
それを契機に、依頼人は『本当に相談したかったこと』を話してくれた。
彼女の名前は、胡桃沢水面(くるみざわ
みなも)。
高校受験を目前に控えた中で、両親を1度に亡くしてしまったらしい。
受験の事がある為、早急に拠点となる住居を決めなくちゃならないと言う事情もあって、
近所に住んでいた叔父の元で世話になる事になった。
だが、その叔父は、元々評判の悪い男で、酒癖が悪く、会社をセクハラでクビになった事も
あるゲスオヤジだった。
案の定、受験が終わった途端、ベタベタと身体に触り始め、嫌らしい目で見てくるように
なったそうだ。
そして先日、ついに無理矢理押し倒された。
幸い、酩酊状態だった為、自力での脱出に成功したらしいが、このままだと本当に
レイプされかねない。
かと言って、今の状態で警察へ駆け込んでも、経過観察や口頭注意のみで終わる可能性が
高い。
そうなれば、報復と言う感情が上乗せされ、悪化する可能性が高い。
それに、公にしてしまうと、学校へ行き辛くなる。
ただでさえ、その問題で悩んでいるお陰で、学校では友達も作れない状態なのに、
『親戚から襲われた女』なんてレッテルを貼られちゃ、居場所は完全になくなってしまう。
――――以上。
これが、俺にあんな相談を持ちかけた理由だそうな。
勿論、最初から強姦未遂の件を話してくれてれば、スムーズに事は運んだんだろう。
でも、考えてみてくれ。
高校生の女子が、『レイプされそうになった』なんて、言えるか?
言えないよな、普通は。
大抵は泣き寝入りだ。
かなり歪んだSOSだったけど、それを発信しただけでも、スゴい事だ。
俺も、似たような立場なだけに、気持ちは良くわかる。
本来、無条件で味方になってくれる筈の両親を頼れない子供の心細さ。
青春を謳歌したいのに、足ばかり引っ張る現実。
辛い事ばっかりだ。
まして、彼女は女。
俺よりも遥かに問題は深刻だ。
「探偵さん……」
全てを話した後、依頼人の胡桃沢さんは、力ない声で一言――――
「お願い。助けて」
そう言った。
きっと、満足できる報酬なんて、得られないだろう。
でも、そんな事は今はどうでも良い。
俺は探偵なんでね。
依頼人の願いは、必ず叶える。
資金は必要だが、それは他の依頼人からでも得る事が出来る。
彼女を救える機会は、今だけ。
この今だけだ。
「承りました。全てお任せ下さい。【はざま探偵事務所】の従業員一名、総力を挙げて
当案件に臨ませて頂きます」
そんな俺の応えに、胡桃沢さんは返事にならない返事を、受話器越しに返した。
虐待や暴行ってのは、明確な証拠がない限り、中々警察や自治体は動けないと言う
厳しい現実が存在する。
だけど、そんな証拠、簡単には転がってない。
アザが出来てても、明確に殴った証拠がなければ、せいぜい経過観察止まり。
医者が『これは転んで出来るアザじゃない』と言っても、じゃあ誰に殴られたんだ
って話になれば、結局は証拠が必要だ。
この手の事案は、法律や道徳に頼ってても、埒があかないってのが実状と言えるだろう。
だから、胡桃沢さんが俺を頼ったのは、ある意味正解だったのかも知れない。
「……で、俺の女に手を出したのは、貴方で間違いないのかな?」
と言う訳で、俺はそう言った頼りにならない連中をガン無視して、自力での救出を試みた。
その為に用意したアイテム――――サングラス、ポマード、安物のスーツ。
あと、ご近所で地道に活動してらっしゃる、××組の組員の証である、銀色のバッジ。
これだけあれば、後は簡単。
インテリヤクザの出来上がりだ。
依頼人の為なら、毛嫌いする存在にも化ける。
それが探偵だ。
「ひ、ひぃいぃぃ! す、すいません! まさかアレが××組と関わってるなんて夢にも!
もう二度としませんから、指は、指だけはぁあぁぁぁあ」
所詮、高校生相手にハァハァ言ってる、酒癖の悪いオヤジ。
扮装した俺に、疑いの目すら向ける余裕もなく、平謝りに徹していた。
とは言え――――こんなお遊戯ごっこの延長みたいな脅迫だけじゃ、心許ない。
「わかれば宜しい。ちなみに私、この界隈にいる探偵を雇ってるんで、もしちょっとでも
アヤしい事やったら、すーぐ調査しちゃうよ? すーぐバレるよ? すーぐ沈めちゃうよ?」
「し、沈め……!?」
「海とかコンクリなんて、ケチな事は言わねえ。ちゃーんと、陥没させてやるよ。
その身体に、頭と手足をな! わかったかコラァ! 二度とフザけた真似すんじゃねぇぞ!
ドラァ! ドラァ! ドラァァァァァ!」
気でも触れたかのように、家具やら家電やらを蹴って蹴って蹴りまくって、狂気を演出。
これで、当分は大丈夫だろう。
とは言え、まだ完璧じゃない。
何せこの男、酒癖が悪いと来てる。
幾ら恐怖心があっても、酩酊状態ならそれも忘れて襲いかねん。
「出来れば、家を出るか、極力家にいない方が良いでしょう」
扮装を解いて帰還した俺は、事務所に呼び寄せた胡桃沢さんに対し、そう告げた。
彼女の外見の印象は――――声と同じく、清楚。
今時黒髪なのも珍しいけど、人類滅亡とか言ってたとは思えないほど、利発そうな
整った顔立ちで、姿勢も美しい。
制服も、一糸乱れぬと言う言葉が相応しい程、綺麗に着こなしている。
身長は余り高くなく、俺の顎に頭のてっぺんが重なるくらいだけど、それも余り感じさせない
凛とした姿が印象的だ。
ずっと、堪え忍んできた証なのかもしれない。
「他に頼れる親戚なんかは?」
フルフルと、首を横に振る。
「何処も、自分達の生活でいっぱいいっぱい、みたいです」
そう告げる胡桃沢さんの顔は、憂いを帯びていた。
まるで、高価な絵画のような気品を備えている。
本当に、世が世ならお姫様になってもおかしくない容姿だ。
たった一点――――
「ところで……その頭に付けてるネコ耳は一体」
「ネコ耳じゃありません。キツネです。ホッキョクギツネの耳です。もふもふしてるでしょう?」
「もふもふ、ですか」
「もふもふです」
そう言う事らしい。
「ま……それは兎も角、なるべく早い内に、新しい生活環境を整えた方が良い。
一番良いのは、学校の寮に入る事だけど……どうかしました?」
胡桃沢さんは、俺の話を聞いているのかいないのか、事務所の中をグルグルと見回していた。
「ここ。広いですよね」
「広いですよ。ムダに」
「ムダに広いんですか」
「ええ。前任者がアホだったんで、探偵事務所のキャパを越えてます」
「新しい住まいが、決まりました」
突然、そんな事を言い出した。
無論、探偵でメシを食ってる俺が、その意図に気付かない訳がない。
「……それはちょっと」
「でも、見たところ助手の方もいないようですし」
「いやいや。助手なんて雇う余裕、とてもとても」
「住まいを提供して貰うんですから、お給料なんて贅沢、言いませんよ。
精一杯働きます。ふつつか者ですが、宜しくお願いします」
三つ指立てて、深々と土下座。
って、ちょっと待て!
「あ、あのね胡桃沢さん」
「胡桃沢君、若しくは水面君、とお呼び下さい。助手ですから」
「だから、違うってば! 無理だって、若い女子ここに置くのは! 世間体とかあるしさ!」
「安心して下さい。職務質問されたら許嫁です、って答えます」
「安心できるかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
その後2時間ほど揉めたが、胡桃沢君の意思は堅く。
……ああそうさ、もうこう呼んでる時点で、そう言う事さ!
斯くして、まだまだ先の話と思っていた助手が、我が【はざま探偵事務所】にやって来た。
その助手が今後、【はざま探偵事務所】にとてつもない依頼を舞い込ませるコトになるんだが……
それはまた、別の話。
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