やあ諸君、調子はどうだい?
こっちは至って順調に貧乏街道まっしぐらさ。
お金って、つれないよね。
と言うワケで、【はざま探偵事務所】所長、狭間十色だ。
先日手掛けた案件が、報酬ゼロというショッキングな結果に終わったんで、
懐の方は正直ちょっとお疲れモード。
来月の生活費の心配をしながら暮らす日々は、思いの外辛いものさ。
だと言うのに、【はざま探偵事務所】は終始、和やかムード。
原因は――――他ならぬ俺にある。
終始ニコニコ顔。
自分でも、綻んでいるのがわかる。
「……」
一方、助手である胡桃沢水面君の顔は、対照的に呆れたような表情で固定。
常にジト目の助手というのも、ある意味新鮮ではあるが、ちょっと怖い。
「所長。そろそろ依頼人が来ますよ。いつまでそんな、フヌけた顔でいるんですか?」
「いやいや、胡桃沢君。探偵たるもの、常に愛想良くしておかないと。
色々理屈はこねるけど、結局の所はサービス業、接客業なんだよ?」
「それは……それでも、です。そんなデレデレ顔の所長、見たくない」
ぷいっ、と胡桃沢君はそっぽを向いてしまった。
彼女がここに来て、そろそろ1ヶ月。
こう毎日顔を合せていれば、対応も変わってくると言うモノ。
先の『記憶喪失事件』以降、特にそれが顕著になっている。
友達が出来た事も大きく作用しているんだろう。
感情表現が豊かになってきた。
探偵であり、紳士であるところの俺は、そんな彼女の年相応な変化を
微笑ましく思いつつ、同時に――――微かな不安を覚えつつ、顔を引き締めた。
「またフニャけてますよ」
「うーむ……引き締めたつもりなんだが」
俺がこうして、意図せずとも破顔しているのには、相応の理由がある。
今からここに。
アイドルがやって来る!
と言う理由だ。
アイドルですよアイドル。
今や、時代はアイドル。
その存在はまさに牽引者だ。
なんかもう顔や名前どころか、人数すらパッと見でわからないような集団が
受け入れられている理由はよく知らんけど、アイドルと言う言葉には、俺も特別な
モノを感じずにはいられない。
男の子の夢ですよ。
希望ですよ。
偶像崇拝ですよ!
そう言う意味じゃ、古来からの伝統あるセックスシンボルとも言える、
由緒正しき存在だ。
と言うワケで――――今、【はざま探偵事務所】は依頼人がここを訪れるその瞬間を
待ち侘びていると言う状況だ。
事の発端は、3日前に遡る。
本邦初公開。
この事務所のある寂れた街の名前は、『共命町(ぐみょうちょう)』と言う。
共に命を紡ぐ町。
名前は立派だが、人口は年々減少している上、目立った特産品もない、地味な町だ。
そんな共命町は現在、色んな町おこしを立案中。
その中には、名産品として『二つの首を持つ鳥』の彫刻を売り出すと言うものから、
街を舞台としたドラマやアニメを作って貰うと言うものまで、実に様々な内容が含まれていた。
で、結局は実現可能な方法として、アイドル招待という時代背景を考慮した方法に
落ち着いたワケだが――――
「そのアイドルがここへ来る条件として、『探偵に話を聞いて貰う』って言う内容を
盛り込んできたんだ、コレが。ってコトで、あんたのトコを紹介しといたから、
町の恥さらしにならないように、しっかり話聞いてあげなさいな」
と言う、町長の粋な計らいによって、今に至る。
これまで散々、暴力だ脅迫だと迷惑行為を受けてきたが、今回ばかりは町長グッジョブ!
まさか、生きてる内に生でアイドルを見られるとは思わなかったぜ。
ちなみに、誰が来るのかは聞いてない。
秘密裏に――――と言うコトなので、情報は極力漏らさない方針らしい。
ま……現実的な話として、こんな町にトップレベルのアイドルが来るとは思えない。
きっと、そんなに売れてない子が来るんだろう。
悪くないね。
売れないアイドル……良い響きだ。
探偵として、そう言う依頼人との出会いは、至福の時だと言っておこう。
俺の『探偵としてやっておきたいベスト10』の10位が、今回をもって達成される、とも。
クーーーーーーーーーーーーーッ。
探偵冥利に尽きる話だ。
「……所長、意外とミーハーなんですね」
「フッ、ミーハーじゃない男なんてこの世にはいないさ。それを隠しているかいないかの違いだけだ」
「そういうモノかなあ」
溜息を吐く胡桃沢君は、中々にサマになっていた。
彼女はアイドルには興味がないらしい。
「胡桃沢君は、芸能界には興味がないの? 入るとかじゃなくて、好きな芸能人がいるとか、
そう言う意味で」
「品川徹さんとか、山崎努さんとか、北大路欣也さんとか」
険しい顔のベテラン俳優ばっかりだ!
ある意味、趣味がハッキリしてると言えなくもないが……彼女の場合は、
ちょっと違う気もする。
「君の父親がそんな感じの人だったのかな?」
この1ヶ月、俺は敢えて、彼女の家庭の事には触れないでいた。
俺自身、家族にはコンプレックスがある。
身内に問題がある事の辛さと、それを周囲に晒す辛さは、わかってるつもりだ。
だが――――探偵と助手は一蓮托生の関係。
仮に彼女が、遠くない将来にここを出て行くとしても、ここにいる間は、彼女の事を
ちゃんと背負わないと行けない。
その為には、辛い事も苦しい事も、知っておかないといけない。
彼女を作り上げた背景を。
上司と部下、とは少し違うけど、一つの案件に挑む仲間として、彼女の本質を
把握しておく義務が、俺にはあるんだ。
「……そうですね。顔は怖かったけど、優しくて、落ち着いてて、どっしりした人でした」
そんな俺の本気モードを察してか、胡桃沢君ははぐらかす事なく、真面目に答えてくれた。
「母親の方は?」
「お母さんは……少し口うるさかったです。友達みたいな……感じだったなあ」
「女の子にとっては、理想の両親だね」
「……」
俺の言葉に、胡桃沢君は何度も頷いていた。
この年代の子が両親を失うと言うのは、考え得る上で最大の不幸だ。
保険金の有無や額にもよるが、経済的な問題は十分に深刻。
ただ、それ以上に大きい事がある。
精神的な支えを失う、と言う事。
特に、家族関係が良好な家庭で、両親が一度にいなくなると言うのは、
余りにも大きな損失だ。
これから一生、最後にすがれる味方がいない中で暮らしていくのだから。
拠り所のない人生ほど、怖いものはない。
本当に苦しいのは、これからだろう。
この事務所に彼女が身を寄せたのは、単なる偶然じゃない。
彼女自身が引き寄せた縁だ。
ここで何かを得る事が出来れば、それは彼女が自分の力でたぐり寄せた成果。
俺の出来る事は――――それを少しでも、多くて実のあるモノにする事。
少しでも、力になれればな。
「所長……私は……」
「うん?」
「私は……」
胡桃沢君が、何かを言い出そうとした、その時――――
「探偵いるかー? 連れてきたから開けろー!」
町長さんの少しハスキーな声が、扉越しに響いてくる。
来た!
来ましたかーーーーーーーーーーーーーーーーー!
「暫しお待ちを! 今開けます!」
高速で身嗜みを整え、鏡の前で笑顔のリハ。
よし、この執事型スマイルBで行こう。
「所長……さっきはちょっとカッコよかったのに」
「はーいお待たせ! 今開けますよー!」
アイドルが間近にいる事で、俺のテンションはマックスに上昇していた。
果たして、生アイドルはどんな感じなのか。
いざ、この目に焼き付けん――――
「【はざま探偵事務所】へようこそいらっしゃいました。歓迎します」
「おう。中々いー感じの人じゃん」
……男がいる。
男?
おと……こ……?
「ああ、マネージャーの方ですか。初めまして、所長の狭間十色です」
「誰がジャーマネだコラ! このイケメンフェイスを見ろよ! 俺がタレント本人だよ」
「……」
アイドル。
そう言えば――――この言葉に、性別を示す要素は何処にもない。
小学生でも知ってる。
俺は……一体、いつ間違えた?
何で、アイドル=女と思い込んでいた?
「そうか……」
「納得したかよ」
「ああ。布石はあのハーレム事件だ」
「……は?」
「あれ以来、やけに女性との接点が増えた。絡んでくる登場人物も、女が多かった。
って言うか、大抵女だった。だから、無自覚に俺の中で『ハーレム的展開』が
インプットされてしまっていたんだ」
さながら、シティー・ハンターのようになると。
なんてこったい。
探偵たるもの、先入観に縛られるのは最大のタブーだってのに。
って言うか、探偵失格?
切腹したい気分だ。
「なあ……ここ、ホントに大丈夫なのかよ」
「同世代の方が良い、って言ったのはそっちでしょう? こっちに非があるみたいに言われてもねぇ」
落ち込む俺を余所に、二人は険悪な雰囲気でなにやら話している。
はぁ……男アイドルの依頼か。
ま、仕方ない。
切り替えよう。
世の中甘くはないっていう見本みたいな経験だ。
「所長……? どうかしましたか?」
玄関口でゴチョゴチョやってる俺らを不審に思ったらしく、胡桃沢君が近付いてくる。
瞬間――――目の前の男の目が光った。
「初めまして。YUKITOです。その耳飾り、超キュートだね。で、知ってる? 俺のコト。
最近『ブレイブバースト』って言うトレーディングカードのCMとかやってんだけど」
「は、はあ……すいません、テレビ最近見てなくて」
「マジで? あー、なんか良い! この感じチョー新鮮! 町長、ここでOK!」
「あっそ」
町長が嘆息し、胡桃沢君が狼狽する中、依頼人ことYUKITOは一人で興奮の坩堝と化していた。
「……って訳で、アイドルのYUKITOだ。宜しくな」
「こちらこそ」
握手を求める依頼人に対し、俺は紳士の笑みを返し、それに応える。
男アイドルなんて傘の柄の柄くらいどうでも良い存在だが、依頼人である以上、
最大限のおもてなしをするのが、探偵の務め。
よって、コーヒーも一番良いのを出す。
我が【はざま探偵事務所】は元々、依頼人に対して出すお茶は最低レベルの物しか
用意していなかったが、胡桃沢君がここへ来てから、抜本的な接客環境の見直しが行われ、
飲み物はお茶(1,000円/100g)、コーヒー(ドリップ)、オレンジジュース(果汁100%)、
ミロの4つを用意。
お茶請けも、10代から60代までを想定し、世代別にそれぞれ最適な物を用意している。
探偵と言うと、ハードボイルドで野暮ったい印象を持っている人も多いだろうが、
現実には、そんな怖い雰囲気で接客した日には、即廃業だ。
お客様あってのサービス業。
依頼人あっての探偵。
偉ぶるのは推理の時だけで十分だ。
「おい、探偵。何で私のお茶請けが『ぬれせんべい』なんだい? アンタ、私を何歳だと
思ってんの」
「良いじゃないですか。美味しいですよ、それ」
実際には、滅多に来ない依頼人の更に来そうにない高世代向けのお茶請けの在庫処理だが、
それは口にすまい。
「さて……早速ですが、御用件を伺いましょう」
「おう。聞いてくれ」
再び営業スタイルに入った俺は、腰を据えて話を聞く体勢を作る。
尚、胡桃沢君はトレイを手に、一人立っている。
別に俺の隣に座っても問題ないんだけど、助手のイメージってなんとなく
こんな感じの立ち位置なんで、接客スタイルとしてこうしている。
「実はな……」
そんな胡桃沢君をイヤらしい目で一瞥した後、YUKITO氏はアイドルらしく、キメ顔を作った。
「密室を作って欲しいんだ」
はい?
密室を……
「つく、る? 密室を破る、じゃなくて?」
「そりゃそーだろ。何でアイドルのオレが、密室破る依頼なんてしなきゃなんねーんだよ」
それは確かにその通りだが……
普通、探偵って密室のトリックを暴くとか、密室殺人の謎を解くとか、そう言う仕事を
するモンなんじゃないのか?
いや、今まで散々、推理小説上のセオリーを茶化してきた俺が言うのも何だけど。
それでも……密室を作る側に回るなんて展開、なんかイヤだぞ。
「で、なんでまた密室なんて作る必要が?」
「それについては、町長さんから聞いてくれや」
「ヤだよ。私ゃアンタのマネージャーじゃないっつーの」
「……」
アイドルのYUKITO氏は、町長をアゴで使う事で、自分の芸能人オーラを誇示しようとしたが
アッサリと失敗した。
ダサッ。
ダッサ。
「……い、今、俺のコト『カッコ悪りー』って思った? 思ったよな?」
「とんでもない。段取りを違える事くらい、良くある事です」
「そ、そっか……いやな、オレってさ、ローカルからの叩き上げなんだよ。
今はCMとかで使って貰ってるし、CDも初登場2位とか取れるようになって、スポンサーの
エライ人から気さくに話しかけて貰えるようになったんだけど、まだコレって言う
自信? みてーなのがないっつーか、確信が持てねー、っつーか」
アイドルと言うのは、かなりストレスが溜まる職業らしい。
YUKITO氏は、自分の抱えるコンプレックスを、初対面の俺に赤裸々に語り始めた。
いや……初対面だから話せるのかも知れない。
人気者は人気者なりに、色々大変なんだろう。
本当に人気があるのかどうかは知らんけど。
「んで、密室の件なんだけどよ……明日の朝から夕方まで、この街のCDショップで
握手会やんだよ。新曲のキャンペーンでさ」
「ほぼ一日中、握手会ですか」
そりゃ大変だ。
腱鞘炎になるぞ。
って言うか……そんなに長時間、継続的に客が来るとは思えないんだけど。
「ああ、ここまで長いのはオレも初めてでさ。で、流石に一日中同じ場所に座って
握手し続けるのは無理だから、何回か休憩挟むんだわ。メシも食わなきゃだし」
「当然ですね」
「その時にいきなり、メイツが乱入とかしてきたら、落ち着いて休憩できねーだろ?
だから、外から入って来れないよう、密室を作って欲しいんだよ」
「成程。話は大体わかりました」
メイツと言うのは、ファンの事を指す言葉なんだろう。
気持ち悪い事この上ないが、アイドルってのはそう言うのも仕事の内だし、口は挟むまい。
問題は……密室を作る必要性をイマイチ感じない事だ。
CDショップで握手会をするのなら、恐らく売り場に特製ブースを設けて、
そこをイベント会場にするんだろう。
売り場から近くて、休憩場になり得る場所と言うと……従業員控え室が妥当だ。
普通、そんな所にまでファンが押し寄せる事はないし、その心配をする必要もないだろう。
万が一忍び込んできても、鍵掛けておけば問題ないはずだ。
その時点で『密室』だし。
探偵に依頼するような事か……?
「ま、私達にしてみりゃ、自分等で招いたアイドルに万が一ケガなんてさせちゃ、
大問題になっちゃうワケでさ。警備や監視の強化みたいなモンよね。それくらいは出来るよね?」
「そりゃまあ、引き受けますけど」
「よし、商談成立ね。それじゃ、私はこの辺で失礼するよ。仕事あるからね」
補足説明を行った後、町長は一足先に事務所を出て行った。
それを見計らったかのように、YUKITO氏の表情から、アイドルらしさが消える。
そこにいるのは、俺と同世代の、一昔前のギャル男風な感じの男子だった。
「……よし、そんじゃ、本題に入ろうぜ」
「え? さっきまでのは違うんですか?」
その変化に少し驚き気味の胡桃沢君が、依頼主に接待文句を投げかける。
案の定、気持ちよくなったらしきYUKITO氏は、満足げに頷いていた。
「ま、責任者の町長がいるトコロでは、ちっとな。実は、この密室ってのには、
別の理由があんだよ」
「伺いましょう」
「その密室状態にした休憩室から、俺を逃がして欲しいんだよ」
YUKITO氏のその言葉は、依頼の内容を全くの別物に変貌させた。
彼を一人にするだけの密室を作ると言うのは、誰にでも可能な児戯。
だが、そこから更に、中にいる彼を外へと脱出させるのは、完全にトリックの領域だ。
人を殺し、そこを密室に仕立て上げ、脱出する犯人と同じ事をしろと言っているようなモノ。
いよいよもって、探偵の仕事じゃなくなって来た。
「どうして、そんな事を?」
YUKITO氏の意図が読めない俺は、そんな胡桃沢君の質問に同調し、聞き手に回る。
考えられるのは――――デート。
握手会を途中で抜け出して、休憩時間を利用して、彼女と遊ぶと言うシナリオだ。
なにしろ、アイドル。
それなりに忙しいだろうから、日中彼女と外出する時間は中々作れないだろう。
しかも、目撃者の多い都会の場合、変装しても心許ない。
こう言う地方へ遊びに来た機会に、時間を作って彼女とデートすると言うのは、
我ながら『あり得る』答えだと思う。
さて、解答は――――
「あー……実はさ、この街って、俺の故郷の直ぐ近くなんだよね。んで、そこにいる……」
「彼女さんとデートする為ですね!?」
ビシーーーーーーッ、と言う擬音と共に、胡桃沢さんが怒り笑いの顔で指さす。
探偵っぽく演出してるつもりなのかもしれないが、依頼人をそんな顔で指さしてはいけない。
「いや……違うけど。彼女、いねーし」
しかも間違っていた!
って言うか、俺も間違っていた!
よかった、先に胡桃沢君が言ってくれて……ある意味、この上なく助手の仕事を
全うしてくれた彼女に乾杯。
「しょぼん」
その有能な助手は、推理が外れてしょんぼりしていた。
「あ、完全に間違ってるワケじゃねーから、気ぃ落とさないでよ。デートじゃねーけど、
友達と会う予定なんだよね」
「地元の友達ですか」
「あー。最近会う機会が少なくてよ。今回久々のチャンスなんだよね。だから、意地でも
抜け出したいんだけどさ、やっぱそれってマズいじゃん? 一応、これでもアイドルだし、
握手会を勝手に抜けて、遊び回るってのは、騒ぎ起こしそうだし」
少し照れた様子で、YUKITO氏は詳細を語り出した。
彼の実家があるのは、この共命町から3つほど駅を通過した先にある所。
高校も、形だけではあるが、そこに籍を置いているらしい。
その高校に、数人の友人がいて、今回彼等と会う約束をしていると言う。
今回、握手会が終わったら、直ぐに別の仕事の為に空港へ直行する必要がある為、
時間が取れるのは『握手会の最中』しかないと言う。
「本当は、今日会えりゃベストだったんだけどな。でも、なんかスケジュールが合わなくてさ。
向こうは夕方まで学校だし、こっちは夕方から打ち合わせとか取材が入ってるし。で、
向こうの昼休みに合せて、休憩時間を確保して貰ったんだよ。そこで抜け出して、
落ち合おうって。へへっ」
そう語るYUKITO氏の顔は、もどかしそうな、それでいて遠足の前の子供のような表情だった。
そのご学友と会う事を楽しみにしているのが、ひしひしと伝わってくる。
アイドルが、恋人じゃなくて、友人と密会する。
そして、休憩時間の約1時間を使って、旧情を温める。
中々いい話じゃないか。
それをサポートする探偵。
悪くないね。
って言うか、今までで一番良い仕事かもしんない。
密室を暴くんじゃなく、作って逃がす側なのは微妙だけど、それでも密室案件には変わりないし。
「わかりました。この【はざま探偵事務所】が総力を挙げて、密室トリックを作ってみせます」
「おう。頼りにしてるぜ、探偵さんよ!」
俺とYUKITO氏は、先刻のビジネス握手とは違い、ガッチリと手を重ねた。
――――と言うワケで、翌日。
俺は単身、荷物を入れた小さいボックスを肩に背負い、握手会の会場へと足を運んでいた。
既に、店内は『YUKITO』一色。
特製ブースの周囲には、ポスターやらCDやら、色んなグッズが展示されている。
特に目立つのは、『YUKITOメイツに捧ぐ 炎と氷のラブリンス握手会』と記した
意味不明な看板だ。
世の中には、意味を放棄して語感や見た目のインパクトだけで形成された文章は、
確実に存在する。
これも、その類のモノなんだろう。
そんなイロモノ看板をスルーし、控え室へと移動。
この握手会会場となる『嬉楽堂
共命店』は、共命町のCDショップでは1、2を争う
規模を誇る、結構大きな店で、売り場の広さも中々のモノ。
ただ、近年のCD離れの影響もあってか、余り流行ってるとは言い難く、スタッフの数も
広さの割にはそう多くない。
とは言え、CD全盛の90年代に作られた店なんで、控え室もまあまあ広い。
そこが、今回の密室会場となる場所だ。
正確な広さは、32.6平方メートル。
小規模の会議室くらいの広さだ。
長机が中央にあり、パイプ椅子がそれを囲んでいる。
唯一の出入り口は、レバーハンドルが付いた内開きの扉。
ただし、窓は標準サイズの物がちゃんとある。
人が十分に出入り出来る程度の大きさだ。
コンビニの事務所のような、監視用のモニターはない。
とは言え、防犯カメラがない訳でもない。
CDショップの防犯って言うと、基本的には入り口の所に設置してある防犯ゲートが
主力になるんだけど、一応カメラもちゃんと設置している。
ただ、リアルタイムで監視する事はなく、問題が生じた際のチェック等に使う事が多い。
とは言え……今回の案件において、防犯カメラも一つの障害になる事は間違いない。
この控え室から外に出るまで、誰にも見つかってはいけないんだから。
「失礼します」
控え室の中を見渡していた俺の鼓膜に、落ち着いた雰囲気の男声が届く。
振り向くと――――入り口の傍に、紳士風の男性が立っていた。
「この度は、YUKITOの警備をお引き受け頂き、ありがとうございます」
そして、優雅に一礼。
どうやら、マネージャーの方らしい。
「いえ、こちらこそ仕事を頂いて、ありがたい限りです」
俺も彼に倣い、紳士的な笑みと共に、小さく会釈した。
YUKITO氏の話によると、今回の件はマネージャーにも秘密らしい。
彼も、障害の一人だ。
とは言え、この外見から見るに、理由を話せば案外アッサリ許してくれそうな――――
「ところで……あのクズタレントに、珍妙な事を依頼されなかったでしょうか?」
「く……クズ?」
寛容さは微塵もなく、それどころか突然サディスティックな言葉が飛び出した。
「あの底辺タレント、どうも今回、ムダに乗り気だったもので……何か良からぬ事を
企んでいるのではないか、と思いまして」
「さ、さあ……聞いてませんけど」
「そうですか。もし、変な話を持ちかけられたら、直ぐに私へ連絡を下さい。
スタンドプレーを出来るタレントレベルじゃない事を、その身に叩き込んでやりますので」
紳士然とした外見とはかけ離れた殺気が、体中から充満している。
この業界って……
「え、えっと……それで、YUKITOさんは今、何処に?」
「スタッフと打ち合わせ中です。何しろ頭が悪いので、何度もすり込まないと
直ぐに段取りを忘れてしまうのです。どうしてああも空虚な脳なのでしょうな、全く……」
余り聞き慣れない表現で、マネージャーは溜息混じりにYUKITO氏をこき下ろす。
その表情からは、彼を毛嫌いしている……と言うよりは、何度も何度も自分が尻ぬぐいを
してきたと言う自負と、それでも見捨てられない父性のようなものが垣間見えた。
これでも探偵なんで、そう言う洞察は出来るんですよ。
「では、私も打ち合わせに合流しますので。何かあったら、遠慮なく仰って下さい」
「あ、ありがとうございます……」
丁寧に一礼し、お見送り。
世の中、色んな人がいる。
毒舌のマネージャーなんて、きっとありふれた存在なんだろう。
目の当たりにしたのは初めてだが。
さて……それじゃ早速、密室の為の準備をしようか。
協議の結果、今回採用するのは、プランG。
その為の道具も、既に用意してある。
さて、ここで問題。
プランGとは一体何なのか?
それを説明する為には、昨日の俺等の行動を振り返る必要がある。
と言う訳で、回想シーンの始まり始まり〜
「あ、所長。こっちです」
意外にも、結構な数の訪問者が腰を落ち着けている、夕方の図書館。
この共命町で最も大きな『みらい図書館』にて、俺は胡桃沢君と待ち合わせをしていた。
1階奥にある机の一角には、制服姿の彼女と共に、かなりの数の文庫本が積まれている。
そう。
これは全て、密室作りの為の資料だ。
探偵ではあるものの、俺は推理小説の類は殆ど読んでいない。
せいぜい、お約束と呼ばれる内容をチラッと把握してる程度だ。
実際、そんなでも現代の探偵は十分にやっていける。
だが、今回はその推理小説こそが、最大の武器。
ついに俺も、江戸川先生や横溝先生のお世話になる時が来たか。
ま……つっても今回は時間がないから、密室トリックだけをチラッと拝見するだけなんだが。
ある意味、推理小説に対する最大の冒涜と言う気もするが、仕方ない。
「悪いね、待たせちゃって。で、首尾はどう?」
「結構、色んなトリックが見つかりました。推理小説って、密室ネタ多いんですね」
「王道だしな」
苦笑しつつ、胡桃沢君の対面に腰を下ろす。
密室――――それは推理マニアにとっては、ロマンとも言えるもの。
ただ、その定義はシンプルで、『外部からの侵入が不可能な状態の空間』を指す。
要は、施錠したらその時点で密室って事だ。
つっても、入ろうと思えば『窓を叩き割る』、『壁をブチ抜く』、『天井をブチ破る』等の方法で
侵入可能なので、厳密な定義は
『外部から侵入した形跡を残さない方法での侵入が不可能な空間』
って言う事になる。
「ま、屁理屈はこの辺にしておくとして……」
「はあ」
少々呆れ気味の胡桃沢君に、俺は引き続き講釈を垂れる。
密室が推理小説のネタになるのは、密室殺人に代表されるように、『外部から進入不可』な事が
理論上矛盾を生むからだ。
よって、実際には『密室なようで、実は密室でない空間』こそが、推理小説等のネタになる
密室の定義だ、
「それも十分、屁理屈だと思うけどなあ」
「……そうかも」
と、兎に角。
今回俺等が作る必要のある密室は、まさにその密室だ。
目的は、内部にいるYUKITO氏を外に逃がす事。
そして、外で友達と親睦を深めた後、再び戻ってくる事。
外部からの侵入と、内部からの脱出を、人目に付かない方法で行う必要がある。
休憩時間中、彼がここを離れていないように見せかける為、外部からマネージャーや
スタッフ、ファンなどの進入があってはならない。
まさしく、密室トリックだ。
厄介なのは――――何か緊急の用事があった場合。
そうなると、マネージャーが意地でもこの部屋に侵入しようとするだろう。
そこもケアしないと行けない。
そんな事情もある為、当初は密室を作るのではなく、替え玉を用意すると言う案もあった。
YUKITO氏そっくりの人を雇い、その人物に握手会をさせる。
その間、本人には外で羽を伸ばして貰う。
これも、良くあるパターンだ。
ただ……現実には、一卵性の双子でもない限り、そんな事は出来ない。
「そして、そう都合良く双子なんていないもんだ」
「当然、そのレベルのそっくりさんもいないですよね」
現実は甘くない。
よって、結局は密室を作ると言う方向で話はまとまった訳だが――――
「密室トリックって、色んなパターンのトリックがあるんですね。これだけ多いと
選り取り見取りですよ」
真面目な胡桃沢君は、各作品の密室トリックをネタ帳感覚でメモしていた。
早速見せて貰うとしよう。
「って言うか、胡桃沢君。字、下手だな」
「え? そ、そうですか……?」
雑って訳じゃないが、何か丸字を拗らせたような、見難い文字が箇条書きで羅列されている様は
何かの紋様に見えなくもない。
ま、探偵たる者、暗号解読も仕事の内だ。
「暗号……」
俺の心の声にショックを受けた胡桃沢君は無視し、黙読開始。
数あるトリックの中で、最も簡単なのは……『合い鍵』を使うトリックだ。
って言うか、トリックと言って良いものかどうかも微妙だな。
この場合、単に『合い鍵を持ってました』じゃ余りに稚拙なんで、『本来合い鍵を
入手できない状況でありながら、それを別のトリックで入手する』と言う場合や、
『巧妙なタイミング、手口で合い鍵を手放し、密室に見せかける』等と言う手法が用いられている。
どっちかと言うと、変化球的な要素が色濃いみたいだ。
他にも、その種類は実に様々。
特に密室殺人の場合は、中にいる人間を『どのタイミングで殺すか』、『どんな方法で殺すか』、
『どの場所で殺すか』と言った点が、擬似的な密室を作り出すトリックとして作用している。
例えば、ワイヤー等を使い、移動不可能な外部から中の人を殺めるトリック。
天窓のような、その部屋ならではの隙間から、中の人間を殺すトリック。
自ら死に至らしめるよう誘導するトリック。
自殺に見せかける他殺や、他殺に見せかけた自殺によって、密室であるように
見せかけるトリック。
毒や機械などを用い、その場にいずとも時限方式で中の人間を殺せるトリック――――等々。
ただ、今回俺等が作る密室には、これ等のトリックは当然、使えない。
俺等が作るべきなのは、中の人物が脱出可能な密室だ。
よって、中に人がいる事、そこから人が出られる事が絶対条件。
その条件内で例を挙げると――――扉に何か細工をするトリック。
部屋そのものを、別の部屋に見せかけるトリック。
外部に脱出した事を悟られないトリック。
最初からそこにはいないのに、いるように見せかけるトリック。
目撃者が踏み込んだ際に、見つからないよう脱出するトリック。
足跡を用い、人がその部屋へ入り、出ていない証拠を提示しつつ、そこにギミックを用い
アリバイを発生させるトリック。
他にも多々あるが、まあこんな所だな。
「ありがとう、胡桃沢君。十分な資料だ」
「お粗末様です。字は暗号レベルでしたし」
まだ少し拗ねている助手は兎も角として……問題は、この資料の中の何を
ピックアップするか、だ。
密室を作り出す方法なんてのは、それこそごまんとある。
だが――――今回のケースの参考になる方法となると、そう多くはない。
重要なのは、『誰にも見つからず脱出し、誰にも見つからず戻ってくる』と言う点。
前者はまだいいが、後者は厄介だ。
密室殺人に代表される、推理モノの密室ってのは、犯人がその場を脱出する事は
必須だが、わざわざ犯行現場に戻ってくると言う行為はあり得ない。
よって、大抵は『脱出できても再度戻る事は出来ない』トリックが大半を占める。
そんな中、俺等は一方通行ではなく、往復可能な方法を模索する必要がある。
「以上の事を踏まえた上で、今日中にプランをまとめよう。徹夜になる可能性もあるけど……
胡桃沢君、覚悟は良いか?」
「勿論です。明日、学校ズル休みするくらいの覚悟で臨みます」
「フッ、ぬかしおって」
俺達は不敵に笑い合いつつ、密室作りを始めた。
以上――――回想終わり。
流石に、本当にサボらせるのはどうかと思ったんで、胡桃沢君には眠ったような目で
登校して貰っている。
ただし、既に彼女にはちゃんと貢献して貰った。
その成果物が、昨日考案した、A〜Gの計7つにも亘るプランだ。
それを提示する前に、まずこの控え室と他の部屋の関係性を示す『間取り』を紹介しよう。
この『嬉楽堂
共命店』は、CDだけじゃなく、本やゲームなど、様々なメディアを扱うお店。
その為、売り場は複数あり、それぞれが独立したブースになっている。
店によっては、ゲージで繋がってる所もあるが、ここはそう言う構成じゃない。
各フロアが自由に見渡せる、ごく普通のメディアショップだ。
重要なのは、この控え室と出入り口の位置関係だが――――殆どの店がそうであるように、
事務室や控え室ってのは基本、店の奥にある。
ここも例外ではない為、売り場を通らずに正規の出入り口を出ることは出来ない。
が、従業員用の裏口は、控え室の直ぐ近くにある。
関係者以外通れない廊下を通り、裏口へと移動するその所要時間は、せいぜい10秒。
ここを利用すると言うのが、プランAだ。
マネージャーやスタッフが控え室を訪れた際、『休憩中は誰も入らないようにお願い』
と言い、内側から鍵を閉める。
その後、YUKITO氏自ら鍵を開け、裏口へと移動し、脱出。
ただこれだと、控え室の鍵は開いたまま。
幾ら『一人にしてくれ』と事前に言ってても、スタッフ等が緊急の用などで訪れた際に
バレてしまう可能性がある。
そこで、施錠トリック。
YUKITO氏に合い鍵を持たせて――――と言うのが、プランAの全容だ。
しかし、ここには盲点があった。
流石に、店の合い鍵なんて入手するのは不可能。
それやっちゃ犯罪だ。
よって、プランAはボツとなった。
プランBは、窓を利用する方法。
入り口のドアは閉めて、窓から脱出すると言う、非常にシンプルな方法だ。
控え室は1階にあるので、窓からの出入りは容易。
戸締まりチェックでもしない限り、鍵が開いていると言う事もバレないし、
とても確実な方法と言えるだろう。
だが――――ここにも盲点があった。
この事務室の窓は、外側の道路からダイレクトで見える。
しかも、そこは人通りの多い表通り。
窓から脱出している様を、通行人に見られる可能性が極めて高い。
アイドルがそんなトコ見られちゃ、完全にアウトだ。
そんなリスクは背負わせられないので、ボツ。
次のプランCは、変装をして窓から脱出というものだったが、変装しようと
不審者には変わりなく、万が一正義感の強い人やパトロール中の警察官に見つかった場合の
事を考えると、これもボツにせざるを得ない。
で、プランD。
変装をフィーチャーし、堂々と脱出すると言う方法を思いついた。
YUKITO氏に、スタッフの服装をさせ、ドアから堂々と退室。
で、最寄りのスタッフに、『YUKITO氏が中で寝てるけど、施錠し忘れてる。だから鍵かけておいて』
と頼み、自分は裏口から脱出。
後は、勝手にスタッフが施錠してくれると言う算段だ。
スタッフへの扮装は、俺等が『スタッフになりきって護衛しますので、制服を貸して下さい』
と言えば、間違いなく調達して貰えるだろう。
完璧――――そう思ったんだが、ここで今回の依頼の性質が邪魔をする。
そう。
出て行くだけじゃダメなんだ。
また入らないといけない。
施錠されたままだと、入れないんだ。
同じように、別のスタッフに『開けて』と頼めば、中にYUKITO氏がいない事が
その時点でバレてしまう。
よって、この案も却下となった。
プランEは、YUKITO氏に泥棒スキルを身に付けさせると言う案。
針金とか糸とかを使って、鍵穴を開け閉めすると言う、創作物で良くある手法だ。
無論、ボツ。
出来るかンな事。
で、プランFの出番。
天井裏から抜け出すと言う方法だ。
良く、密室と思ってた部屋には、抜け穴があった――――と言うパターン、あるよね。
それを期待して、この案を投じたんだが……天井裏へ通じる入り口は、なんと存在した!
後は、脚立を予め用意しておき、そこから天井裏へ上り、別の出口へ向かうだけ。
帰りもそのルートでOK。
今度こそ、完璧!
……と思ったんだけど、別の出入り口も基本、脚立がないと出入り出来ないので、
行きはまだしも、帰りはかなり厳しい事が判明。
俺等が脚立をそっちへ移動させておくと言う手もあるが、それはあからさまに怪しい。
あのマネージャーの警戒ぶりを考慮すると、更に困難を極める。
よって、ボツ。
で、最後のプランGに落ち着いた訳だ。
ちなみに、プランA〜Fを考えたのは、全て胡桃沢君だ。
思いつく度に、例の怒り笑い顔で、俺を指さしてきた。
そして、却下する度に、しょんぼりしていた。
計6回のしょぼんは、中々見応えがあった。
単純に、可愛い……と言う意味合いもあるが、それとは別の意味でも。
彼女と行動を共にするようになって、少しフランクなやり取りも増えて、
その人となりに触れる機会はかなり設けられた。
聡明で優しく、気が利く子。
その一方で、子供っぽい所もあり、直ぐに拗ねたり落ち込んだりする。
とても人間的な魅力を持った女の子。
そして、同時に――――仮面を被った『演者』でもある。
彼女と俺が出会うきっかけになった、『人類滅亡計画』に関しても、そうだ。
こんな壮大な弾幕を張っていたが、本当の所は、探偵である俺に助けを求める為だった。
それは、無意識での行動。
つまり、彼女は意識的にではなく、無自覚で仮面を被っている事になる。
だから、俺は常に不安を抱いている。
果たして今見せている彼女の姿は、本来の彼女の姿なのか?
時折見せる、ちょっとトボけた感じや、可愛い仕草は、自分を覆い隠す為の
カムフラージュじゃないのか?
俺の助手となった彼女は、依頼がある度に、何らかの推理や発想を俺へと披露しているが、
それは自分が推理をしたいと言う衝動や、貢献したいと言う献身性じゃなく――――
『頼りない助手』である自分をアピールする為のものなのではないか?
そんな不安が、常に頭の隅っこにある。
そう言う意味では、俺はまだまだ、彼女の本当の意味での人となりは把握しきれていない。
もしかしたら……俺が思っている以上に、深い闇を背負っているのかもしれない。
――――と。
今はそれを考えている時じゃないな。
流石にそろそろ、依頼人と打ち合わせが必要な頃合いだ。
打ち合わせが終わったかどうか、確認に行こう。
「……ん?」
そう決め、部屋を出ようとしたその時、扉がゆっくりと内側へと引かれ、開く。
そこには――――アイドルがいた。
YUKITO氏だ。
昨日とは明らかにオーラが違う。
来ている服も華やかだし、薄く化粧もしてるんだろうが、そう言う問題じゃない。
表情がまるで違う。
計算された屈託のなさ。
それでいて、いやらしさは微塵もない。
何処にでもいる高校生――――そんな印象だったが、今の彼は、まさにアイドルだ。
「こっちは準備万全だぜ。そっちはどうだ?」
「万全です。必ず、貴方を外へと導いてみせますよ」
俺の応えに、YUKITO氏は挑発的な、それでいて友好的な笑みを浮かべた。
「OK。それじゃ……刺激的な一日の始まりにしようぜ!」
斯くして、握手会は開催された。
正直言って――――俺は色んな意味で、彼を嘗めていた。
幾ら地元の近くとは言え、一日中握手会なんてやっても、大抵の時間は
暇なんだろうと、タカを括っていた。
だって、そうだろう?
握手なんて、多少トークを挟むにしても、一人10秒程度で終わる作業だ。
入れ替わり立ち替わりの時間を考慮しても、一人頭20秒くらい。
3人で1分。
30人で10分。
180人で1時間。
平日の朝9時から夕方5時まで、休憩を3度、計2時間ほど挟むと計算しても、計6時間の実働。
その間、最大で1,080人を迎え入れられる事になる。
こんな人数、来る訳ない。
コンサートなら兎も角、握手する為だけに、遠征してくるファンなんてそうはいないだろう……
と、そう思っていた。
だけど、現実は違った。
ゾロゾロ、ゾロゾロと、特製ブースの前には長蛇の列が出来ている。
スゴい。
これが……全国チャートで2位を獲得し、CM出演をしているアイドルの力。
鮮やかなまでの求心力だ。
握手をする為だけに、人はこれだけ集まれるものなのか。
彼はそんな大勢のファンを前にして、怯むでもなく、有頂天になるでもなく、
人懐っこい笑みを見せながら、中指と薬指を畳み、残り三本を立てた右手を、
頭の上に掲げてみせた。
英国圏の手話で言うところの『I
LOVE
YOU』。
アイドルならではのポージングだ。
俺はそんなプロフェッショナルの姿に、ちょっと感動すら覚えた。
プロフェッショナルには、プロフェッショナルを。
俺は探偵だ。
依頼を受け、報酬を頂く、プロの探偵。
ならば、見せなくちゃなるまい。
プロの探偵の仕事、ってヤツをな。
「すいません、ここで一旦休憩に入らせて下さーい!」
スタッフの声が、会場内に響き、同時に『え〜っ』と言うファンの声がこだまする。
さあ、出番だ。
プランGは、ボツになったプランA〜Fの中の幾つかをヒントにして生み出した、
いわば俺と胡桃沢君の共同作業による産物。
必要な道具は、防犯グッズと家電を利用し、準備した。
最早、 気分は探偵と言うより、犯人。
中々に皮肉な依頼だ。
それでも。
それでも、尚。
そんな今回の仕事を、俺は――――誇りに思った。
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