『はざま探偵事務所 File:2 「殺し屋を自称する女の子を助けろ!」』

 調査報告書

 ○月×日。
 依頼人、緑川日向(以下、甲)が我がはざま探偵事務所所長、狭間十色(以下、乙)を
 訪ねてくる。かなり慌てた様子。何事かと問い掛けると「自分は暗殺者見習いだ」と
 怪しい返答。外見はどっちかというと癒やし系のほんわか女子高生。
 異様な発言に当初、精神的な問題を抱えた人かと危惧するも、実際に暗殺者見習い
 という証拠となる会社名入りの名刺まで貰い、疑う訳にも行かず(名刺なんて誰でも
 簡単に作れるが、証拠を残してまで経歴の捏造をする意味はないし、そもそも暗殺者
 なんて名乗る発想は常人にはない)。依頼を受ける事に。

 依頼内容は、『暗殺グッズの流通経路を調査して欲しい』というもの。
 甲はそれが犯罪という事、そもそも暗殺者という職業自体、今の世の中には
 決して相容れない、影の存在という事を余りわかっていない様子。
 自分で色々調べて回ったものの要領を得ず、自分の住んでいる街の探偵に相談するも
 全く相手にされなかった為、流れ流れてここへ辿り着いたとの事だった。

 当然、普通の探偵事務所ならスルーする依頼だが、はざま探偵事務所の名を売る上で
 こんなエキセントリックな依頼は見栄えがよく有効なのでは、と思い立ち、快諾。
 暗殺グッズ――――つまり暗殺用の武器の調査に入る。


 暗殺用の武器とは、昔で言うならば漆黒のナイフや仕込み針が挙げられるが、
 現代においてはサブレッサー付の狙撃銃が主流。
 携帯性を考慮し組み立て式を……といきたいところだが、実際問題として
 組み立てをした後に試射もなく正確な狙撃が出来る筈もないので、
 コンパクトに収納できる軽めのケースをオーダーメイドで作成するというのが
 現実的な落としどころだ。

 この2つの流通を調べた結果、国内では請け負っている組織が一つだけ
 ある事が判明した。
 勿論、銃を売っているお店が日本にある訳がないので、
 単なる『武器商人』であり、ロシアあたりのメーカーとの橋渡し役と
 想像できるが、詳しい事は調べても出てこない。
 この辺りは、街の探偵さんの限界と言わざるを得ない。

 取り敢えず、ここまでの調査結果を甲に説明したところ、甲は乙に対し
「あの、ゴツゴツした武器は私苦手で……スラッとしたおナイフとかないでしょうか。
 色はピンクがいいです」
 ……と、頭の中お花畑な発言をした為、乙は混乱。

 とはいえ、依頼人のリクエストに応えるのが探偵の勤めという事もあり、
 人を殺す事を念頭に起きつつ、デザインも重視している武器制作会社を探し、
 ようやく希望を叶える事が出来た。

 


 ……当時は調査報告書なんて書いてなかったから、記憶を呼び起こして
 ムリヤリ作ってみたけど。
「所長……これって、殺人幇助なんじゃ」
 まあ、そう言われても仕方のない内容だ。
 何しろ、暗殺者という事を知りながら、武器を渡してるんだから。
 ただ、俺は法を恐れない男。
 探偵なんて、法を犯してナンボ。
 法に縛られる警察や弁護士とは違う職種という事を、俺はこの依頼で自覚したんだった。
 それに――――
「甘いん。君は甘いん胡桃沢君」
 俺は心配そう、というより呆れた顔でこっちを見ている助手に、
 チッチッチッと舌を鳴らしながら人差し指を振った。
「……甘いんって何ですか甘いんって。パインみたいで美味しそうだし」
「そうだろうそうだろう。で、それはともかく。俺だって幾ら当時は初心者探偵って
 言っても、そんな危ない橋を渡るほど大胆不敵な男じゃない」
「そうですね。所長、意外と小心者ですから」
「ぬなっ!?」
 上司に対し、なんたる暴言。
 確かに俺は、胡桃沢君に対して日頃からフレンドリーに接してきて、
 威厳って意味では普通の探偵事務所にいる探偵には劣るかもしれない。
 とは言え、この暴言は聞き捨てならない。
「胡桃沢君。俺の何処が小心者だって言うんだ? 高校生の身空で探偵になんて
 なるような人生アウトロー一直線のこのアウトロジック少年ボーイに向かって
 言っていいことと悪い事があるぞ」
「でも所長……私が冷蔵庫にしまってたプリン、勝手に食べたじゃないですか。
 それだけならともかく、さも自分は食べてませんよーって裏工作して」
 そう。
 この事務所には今、冷蔵庫がある。
 いや、結構前からあったんだけど、なんとなく。
「フッ、プリンくらいで何をウダウダと。この事務所にある甘い食べ物は
 全てこの狭間十色の独占物だ!」
「所長、今更キャラ変更しようとしてもムダなんじゃ……」
「君に言われたくない」
「むう」
 胡桃沢君はぷくーとふくれてそっぽを向いた。
 たかがプリンくらいで、愛いよのう。
「……あのー。依頼人なのにどうしてこんなに影が薄いんでしょうかー」
 あ、素で忘れてた。
「えっと……確か、緑川日向さん、でしたね。お久しぶりです。元気してました?」
「はいっ。お陰様で」
 緑川日向――――そう名乗ったこの女性こそ、俺にとって2人目となる依頼人。
 肩書きは今更説明するまでもなく『暗殺者』だ。


 さて。
 ここで、現代における暗殺者の定義を述べようと思う。
 ちょっと長いけどついてきてよー。

 暗殺。
 密かに狙い、人を殺す事。
 多くの場合は『政治的に対立している要人』や『権力者、有名人』を殺す
 という意味合いで使用される。
 なので、暗殺者というと、何かしらの地位にいる人を殺すというのが
 基本的な定義と言って良いだろう。
 これは、例えば戦国時代だったら、敵武将を密かに殺す為に忍者を派遣する……
 なんて形で日常的に行われていたかもしれない。

 ただ、現代社会においては、そんなケースはまず見られない。
 ある程度の権力者、例えば政治経済における大物が死んだとなれば、
 それは大々的にニュースで流される。
 その頻度は、言うまでもなく低い。
 仮にそういったニュースが流れた場合、陰謀説は常に唱えられるけれど、
 状況的に見て殺された可能性が高いというケースは、極めて例外的だ。
 せいぜい、極道の世界で鉄砲玉が相手の幹部を殺す……というストーリーが
 散見される程度。
 これも厳密には暗殺とは言い難い。
 それくらい、暗殺という行為と今の世界情勢はかけ離れている。
 というのも、仮にその大物を殺したからといって、得られるものはそう多くないからだ。
 カリスマ性のある人物というのは、どんな分野にでもいるけれど、
 その人物が死んだからといって、大きく状況が変化するかというと、そうでもない。

 例えば、アップル社のスティーブ・ジョブズ。
 彼ほどのカリスマは、世界的に見ても殆どいないだろう。
 彼の死後、アップル社の株価は暴落するのでは、と言われていたが、
 実際には寧ろ大幅に上がった。
 これには様々な要因があるから、一面的な見方はできないけど、
 少なくとも一人のカリスマが死んだ事で致命的な事態に陥る事はなかった訳だ。

 今の時代、暗殺という行為が流行らないのは、そんな事情がある。
 人は人を見て判断しない。
 もっと目に見えやすいものを見て判断する。
 人が人を判断するのは、意外と困難だったりするから。


 で……そんな時代に、どうして彼女、緑川日向が暗殺者をやっているのか――――
 俺はそれについて、特に聞いたり調べたりはしていない。
 探偵たるもの、依頼人のプライバシーを無闇に侵害したりはしない。
 依頼を達成させる為に必要ならともかく、そうでないなら、相手から言い出さない限り
 私事についてとやかく言うべきじゃない。
 だもんで、彼女が暗殺者という事実のみを受け止めて、依頼をクリアした。
 
 ……なんて簡単に言うけど、実際は大変だった。
 何しろこの緑川日向、自分が人殺しだって自覚が全くない。
 勿論、人を殺した経歴はなく、あくまでも『見習い』だから、当然かもしれないけど。
 何にしても、人殺しの武器を調達するのに『可愛いのがいい』とか言いだした時には、
 動機を根掘り葉掘り聞きまくって、説教しようという衝動が台風みたいに俺の中で
 唸りを上げていたもんだ。

 で――――そんな葛藤もありつつ、俺は彼女に最良の武器を紹介し、
 この依頼を達成した。
 けれど、再びここを訪れたって事は、何か不備があったか、或いは――――
「あの、実はまた困った事がありまして。助けて下さい、お願いします」
 ペコリ、と規則正しい姿勢で一礼する緑川日向は、暗殺者というより萌えキャラだった。
 暗殺者の萌えキャラ。
 ……現代社会が生み出したモンスターだ。
「所長、どうするんですか? この方の依頼、受けるんですか?」
 まだ機嫌が悪い胡桃沢君が、睨みを利かせて聞いてくる。
 彼女としては、暗殺者で萌えキャラなんていう濃い癒やし系を相手に
 目立つ事は困難、という危機感があるんだろう。
「ありません! 私はこの事務所の体裁を気にしてるんです!」
「いや、当たり前のように考えを読まれても」
「所長は直ぐ考えてる事が顔に出るんです。それより、暗殺者なんて自称する人を
 依頼人にしたら、大変です! 人殺しの仲間だって業界で評判になりますよ?」
 胡桃沢君はあくまでも『殺人幇助はメッ』というスタンスで否定してくる。
 まあ、そういう事にしておいてやろう。
 影が薄いキャラは、ムダに自尊心が高いみたいだし。
「所長……あんまり根も葉もない事考えてると、呪いますよ」
「あれ、呪いなんて使えるキャラだったっけ」
「私だって色々考えてるんです。このままじゃダメだって事くらい、わかってますから」
 つまり、今の影の薄いヒロインキャラをどうにかすべく、ジョブチェンジならぬ
 キャラチェンジを試みている最中、って事らしい。
 呪いかあ……ヤンデレともちょっと違うし、呪術キャラって需要あんのかなあ。
「あのあの、私また置いてきぼりなんですけど……」
「おっと、ごめん。緑川さんだったよね。当然、依頼は受けるよ」
「所長!」
 間髪入れずに凄んでくる胡桃沢君を、俺は手で制した。
「心配しなくても、彼女はまだ殺人を犯しちゃいない。それが出来てるなら、
 もう探偵事務所なんかに用はないだろうからね。幇助は実行従属性だから、
 犯罪を犯してない時点では幇助自体も成立しないんだよ。拳銃なんかと違って
 ナイフの所持は理由さえちゃんと説明できれば合法だからね」
「そ、そうだとしても、これから彼女が殺人を犯せば、立派な犯罪者になるじゃないですか」
 心配が尽きない胡桃沢君を、俺はちょいちょいと手で招く。
 そして耳打ち。
「所長、そっちのモフモフ耳には聴覚はありませんから……」
「あれ、そうだったんだ」
 あらためて、耳打ち。
「だから、彼女に殺しをさせないように持って行くのが、この依頼の裏テーマ」
「あ……そういう事だったんですか」
 ようやく、胡桃沢君は納得してくれた。
 そう。
 何故、彼女の以前の依頼――――『はざま探偵事務所 File:2』が
 この事務所の未来を決定付けるものになったのか。
 それは、『依頼人の目的をコントロールする事』をこの依頼で覚えたからだ。

 探偵は、何の為に存在するのか。
 これはある意味、とても意味深長だ。
 例えば、娯楽小説としての探偵だったら、『難事件を解決する為』、
『密室トリックを暴く為』に存在するんだろう。
 でも、現代を生きる探偵は違う。
 依頼人を助ける為だ。
 依頼してきた顧客の苦難を除去する為、探偵は日々業務に追われる。
 だから浮気調査だろうがペット探索だろうが、文句言わずにやる。
 それを依頼人が望んでいるから。

 けれど、依頼人の苦難を除去する為には、必ずしも依頼人の当初の意向に
 沿う必要はない、と言うのが、俺の出した結論だ。
 当初の意向――――つまりは依頼。
 例えば『はざま探偵事務所 File:2』のケースを例に挙げるとしよう。
 緑川日向は、希望する武器の入手経路を欲していた。
 だから、この依頼を成功させるには、武器の入手経路を彼女に把握して貰う
 というのが絶対条件となる。
 でも、結論から言えば、俺はそれをしなかった。
 彼女が満足する武器を一つ、プレゼントしただけ。
 入手ルートに関しては、『先方の意向』という理由で告げなかった。
 実際には、別の理由がある。
 彼女に俺がプレゼントした武器は、実はただのナマクラだったからだ。
 緑川日向は、ピンク色のスラッとしたデザインのナイフを欲していた。
 けれど、暗殺用の武器として、そんなモノは存在しない。
 つまり、彼女の当初の依頼における要件は、満たす事が出来ないもの。
 無理ゲーだった訳だ。
 でも、彼女を満足させる方法はある。
 明らかに外見重視の彼女の嗜好を満足させればいい。
 よって、軽くて、スラッとしてて、ピンク色で、でも切れ味は最悪な、暗殺グッズメーカーが
 作ったナイフを用意してやれば、彼女は満足するし、殺しの道具としては扱えないから
 殺人幇助にもならない……というシナリオが出来上がる。
 当然、そんな物を売りつけた事が他人に漏れれば、そのメーカーには迷惑が
 かかるから、それは他言しないという条件で。

 こんなふうに、依頼人を満足させつつ、自分にも害がない方法を模索し、
 それで納得させる事が、『依頼人の目的をコントロールする事』に繋がる。
 探偵事務所として長くやっていくには、こんな工夫が必要って訳だ。

 でも――――今回また来たって事は、あのナイフのナマクラ具合がバレた可能性が高い。
「あの、依頼を言ってもいいでしょうか」
「はい、どうぞ」
 不安を抱えた俺がそう促すと、緑川日向は深呼吸をして、深呼吸をして、そして深呼吸をした。
 ……緊張しいらしい。
 暗殺者、それでいいのか。
 もっといっぱいあるぞ、緊迫の場面。
「実は……」
 5度の深呼吸を経て、ようやく緑川日向は口を開いた。
「この前の依頼で貰ったナイフをなくしちゃったんです」
「なくした?」
 てっきり、『アレ使えないです』って言われるかと思いきや。
「はい。とってもキュートだったもので、日頃からカバンの中にしまってたんですけど、
 カバンごとなくしちゃいまして。とほー」
「ほう」
 暗殺者は外見どおりのドジッ娘だった。
 っていうか、暗殺者って肩書き以外は全部外見通りだ。
 癒やし系。
 愛玩動物っぽい存在感。
 にっこり微笑むとヘナヘナした感じで、なんかいい。
 あはー、とか笑い声をあげると似合いそうだ。
「あはー」
 あ、ホントに笑いやがった。
 おのれ、あざといヤツ。
 でもそれが正義。
 この世の中、あざとさは武器だ。
「ぐぬぬ……」
 そして、同じくあざとさを武器にしている(頭の上のオオカミ耳)胡桃沢君は、
 ライバル心剥き出しで歯軋りしていた。
 まあ、好きにすればとしか言いようがない。
 彼女のキャラ模索にまで首を突っ込んでてもしかたないし。
「なので、もう一度あのナイフが欲しいんですけど、何処で手に入れればいいのやらと
 思いまして、もう一度お世話になりに」
「わかりました。手配しますんで、お掛けになってお待ち下さい」
「恐れ入ります」
 緑川日向が嬉しそうにソファーに座る。
 でも、外見ほど柔らかくないソファーなんで、感覚が空振りする感じで
 座った瞬間びっくりしていた。
 ちなみに、これ前回も同じパターンだった。
 学習能力がないのも、天然系の必須ステータス。
「ぐぬぬ」
 胡桃沢君はまた唸っていた。
 っていうか、ぐぬぬキャラの確立を目指してるのか。
 無理だと思うなあ……何気に下火だし。
 さて、それはともかく。
 調達の為には連絡が必要だ。
 彼女のナイフを作ってくれた会社(の取り次ぎかもしれないけど)は、『(株)田子八ナイフ製作所』。
 変わった苗字というか、あんまり暗殺者用のナイフを作ってるって苗字には見えない。
 まあ気にする必要はないか。
 早速連絡。
 こういう場合、メールより直接電話する方がずっと早い。
 見積もりなんかはメールの方がいいけど。
「……っていうか、こういう雑用は助手のお仕事だよね」
 俺は固定電話の受話器を耳から離し、胡桃沢君に差し出した。
 結果――――胡桃沢君の目から、黒目が消える。
「所長……さては私に幇助罪をなすりつける気なんですね!?」
「違うから。こういう役割分担はキチンとしないとダメだろ?」
「わ、わかりました。所長の意向に沿うのが助手の役目ですし……うう、イヤだなあ」
 露骨に言葉にしつつも、胡桃沢君は俺とポジションチェンジ。
 パソコン内のデータを見ながら、プッシュホンを押す。
 そして、暫く待って――――
「所長。出ません。っていうか、電話繋がってません」
「おっかしいな。平日だし、昼間だし、そんなハズは……」
 可能性はある。
 一つだけ。
 そしてそれは、絶望の理由。
 俺は胡桃沢君に指示を出し、それを確認した。
「……所長。案の定です」
 俺が調べさせたのは――――(株)田子八ナイフ製作所のインターネット上の情報。
 ウェブ上でも登記情報を調べる事は可能だけど、その必要もなく、どこかの
 掲示板に『田子八ナイフ製作所、潰れたみたいだな』という一文を発見した。
 平日の日中に電話に出ない事と重ねて考えれば、信憑性という点ではかなり高い。
 要するに――――緑川日向のナイフを作っていた会社は、もうこの世に存在しないって事。
「へ?」
 それを伝えた瞬間、緑川日向はキョトンとした顔で暫くフリーズしていた。
「これが萌えキャラのリアクション……メモメモ」
「メモするんじゃありません。っていうか、面と向かって萌えキャラとか言うな」
 胡桃沢君の蛮行を諫めつつ、回復を待つ。
 ……フリーズ、長いな。
 電源ボタン長押ししないとダメか?
 この場合、何処を押せば良いのか……
「えいっ」
「はうっ」
 あ、胡桃沢君が緑川日向へビシッとデコピン攻撃!?
 依頼人になんて事を!
「うう……あれ? 私、寝てました?」
「寝てたかどうかは知らないですけど、フリーズが解けてよかったです」
 ふっふっふ、と不気味に笑う胡桃沢君に、俺は歪な嫉妬の形を見た。
 というのも、緑川日向って、実は何気に影薄キャラだ。
 結構俺と胡桃沢君の間で、忘れられたりしてたし。
 なのに、天然系で時折存在感を発揮する行動を見せる。
 それって実は、元々影薄キャラの素養たっぷりな胡桃沢君の目指す場所。
 つまり――――胡桃沢君にとって、この子は目の上のタンコブ!
 同時に、学ぶべき相手でもある筈なんだけど、今はライバル心の方が先に立っているみたいだ。
 ……って、女の奇妙なポジション争いなんて、どうでもいいか。
 片一方は相手にすらしてないし。
「はう……フリーズしてましたか」
「ええ。で、どうします? ナイフ、作れなくなっちゃいましたけど」
「どど、どうしましょう。私、アレがないと、もう暗殺者にはなれない……」
 そんな事はないし、そもそも暗殺者になる必要は絶対無いと思うんだけど、
 それを言っても仕方がない。
 探偵は、依頼人を満足させるのが仕事だ。
 なら、彼女を正論で諭しても仕方ない。
 代案を与えて、喜んで貰うのが正解だ。
「そうですね……それなら、こうしましょう。これから貴女に暗殺をして貰います」
「へ?」
「しょ、所長!?」
 唖然とする依頼人と、何言ってんだこのアホ所長という顔で糾弾を露わにする助手。
 俺はそんな二人に不敵な笑みを見せつけ、神父のようなゆとりあるジェスチャーで
『まあまあ』と諫めた。
「暗殺をする為に必要な武器が欲しいんですよね? でも残念ながら、貴女が所望する
 ナイフを作れるメーカーは、もう日本にはない。なら、次善案として、
 自分が気に入る武器を既存の物から選ぶという方向で話を進めるのが好ましい」
「それはわかりますけど……なんで今から暗殺しなくちゃならないのですか?」
 小首を傾げる緑川日向は、ハムスターのような可愛さを見せつけてくる。
 これは、胡桃沢君にはない可愛さだ。
「むむむ……」
 案の定、悔しがっていた。
 っていうか、この手の可愛さは諸刃の剣だから、あんまり見習わない方がいい。
「まず前提として、暗殺用の武器ってのは、基本禍々しい物だって事を知って欲しい。
 前の依頼の時に一通り調べたけど、大抵の暗殺用武器は毒とセットだし、そうじゃなくても
 呪いとか、曰く付きなのが殆どだ。当然、作る人もそういう既存の物を参考にして
 作る訳だから、オーダーメイドだろうと何処かに禍々しさが残る」
「そ、そんなっ。だって、前に貰ったナイフはとってもキュートで……」
「実はあのナイフ、表面のピンク色の塗装を剥がすと髑髏が無数に描かれていたんです」
「きゃいーっ!?」
 緑川日向はそこにはないナイフに怯え、両手をシュタシュタと縦に動かし
 俺のさり気ない嘘に狼狽していた。
 こういう可愛いリアクションを素で出来るのは、人として強みなのか、弱みなのか。
 その判断はともかく――――
「なので、結局のところ、慣れるしかないんです。あのナイフは、塗装が剥がれる頃には
 貴女が暗殺者として一人前になっているという前提で作って貰った物でしたが、
 根本的な解決には到らなかったというのが本当のところです」
「そ、そんな複雑な事情があったんですかっ」
 複雑って程でもないんだけど。
「で、なんで今回それを曝露したかっていうと……貴女に暗殺者の真髄を伝える為です」
「真髄……ですか」
「そう。暗殺者の真髄とはつまり――――道具を選ばない!」
 ビシッと、俺は緑川日向に向けて持論を唱えた。
「暗殺ってのは、用意周到に準備できるケースが多い。でも、状況によっては例外もある。
 海の中で殺しをしなくちゃならない場合は普通の銃は使えないし、絶対に近寄れない
 標的の場合は、ナイフでの殺害は困難。武器ならなんでも使えないと、一流の
 暗殺者とは言えない。ゴルゴ13を見て下さい。ライフルが標準装備のように思われて
 ますが、実際にはいろんな得物を使ってます」
「そ、そうだったんですか」
「だから、『お気に入りの武器』なんて本当は必要ないんです。それでも
 あえて拘るのなら――――初めての暗殺に使用した武器を愛用品として
 肌身離さず持ち歩く、というふうにすればいいんじゃないかと」
「……?」
「それで、今から暗殺をして、その武器を貴女の愛用品にすればいいって事です」
「あ、ああ!」
 多分、ちゃんとわかってないけれど、緑川日向はわかった体で大きく頷いていた。

 前回の依頼の時点でわかっていることが一つ。
 この子はアホだ。
 それも一流のアホだ。
 暗殺者になろうとしている時点でアホだが、人殺しをするという重みを全く
 感じていない、わかっていないというのはアホの極みとしかいいようがない。
 とはいえ、アホでも依頼人は依頼人。
 依頼人の希望を叶える、それが無理なら代替案で満足させるのが探偵。
 というわけで、俺は緑川日向に暗殺の手ほどきをする事になった。
「……って、所長! 手ほどきなんてしたら完全な殺人幇助じゃないですか!
 正気ですか!?」
「正気だよ。っていうか……もういい加減付き合いも長いんだし、せめて
『所長のことだから、何か考えがあるんだとは思いますが』とか、助手らしく
 気の利いたこと言えないかな」
「……」
 俺のリクエストに対して返ってきたのは、猜疑のジト目。
 どうやら、胡桃沢君の中での俺の評価は、まだ余り高くないらしい。
 というか、最近なあなあになった所為で、当初より下がったような気がする。
 結構、いろんな事件を解決してきたんだけどなあ……
「ま、いい。この件で見事に信頼回復してやるから、君は今回に限っては黙って見てるように」
「心配だなあ……」
「あ、あの、ふつつか者ですがよろしくお願いします!」
 俺と胡桃沢君に向けて、緑川日向はヘコヘコとお辞儀していた。

 


 という訳で、暗殺の手ほどきをする事になった訳だが――――
 当然、俺に暗殺の経験なんてない。
 尤も、なくても何ら問題はない。
 別に本当の暗殺を教えるつもりはないんだから。
 もしそれをやって、この緑川日向が本当に殺人を犯したならば、
 胡桃沢君の危惧通り、俺は犯罪者になってしまう。
 ただ、この子の天然ぶりを見る限り、実行は不可能だろう。
 恐らく、暗殺者に憧れるお年頃。
 そういう意味では、人類滅亡を夢見ていた何処かの助手と似ている。
「くしゅっ! うー……」
 その助手はくしゃみをしながら、事務所内の机やイスを隅の方に移動させている。
 さて、こっちも準備OKだ。
「あの……これから何をするんですか?」
 障害物をどかして広大になった事務所の中央で、緑川日向はプルプル震えながら
 時を待っていた。
 緊張しているらしい。
「暗殺に必要な要素は、全部で3つ。まずはその素養を試す」
「素養……ですか」
「なお、素養の意味がわからないのなら、意味深に間を取ったりしないでちゃんと聞くように」
「すいません、わかりませんでした」
 素直でよろしい。
「要するに、才能。まずは身体能力を見るんで、これを」
 俺は100均で買ってきた縄跳びを緑川日向へ投げつけた。
「これを……跳べばいいんですか?」
「そ。好きに跳んで」
 小学生の時に誰もが使った、ただの縄跳び。
 実はこれ、運動神経を見るには最適のアイテムだ。
 身のこなしは勿論、跳び方一つで身体の使い方がよくわかる。
 多分、バタバタな感じで跳んで、グダグダになると思うけど――――
「せーの」
 間の抜けた開始の合図と同時に、緑川日向は縄跳びを回し始めた。
 信じられない速度で。
「……え?」
 ヒュンヒュンという音すら聞こえないくらい、高速。
 なのに両腕、両手の位置は殆ど変わらない。
 足はステップを踏むように、自然に上げ下げを繰り返しているだけ。
 な、なんだこの身体能力は……一流アスリートかよ。
「こんな感じで良いですか?」
「あ、ああ。よくわかった」
 甘く見ていた。
 この緑川日向、暗殺者としての素養を確実に備えている。
 参ったな……シナリオとしては、ここで身体能力のなさを自覚させて、
 余り身体を動かさないタイプの暗殺者(という体の、殺しとは縁のない人)に
 仕立てようと思ったのに。
 仕方ない……別の案を練ろう。
「それじゃ、次のテスト。追跡能力を見よう。胡桃沢君、適当に逃げて、何処かに隠れて。
 この街から出ない範囲で」
「え……? この年でかくれんぼですか?」
「まあ、その年でかくれんぼだね。仕事だから、割り切って」
 胡桃沢君は釈然としない様子で、パタパタと事務所を出て行った。
 10分後――――
「じゃ、さっき出ていった胡桃沢君を見つけてきて。期限は日が暮れるまで」
「了解いたしましたっ!」
 ビシッと敬礼し、緑川日向はシュタッと駆け出していく。
 暗殺者っていうより……自衛隊とか、そっち向きな気がするんだけど。
 さて……どうなるか。

 5分後。
「所長……」
 胡桃沢君は、泣きそうな――――というより涙ぐみながら緑川日向と共に戻ってきた。
「早っ! もう見つかったの?」
「うう。みじめ……笑って下さい。こんなに簡単に見つかった私を」
「ははは」
「愛想笑いはやめてーーーーーーーーーーーーっ!」
 よっぽどショックだったのか、胡桃沢君はブンブンと首を振って現実を拒否する。
 無理もない。
 天然系の子に、かくれんぼでアッサリ見つかるのは、正直俺でもキツイ。
「で、結局何処に隠れてたのさ」
「このビルの屋上……」
 灯台もと暗し作戦か。
 それでアッサリ見つかるのは本気で恥ずかしいな。
 ちなみに、この『はざま探偵事務所』は全四階の坂上ビルってビルの二階にある。
 以上、立地条件の説明でした。
「でも、よくわかったね。古くさくてカビの生えてそうな作戦とは言え」
「うう、辛辣……」
 胡桃沢君が地味に傷付く中、殊勲の緑川日向はにっこりと微笑んでピースサインを
 出していた。
「昔から、かくれんぼとか宝探しは得意なんです。よくわんこと競争してました」
「……犬と同類か」
 それはともかく、追跡能力まで高いとなると、性能的には優れていると言わざるを得ない。
 いよいよ暗殺者の素養タップリって結論が目の前に迫ってきた。
「仕方ない。最後のテストは路線変更しよう」
「へ? どうして路線を変更する必要が……」
 緑川日向の意見を無視し、俺はラストオーダーを空気に向かって突き刺した。
「暗殺者たるもの、どんな相手であっても仕留める冷酷さが必要!
 例えそれが子供であっても!」
 と、いうわけで――――
「何で静葉、ここに連れてこられたんだ?」
 町内会長の娘、静葉ちゃんを召集。
 意味がわからずキョトンとしてるが、まあ気にしないことにしよう。
「か、かわいーっ!」
「うわっ!? こ、こら見ず知らずの他人! いきなり抱きつくなーっ!」
 緑川日向は、ぬいぐるみを愛でるように静葉ちゃんを愛で始めた。
 まあ、口の利き方はなっちゃいないが、外見は確かにラブリーなんだ、静葉ちゃんは。
「それじゃ緑川日向さん。当初の予定通り、暗殺をして貰います」
「ま、まさか……標的はこの子なんでしょうか?」
 そう。
 最後のテストでは――――ズバリ冷酷さのチェック。
 可愛い子供でもあっさり仕留める氷の心を持っていなければ、暗殺者なんてとても――――
「できませんっ! こんな可愛い娘を殺すなんてーっ!」
 うわっ、もう終わっちゃった!
 早かったな……盛り上がる前に終わっちゃったよ。
 そもそも、静葉ちゃんをここに持ってくる予定はなかったんだよな。
 当初の予定では、3つめの素養チェックは『精度』を試す試験を予定していた。
 具体的に言えば、射的。
 それで彼女の集中力と正確性を見抜こうとしたんだけど、あの状況じゃこれも完璧に
 クリアして、いよいよ『暗殺者として最高の才能を持った人物がここに!』って流れに
 なりかねなかったんで、ワンテンポ早く静葉ちゃんに登場して貰ったワケだ。
 さて……それじゃ、シメの言葉を。
「彼女を殺せないようじゃ、暗殺者とは言えないよ、緑川日向さん。
 つまり、君にはこの職業は向いてないって事になる」
「ダメなんです! 私は暗殺者として生きていかなければならないんですっ!」
 思いの外、強烈な拒否反応。
 意外にも、熱い理由があるらしい。
「ま、それはいいとして」
「え……聞いてくれないんですか? っていうか、聞いて下さい!
 私がどうして暗殺者として生きていかなくちゃならないかを聞いて下さい!」
「や、探偵なんでその辺は適当に推理するから大丈夫」
「所長……面倒臭くなってません?」
 胡桃沢君のジト目に、俺は『そんな事はない』と首を左右に振り、
 ギロリと依頼人の緑川日向を睨む。
「ななな、なんでしょうか」
「君には、暗殺者としての才能がある。決して薦めはしないけど、もしその道を
 これからも生きていくのなら、堂々と突き進めば良い。相応の理由があるのなら」
「所長!?」
 幇助にはならないまでも、倫理からは大きく踏み外した俺の発言に、
 胡桃沢君が驚きの声を上げる。
 なんだかんだで、最終的には予定通り、彼女を暗殺の道から遠ざけるつもり――――
 そう思ってたんだろう。
 そういう意味では、胡桃沢君はまだまだ甘い。
 俺はそこまで他人に対して優しくはないんだ。
 ただし――――
「ただし、一つだけ覚えていて欲しい事がある」
「はい。なんでしょうか」
「君に人は殺せない。つまり……暗殺者としての才能はあっても、実務的には無能だろうと、
 俺は推理する」
「……」
 俺のその推理は、果たして正しいのか、間違っているのか。
 そんな事は、今はわからない。
 答えが出るのはずっと先だ。
 ただ、この推理には自信がある。
 子供を殺せないから――――じゃない。
 彼女には、暗殺者としての根本的な能力が欠如している。
 俺は、今日彼女がここを訪れた時点で、その事を確信していた。
 だから、今日やったテストはあくまでも素養を見る為じゃなく、
 俺が彼女の依頼を達成する為の道程だったりする。
 全ては、この瞬間の為だ。
「さて……そんなわけで、依頼はここまでです。貴女の依頼は、以前提供したナイフをもう一度
 配布して欲しいというものでした。ですが、オーダーメイドなんで予備はありませんし、
 それを作っていたメーカーは倒産している。よって同じ物は不可能。なら、次善案として
 貴女が納得する武器を提供する……ここまではいいですか?」
「はい。いいです」
「武器は、差し上げました」
「へ?」
「テストという形で、身体能力、追跡能力、冷酷さをチェックさせましたね。
 そして、身体能力、追跡能力は素晴らしく、冷酷さは全くダメダメという事がわかりました」
 俺は結論を導き出すべく、雰囲気を作る。
 表情をキリッと、一つ一つの動作を大げさに。
 探偵には必要な作業。
『犯人は……お前だ!』の時の、あの緊迫感は、探偵自身が演出している訳だ。
「それこそが、貴女の武器です」
「え……? あの、一体どういう……」
「今の時代、暗殺者という職業は仕事がありません。暗殺という行為そのものが、
 時代に即していないからです」
 間髪入れず、説明ターンに入る。
「なので、暗殺者は数少ない仕事を奪い合う必要がある。その際に武器となり得るのは、
 拳銃でもナイフでもない」
「それじゃ、何が武器なんですか?」
 胡桃沢君の合いの手に、俺はゆっくりと、大げさに頷いた。
「個性」
「……個性、とはなんでしょうか?」
 首を傾げる緑川日向に、俺は指先をビシッと向ける。
「依頼人となる人は、暗殺をする際に暗殺者を雇う事になるんだけど、
 何しろ業界全体が仕事不足、業績不足なんだから、実績も五十歩百歩。
 となると、話題性とか、特異性で選ぶ人も出てくる」
「そ、そういうものですかあ?」
「世の中そんなもんだ。で、君の場合、身体能力は高く、追跡能力も高いから
 暗殺者として磨けば光るものがある。でも、子供は殺せない。けど、子供を
 殺す依頼なんて、ほぼ皆無なのは明らか。マイナスにはならない。残るのは、
 子供を殺せないという『個性』。言ってみれば慈悲深い暗殺者っていう二律背反だ」
 それは、ある意味『変わり種の暗殺者』。
 そこに好奇心を向ける人は、恐らくいるだろう。
「それこそが、君にとって最大の武器になる。俺は今日、君にそれを提供したかったんだ。
 つまり……貴女の個性は『癒やし系暗殺者』! 今後はこれを武器に、仕事を勝ち取って欲しい」
「……ほえー」
 よくわかってないような気もするが、緑川日向はやたら感心した様子で
 俺の方を暫し眺め、次の瞬間深々とお辞儀した。
「あ、ありがとうございました! 私だけの武器、ありがたく頂きます!」
「納得しちゃうんだ……」
 胡桃沢君がボソッと呆れたように呟く中、依頼は達成された。
 ブンブンと腕を振り、去って行く緑川日向を窓越しに見送りつつ、俺は優雅に紅茶を嗜む。
 今日も良い天気だ。
 そして、良い依頼だった。
「所長……あれで本当によかったんですか? 彼女の事、止めなくても良かったんですか?
 最初に私に耳打ちしたじゃないですか。『彼女に殺しをさせないように持って行くのが、
 この依頼の裏テーマ』って」
 胡桃沢君の意見は尤もだ。
 だからこそ、俺は静かに頷いて見せた。
 この疑問は想定内だったから。
「実際、殺しをさせないようには持って行ったつもりだよ。詭弁で強引に誤魔化して、
 暗殺用の武器は与えなかったでしょ」
「でも、暗殺なんてやめなさいっていう教訓にはなってなかったような」
「当然。そんな事言う気は最初からないし」
「え……」
 俺の言葉が意外だったのか、胡桃沢君は眉をひそめて目を見開く。
 そして俺は、その疑念を真っ正面から受け止めた。
「俺は彼女が誰かを殺す事には反対だ。でも、暗殺者である事を止めさせようとは
 思わないよ。もし止めたら、事件の種を自分で摘む事になるからね」
 そんな俺の呟きに――――胡桃沢君の顔から血の気が引いていく。
 信じられない、と言わんばかりに。
「人を殺せそうにない暗殺者。いいじゃないの。そういう人がいてくれた方が、
 世の中適度に楽しい」
「で、でも所長。明らかに道を踏み外している人を放置するのは、
 人としての道徳に反するんじゃ……」
「彼女が静葉ちゃんと同じくらいの年齢なら、そうしたかもね。若しくは、俺が彼女の
 親戚かなにか、友達だったとしても、やっぱり止めたかもしれない。でも、生憎
 俺と彼女の関係は探偵と依頼人。探偵は事件の萌芽を摘むべきじゃないし、彼女の
 職業選択の自由は尊重されるべきだ」
「理屈ではそうですけど……」
 俺の意見は、或いは一般的じゃないのかもしれない。
 薄情な人間と思われるかもしれない。
 でも、俺はこう推理している。
 暗殺者を目指そうが、傭兵を目指そうが、彼女は人は殺せない。
 何故なら――――この探偵事務所を二度、訪れたから。
 一度足を付けた場所へまた赴くというのは、暗殺者という職業には
 致命的とも言える行為。
 それを行った彼女は、幾ら身体能力が高くても、幾ら技能に才覚があろうと、
 暗殺者としての素養は全くない。
 俺にも、探偵の素養はあんまりないかもしれないけど、彼女はそれ以上のミスマッチだ。
 だから、こう推理する。
 彼女は暗殺者にはなれないだろう、と。
 なったとしても、誰一人殺せない暗殺者になるだろう、と。
 そういう人がいても、いいんじゃない?
 繰り返しになるけど、その方が世の中面白い。

 それは、難事件も密室殺人もない、御伽噺の外を生きる現代の探偵ができる、
 小さな――――とても小さな抵抗だった。
 
「私……所長の事、誤解してたみたいです」
 胡桃沢君がポツリと呟く。
 無論、それは人間的に悪い意味での再評価だろう。
 でも、それでいい。
 探偵と助手の間に、誤認があるのは好ましくない。
 もし彼女が俺を『実は良い人』なんて思ってるのなら、それは今後に
 悪影響を及ぼしかねない誤認だ。
「探偵はアウトローでなきゃね」
「それが正しいとは思いませんけど」
 そう言いつつも、胡桃沢君は俺のもとを離れようとはしなかった。
 彼女もまた――――何処かにそんな心の闇を持った人間。
 つまりは、そういう事なんだろう。
「ま、それはいいとして……」
「よくありません。私、心に闇なんて持ってないですから」
「だから、当たり前のように心を読まないの。で、それはいいとして、
 キャラチェンジはもういいの? 呪術とかそんな感じのスキルを身につけるって
 感じだったけど」
「そうですね……さっきの依頼人の方を見て思ったんですけど、
 マスコット的な可愛さは私には似合いそうにないんで、別の方向性を探ろうかなって」
「ほう。どんな?」
 興味深い発言に、俺は思わず身を乗り出す。
 胡桃沢君は、そんな俺の頬に指先をスッと這わせ、薄ら笑いを浮かべた。
「……魔性の女、なんてどうでしょう」
「迷走してるね、胡桃沢君」
 ある意味、彼女の小さな抵抗の着地点を推理する事が、一番の難事件かもしれない――――


 そんな事を考えた、午後の一時。









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