戦い済んで、日が暮れて――――
午後5時、『嬉楽堂
共命店』の特製ブースには、長時間の連続握手によって
燃え尽きたYUKITO氏と、その戦いを一部始終見守ったスタッフ一同の姿があった。
既に、ファンは全員、満足げな顔で帰宅。
そして――――
「最後までイヤな顔一つしなかった事は、立派だったと言っておきましょう」
そんなマネージャーの総括と同時に、大きな拍手が自然と巻き起こった。
尚、俺の隣には、胡桃沢君もいる。
学校が終わって直ぐ、駆けつけてくれた。
ロクに寝てないだろうに……見上げた根性だ。
そんな俺等に、YUKITO氏が親指を立てて、ニカッと笑いかけてくる。
ホストっぽい外見の割に、爽やかな依頼人だった。
「良かったですね、上手く行って」
「ああ。良かったよ」
それが、握手会の成功を意味する訳ではない事を知っているのは、この三人だけだ。
そう。
プランGは、成功した。
密室を作り、そこからYUKITO氏を逃がし、1時間後にその密室へYUKITO氏を戻す。
この一連の作業全てを、カンペキにこなす事が出来た。
では、その一部始終を明かすとしよう。
プランGの元になったのは、プランAとプランEだ。
まず、YUKITO氏が一人、控え室へ入る。
そこで、俺が予め貰っておいたスタッフ用の服に着替えて貰い、
帽子も被って、変装完了。
さあ、問題はここからだ。
今回用意した小道具を、ここで使って貰った。
その小道具とは――――ホームセンターに売ってる、安物の【ドアストッパー】。
扉の下部に設置し、先端にあるマグネットで地面に固定する事で、扉を止めるタイプのモノだ。
更に、太い【輪ゴム】。
そして、氷で作った、長さ15cm程度の、短い【氷の棒】。
ドアストッパーは、ストッパーが上下に動くタイプの物。
氷の棒は、栄養ドリンクの瓶に水を入れ、凍らせた後に瓶を割って取り出す、
と言う方法で作ったシロモノで、予め用意したクーラーボックスに入れて持参した。
まず、その氷の棒を、ドアストッパーのストッパー部に輪ゴムで括りつける。
そして、氷棒の先が、ストッパーの先端から5cm出るくらいの箇所で固定。
それを、ストッパー部を下に固定した状態で、控え室のドアの上部に貼り付ける。
ドアストッパーは、両面テープでひっつけられるから、接着剤などの用意は不要。
ただし、その際に、『氷の棒がドアの上部に引っかかり、かつストッパーの先端は
引っかからない位置』に設置する必要がある。
ま、確認しながらやれば、特に問題はない。
で、ここからが重要だが――――これを設置した状態で、内開きの扉を開けようとしても、
氷棒の部分が引っかかって、開かない。
つまり、鍵を掛けずとも、密室は完成する。
だが、同時に出ることも出来ない。
しかし、そこでドアストッパーの性質が役に立つ。
このドアストッパー、ストッパー部を上下にスライドできる性質がある。
だから、設置したそのストッパーを、手で上に上げたまま、扉を開けば、そこから
出ることは可能。
そして、扉を潜った後に手を離せば、自然とストッパーは落ち、再びドアをせき止めてくれる。
これで、密室は完成。
後は、スタッフ姿のまま、裏口から出て行けば、誰にも怪しまれる事はない。
予め『一人にして欲しい』って言ってるから、マネージャーも中にはいないし、
もし部屋の直ぐ傍で待っていたとしたら、俺が呼び出せば良いだけの話。
実際には、彼女がスタッフと打ち合わせしていた為、すんなり事は運んだ。
で――――問題の、帰り道。
もうお気づきだろう。
そう。
氷は溶ける。
予め、部屋の温度を、空調でコントロールしておき、高めに設定。
そうすれば、自ずと氷は溶け、1時間後には密室じゃなくなってる、って寸法だ。
昨日はこれを、一晩かけて胡桃沢君と検証したんだよな。
氷の棒が5cm、1時間で溶ける温度はどれくらいか――――って。
ただ、1時間じゃ中々溶けない。
そこで、予め少量の塩を用意。
設置寸前に、それを振りかけて貰った。
そうする事で、氷は溶けやすくなる。
結果として、1時間の休憩時間ギリギリのタイミングで、扉を妨げている部分の氷が
溶けるように調整する事が出来た。
後は、スタッフの格好をしたYUKITO氏が、裏口から入って、そのまま入室。
着替えて、握手会を再開――――と言う段取りだった、って訳だ。
いや、我ながら今回は色々上手く行った。
暴く側の筈の探偵が、何故か密室トリックを生み出す側になってしまったとは言え、
かなりの充実感だ。
「サンキュー、探偵さん。バッチリだったぜ」
そんな俺の元に、YUKITOが近づいてくる。
「お役に立てて、何よりです。お友達とはちゃんと遊べました?」
「まーな。俺が全国区の芸能人になっちまったモンだから、ちょっと向こうが遠慮してよ。
なんか尊敬の眼差しを向けてくるしさ。やー、参った参った」
明らかに嘘とわかるくらい目が泳いではいたが、楽しそうに話す彼にそれを指摘するほど
俺は野暮じゃない。
何はともあれ、依頼にが満足そうで何よりだ。
「そろそろ移動の時間です。急いで下さいませ」
「へいへい。ったく、人気芸能人は楽じゃないぜ。そんじゃ、報酬はキッチリ振り込んどくからな。
縁があったらまた会おうぜ、探偵……と、助手ちゃん。特に助手ちゃん、今度メシでも……」
「早くなさい。殺しますぞ」
胡桃沢君に対し、投げキッスのような仕草でアピールしようとした刹那、YUKITO氏は
マネージャーから引きずられて行った。
まさに、嵐のような一日。
それでも彼にとっては、日常なんだろう。
だが――――
「あ、いたいた! 如月ーっ!」
「またねーっ!」
そんな彼の、この日最大のハイライトは、ここに来てやって来たらしい。
数人の男女が、車に乗り込んだYUKITOに声をかけている。
如月、ってのは、恐らく彼の苗字。
それを知ってるって事は、先刻抜け出してまで会いたかった、ご学友なんだろう。
全員が制服姿。
学校が終わって、直行してきたのかもしれない。
ごく平凡な男子一名を除き、後はみんな女子。
流石にアイドル、友達も異性が多い。
案外、あの中に恋人候補がいるのかもしれないな。
何にしても……ここまで駆けつけてくれる友人の存在は、彼にとって、かけがえのないモノ
なんだろう。
「良いですね、ああ言うの。青春って感じで」
胡桃沢君も、同意見のようだった。
長らく、友達のいない日常を過ごしてきた俺等にとって、あの光景は、羨望の一言に尽きる。
絆で結ばれた、温かい世界。
決して縁のない、踏み入れる事の許されない領域。
どんな密室よりも、『そこ』は踏み入れる事が難しい。
でも――――
「……胡桃沢君」
「はい、何でしょうか」
「夕飯、何処かで食べて行こうか」
「え? 良いんですか? いつもの廃棄弁当じゃなくても」
「打ち上げだよ。報酬も入る事だし。何より……今回、君には頑張って貰ったし、ね」
諦めてはいない。
俺だって、俺等だって、いつかはそこへ辿り着く事が出来るかもしれないじゃないか。
親や親戚に恵まれない人間だからといって、不幸である必要はない。
きっと彼女は、まだ本当の姿を俺には見せてはいない。
そう言う意味では、友達……にはまだ遠い。
まして、俺等は探偵と助手。
そこに友情や絆が必要なのかどうかは、俺自身も定かじゃない。
「それじゃ……お供しますか」
そう答える胡桃沢君は、いつもより少しだけ、違って見えた。
いつの日か。
その違いの意味がわかる日が来る事を、信じたい。
いや。
わかってみせよう。
俺は――――探偵なんだから。
後日。
これは余談と言うか、蛇足のような気もするが――――ま、一応これでも
探偵なんで、真実を記しておく義務があるので、追記。
先日行われた『YUKITOメイツに捧ぐ 炎と氷のラブリンス握手会』(誤植じゃないぞ)
は、大盛況に終わったものの、そこにはちょっとしたカラクリがあった。
何でも、握手会に参加した人には、『炎と氷のラブリンス』と言うゲームの
設定資料集とか言う特典を貰えると言う、プレゼント企画が用意されていたらしい。
YUKITO氏の新曲は、そのゲームの主題歌なんだとか。
で……握手会に集まった人の殆どは、彼のファンと言うより、そのゲームのファンらしい。
そもそも、彼が言っていた『初登場2位』と言うのも、初回限定版Aに『映像特典DVD』、
Bに『ゲームのイベント応募券』、Cに『握手券』とかを付けて、一人に何枚も買わせると言う
手法を用い、売り上げを嵩上げした結果……だそうな。
実質的なファンの数は……彼の名誉の為に、ここでは控えよう。
ともあれ。
そんな売り出し方というのは、今の芸能界では当たり前に行われている事だそうで。
それでも、卑屈な顔一つせず、堂々とアイドルとしての笑顔を振りまいていた彼は、
やっぱりプロ中のプロなんだと、俺は再度感心した。
彼には、また会ってみたいものだ。
ただし――――
「ったく、あのバカは会う度会う度『初登場2位のYUKITOです』とか言ってさー。
みーんなわかってんのにね、タイアップと売り方のお陰だって」
「でも、2位を取ったのは事実なんだしさ。あんまり言わないでやってよ」
「睦月は甘ちゃんなんだよねー。あんなの、あと半年もしたら消えるっての。
都落ちして来たら、今まで威張り腐った分、ネチネチ虐めてやろっか」
「それは……面白いかもしれません」
その事実が発覚した要因は、彼を見送りに来ていた友人達のそんな会話だと言う事は、
秘密にしておく必要がありそうだが。
世の中、何事にも『踏み込んではいけない領域』は存在する。
そんな教訓が、今後早速活かされる事になるのだが――――
それはまた、別の話。
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