どうも諸君。
探偵の狭間十色だ。
今回は素っ気ない挨拶だが、許して欲しい。
正直、冗談を言えるような心境にはないんだ。
今俺は、自分の呼吸が乱れている事を自覚している。
喉の渇きも。
胸の動悸が止まらないのも。
それは、今の状況が全て原因だ。
「……所長」
具体的に言うと、目の前の女の子――――助手の胡桃沢水面君が、モジモジしながら
顔を真っ赤にして、俺の方に泣きそうな目を向けている。
胡桃沢君が身に付けているのは、学校の制服。
ブレザー型の制服だ。
それが、無残にもボロボロに引き裂かれている。
所々が破れ、傷付き、薄汚れ、何よりその胸元には大きな穴が空き、
胡桃沢君はその部分を両手で抱くようにして覆っている。
「所長……私……私……」
「胡桃沢君、キミは……」
「見ないで……下さい……」
でも俺は、その頼みを受理する事は出来ず、ただ呆然と彼女の姿を眺めていた。
探偵なんて言っても、所詮はただの一人の男。
そんな俺に出来る事は――――たった一つしかない。
「……ゴメン」
謝罪する。
それくらいしか、出来ない。
情けない男だ。
心中でそう自嘲しつつ、俺はこんな状況を生み出した原因――――
昨日の出来事を、ゆっくりと思い返していた。
――――ってな訳で、昨日に到着。
「結論から申し上げますと……貴方の推測通り、旦那さんはクロでした」
ここは我が城、【はざま探偵事務所】。
別にニッチ産業を目指してる訳じゃないが、苗字がこんなんだから、
なんとなくそう思われがちな探偵事務所だ。
そこで今行われている事は――――依頼人への最終報告。
依頼内容は、ズバリ浮気調査だ。
「……」
今回の依頼人は、31歳、主婦の方。
28歳で結婚し、昨年は子宝にも恵まれ、幸せの絶頂――――そんな時に、
旦那の態度が急変したと言う。
妙に優しくなった。
それも、イヤな方向に。
突然、何の記念日でもないのにプレゼントを買ってきたり。
洗い物を手伝うと言い出したり。
ものぐさな態度がなくなり、ちょっとした事で笑顔を見せたり。
その癖、仕事を理由に帰りが遅い日が増え、携帯をその辺にほったらかしに
する事がなくなり、メール着信音を消したり。
露骨に浮気の兆候が現れていたと言う。
そして案の定、調査の結果、僅か2日目にして確たる証拠を入手。
最近の携帯は、シャッター音を鳴らさずに撮影できるモンだから、本当に便利だ。
と言う訳で、俺の手には今、いかがわしいホテルに二人並んで入ろうとしている
カップルの写真が掴まれている。
肩を抱いたり手を繋いだりしていないトコロを見ても、それなりに場数を踏んだ
二人である事がわかる。
つまり――――常習的な浮気。
それが、俺の出した結論だった。
「この写真は大事に保管して下さい。今後、貴方がどう言う結論を出すにしても、
必ず必要になります」
「……はい」
依頼人は、見るからに気弱そうな女性だった。
そんな彼女が、探偵事務所になんか依頼するくらい追い詰められていた事を思うと、
胸が痛む。
とは言え、これも仕事。
最後までしっかり勤め上げないと行けない。
と言っても、俺に出来るのは今後のアドバイスくらいのモノだけれど。
「これからどうされるか、決めていますか?」
俺の問いに、依頼人はゆっくり首を左右に振る。
つまり――――まだ心の何処かで夫を信じたい、と言う気持ちがあると言う事。
これだけ証拠があっても、やっぱり好きになって結婚した相手。
まして子供までいるとなると、踏ん切りは付けられないのかもしれない。
「離婚すべきです」
だが、そんな葛藤を一蹴する声が、俺の隣で佇む女性から発せられた。
「胡桃沢君、そんな一面的な発言は……」
「貴女の伴侶は、常習的に不貞行為を働いています。不倫です。不倫なんてする男には
まともな教育は出来ませんし、最終的に家族を捨てます。そんな男とわかった以上、
愛情は捨てるべきです。慰謝料、養育費を最大限請求して、こちらから捨ててやるべきです」
「そ、それは……」
「離婚です」
その迫力に、俺も依頼人も、ただただ呆然としていた。
その後――――依頼人は離婚を視野に入れて話し合う事を告げ、深々と一礼。
成功報酬を後日、口座に振り込む事を約束し、去って行った。
「ふぅ……後味はよくないけど、依頼完了。良かった良かった」
今週はこれで三つの依頼をこなした事になる。
信じられない程に順調。
我が【はざま探偵事務所】設立依頼、二度目の大盛況だ。
ちなみに、一度目の盛況となったハーレム事件の報酬は、未だに分割で振り込まれている。
「やー、こりゃ今月は口座が潤うぞーっ!」
「笑い事じゃありません」
諸手を挙げて喜ぶ俺に、胡桃沢君はズイッと顔を寄せてきた。
目が据わってる。
具体的に言うと、瞼が半分閉じて、黒目も白目も半円になってる。
ジト目だ。
まごうコトなきジト目だ。
「今週に入って、これで三度目ですよ」
「あ、ああ。だから良かったなー、って」
「良くありません! 全部、浮気調査の依頼なんですよ!?」
そしてついに、ガーッと吠え出す。
う、浮気調査がそんなにイヤだったのかな……?
そりゃ、夜には張り込みとかさせちゃったけどさ……それだって立派な仕事なんだし
そこは割り切って貰わないと。
「違います、そうじゃありません!」
「いや俺、喋ってないから。ナチュラルに思考読まないで」
「何でこんなに浮気する人が多いんですかっ!」
俺の訴えを無視し、胡桃沢君は自己主張を始めた。
「浮気、浮気、浮気! 好きでくっついてるんじゃないの!? 結婚したんじゃないの!?
しかも、子供まで作って! それで不倫!? 世の中の男ってみんなこうなんですか!?」
いや、俺に聞かれても。
「所長はこう言う考察、得意でしょ?」
「だから、さも当然のように読心術を使わないで貰いたい」
とは言え――――確かにこう言う考察は俺の領域だ。
「……胡桃沢君。まず君に訴えたいのは、浮気をするのが男の性、って訳じゃないって事だ」
「違うんですか?」
「正確には、人間の性だ」
キッパリ言い放った俺の言葉に、胡桃沢君は稲妻をバックに驚愕を露わにしていた。
「例えば、まだ何の知識も教養もない子供に、『これはしちゃダメ』って教える。
そうすると、子供はどうする?」
「それは……しないんじゃないですか?」
「ところが、寧ろ意欲的にそれをしたがる。勿論、教える相手にもよるし、状況や
内容にもよるけど、概ね禁止行為に対する子供の反応はアクティブだ」
つまり――――人は、抑制に対する反発心を本能として持っている、と言う事。
禁止された条項を破りたいと言うのは、盗んだバイクで走り出す世代に限らず、
誰もが持ち合わせる欲だ。
「例えば、試験勉強中に見るテレビがやたら面白かったり、深夜に食べるお菓子が
妙に旨かったりするのも、そう言う欲が上乗せされてるからだ」
「……身に覚えがないとは言いませんが」
「つまり、人間ってのは、浮気をする事が当然の生き物なんだよ。世の女性だって、
男性に負けず劣らず、沢山浮気してる。浮気をしない人は、それを理性や打算で
抑えている、若しくは浮気する機会に恵まれないかのどっちか。君の考えは
根本から間違ってるんだ」
「そんな事ありません!」
珍しく、と言うより、初めてかもしれない。
胡桃沢君が、真っ向から反論をしてきた。
「浮気とか不倫とか、絶対にあり得ません。少なくとも私は、絶対しませんし
したくもありません。って言うか、あり得ない」
「……過去になんかトラウマとかあるような物言いだね」
「ありません。人間として、当然の考えです」
俺の主張と胡桃沢君の主張は、完全に対立した。
けど――――
「人類滅亡を目論んでた人間が、常識論を語ってもね」
「うっ……あ、あれは追い込まれてて、偶々……とにかく!」
胡桃沢君は机をバシン、と叩いて、黒歴史を誤魔化した。
「所長はどうなんですか? そう言う考えって事は、浮気とか不倫とか、肯定する
立場って事なんですか?」
「俺は――――」
《ジリリリリリリリリリリリリリリリリ》
答える直前、電話が鳴った。
電話番は、助手である胡桃沢君の仕事。
「……」
ジト目で俺を睨みつつ、受話器を取る。
なんか……意外と言うか、古風と言うか、胡桃沢君は浮気、不倫の類は
憎しみすら抱くほどに忌避しているようだ。
それこそ、鬼女の如く。
まあ、探偵であれば、そう言う凝り固まった思考は危険だけど、助手なら
然程問題もないか。
彼女がいつまで、ココにいるのかもわからないし……
「はい。お仕事の依頼でございますね。承りました。浮気野郎の制裁から
慰謝料取り立てまで、何でもお引き受け致します」
早くも仕事に支障出てるし!
問題ありまくりだった。
「え? 浮気調査じゃない? し、失礼致しました。えっと、どのような御依頼でしょうか……」
その後、若干しどろもどろになりつつ、胡桃沢君はこまめにメモを取り、
最後にお礼を述べ、電話を切った。
「所長。今週四つ目の依頼です」
「いや、今までの一部始終を見てるのに、今更キリッと助手ヅラされてもね」
「依頼人は――――」
俺のツッコミは完全無視され、彼女の口から今回の依頼人に関する情報が紡がれる。
「マンガ家、の方です」
「……ほう。ほうほう、ほう」
その情報に、俺は旬の小アジの如く食いついた。
「驚きですよね。まさか、こんな事務所にマンガ家さんが依頼してくるなんて」
「こんな事務所って何さ! 週に四つも依頼が来る人気スポットだろーが!」
「あ、す、すいません。私も舞い上がっちゃって、つい本音が」
「なお悪いわっ! ま……それは良いとして」
「あ、良いんですか。結構思い切ったのに」
俺だってバカじゃない。
彼女が時折、俺とこの事務所に馴染む為に、わざと毒づいたり、ざっくばらんな
物言いをしたりしてる事くらいは理解してるつもりだ。
そう言う気遣いというか、努力に関しては、感心と感謝をしてるけど……
今はそれどころじゃない。
「それじゃ、依頼人と依頼の詳細を聞こう」
仕事モード突入。
相手がマンガ家であっても、依頼人である事に変わりはないし、俺が探偵として
業務を遂行すると言う事も変わらない。
誰が何を依頼しても、同じようにそれをこなす。
探偵たるもの、常にそう心掛けなくちゃならない。
「はい。依頼人は、昨年まで月刊誌【エントロピー】で『余命です!くるみちゃん』を
連載していた、清田りりりり(きよた
りりりり)先生です」
「ンなああああああああああっ!?」
俺は驚愕の余り、全身を顫動させた。
ギャグマンガかワンピースなら、目ン球が飛び出てるトコロだ。
「ど、どうしよう……俺ファンなんだよ。サイン貰ったら公私混同だよなあ。
探偵はそれ、アウトなんだよなあ……あああああ」
「所長、動揺し過ぎです。サインくらい、私が貰ってあげますから」
「あ、そっか。助手ならオッケーだもんね。じゃ、保存用と保存予備用の二枚貰っといて」
「何ですか、保存予備用って」
呆れられつつも、俺は高鳴る鼓動を抑えられないまま、依頼内容に耳を傾けた。
清田りりりり。
話作りは必ずしも上手じゃないかもしれないが、繊細かつキャッチー、そして
妙に扇情的な女の子を描く、とても絵の上手いマンガ家だ。
代表作は、数年前に季刊誌で書いてた『ういーるす』。
病原体を目視できる主人公が、特にその能力を活用する事もなく、
まったりとした学園生活を送ると言うお話で、ドラマCDにまでなっていた。
尤も、俺はドラマCDになんら興味を持てないので、それはスルーしたんだけど、
コミックの方は全2巻、しっかり持っていた。
今は……もうないけどね。
とは言え、コレもなにかの縁。
後で先生の作品を全部、新品で買い揃えよう。
「それで、依頼内容ですが……取材をさせて欲しい、との事です」
「なんと!」
それはつまり、次は探偵モノを書くと言う事か!
探偵事務所の取材って事は、当然そうなるよな。
しかも、場合によっちゃ、俺がその主人公のモデルって事に!?
もし将来、その作品がアニメ化とかドラマ化しちゃったら、俺のトコロに
取材が山ほど来るかもしれませんよ!?
「当然、お引き受けしましたけど、構いませんよね?」
「勿論だ。胡桃沢君……」
「なんでしょう」
「俺は今週、どうやら人生のピークを迎えるらしい。なれば、それに相応しい
服装に身を包み、最高の形で迎えるべきだと思うんだ」
「すいません、仰ってる意味がわかりません。って言うか、ピークちっちゃ」
演技と言うより素で呆れてるっぽい胡桃沢君のジト目も、今の俺には怖くない。
なにしろ、あの清田りりりり先生との対面。
そして、初めての取材。
更には、劇場版友情出演の俺!
「いろいろ過程を飛ばし過ぎだと思うんですけど……なんにしても、今から直ぐ
来るらしいので、オシャレは無理ですよ。10分くらいって言ってましたし」
「え……? 清田りりりり先生って、この近所に住んでんの?」
「じゃなきゃ、こんな探偵事務所に取材するなんて考えないと思いますよ?」
二の句が繋げない程、完璧な推理。
うーむ……胡桃沢君、段々探偵助手らしくなってきたなあ。
「ま、10分でもやれる事をやろう。胡桃沢君はお茶の準備を。一番高いのね。
俺はタキシードと蝶ネクタイがないか探してみる。多分どっかにあったんだよね」
「探偵の正装じゃないですよ、それ」
ともあれ――――10分後。
「ようこそ、【はざま探偵事務所】へ」
「ははははははは初めまして。ききききき清田りりりりです」
タキシード姿の俺に、かなり緊張した面持ちで、先生は一礼して来た。
ちなみに、先生は女性だ。
ファンである俺にとっては驚きなど一切なかったが、胡桃沢君はかなり意外だったのか、
俺の後ろで目を丸くしている。
とは言え、そこは肝の据わった胡桃沢君。
直ぐに助手フェイスを取り戻す。
「では、こちらへどうぞ」
「はははははははい」
女性二人のそんなやり取りを、俺は更に緊張しながら眺めていた。
前に来た、YUKITOって言うアイドルの非じゃない。
顔が引きつりそうだ。
なにせ今回は、こっちがファンと言う立場。
緊張の理由は、憧れとかじゃない。
『もし、イヤな人だったらどうしよう』
そんな不安の方が遥かに強い。
世の中、知らない方が良い事が多いってのは、職業上よく知ってる。
作者の人格で、作品を嫌いになるなんて、その典型だ。
けど、現状においては幸いにも、そう言う感じは一切しない。
ドモりまくってる以外は、ごく普通の依頼人って感じだ。
外見も、やたらでっかいメガネをした、可愛い感じの人。
髪の毛が綺麗にまとまってないトコもポイントアップだ。
「……」
「……」
着席した俺と先生は、暫し沈黙のまま、眺め合う。
こ、言葉が出てこない。
探偵稼業開始以降、こんな事は初めてだ。
なっ、何か喋らないと……
「あ、ああああああああの」
「は、ははははははははい」
「所長、感染ってます」
いかんいかん。
これ以上の失態は今後の仕事に支障が出かねない。
「コホン。では……改めて、所長の狭間十色です。この度は、取材との事ですが……」
「そそそそそそうです。ええええええええっと」
「取り敢えず、熱いお茶をどうぞ。落ち着きますよ」
「ああああああありがとうございます」
先生は胡桃沢君の出した、一番良いお茶をグイっと飲み干し――――
「あああああああああ熱っつーーーーーーーーっ!?」
ドモりながら叫んだ。
器用な人だな。
その後、氷で口の中を冷却。
「うう、すすすいません。落ち着きました」
「では改めて、具体的な依頼内容を伺います」
「ははは、はい」
まだ若干の堅さが残るものの、先生はようやく本題を語り出した。
「じじ実は……浮気について、知りたくて」
「……」
その時、俺は聞いた。
空気が割れる、ピシッて音を。
「浮気……また浮気……」
ああっ、胡桃沢君の目が怪しい光を!
さながら……さながらヤンデレの如く!
「どうして浮気なんてするんですか!?」
「え、えええええええええええええ!?」
そして、ついには先生に掴みかかる暴挙に!?
「コラッ、胡桃沢君! なんてコトすんだ!」
「所長は黙ってて!」
一喝。
こ、怖いです……
「貴女がどう言う人生を送ろうと、私がとやかく言う権利はないのかもしれないですけど、
浮気はダメです! 愛情がなくなったとしてもダメです! 好きだった人を裏切った
その後に待ってるのは、幸せなんかじゃありませんよ!?」
「ああああ、あああああの」
「他に好きな人が出来たのなら、それを正直に伝えるべきです! 徹底的に
話し合うべきなんです! もしそれでも別れないって駄々こねるようなら、
刺し違える覚悟で……」
「わわわわわ私、浮気なんてしません!」
「命の取り合いを……え?」
勝手にヒートアップしてた胡桃沢君が、ふしゅる〜と萎んで行く。
「その、作品の参考にしようと思ってて……」
「あ、ああ、マンガ家です……もんね、そうですよね。す、すすすすすすすすいません!」
最終的には、全員に感染ってしまった。
つーか、浮気に過剰反応しすぎだな、胡桃沢君。
やっぱり何か、過去にトラウマがあるんじゃないだろうか。
父親が不倫してて、修羅場になったとか。
とは言え、彼女の両親は既に亡くなっている。
故人の不名誉な履歴を掘り返す訳にもいくまい。
「胡桃沢君、五分間発言禁止ね」
「うう、わかりました」
我が助手は俯きながら、机の中に入ってる×マーク付のマスクで口を覆った。
さて、改めて。
「つまり……依頼内容は、浮気調査への取材、と言う事で宜しいのでしょうか」
「ははは、はい。じ、実は、私、もう、もうダメなんです。終わりなんです。負けたんです」
「へ?」
急に先生は終戦宣言を始めた。
「せせせせっかく、季刊誌でヒット作に恵まれて、月刊誌で連載を持たせて貰ったのに、
二作連続で失敗して、打ち切られて……ももももうダメなんですーっ! ぴーっ!」
そしてついには泣き出した。
いい大人が『ぴーっ』て泣くの、初めて見た。
……良いネ!
フェイスブックの例のアレを連打したい気分。
作風まんまの人みたいだ。
なんか嬉しい。
「所長……目の前で女性が泣いていると言うのに、何故そんな微笑みを」
「発言禁止!」
「う……」
胡桃沢君が目で不満を訴えるも、無視。
とは言え、確かに人格を誤解されかねないんで、この辺で引き締めよう。
「大体、話はわかりました」
「ふえ……? わわ私、まだ何も……」
「察するに、先生の次回作はマンガ家人生を賭けた勝負作。しかし、今までの路線では
同じ轍を踏む。だから、全く別のジャンルに挑戦すべく、ドロドロの恋愛モノに
手を出そうとしておられるのでは?」
俺のその指摘に――――清田りりりり先生はキョトンとしていた。
「……所長。そんなしたり顔で」
「う、うるさい。探偵ったって、推理が外れるコトくらいあるの!」
まして俺は、推理しない探偵で売ってるんだからね!
最近はそうでもないけど。
「いいいえ、大体合ってます」
「ならそう言うリアクションして下さい!」
いらん恥をかいてしまった。
「えええっと、実は……」
色々ありつつ、話はようやく本題へ。
先生の説明を要約すると――――連続打ち切りの憂き目に遭い、いよいよ後が
なくなってしまった先生には、『作画専任』の話が持ち掛かっているらしい。
つまり、ストーリーを考える人は別に用意して、その人の作った話を
マンガにする、と言うパターンのヤツだ。
だが、先生はそれを拒否。
あくまでも、自分が作った物語を描きたいらしい。
だが、プロの世界は、結果を残してない人間が我を通せるほど甘くはない。
『それなら、エロを書きましょう! もうそれしか売れる手立てはありません!』
結果――――担当の人のそんな案を飲まざるを得なくなった。
が、清田りりりり先生は、エロい絵を描く割に、エロ路線とは縁遠い人。
むしろ、ほのぼの系、癒やし系のマンガを描く人だ。
そして、実際の人となりも、こんな感じ。
案の定、エロに関する知識には基本疎いらしい。
「だだだだから、私なりにその……え、え、え、え、え……」
「エロスを研究している、と」
「……はい」
消え入りそうな声と共に、先生は俯いてしまった。
なんてウブなんだ。
それでいて、この方の描く女子は、なんかエロい。
いや、エロくはないんだけど、そう言う雰囲気を持ってると言うか……
こればっかりは、言葉では言い表せない。
絵に専念しろ、エロい話を書け、と言う担当の言葉も、わからなくもない。
「話は大体わかりました。勿論、協力させて頂きます」
「あああああ、ありがとうございます」
「ただ、一つ誤解してるようなので、まずはそれを解きましょう」
「?」
首を傾げる先生に、俺はズビシ! と指を差した。
「少年マンガに浮気の描写は御法度です!」
「えええええええええええええええっ!?」
思いの外、先生は驚いていた。
「ででででででも、私が読んで来たそう言う系のマンガは、浮気をよく……」
「それ、少女マンガです。ジャンルが違います」
少年マンガと少女マンガ。
言い換えれば、少年向けマンガと少女向けマンガ。
でも、ターゲット以上に、その両者には大きな隔たりがある。
特に少女マンガは、今や『少女マンガ』ってジャンルが確立してる感がある。
絵柄にしても、内容にしても、約束事が存在し、それを殆どの作品が遵守している。
そしてその約束事は、少年マンガとは交わらない。
わかる人なら、絵を見ただけで、少女マンガ(レディースコミック含)か
そうでないかが、一目でわかる。
特に男キャラの顔は顕著だ。
「そそそれはそうですが……」
「先生の作品を収録してる雑誌は、10〜20代の男性をターゲットにした雑誌です。
少女マンガの常識を持ち込んだら、死にます」
「しししし死……?」
きっと――――先生は、少女マンガで育った人なんだろう。
そして近年の少女マンガは、エロ描写なんて死人が生き返る展開くらい
溢れ返っている。
だから、エロと言えば少女マンガ。
少女マンガと言えば、ドロドロの恋愛模様。
ドロドロと言えば、浮気。
浮気に詳しいのは、探偵――――そんなトコロか。
「どどどどどどうしましょう。わわ私、少女マンガのそれしか知らないのに」
「あの……すいません。もう五分経ったんで、そろそろ割り込みますね」
頭を抱える先生を尻目に、胡桃沢君が突然、マスクを外した。
「それなら所長が、エ……エッチなコトについてレクチャーすれば良いのでは?
なんか詳しそうですし」
「え?」
レクチャーか……まあ、それもある意味取材の一環と言えなくもない。
「おおおおおおお願い出来ますでしょうか!? わわ私、ホントそっち方面には
疎くて、正直参ってしまってるんです。でででででも、原作を付けるとなると、
私こんな感じなのでダメなんです。ひひひひひ人と話すの苦手で」
「担当の人とは?」
「いいいいい一方的に、彼女が捲し立てて……」
担当、女性だったのかよ!
女の担当が、女のマンガ家にエロ作品を要求……歪んだ世界だ。
「ま、何にしてもだ……清田りりりりファンの俺としても、このまま貴女が
勝ち目のない闘いに挑んで、玉砕する姿を傍観する訳にはいかない。協力します」
「あああああありがとうございます〜!」
と、言う訳で――――
今回の仕事は、女性マンガ家にエロを指南すると言う、探偵とは何の
関係もない内容となった。
――――はい、回想終わり!
いやー、まさか本編の大半を回想で埋めるとは思わなかった。
まあ、それはさておき。
「あの、所長。そろそろ良いですか……?」
「おっけ。やー、ゴメンゴメン。長いコトご苦労さん」
「うー……これで昨日の失態はチャラですからね」
いそいそと上着を羽織る胡桃沢君のジト目が痛い。
冗談を言えるような心境にはなれない程に。
一方、そんなご立腹な彼女の傍で、りりりり先生は小難しい顔をしながら
うんうんと唸っていた。
「では質問です。この『破けた制服』は、エロいですか? それとも、エロくないですか?」
「えええええと、えええええ……エッチです!」
「ブーッ」
手でペケを作る俺に、先生はビクッと身を震わせた。
「この手のシチュエーションは、エロいようで実は大して欲情しない典型例です。
緊迫感とエロは相性良いですけど、それはあくまで精神的な緊迫感。
肉体的な痛々しさは、万人向けじゃありません」
「うううう、難しい」
「って言うか……その割に所長の視線が生々しかったんですが」
助手の発言が俺の身体をグサッと貫く。
「フッ。いいトコ突いてきたじゃないの」
「所長、カッコつけてますけど、なんか動揺してます」
「違ーう。確かに俺は、正直動揺していた。けど、そこが重要なんです」
俺の視線は、ジト目がデフォになりつつある胡桃沢君から外れ、
りりりり先生へと向いた。
「二次元と、三次元。この両者には、少年マンガと少女マンガ以上の大きな、
それはもう大きな隔たりがあると言う事です」
「そそそ、それはどう言う……?」
「三次で有効なエロスが、二次で有効とは限らない!」
ビシィ〜ッ、と指差す俺に、女性二人の視線が集中した。
特に、胡桃沢君はジト目を更にジトっとさせてる。
「三次では、チラッと普段見えない部分が見えたり、肩とか太股とかが
露見するだけで、それはもう興奮します。でも、二次では余程上手く見せないと、
その程度では興奮は得られません。三次元の持つ質感は、二次にはありませんから」
「でででも、幾らマンガとは言っても、多少はリアリティがないと……」
「エロにリアリティは必要ない!」
「なななないのですか!?」
「ない! 一切ありません!」
ティーン向けのマンガにエロを求める層は基本、そう言った行為を実際にした事がない、
若しくは三次とは求めるモノが違う読者。
リアリティは寧ろ邪魔になる可能性がある。
少なくとも、二次の、それも成年向けじゃないエロに、生々しさは必要ない。
「10代読者に受けるエロとはそう、架空のエロティシズムの確立! つまりは、ファンタジー!」
「ふぁふぁふぁファンタジー!?」
「そうです。二次元におけるエロとはつまり……エロイック・ファンタジーなんです!」
俺のその言葉に――――先生は雷にでも打たれたかのような表情を見せた。
流石マンガ家、自己表現までマンガチックだ。
「エロイック・ファンタジー……それなら、私でも描けるかも」
ドモらなかったのは、自信の表れ。
彼女なりに、得るモノがあったのかもしれない。
「先生!」
「いや、先生は貴女ですけど」
「いえ、私にとっての先生は探偵さん、貴方です。先生と呼ばせて下さい!」
「いやいや、先生、それはちょっと」
「先生、私にもっと、もっとエロスを教えて下さい!」
ああっ、ついに恥ずかしげもなくそんな事を。
方向性を誤ったかも……
「まあ、こっちとしても、昨日一日使って色々調べた事が山ほどあるんで、
それは全部お教えしますよ。ここで抱え込んでても意味ない知識ですので」
「お願いします!」
好きなマンガ家にペコリと一礼されると言うのは、複雑な心境だ。
あと、この件に関して終始ジト目の胡桃沢君の視線も気になるトコロだが、
これも仕事。
やるからには、トコトンだ。
と言う訳で、俺はこの日、あらゆる二次エロの知識をりりりり先生に伝授した。
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