『はじめまして。はざま探偵事務所で大丈夫ですか?』
――――やあ、諸君。
最近、探偵事務所っていうよりなんでも相談所みたくなってる
はざま探偵事務所の所長、狭間十色だ。
というのも……我が助手、胡桃沢君の同級生が依頼に来て以降、
どうもこの探偵事務所はその学校でちょっとした有名スポットになったらしく、
妙に近頃そこの学生さんが相談しにやってくる。
今日もまた、一人。
胡桃沢君のクラスメートと名乗る女子が、相談依頼を持ちかけてきた。
普通、こういうケースでは胡桃沢君が紹介する形で登場しそうなもんだけど、
この依頼人は登場すらしていない。
つまり、探偵事務所に来ているわけじゃない。
実は最近、このはざま探偵事務所の公式ホームページで
実験的に行っていることがある。
それは、インターネットを使った相談。
メール受付と、スカイプによる相談を受け付けている。
まあ、今の時代に即した窓口と言えるだろう。
で、学生さんの多くはこのメールを利用してるんだけど、
この人はスカイプでの相談を所望してきた。
ただし、チャット。
ビデオも非表示。
まあ、電話とほとんど同じ感覚だ。
学生だし、そういう形でじゃないと相談できないという気持ちもよくわかる。
ちなみに、胡桃沢君はまだ帰っていない。
現在、時刻は16時20分。
今日は平日だから、学校から直行でここへ来たと思われる。
さて、返事を書き込むとしよう。
『はい、はざま探偵事務所です。相談ごとでも?』
『はい。相談があります』
『承ります。初回は1時間まで無料。以降は料金がかかるので、
お金がないなら1時間内に終わるような内容でお願いします』
『お金ならあります。今日中に解決したい問題なんで、お金に糸目はつけません』
……微妙に怪しいな。
とはいえ、顧客を疑ってかかるようじゃ、このサービス自体無意味だ。
『そうですか……それじゃ早速内容をお聞きします。と、その前にまずお名前から』
『経歴書を用意しました。添付します』
それは用意が良い。
アルバイトとかじゃないから不要と言えば不要だけど、
問答する手間が省ける。
実際、相談に乗る時にはその人の氏名年齢住所、生い立ちといった
情報がないと、質の高い回答ができない。
もちろん、相手には相手の事情があって、名前ですら明かせないという
依頼人だっている。
そんな人に可能な限り有益な成果を提供するのも、実在する探偵の責務だ。
けど、本音を言えば情報は多いに限る。
『それじゃ拝見します。えっと、名前は……黒羽根螺旋……くろばねらせん、で
よろしいでしょうか?』
『はい』
『変わった名前ですね』
っていうか、偽名っぽいな。
とはいえ、俺の同世代の女子となると、キラキラネームが台頭し始めた
世代でもあるんで、油断できない。
『年齢は……胡桃沢君と同い年だね。っていうか、なんで胡桃沢君経由で
来なかったんですか?』
『面識がないので』
『いや、なくても話しかければいいでしょう』
履歴書をチェックしながら、世間話の延長で軽く叩いたその言葉に――――
『話しかけられるわけないじゃない』
ガブリ、と黒羽根さんが噛み付いてきた。
『話したこともない人に話しかけられる? クラスメートってだけで
口も利いたことない、しかも自分より美人で華があって勉強できてスポーツできて
ヘンな耳つけててちょっと隙見せてるっぽい感じの萌えキャラに、
話しかけられる? ムリ。できるわけねー』
『……急にやさぐれたな』
向こうが敬語止めたんで、こっちも自然と止めてしまう。
接客業だとしたら基本、丁寧語以外はNG。
例外は田舎のスーパーくらいだ。
でも探偵業は接客業じゃない。
相手が話しやすい空気を作るのも、探偵の能力だ。
そしてこの場では敬語じゃない方が良さそうというのが、俺の判断。
バーチャルの世界では、敬語の方が逆に違和感を覚える人も多いらしいからな。
ヘンな世の中だ。
『こちとら、生まれてこのかた一度も友達なんてできてねーし。
コミュ障。わかる? コミュ障にそんなハイレベルなことできっか』
『なるほど、コミュニケーションに問題を抱えていると自覚している……と。
次は趣味……妄想?』
『妄想。二次限定ね。ただしカプ厨は氏ね』
『具体的には?』
『青黒、黄黒』
『いや、そっちじゃなくて。妄想の方』
『探偵さん、もしかしてイケる口?』
『じゃなくて、話の流れで大体わかるだけ』
そしてもう一つわかったこと。
この女子はアレだ。
お腐れ様だ。
まあいい。
依頼者がどんな性癖だろうと、構いはしない。
『具体的な妄想、ここで書く?』
『ああ、書きたくないなら別に書かなくてもいいよ。
次は特技……読書。これは特技とは言わないな』
『あ、趣味と特技、逆』
『いや、妄想も特技とは言わないなあ……まあ、いいか』
カリカリと頭を掻きつつ、備考の欄に目を通す。
『この「喪女」ってのは……いや、大体の意味はわかるけど、
どういう定義で書いたのかだけ教えて』
『そのまんま。彼氏いたことない。モテない。女として終わってる。
生きてる価値がない。でも妄想楽しいから生きてる』
黒羽根さんは淡々とした喋り方で書き込んでくる。
これは個人的な意見、というか偏見かもしれないけど……
チャットとかツイッターとか、バーチャルな世界でこういう
書き込み方をする人は、現実だとまったく違う人格のケースが多いような気がする。
まあ、それはどうでもいいか。
『了解。そんじゃ、相談プリーズ』
なるべく気軽に書き込めるように、軽い感じの言葉遣いにしたんだけど――――
返答がない。
これまではずっとスムーズだったのに、1分待っても書き込みがない。
『相談しにくいこと?』
仕方ないんで、こっちが打ってみる。
『相談しにくいこと』
オウム返しか……コピペだな。
まあそれもいい。
『どうしても書き難いなら、今日はここで終わって、また気分がノッた時に
相談してくれてもいいよ。無料時間は累計にしとくから。
まだ10分も経ってないし、あと50分以上残してる状態で次にリスタート、でどう?』
『ダメ。今日中に解決したい』
『オケ。じゃ、ゆっくり書き込んで。紅茶飲んで待ってるし』
……返答フリーズ。
ま、仕方ない。
ホントに紅茶でも飲んでゆっくり待とうか。
――――10分後。
『書く』
お、反応アリ。
ようやく整理がついたのか。
学生の相談では、こういう『相談を依頼しておいて実際に相談できない』
という人は多い。
羞恥心が強い年頃だから、寧ろ当然だ。
それをいちいち糾弾する大人もいないだろう。
……俺、まだ子供だったな。
たまに自分を忘れる時があるんだ、この仕事してると。
ん、相談ごとが書き込まれた。
『リア充になりたい』
……短。
あと、嫌いな言葉出てきた。
ま、俺の嗜好は置いておくとして、だ。
『具体的には? モテたいとか?』
『超モテたい』
リアクション早っ!
被せ気味だったぞ、今。
チャットなのに。
『でも、モテるのはムリっぽいから、せめて幸せになりたい』
『なれないの?』
『絶対ムリ。今のままなら』
『友達がいないから?』
『友達がいないから』
またコピペか。
『あと、二次限定っていろいろ終わってる』
『まあ、その辺の突っ込んだ内容は敢えて聞かないけど』
『ありがとう』
感謝されてしまった。
いや、流石に生々しくて聞く気になれん。
性癖とか、そのあたりの話だろうし。
『風呂とか、頭が痒くなってからしか入る気しない』
『それは不衛生だな。毎日入った方が良い』
『ムリ。めんどい』
『入れ』
『入る』
……いきなり従順だな。
っていうか、今回スカイプでの相談は初めてなんだけど
(ちょっと前に胡桃沢君とテストしたことはあったけど)
なんか相談ってより、カウンセラーみたくなってんな。
ますます探偵業務から離れてる気がしてきた。
よし、ここは初心に返って、彼女のことをもっと推理しよう。
『あと、無意識に鼻クソほじるクセがついた』
だ、ダメだ!
推理しようにも、向こうがどんどん書き込んでくる。
チャットは難しいな……
『それと、エロゲとか普通にする』
『18歳未満はダメだろ……と言っても、酒飲むのと同じで
やってる人は多そうだけど』
『女子でも?』
『多いんじゃないの。男向け、女向け問わず』
『そう、実は多い』
……こっちを試したのか?
それとも話を合わせただけ?
それすらなく、単にこっちの意見を肯定しただけ?
このリアクションは、結構なヒントになった。
さあ、推理のお時間です。
彼女がどんな性質の女子で、彼女を幸せにするにはどうすればいいか。
じっくりと考えていこう。
とはいえ、チャットなんで熟考の時間はない。
考えつつ、書き込んでいこう。
まず、彼女の環境から。
喪女と書いていた通り、恋愛歴は皆無なんだろう。
それ自体は別に珍しくもない。
縁がなけりゃトコトンないのが恋愛だ。
もちろん、そこに充実感を見出す人は多いし、実際に恋愛における
充足は、他のあらゆる充足感に優るってデータも出てるくらいだ。
彼女自身もモテることを望んでいる。
なら、彼氏を作るというのが、最高の展開なんだろう。
『彼氏作りたい?』
とりあえず聞いてみる。
『作りたいくない』
……どっちだよ。
『わからない。全然わからない』
『つまり、作りたいって願望はあるけど、作れるかどうかわからない、
むしろ作れないかもしれないっていう自虐心と、失敗した時のことや恥を
かきかねないって未来予測がストレスになって、結果的にどっちがいいか
わからない、ってトコか』
『うわ、探偵』
そりゃ探偵だろ。
ここ何事務所よ。
『そこを一歩踏み込んで、リスク承知でやってみる価値はあるかもよ?』
『やるって何を?』
『変身。少女マンガとかでよくやるやつ』
『髪型変えてメイクしたら美人になるやつ?』
『そう。それ』
『ムリ。二次以外でそれムリ』
いや、実際にメイク映えする女子って多いんだけどな。
つっても、俺がメイクできるわけじゃないから、その辺は胡桃沢君に
頼むことになるだろうけど……
『ムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリ
ムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリ
ムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリ
ムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリ
ムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリ』
……拒絶反応が出たか。
これ以上薦めると逃げそうだな。
止めておこう。
となると、次善策は『彼氏を作ろうとはせず、モテる体験だけする』。
これが一番無難かな……自尊心は満たせるし、そうなると充足感も出るだろう。
とはいえ、当然ながらこれは外見重視。
オンリーと言っても良い。
要は、ナンパ的な感じで声をかけられればいい。
そういう体験を望んでそうだし。
『じゃ、彼氏を作るのは一旦離れて、外見を思いっきり変えてみる方向は?』
『それでモテなかったら超凹むからムリ』
……なるほど。
今の自分がモテないのは、着飾ってないから――――って予防線か。
厄介な防衛ラインだな……突破するのは難しいかも。
じゃ、次の策。
『黒羽根さんのリア充のイメージをお聞かせプリーズ』
『イメージって?』
『要するに、こんな感じのがリア充っていう具体例』
返答フリーズ。
まあ……そりゃパッとは出てこないか。
実際、リア充って言っても線引きは曖昧で難しい。
基本、恋愛している人はケンカしてようが修羅場があろうがリア充らしい。
結婚してれば言うまでもない。
あと、部活に入って汗水流してる人も。
中には部活でぼっちになってる学生もいるけど、
その場合は微妙だ。
孤高の存在となっていたり、ぼっちでも夢中になってる場合はリア充だろう。
そうでなくて、なんとなく入って、なんとなく孤独な場合は、多分ラインの外だ。
部活にも入ってない、友達もいない……となると、当然外。
ってことは、やっぱり重要なのは『友達』か。
友達がいれば幸せ……かどうかはわからないけど、少なくとも幸せを
感じられる環境に身を置くことはできる。
月並みだけど、自分は一人じゃない――――って実感は大事だ。
とはいえ、彼女は喪女。
友達を作るためのコミュニケーション力は皆無みたいだし、
趣味を共有する相手を見つけようという意思も見られない。
そもそも、それならネット上で見つけられるだろうし。
となると……やっぱり、人との繋がりより優越感や達成感を
得られる環境の方が好ましいか?
さっき、彼女はこんなことを書いてた。
――――女として終わってる
これがキーワードな気がするんだよな。
胡桃沢君に接触をできない理由も、彼女の女子力に対する劣等感じゃないだろうか。
となるとやっぱり、女子として終わってないという方向に持っていくのが
ベストかもしれない。
よし、決めた。
そして決意したのと同時に、黒羽根さんは俺の回答を肯定する
書き込みをしてきた。
『胡桃沢さんみたいなの』
翌日――――彼女は一人で我が探偵事務所を訪問して来た。
俺が呼んだからだ。
当然最初は嫌がったけど、ちょっと強引な言葉で書き込んだら『行く』と
返事してきた。
……M体質なのかもしれない。
いや、まあそれはいいけど。
で、彼女。
容姿は……普通と言うべきかどうか微妙なトコだ。
顔立ちは普通。
とびきりの美女ではないけど、その正反対でもない。
ただ、幾つかの点において、彼女の容姿を正しく判定できない事情がある。
まず、髪の毛。
ボッサボッサ。
後ろ髪が長いのはロングヘアとして普通に存在する髪型だけど、
この女子の場合は前髪も長いし、横にもボリュームがあって
まとまってもないから、ボッサボッサになっている。
多分、ヘアサロンとか美容院で切ってるんじゃなく、自分で切ってるか
肉親に切って貰ってるかのどっちかだろう。
眉は抜いてはいないものの、整え方がおかしい。
左右均等じゃなく、左が明らかに薄い。
これも自分でやって失敗したものと思われる。
目の下のクマも濃い。
メガネをかけていれば、多少は見えなくなるんだろうけど、
生憎メガネはしていない。
唇の色が妙に薄く、顔色もよくない。
血行が悪いのかも知れない。
……と、まあとにかく不健康な印象の女子だ。
さて、観察も終わったことだし、会話を試みよう。
「えっと、昨日はどうも」
「……」
返答なし。
でも、嫌な感じで無視してるって訳じゃない。
ずっと赤面したまま、忙しなく視線を動かして、手持ち無沙汰な左右の手を
カサカサ身体のいろんな場所に当てている。
こっちにどう接していいかわからない――――そんなとこだろう。
きっと、本当に真っさらな初対面なら、向こうも俺の事を
コンビニの店員みたいな感覚で見られたんだろうけど、昨日ヘンに会話したもんだから、
ちょっとした知り合いになっちゃって、自分の中の羞恥心やら劣等感やらが暴走し、
舞い上がってしまってる。
多分、そんなとこだろう。
ま、慣れてもらうしかない。
外界の空気はそんなに冷たくないぞー、と。
「それじゃ、座って」
「はっ! ……い」
妙な返事とともに、黒羽根さんはササッと腰掛ける。
さて、ここからが仕事だ。
今日、彼女をここへ呼んだ理由は3つある。
1つは、お金を払ってもらえる環境を整えること。
直接会えば、逃げることはできないだろう。
……と、これだけだと俺がやたら冷血な人間になってしまうんで
補足しておくと、別に借金取り感覚で彼女から金を取ろうって訳じゃない。
正統な報酬をちゃんと受け取る、ってだけのことだ。
で、2つめは、彼女の願望を満たすこと。
これが当然メインテーマになる。
すでに昨日、その内容は散々吟味した。
そして出した答えが、3つめ。
「胡桃沢君、いいよ」
「は、はい」
我が助手と対面させる。
すでにお互いの制服姿は認識済み。
ただ、今の彼女達はクラスメートとしてではなく、あくまでも
依頼人と探偵助手の関係――――かというと、そうでもない。
今日に限っては。
「それじゃ、あらためて紹介。彼女が今回の講師、胡桃沢君」
「……っあっ、っあ」
どう返事していいかわからないらしく、黒羽根さんは
カオナシみたいな声を発した。
ちなみに、これは別にサプライズとかじゃない。
事前にちゃんと告知済み。
今日、彼女にここへ来て貰ったのは、胡桃沢君にリア充とは何なのかを
語って貰う為だ。
とは言うものの――――
「うあ」
胡桃沢君も、実はリア充でもなんでもない。
一人、孤独に闇を作っていた女。
今でこそ、俺の元で働いてはいるけど、報酬は微々たるもの。
学生との両立は大変だろう。
むしろ、苦学生の域だ。
じゃ、なんで胡桃沢君を今回、講師に指名したかというと――――
黒羽根さんの空想をたたき壊すためだ。
妄想、と彼女は言ってたけど、実際には空想。
妄想と空想は違う。
いや、メディアやネット上で度々使われている言葉としての妄想は、
空想と同じ意味なんだろうけど、実際には妄想ってのは病気の一症状だ。
そして妄想というのは、病識がない。
つまり、それが病だという認識がない。
彼女の妄想とやらは、病気じゃないし、自覚もある。
それは空想。
そして彼女は、空想を二次限定といっていたが、それも違う。
この胡桃沢君に対しても、空想を抱いている。
彼女がリア充だと。
見た目、若しくは校内での彼女だけを見て。
そうじゃない、彼女だって大変だ、ってことをここで知らしめれば、
ある程度劣等感を減らせるかもしれない。
みんな大変なんだ、種類は違うけど苦労してんだ、と。
まあ……外見や趣味の劣等感がそう簡単に消えるもんじゃないのは
重々承知しているけど、消すんじゃなく減らすくらいは出来るかもしれない。
で、減らす上で重要なのは、自信を植え付けること。
劣等感ってのは、いろんな要素が複雑に絡み合って固定化されるんだけど、
孤高の存在ってワケでもなく、他の要素で打ち消すことも可能。
自信はその中でも最高の薬。
抗劣等感剤、という造語すら生み出せそうなくらい。
なので、自信さえつけばリア充に一歩近づける。
ただ、リア充ってのは自己満足の対極にある。
一般的に言うリア充ってのは、第三者から見て『こいつ充実した人生
送ってんなー』と思うよう表面上見えること。
中身じゃなくラベルが重要だ。
当然、顔もその一つ。
恋愛してるかどうかも重要な指標だ。
でも、それらが例えアウトでも、例えば社会的なステータスがあるとか、
何かにおいて社会的に認められていると見なされれば、十分リア充の部類に入る。
勉強が出来る、というのはリア充に含まれないらしい。
楽しめることがないから勉強に没頭してる――――と見なされるらしい。
なんで、恋愛がムリという黒羽根さんに必要なのは、社会的な成功や、その萌芽。
その為には、胡桃沢君の経験談が必要不可欠――――なんだけど。
「いつまで固まってるの、胡桃沢君。早く、講師」
「うあ」
胡桃沢君はヘタしたら黒羽根さんより緊張していた!
なんてこった。
クラスメート相手に助手として仕事するのが、そんなに怖いか。
「……まあ、それはそれでいっか。そのまま始めて」
「うあ」
返事なのかどうかはわからなかったけど、胡桃沢君は顔面を硬直させたまま
とりあえず黒羽根さんと対峙した。
「……っあ、っあ」
「うあ」
……どこの生物の会話だ。
「胡桃沢君、退場」
「うあ」
役に立ちそうもないんで、計画変更。
俺が彼女について解説することにした。
「まあ、見ての通り……胡桃沢君も決して、君の想像するような
キラキラした人生は送ってない。やらせてるわけじゃないよ?
あんな演技されたらこの探偵事務所の沽券に関わる」
「あっ……ぅ」
黒羽根さんはコクコクと頷いた。
リアクション一つとってもわかるけど、悪い人じゃない。
コミュニケーションに慣れていない。
その一言に尽きる。
問題はそこなんだろう、結局のところは。
リア充――――と彼女が表現した言葉を俺が嫌いな理由は、
そこに茶化した響きがあるからだ。
恋愛している人だって、何かに熱中してる人だって、最初から恵まれて
何もかも上手くやってる人ばかりじゃない。
そりゃ、イケメンや美女に生まれれば、それだけでリア充だと思われるのは
仕方ないだろうけど、そういう人達だって、悩みや不安は抱えている。
逆に抱えてない人は、落とし穴にハマって人生台無し、っていうケースもある。
リア充なんて、ただのラベルにすぎない。
黒羽根さんが憧れているのは、そんな他愛のないペラペラな説明文だ。
それこそ、二次を愛でてるのよりもよっぽど非生産的。
とは言っても、そう説明しても納得しないだろう。
彼女の中で、憧れは眩しく育ちすぎている。
そして、その空虚な言葉に勝手に劣等感を抱いている。
でもそれは、『喪女』という言葉や二次元愛好家に対するマスコミ等の
植え付けたイメージが大きい。
それを『マスコミの印象操作に惑わされるな!』なんて言っても、
空しく響き渡るだけだろう。
……長々とすいません。
結論です。
「君が幸せになるプランを一つ考えた。見て欲しい」
俺は、2枚の書類を黒羽根さんに見せる。
1枚目には、彼女の人生設計の例。
2枚目は、空白の欄が並んでいる『アンケート用紙』。
それがプリントアウトされている。
「読んでみて」
「あっ……ぁ、あい」
ようやくちゃんと返事をした黒羽根さんは、まじまじと書類を眺める。
そして直ぐ、視線を俺に戻した。
「えっ……マンガ家になれってこと……ですか?」
今更敬語なのは、まあいいとして。
「いや、それは一例。要するに、二次元好きを活かした職業を狙う。
今の時代、職業難だから、一流大学に入っても就職浪人なんてことはよくある。
マンガ家になれれば、その心配はない……とまではいわないけど、
一つ道が開ける」
「マンガ家なんてなれない……です」
「じゃ、小説家でもいい。空想を活かして」
「……」
黒羽根さんは戸惑っていた。
当然だろう。
彼女は、リア充になりたいと言ってここへ来た。
そして、リア充のイメージを胡桃沢君だと言っていた。
彼女は美人だ。
茶目っ気もある。
校内での彼女のイメージは、そんな表層的な部分がクローズアップされているんだろう。
となると、黒羽根さんはどうなりたくてここへきたのか。
きっと、かわいくなって、社交的になって、チヤホヤされる方法を提示されると思ってた。
でもそれはムリで、適当にメイクされて、着飾られて、それほど見栄えする
訳でもないのに『きれいになったじゃない! これでモテるよ!』とか言われて、
内心猜疑に満ちていながらも『はい、ありがとうございます』と言って終了。
――――そんな想像をしていたのでは、と推測する。
それなのに、俺が提示したのは、彼女の現在の趣味特技を活かした将来設計。
まるで別の案件だ。
憤りというより、混乱してるだろう。
コレの何がリア充なんだろう、と。
じゃ、説明入りまーす。
「君が今、モテたいと思ったり、リア充に憧れてたりしてるのは、今の自分が嫌だから。違う?」
俺の問いに、黒羽根さんは素早く首肯した。
きっと、ずっと持っている劣等感がある。
それが――――喪女というレッテルだ。
誰が張ったわけでもない。
ネット上にあった言葉を、自分に貼った。
それだけだ。
「でも君は、今の自分の生き方が嫌いでもない。書いてたでしょ。
妄想は好きだから生きてるって。ブチ壊したくはないんだよね? 今の自分を」
「……」
返答はない。
でも、明らかに彼女は動揺していた。
動揺は図星の証だ。
嫌いなのに、壊したくはない。
何故か?
簡単だ。
今の自分を嘲笑したり、見下したりするであろう世間が怖い。
でも、空想や二次元愛については失いたくない。
決して、相反しない思い。
結果、彼女は苦しんでいる。
モテない自分。
だから二次元に染まった自分。
そこで空想に浸り、現実から目を背ける自分。
それでも――――楽しいと思う自分。
この歴史は、間違ってはいない。
なら、活かそう。
間違ってない歴史なら、今後に活かせるはずだ。
その道は、彼女にとって充実した道なんだから。
「壊さなくていいよ。女として終わってるかどうかは、進んでみなきゃわからない。
仮に終わってたとしても、人間としては終わってなんかない。
生きる価値はいくらでも見つけられる。今のままの君でも」
「終わって……るんです。私は」
「世の中、『終わってる』って自分をいいながら、そんな自分の進む道を好きな人は
たっくさんいるよ。割と人間って、そういうトコあるんだ」
斯く言う俺も、その一人。
高校生で探偵。
カッコいいじゃん、って思われるかもしれないけど、
実際には浮気調査やら高校生の相談やら、そんな仕事ばっか。
将来なんて見えてこない。
でも、この人生、なかなかに好みだ。
「あ、あの……いいですか」
ようやく緊張が多少ほぐれたのか、胡桃沢君が挙手してきた。
「私も、詳しく喪女のことを知ってるわけじゃないんですけど、
もしその喪女っていうのに劣等感とか、敗北主義的なものを感じてるのなら、
抵抗してみてはどうでしょうか」
「抵……抗?」
胡桃沢君の言葉に、黒羽根さんはピクッと身体を動かした。
抵抗って言葉がなんかお気に召したらしい。
「はい。例えば、喪女だけど清潔にする、とか。喪女だけど身なりはちゃんとする、とか。
それで喪女じゃなくなる、っていうんじゃなくて、普通のイメージとは違う
小ぎれいな喪女を目指すとか、そんな感じでいかがでしょう」
「小ぎれいな喪女」
「そうです。小ぎれいな」
それは――――胡桃沢君なりに考えていたことなんだろう。
きれいと言えば、カドが立つ。
外見へのコンプレックスがある彼女へは刺激が強い言葉だ。
小ぎれいなら、意味合いが違ってくる。
失礼に当たるギリギリのラインだ。
要は、女性として、或いは人間として、ちゃんとした部分をしっかり持っておいて
尚且つ趣味に走る、ということ。
喪女というと、不潔だったり美意識に頓着なかったりする……っていう
イメージに縛られず、ちゃんとするところはする。
当たり前のようで、中々難しいリクエストだろう。
「……わ、わかりました。やってみま……す」
「うん。いろいろやってみてよ。清潔にするのもそうだし、自分なりにちょっと
攻めてみたり、それで空振りしたらしばらく休んでみたり。
いろいろやって、今を変えたり変えなかったりして、そうやって模索していけば、
自然と自分の存在価値なんて意外とそこにあるもんだったりするから」
トライ&エラー。
どうしてもエラーの部分にある羞恥やムダに辟易してしまう。
でも、エラーなんて実は1日寝れば結構忘れられる。
そうじゃなけりゃ、人間の平均寿命が80を超えない。
人間の忘却機能は、これでいて中々優秀だ。
「以上が、はざま探偵事務所の見解です。そんじゃ、また何かあったら
気軽にお声をかけて下さい」
「はっ! ……はい。料金は……」
「トータル1時間以内なので、無料です」
「あ……ありがとうございます」
最後まで恐縮したまま、黒羽根さんは帰って行った。
ちなみに――――この名前は本名だったらしい。
彼女なりに、強い決意を持って相談までこぎつけたんだろう。
応えられたのならいいけど。
「……私、もう少しあがらないようにしないと」
「そだね。緊張しいってキャラは万人受けするけど、実務には邪魔だし」
「キャラ付けのつもりじゃないです! もう……」
オオカミ耳をピコピコさせて怒る胡桃沢君を適当にいなし、
俺はこの日の業務を終えた。
1週間後――――
「所長! 大変です!」
バタン! と事務所の扉を豪快に開け、制服姿の胡桃沢君が飛び込んで来た。
「な、何。トリプル密室殺人事件でもあった?」
「違います! 黒羽根さんが……」
「あ。その後どうなった? 髪とか切って清潔な感じにして、
クラスで一目置かれてるとか?」
「はい、一目置かれる存在に!」
おおっ!
そんなマンガ的な展開はないだろなー、とか思ってたけど、案外いけたか?
胡桃沢君案、きれいな喪女。
その上で、喪女である自分を肯定する何か目標みたいなものがあれば完璧だ。
俺はマンガ家とか小説家とかを例に挙げたけど、そっちの道を目指していけば
自分に自信も持てるだろうし、いろいろ解決だ。
聞こうじゃない。
彼女が、何を選んだのか。
充実を得る為、彼女は一体どんな選択をしたのか――――
「それが、顔にペイント的なメイクをして、誰だかわからない風貌に!」
……はい?
「それで、スケッチブックに何か自虐的な絵を描いてるんです。首つりとか……
私にはよくわからないんですけど、何が一体どうなって?」
「……どうしてそっちに攻めた?」
いや、確かに二次元関連の手法で一定の成功を収めてるけど、鉄拳。
そこを目指すかー……
「あの……私達、助言を間違えたんでしょうか」
「本人が楽しそうなら、いいんじゃないの」
まあ、容姿の劣等感を消去しつつ、自分の趣味特技を活かしているって
意味では、昔パラパラ踊ってたギャルと変わらないのかもしれない。
そうか……喪女の生きる道の先に、ギャルと鉄拳がいるのか。
いや、勉強になった。
「あれって、呪いか何かのメイクなんでしょうか……」
胡桃沢君は、最後まで元ネタがわかってなかった。
将来、彼女が書いたマンガが洋楽のPVに起用されて評判に――――
なんて未来が待っているかどうかはわからないけど。
喪女の未来に幸あれ。
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