やあ、みんな。
 街の探偵さんこと、狭間十色だ。
 で、突然の事で恐縮なんだけど……俺は今、死にかけている。
 この命、最早風前の灯火だ。
 とは言え、覚悟の上さ。
 探偵たるもの、常に死と隣り合わせ。
 80年の寿命を全うするなんて、端から期待してなどいない。
 これも運命と言う事だ。
 幸いにも、既に遺書は残している。
 誰かがここを訪れて、それを目にしたら、三日三晩涙が止まらなくなる程の傑作をな。
 人の死は、感動を呼ぶ。
 俺の命もまた、そんな消費大国日本のお家芸に漏れず、安い涙で消費されていくのだろう。
 悪くないね。
 タバコと酒とクスリで身体を壊す、破滅的な生き方に憧れるロックンローラーみたいなモンだ。
 探偵もまた、そうやって死んでいくべき存在なんだろう。
 思い残す事があるとすれば――――そうだな、一度くらいは殺人事件を解決してみたかった。
 若しくは、昔の王家か富豪が残した宝の地図に挑戦したかった。
 あと、女の子とイチャイチャしたかった。
 事件を解決したものの、身寄りがなくなって天涯孤独になった年下の女の子を
 引き取って、育ててみたかった。
 事件を解決したものの、恋人を失って寂しさに身を焦がす年上の女性との
 一夜限りの爛れた関係も体験してみたかった。
 探偵って、このどっちかだよね、基本。
 けれど俺には、そんな縁はなかったようだ。
 無念。
 すっげー無念。
 あと……うわ、なんか次々と心残りが湧いて出てくる。
 くっ、なんて事だ。
 この死の淵で、気付いてしまった。
 俺はまだ、何も成していない。
 探偵としてやっておきたいベスト10、どれも成してない……!
 このままじゃ死ねない。
 死にたくない!
 だけど、俺の身体は、もう……言う事を聞いてくれない。
 手足は痺れて、胸は焦がれる程に熱い。
 反面、頭からはドンドン意識が薄れていく。
 もう、お迎えは近いんだろう。
 せめて。
 せめて探偵として(略)1位くらい、叶えておきたかった。
 そんなに高望みしてる訳じゃないんだ。
 世の探偵なら、大抵一度くらいは経験してる事なんだ。
 俺にだって出来る。
 出来る筈なんだ。
 だから、どうかもう少し。
 死神よ。
 もう少しだけ、俺に時間を――――


「……所長。私、死神じゃないですよ?」
 三日ぶりに見た瞼の外の景色は、光に包まれて何も見えなかった。
 しかし、声はやけに頭へと響いてくる。
 どうやら、うなされていたらしい。
 ここは――――他ならぬ、俺の城。
【はざま探偵事務所】のソファーの上だ。
 個室もない、ベッドもないこの事務所、寝床は必然的にこのソファーになる。
 俺はそこで、約三日ほど、飲まず食わずの状態で寝そべり続けていた。
 正確には、全く動けずにいた。
 生き地獄。
 そんな表現がピッタリの三日間だった。
「でも良かった。寝息を立ててるって言っても、いつ止まるか気が気じゃなかったんですよ?」
「胡桃沢君……」
 そんな甲斐甲斐しい事を良いながら、俺の額に冷水を含んだタオルを乗せてくれる、
 この健気な女性。
 彼女は無論、死神などではない。
 助手の胡桃沢水面君だ。
 詳しい事は、先日まとめたファイル『スリーパー・エフェクティブ』の中身を見て貰うとして。
 掻い摘んで話すと、同居人に襲われそうになっていた彼女が、身の安全を確保する為に、
 俺の事務所で半ば避難していると言うのが現状だ。
 で、その見返りに、俺の助手をしてくれている。
 つまり、俺は人件費タダで、美人助手を得ているリア充探偵と言う訳さ。
 しかし、今の彼女は助手と言うよりは、介護人に近い。
 と言うのも――――俺は今、病に伏せっている。
 探偵たるもの、日頃の不摂生はステータスの一種。
 体調を崩すくらいはお手のものだ。
 とは言え、今回は少々、いやかなり辛かった。
 39度の高熱。
 39度を越えたのは、生まれて初めての経験だった。
 人間、体温が39度を越えると、ちょっと違うフィーリングを手に入れる。
 視界がぼやけ、身体がフワフワして、まるで空を浮いているような気分。
 それでいて、悪寒は常に付きまとってるから、雪山に遭難してるような感覚も味わえる。
 気分は最悪。
 常に、眉間から鼻に掛けて、見えない何かを押しつけられているような、そんな違和感を覚える。
 それが不快で溜まらない。
 いずれも、初めての体験だった。
 その高熱に苛まれ、俺はずっとソファーの上で悶えていた。
 そんな俺を毎日、学校から帰って来てから看病してくれていたのが、胡桃沢君。
 ええ娘や!
 彼女に支えられ、ようやく俺は目を開けるまでに回復した。
 体感的には、熱はかなり引いてる筈。
「それじゃ、お熱測りましょうね」
「あ、ああ」
 何故か知らんが、一瞬、胡桃沢君がナース姿に見えた。
 人体って言うのは、生命の危機に瀕すると、こう言う幻覚を見せるものなのか。
 まだまだ、世の中には俺の知らない秘密が隠されているようだ。
《ピピッ》
「ん……終わったか」 
 体温確認。
 37.9度。
「おお、これなら何とか動けるな」
 現金なもので、人間は病気の時、体温の数値に精神が左右されやすい。
 大して体調悪くなくても、38度を越えると具合が悪いように思えてしまうし、
 かなりしんどくても、37度台だと身体が軽くなったように感じる。
「無理はしないで下さいね。私としては、病院に行った方が良いと思うんですけど……」
「生憎、保険証を持ってないんでね。全額負担はキツい」
「でも、これだと一体何の病気かもわかりません」
 そう。
 今俺を蝕んでいるこの病気が何なのかは、俺にもわからない。
 風邪にしては、症状が重すぎる。
 かといって、インフルエンザが流行る時期でもない。
 なんでまた、ここまでの高熱が出るのか。
「……胡桃沢君。一つ、良い事を教えよう」
「はい。何でしょうか所長」
「俺の職業を述べよ」
「探偵さんです」
「そう。探偵だ。で、君は探偵の助手。つまり……」
「推理しろ、って事ですね!」
 胡桃沢君は、目を輝かせながら拳を握った。
 とても優しく聡明な彼女だが、友達のいない時期が長かった所為か、
 どうにも空気が読めない事がある。
 天然じゃないんだが、こう言うヘンなテンションになる事があるんで、
 扱いに困る事も少なくない。
 社交性と言えば、俺。
 探偵は社交性抜きには語れない。
 つまり……俺が教育するしかあるまい。
 それが、助手を務めてくれている彼女への恩返しにもなるだろう。
「39度以上の熱が出る病気となると、数える程しかありません」 
 そんな事を考えている間にも、推理は始まっていた。
「インフルエンザは時期的に除外するとして、例えば……熱射病。長時間、日差しに
 当たっていたのでは?」
「いや、特にそんな記憶は」
「では……ヘルパンギーナ。子供の掛かる病気ですが、大人にも伝染ります。お子さんは?」
「いるように見えるのなら、その目はすっごい節穴だな」
「ではでは……膠原病の恐れも。関節痛は?」
「うっ、ちょっとある」
「ならば膠原病です!」
 ビシーーーーーーッと、胡桃沢君は怒り笑いの顔で俺を指さす。
 探偵っぽい所作のつもりだろうが、病人をそんな顔で指さしてはいけない。
 困った助手である。
「あれは確か、子供か中年の病気だろ? 俺は10台男子だぞ」
「そ、そうですか……しょぼん」
 推理の外れた胡桃沢君は、しょんぼりしていた。
 先日、ボイスチェンジャーまで使って世界征服論を唱えていた女子とは思えない。
 素はこっちなんだろう。
 膠原病なんて知ってる辺り、やっぱりちょっとヘンな娘だけど。
 ……いかん。
 色々考えてた所為で、また具合が……
「あ、所長。大丈夫ですか?」
「なんとか……で、この三日、何か変わりはなかった? 新しい依頼とか」
「そんなものありません。ある筈がないじゃないですか」
 真顔で言われた。
 少々寂しい。
「その代わりと言ってはなんですが、町長さんからご連絡が。『延滞してる自治会費を三日以内に
 支払わないと殺す』だそうです」
「病床で『殺す』とか、いっちばん聞きたくないな……」
「とは言え、本日がその三日目ですので。そろそろ町長さん自ら……」
《ガォン! ガォン! ガォン! ガォン!》
「探偵コラーーーーーーーーーーーーーーーーっ! 早く支払えオラコラドラゴラ!」
 来た!
 町長の小田中加奈枝(おだなか かなえ)さんだ!
 あの暴力町長、ついに自ら……しかも扉を何かで殴打している!
 何で叩けばこんな音が!?
 ぐあっ……まだ完治にはほど遠いこの頭には、耐えがたい騒音だ……!
「し、仕方ない。今まではどうにか誤魔化してきたが、このままじゃ俺が保たない。
 胡桃沢君、済まないが支払ってやってくれ。財布はパソコン置いてる机の
 二番目の引き出しに。鍵は一番目の引き出しの上側にテープで留めてる」
「わかりました! 私が責任を持って、お支払いと言う任務を遂行します」
 大げさな文言と共に、胡桃沢君はテキパキした動作で財布を入手し、今にも破壊されそうな
 我が事務所の扉を守るべく、町長の待つ外へと向かった。
 ……今後は滞納しないようにしよう。
「所長。全然足りないみたいです」
「何? そんなに持ち合わせなったっけ?」
「水分補給のアクエリアスとか、下着の着替えとか、色々購入した所為かもしれません。
 残り24円しかありません」
「……重ね重ね済まないけど、お金下ろしてきてくれない? カードは財布に入ってるから」
「わかりましたっ!」
 ピュー、と言う擬音と共に、胡桃沢君は外へと向かった。
 町長の攻撃も止んでいる。
 そう言や……ここ数日、アクエリアスばっか飲んでたなあ。
 何しろ、39度。
 唇はカサカサになるし、指や額まで粉吹き始めたくらい、水分が直ぐに抜けていく状況だった。。
 こう言う脱水症状に近い状態の時、水をガブ飲みするのは却って危険。
 電解質、浸透圧に優れたスポーツ飲料を飲むのが好ましい。
 ってな訳で、半分眠ったような状態で、胡桃沢君に頼んだ結果、30本くらい買ってきてくれた。
 ……一体、どうやって運んだんだろう。
 まあ、そりゃ散財もするわな。
 とは言え、ゆうちょにはまだまだ現金が沢山……
「所長。貯金もありません」
 突然帰宅した胡桃沢君が、息を切らしながら絶望の言葉を吐いた。
「なっ……何!? 嘘だろ、10万はあった筈なのに……」
「そう言えば、前の依頼で、クックーちゃんを捕まえる為に結構使いましたよね」
 ……あ。
 これはファイルにするまでもない、小さな依頼。
 ペットが逃げたんで、捕まえて欲しいと言う、探偵事務所にはよく舞い込む話だ。
 ただ、そのペットのクックーちゃんってのが、フクロウだっつーから大問題。
 逃げたフクロウなんて、捕まえようがない。
 モロ夜行性なんで、目撃証言もない。
 仕方なく、彼女の大好物である生きているラットを大量に購入し、放逐して誘い込むと言う
 物量作戦に出た結果、獲物を狙って飛んでくるクックー嬢を、巨大網でどうにか確保成功。
 ただ、ラットを100匹以上購入したんで、確かに出費は嵩んでた気がする。
 報酬も、決して多くなかった。
 覚えば……既にあの頃から、体調は良くなかった。
 明らかに思考力が落ちてた。
 じゃなきゃ、大赤字覚悟の捕獲作戦なんて立てんだろう。
 疲労の蓄積、なのかもしれないな。
 それは兎も角……現状は最悪だ。
 先のハーレム事件(『予定調和の人々』参照)で稼いだ金が、尽きてしまった。
 正確に言うと、未払い分がまだまだあるんだけど、それが支払われるのはまだ先。
 つまり、先だったモノがない。
「探偵〜」
 ゆらりと、天井ばかりの視界に、人影が移る。
 と、とうとう侵入を許してしまったか。
 小田中加奈枝。
 娘はいるが、伴侶はいないらしい。
 別れたのか、死別したのかは知らない。
 女一人で、一人娘の静葉と言う生意気な女の子を育てている、この町の長だ。
 ちなみに、まだ30代手前と、かなり若い。
 その若さで町長と言うポジションに着いたのは、元旦那のコネでも、親のコネでもない。
 全て、彼女の力だ。
 それ故に、裏では『女帝』と呼ばれている。
 実際、その顔は女王様と呼ばれても不自然じゃないくらい、凛としている。
 その女帝が、俺の顔を鷲掴みした。
 って……病人の顔を掴むか普通!
「あ、あの……町長、痛いんですけど」
「痛い。痛いよねぇ。でもこっちはもっと痛いのよー。胸が」
 町長は、その豊満な胸にもう一つの手を当て、ホウッと息を吐いた。
「思えば、アンタとの付き合いも随分長くなったモノよね。高校生の分際で、探偵ごっこを始めた
 ヘンな男がいる、って言う噂を聞いて……」
「説経しに来たんでしたね。暴力込みで」
「けど、話を聞けば親が聞きしに勝るクズとの事……同情したモンよ。だから、アンタが街で
 揉め事を起こしても、自治会費を滞納しても、多少は目を瞑ってきたのよ。最近じゃ、ネズミを
 大量放逐して、街の衛生状況をグチャグチャにしてくれたよねぇ」
「あの時は、左右フック連打で顔面をボコボコにされましたね」
「まぁ、ここまでくれば、情も湧くってモンよね。だから……そんなアンタをこの手で亡き者に
 するのは、胸が痛むのよ」
 顔面を捉えたその腕の血管が浮く。
 うわっ、ミシミシ言ってる! ミシミシ!
「ちょっ、町長! 死ぬって! 病人を握り殺す町長って、全国紙の一面飾るって!」
「会費払わないなら殺すしかないじゃない」
「何その極論! そんなんだから、旦那が逃げたんじゃないの!? うわ痛! すいません
 今のは何の確証もない推論でした! だから離して! 熱が! 高熱が暴発する!」
 本気で意識が遠のいていく中――――不意に、町長の手が離れる。
 その腕には、胡桃沢君の手が重ねられていた。
「ぼ、暴力はいけません。イジメ、かっこ悪いです」
「ん……そう言えば、アンタにも用があったのよ。忙しなく動くから、話す機会なかったけど」
 どうやら、お怒りは多少鎮まったらしい。
 助手の存在に感謝。
「アンタ、確か毒島家に身を寄せてる、水面さん……よね。何でアンタがこの事務所に
 入り浸ってるのかしら? 不純異性交友だとしたら、この探偵に更なる罪状が
 課せられる事に……」
 不穏な事を曰う町長に対し、胡桃沢さんは凛然とした顔で、ビシッと俺を指さした。
「そんな関係じゃありません! 私は、所長の初めての女子です!」
「……」
 何かが、コツンと音を立てて落ちた気がした。
「た〜ん〜て〜い〜」
「ま、待って町長さん。いやホント待って。違うから! あーっアイアンクローは勘弁ーっ!」
 その後、病人の俺は町長からボッコボッコにされ、体調は更に悪化した。


「……初めての助手、ね。ま、そんな事だろうとは思ってたけどさ」
 ようやく話を聞いてくれた町長は、お茶をすすりつつ、胡桃沢君の事とか俺の現状とかを
 やっと正確に把握してくれた。
「それにしても難儀な話だねぇ。保険証もないのに、この先どうやって生きて行くつもり?」
「健康保険制度に頼らなくても、探偵はできるさ」
「その姿で威張られてもね」
 ソファの上でタオルを額に、アイスノンを後頭部に敷いた俺の脇から、電子音が鳴る。
「……39度1分。町長さんの所為で完全にぶり返したんですけど」
「滞納する方が悪い。って言うか、この事務所見る限り、売れるモンいっぱいあるじゃないの」
 町長の目が怪しく光る。
 その視線の先には――――机の上でスタイリッシュに待機中のマイPC。
 気の所為か、怯えているようにも見える。
「じょ、冗談は止めて下さいよ。あれないと、仕事できないんですから」
「でも、あれが一番高く売れそうよねぇ」
「いえいえいえ! 最近のパソコン市場はそりゃもう二言目には低価格、低価格!
 一世代前のノートなんて、売っても何千円にもなりませんて」
「十分な額じゃない」
 ああっ、自律神経を刺激するような妖しい光が目から!
 目から俺を襲って!
 マズイぞ、あのパソコンには、俺の探偵としての記録全てが詰まっている。
 それをン千円に換金された日には、死んでも死にきれない。
 けど、滞納しているのは事実。
 まとまったお金を出さなきゃ、この女帝は納得しないだろう。
 くそう、探偵ってのは普通、大家と家賃を巡って喧々諤々とやり合うんじゃないのか?
 それが自治会費とは……余りに情けない。
「あの、私が肩代わりしても……」
「ダメよ、水面さん。そんな若くして男に貢いじゃ。男は貢いでも、何にもなりゃしないの。
 男を育てるには、叩いて蹴って掴んで絞めて、打たれ強くしてやるのが一番よ」
「ちょっ、町長は物理的な打たれ強さと世間の荒波を混同している!」
 俺の冷静な私的にも眉一つ動かさず、町長の右手がピキピキと音を立てる。
 鬼だ、鬼の手だ。
 マズい、このままじゃ病より先に鬼の手に殺される。
 考えろ、狭間十色。
 俺は探偵じゃないか。
 こう言う時に、スマートな頭脳戦を展開して切り抜けるのが、探偵じゃないか。
 ……くっ、ダメだ。
 頭が全然働かない。
 これが、39度の試練か。
 畜生、俺はこんなトコで死ぬ訳には行かないのに……!
《ジリリリリリリリリリリリリリリリリ》
「うわっ、ビックリした!」
 固定電話の受話器がビョンと飛び出した事に、町長が驚きの声を上げる最中、
 胡桃沢君はいち早く電話へと駆け寄った。
 現在、この【はざま探偵事務所】の電話番は、助手の彼女が勤めている。
 ま、女性が電話口に出るってのは、あらゆる組織、団体における基本だ。
「はい、【はざま探偵事務所】です。どう言ったご用件でしょうか?
 え……依頼ですか? 申し訳ありません。現在、所長の狭間が高熱で倒れていて……あっ」
 俺はその受話器を、半ば強引に引ったくった。
 寒気が止まらないんで、布団ごと移動して。
「もしもし、お電話変わりました。所長の狭間です。依頼、承ります」
「所長!」
「胡桃沢君。良い機会だから一つ教えておこう」
 息切れを起こしつつ、俺は不敵な笑みを作って見せた。
「探偵って職業に、体調なんて関係ない。私用なんてのもない。まして、休みなんてある筈もない。
 依頼人からの電話が届いたその時から、仕事は始まる。それが、【はざま探偵事務所】の方針だ」
 取り敢えず――――これで、自治会費の支払いも出来そうだしな。
「御用件を承りましょう」


【はざま探偵事務所】から、徒歩で約45分の所にある、閑静な住宅街の中の、築10年程度と思しき
 二階建ての家。
 チャイムを鳴らすと、程なくして40代と思しき男女が姿を現した。
 彼等が、今回の依頼人だ。
 名は、白鳥洋一と雪子。
 この白鳥夫妻に招かれた俺は、助手である胡桃沢君と共に客席へと向かった。
 尚、町長も何故か同行すると言い出したんで、外で待機して貰っている。
 どうやら、俺の仕事ぶりを確かめたいらしい。
 自分達の街に住む10代の探偵が、どんな仕事をするのか。
 この界隈を預かる者として、知っておきたいんだろう。
 ま、そんな事は、俺にも、まして依頼人にも関係ない。
「それでは、改めて依頼内容を確認させて下さい。依頼主は貴方がた。目的は……
 娘さんの記憶の回復、で間違いありませんね?」
「はい。仰る通りです」
 胡桃沢さんにメモを取らせつつ、既に電話で聞いていた内容を反芻する。
 この夫妻には、一人娘がいると言う。
 白鳥和音(しらとり かのん)。
 俺の一つ下で、胡桃沢君と同級生らしい。
 その彼女が、現在――――記憶喪失と言う状態なのだと言う。
 記憶喪失と一言で言っても、実際には様々な症例が存在する。
 大分すると、全健忘と部分健忘とに分けられるだろう。
 一定期間内の全ての記憶がなくなる場合を前者、思い出せるモノと思い出せないモノが
 混在している場合は後者に該当する。
 基本、記憶喪失って言うのは、『全ての記憶を失う』と言う事はない。
 そうなれば、言葉は勿論、人間として生きる全ての術を忘れてしまう訳で、
 物を食べる所作や、立つという動作まで忘れる事になる。
 そこまで脳が痛むとなれば、生きてはいないだろう。
 基本、特定の部分の記憶が抜け落ちると言うのが、記憶喪失の特徴だ。
 そして、その抜け落ちる部分ってのが大事で、一般的に記憶喪失と呼ばれているのは、
 自分の名前や居場所など、全て忘れてしまう『全生活史健忘』や、
 その一部を忘れる『部分健忘』。
 逆に、新しいことを覚えられなくなる『一過性全健忘』なんてのもあるが、
 話を聞く限り、この白鳥和音と言う子は、『部分健忘』だ。
 それが発症したのは、もう3ヶ月も前の事。
 突然だったらしい。
 朝、目覚めた彼女は、記憶の一部を失っていた。
 こう言う場合、『じゃあ自分に、と言うか人間に記憶と言う能力がある事自体は
 忘れてないのか?』という根本的な疑問を浮かべる人もいるだろうが、この手の記憶喪失で
 失うのは、主にエピソード記憶や意味記憶と言った宣言的記憶だ。
 その逆、非陳述記憶に該当する、身体で覚えた記憶、本質的な意味などは、記憶喪失になっても
 忘れる事はまずない。
 所謂、典型的な記憶喪失だ。
「この3ヶ月、我々は手を尽くして、和音の記憶を蘇らせる為の手段を尽くしました。
 権威と呼ばれている医師や教授の指導を仰ぎ、催眠療法を実施し、脳の機能回復に
 効果のあると言う高い漢方を服用させ……しかし、一切効果はあがらない。正直、
 お手上げでした」
「そこで、探偵と呼ばれる方にお願いしてみようかと思ったんです。医者の先生も、
 異なるアプローチで試してみても良いかもしれない、と仰っていたので……」
 夫妻は疲れ切った様子で、そう補足してきた。
 一方、こっちはまだ寒気が収まらない。
 怪しまれないよう、マスクをする事も出来ず、考え事をするふりをして手で口を押えながら
 俯いているものの、考えをまとめられるような精神状態じゃなかった。
「その記憶喪失になった原因は、わかっているのでしょうか?
 そんな不甲斐ない俺を、胡桃沢君が適切な質問でサポートしてくれる。
 聡明な助手。
 ありがたや。
「それが全然、心当たりがなくて……」
「我々も必死になって思い返してみたんだが、これと言う特別な事は何も。ただ……」
 白鳥夫妻は、いかにも推理モノにありそうな勿体振った補足説明を始めた。
 勿体振らずに最初から言えよ、と言ってはいけない。
 世の中、何事にも段取りというモノがある。
「恥ずかしながら、記憶を失う以前から、引き籠もり気味な生活習慣だったものでして……」
「引き籠もり、ですか。いつ頃から?」
「小学生の頃からです。学校も休みがちでして……どうにか、義務教育は卒業させて
 貰えたんですが、高校は厳しいかも知れません」
 そんな悲観的な発言を、夫妻は俯きながら続けた。
「そう言う事情で 我々も、あの子の全てを把握できていたかと言うと、必ずしも
 そうではないのです。親として失格と言われても仕方のない事ですが……」
「成程。となれば、原因の特定は困難かもしれませんね。そう言った日常のストレスによって
 少しずつ脳にダメージが蓄積した可能性もあるでしょうし」
「そうなんです。お医者さんもそう仰ってて……」
 夫妻の顔が、どんどん曇っていく。
 俺の顔は既に青褪めてるだろうが。
「いずれに……と、失礼。いずれにしても、ご本人に話を聞かない事には、私達も手がかりを掴む
 事は出来ません。お嬢さんは今、どちらに?」
「二階の自室におります。呼んで来ましょうか?」
「いえ、出来ればご両親のいないところで。お二人がおられると、正確な反応が見れませんので」
 そんな俺の言葉に、夫妻は顔を見合わせ、そして二階へ移動する許可をくれた。
 と言う訳で、サクッと移動……したいトコロだが、今の俺には民家の急勾配な階段はキツい。
「ゼーッ、ゼーッ……」
「あ、あの、大丈夫ですか?」
「すいません、虚弱なもので」
 幸いにも咳や鼻水なんかのわかりやすい症状は出てない為、病気だと悟られることなく、
 夫妻から離れることが出来た。
 そして、何とか二階へ到着。
「白鳥和音さん。少しお話をさせて貰っても良いですか? 私、胡桃沢水面と言います。探偵です」
 控えめなノックと共に、胡桃沢君の呼びかけが家中に響く――――も、対応なし。
《ギィィィィィ》
 と思いきや、返事もなく扉が開いた。
 取り敢えず、すんなり中へ入れてくれる辺り、記憶喪失後は引き籠もりじゃないらしい。
「ありがとう。感謝する」
「いえ」
 改めて、扉を開けてくれた白鳥和音を確認。
 今にも眠りそうなくらい、深く落ちた瞼。
 顔に生気はなく、まるで幽霊のような印象を受ける。
 肩まで伸びた髪の毛は、自然なのか、染めているのか、微かに灰色がかっているように見えた。
 装飾品の類はなく、あんまりこの年頃の子は着そうにない、コテコテのパジャマを着ている。
 って言うか……今、日中なんだけどな。
「もこもこ」
「あ、これですか? ふわもこなんですよ。触ってみます?」
 ま、何の脈絡もなくオオカミの耳なんてしてる女よりはマシか。
 と言う訳で、意外にもすんなり打ち解けたトコロで、事情徴収開始――――の前に、ご挨拶。
「【はざま探偵事務所】の狭間と申します」
「助手の水面です。えっと、和音ちゃんって呼んでも良い? 私達、同い年なんだって」
「良いにょん」
 ……語尾が変だけど、気にしてても仕方ない。
 探偵の仕事に、他人のキャラ付をどうこう評論する業務は含まれてないんだから。
「それじゃ、俺もフランクに喋らせて貰うとしよう」
 腰を下ろしつつ、瞬時に部屋の様子を確認。
 それなりに生活臭のある空間だ。
 32型と思しきサイズのテレビの周囲には、香水やコンパクトなアナログ時計が配置されている。
 その一方で、奥の棚には幾つものぬいぐるみが置いてあり、かなりミスマッチな印象を受ける。
 若葉色の薄いカーテンに包まれた窓際には、瑞々しい観葉植物が鬱蒼と茂っていて、
 目に優しい一方でややコントラストに欠ける。
 一方で、絨毯の色は暖色系で、少しくすんでいる。
「所長。失礼ですよ」
「ん」
 胡桃沢君に窘められたんで、観察はこの辺にしておこう。
 ここに来た最大の理由は、当人への質問だ。
「それじゃ単刀直入に聞くけど、記憶喪失って本当?」
「ちょっ、所長! いくら何でも乱暴じゃ……!?」
 非難する助手に目を向けることなく、俺は白鳥和音の顔を、と言うより目を、じっと眺め続けた。
 天性の推理力とか、天才的記憶力を持たない俺が、探偵として食っていく為に、日頃から
 磨いているモノ。
 それは、洞察力だ。
 彼女は果たして、真実を言うのか、それとも――――
「そうだにょん。両親も言っていると思うけど、私、記憶喪失にょん」
 その深い瞳からは、計り知る事は出来なかった。
「3ヶ月前にそうなったみたいにょん。それより前の記憶が定かじゃないにょん」
「成程、話に聞いた通りにょん」
 つられてもーた。
「……その記憶喪失になった原因、わかります?」
 呆れ気味に俺を一瞥した後、胡桃沢君は核心を尋ねた。
 返ってきた答えは――――ふるふると言う、横への首振り。
「気が付いたらここにいて、名前も年齢も忘れてたにょん」
「それじゃ、更に質問。『ここが自分の部屋だ』って事は覚えてた?」
 俺の間髪入れずの質問に、今までほぼ閉じていた瞼が、少し見開く。
「……覚えてたような気がするにょん」
「じゃあ、二階から階段を下りる事になったと思うけど、階段の降り方は?」
「それも……覚えてたにょん。どうしてかわからないけど」
「成程。ありがとう、かなり参考になったよ」
 それ等の回答に満足した俺は、クラクラする頭を抑えるように、額を手で覆いつつ、腰を上げた。
 これ以上は、俺が保たない。
「え、もう終わりですか?」
「ああ。和音さん、御協力ありがとう」
「大した事してないにょん」
 眠そうな目でフルフル首を振る記憶喪失の少女に背を向け、俺は颯爽と――――
 退室する直前、立ち止まった。
 探偵が良くやる所作だ。
 そして、窓際を指さし、問う。
「あのカーテン、いつ頃からここに?」
「カーテン? えっと……記憶を失う前からあったと思うにょん」
「あの観葉植物も?」
「そうだにょん。アレカヤシって言うにょん」
「綺麗なもんだ。良いセンスしてるね」
「ありがとにょん」
 最後までキャラを貫き通した和音さんに乾杯。
 俺は敬意を表しつつ、白鳥家を後にした。


「意外と早かったのねぇ。ちゃんと仕事したの?」
「……うー、まあ一応」
 痙攣し始めた瞼の所為で視界が揺れる中、外で待っていた町長と合流。
 幸い、怒ってはいないようだ。
「それなりに成果はありましたよ……おうっ」
 その刹那、不意に何かで頭をコツンと小突かれる。
 良く見ると、それは――――箱入りの栄養ドリンクだった。
「……良いんですか? こんな高そうなの」 
「アンタがしっかり仕事をこなさないと、会費が徴収できないからね。それで頭を活性化させなさい」
 ツンデレっぽい物言いを三十路前の女性にされても……と一瞬強がるも、まあそれなりに
 嬉しかったりするんで、お礼を言いつつ善意を受け取る。
 探偵にとって、箱入りの栄養ドリンクは高嶺の花だ。
「で、水面ちゃん。ホントに成果はあったの?」
「え、えっと……あはは。どうなんでしょう」
 空笑いをする胡桃沢君の反応が、町長をジト目化させる。
 ま……彼女はまだ、助手になりたて。
 あれくらいの時間では、手がかり一つ掴めなくても文句は言うまい。
「ごちそうさま。なんか力が湧いてくるような気になるのは、プラシーボ効果なんでしょうね」
「それは良いから、成果とやらを報告しなさいな。場合によっては、ソレのお代も会費に
 上乗せするよ」
「へいへい。まあ、歩きながら話しましょ。一刻も早くソファーで寝たい」
 寒気と熱が、身体の中で交互にうねってるような感覚。
 ここ三日の経験上、こういう時は決まって、熱が上がってたりする。
 測るのが怖いなあ……
「その前に一つ聞きたいんですけど、良いですか?」
「良いけ。何さ」
 コソコソ話をする音量に下げ、俺は重要な事を聞いた。
「あの白鳥家の夫妻……評判はどんな感じです?」
「評判……?」
「ええ。過去に何か揉め事起こしたとか、良くない噂が流れたとか……そう言う事ありました?
 この街の事に詳しい町長なら知ってるかと思って」
 俺のそんな問いに対し、町長は驚いたような顔を見せていた。
「……あんまりこう言うの、趣味じゃないんだけどねぇ。正直、良い噂は聞かないよ。
 ここだけの話だけど、一回あの両親、虐待騒動起こしてるのよ」
「虐待……!?」
 驚きの余り大声を上げる胡桃沢君を、俺と町長は同時に『シーッ!』のポーズで制した。
「ま、古い話よ。あそこの子供が、まだ小学生低学年だから……10年くらい前かな?
 私が大学に通い始めた頃だから……」
「確かに古い話だゲフッ」
 食い気味のタイミングで水平チョップが飛んできた。
「その時は、疑惑の域を出なかったから、警告で済んだんだけどね。その後もまぁ、
 近所付き合いはないし、何処に勤めてるのかもハッキリしないし、少なくとも周囲には
 良い印象持たれてないんじゃない?」
 趣味じゃないと言う割に、町長は饒舌だった。
「で、それが一体今回の件とどう結びつくのさ」
「それはわかりません。ただ、あの夫妻は俺達に嘘を吐いたんで、ちょっと怪しいなと」
「え? 嘘吐いてたんですか?」
 気付いてなかったらしき胡桃沢君が、再び驚きの声を上げる。
 それでも、大声じゃなかっただけ、学習はしているらしい。
 頭は良い子なんだよな。
「どの辺で……? 私、全然わからなかったんですけど」
「白鳥和音が引き籠もりだった、ってところ。あの子は元から、引き籠もりじゃないよ」
「どうしてそう思うのさ」
 怪訝そうな顔の町長に、俺は目だけを向け、乾いた唇を動かした。
「白鳥和音の住む部屋のカーテンは、薄かった。引き籠もりの人間は、窓から自分の部屋の
 様子が漏れる事を極端に嫌う。薄いカーテンなんて使わない」
「あ、そう言えば……確認してましたね。記憶喪失の前からそのままだったのかって」
 そう。
 もし、記憶喪失後に変えていたんなら、この推理は成り立たない。
 あくまで、記憶を失う前に使用していたからこそ、そこに矛盾が生じる。
「それに、観葉植物が瑞々しかった。以前から、定期的に水をやってる。引き籠もりのイメージには
 ちょっとそぐわないな。ついでに部屋も見渡してみたけど、パソコンとかゲームとか本とか、
 部屋の中で長期に亘って楽しめる娯楽もなかった。あれは、引き籠もりの部屋じゃない」
「3ヶ月の間に模様替えした……って感じではありませんでしたね」
「ああ。それに、その3ヶ月ってのも、ちょっと引っかかる」 
 記憶喪失の治療と言うのは、記憶を呼び起こす為のもの――――ではない。
 いや、それもあるんだけど、実際問題として、一度失われた記憶が蘇るのは、
 殆どの場合は偶然の産物で、それを治療によって促進する事は出来ても、明確に蘇生させるのは
 不可能と言われており、あくまでも自然回復を待つ事が前提とされている。
 それじゃ、何を治療するのかと言うと、ズバリ『物事を覚えたり、記憶に留めたりする為の機能』。
 これから日常生活をしていく上で必要な能力の回復だ。
 記憶喪失に陥っている人は、この手の機能が低下しているらしい。
 だから、最適な治療法が確立されていない記憶回復より、日常生活を不自由なく送れるように
 する事が最優先事項として行われる。
 確証はないが、3ヶ月と言う期間は、まだその治療段階だろう。
 その時期に、患者を家族の自由にさせるものなのか――――と言う疑問もある。
「言われてみれば……私はそこまで気付きませんでした」
「何にしても、あの夫妻は信用できない。町長さん、その虐待騒動について少し詳しく
 調べて貰えますか?」
「良いけど……って、何で私が探偵にこき使われなきゃなんないのさ」
「白鳥和音の身の安全の為です」
 この町長との付き合いは、そこそこ長い。
 特別に正義感が強いとは思わないけど、弱い者に対しては慈悲深い所がある。
 彼女には一人娘がいるが、恐らくその所為だろう。
 きっと、受けてくれる。
「あの夫妻が、探偵の俺に対して虚偽の申告をしてるとすれば、相応の理由があるでしょう。
 もしその虐待の噂が本当なら、『引き籠もりである事を探偵を使って外部へとアピールし、
 自分達が監禁している事実を隠匿している』って可能性も否定できません。記憶喪失云々は、
 俺をおびき出す為の口実だったのかもしれない」
 手がかりの少ない現時点では、幾つもの推論が成り立つ。
 ただ、小説の中の探偵とは違って、現実の中を生きる探偵には、警察と同等の手がかりなんて
 与えられない。
 少ない材料から、沢山の推論を組み立て、その可能性を潰していくしかない。
 そして、俺がここで優先すべきは――――依頼人の希望だ。
 探偵は、依頼人の希望を叶える為にいる。
 だからこの場合、あの白鳥夫妻にとって、都合の良いように動く必要がある。
 真実を追求するのが探偵の使命――――なんてのは、綺麗事に過ぎない。
 俺等は、需要があって初めて成り立つ存在。
 その需要を進んで潰すなんて事は、許されない。
 だからこそ、俺は敢えて、町長にそんな頼み事をした。
「……わかったよ。その代わり、報酬の有無に関係なく、会費は即刻払って貰うよ」
「了解しました」
 吐き捨てるように、或いは睨むようにして、町長は足早に俺等から離れていった。
 にしても……さっきから、悪寒が止まらないな。
 こりゃいよいよ、ヤバいかもしんない。
「所長」
「ん? 胡桃沢君、どうした?」
「私、所長の事を見直しました。やっぱり私の目に狂いはありませんでした。
 所長はきっと、街一番の探偵さんになれますよ」
 今更ヨイショされてもな……いや、嬉しいけど。
「でも、所長の推理が正しいとしたら……和音ちゃんは、両親に言われて記憶喪失の
 フリをさせられている、って事ですよね? そうは見えなかったなあ……」 
「それは……」
 ぐるり。
 突然、世界が回った。
 一瞬、地震か何かがあったのかと思ったが、そうじゃない。
「所長!?」
 急速に近付いてくる地面に叩き付けられながら、俺はいよいよ限界が来たことを自覚していた。







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