三和さん。
白鳥三和さん。
私の声が、あなたに聞こえているでしょうか?
話したいことが、たくさんあります。
抜粋する事もできないくらいのめいいっぱいの想い出たち。
あなたが私の傍にいてくれたから、私の記憶は優しいままでいられました。
もしあなたがいなければ、嵐のような日々にじっとしながら部屋の隅で堪え忍んでいたでしょう。
けれども、いつかは別れる時が来るのは必然で、そんな日がくるのを覚悟しなければ。
あなたは私だけれど、私ではない存在なのですから、いつか消えてしまう。
だから私は、あなたが私の中に残って、一緒に笑い合える未来がくるか、試したい。
その為には私一人の力では難しく、他の人の力を借りないと、成功しないでしょう。
なので、以前お世話になったあの探偵さんの力をお借りできないか、頼んでみるつもりです。
あなたの名前を呼んで下さい。
そうすれば、想いは積み重なり、この謎が解けると思います。
成功を祈って。
「……これをどう思う?」
女は挑発するような口調で問いかける。
俺はというと、彼女に手渡された紙の文面よりも、彼女自身の表情に目を奪われていた。
その相貌に浮かび上がっている、形容の困難な感情をどうにか解析しようと。
けれど、彼女は一流の怪盗であるかのように、中々読ませてくれない。
室内の空気は冷え切っていて、緊張感を伴っている。
俺はそんな時間を、少しだけ、ほんの少しだけ楽しく思っていた。
――――そんな状況に到る、2時間前。
「ではこれより、第一回『自分のキャラを開拓しよう会議』を開きます」
勢いのない拍手が事務所内に響く中、俺は淡々とした進行を務めながら
巨大なホワイトボードをソファーの傍まで運んできた助手、
胡桃沢君にジト目を向けていた。
あ、毎度の自己紹介が遅れてしまった。
【はざま探偵事務所】現所長、狭間十色だ。
一時は助手2号の募集が必要かも、ってくらい忙しい事もあったんだけど、
現在は依頼が一週間に一件入るかどうかってくらいの閑散とした事務所で
ひっそりと糊口を凌いでいる最中。
暇すぎて、今日が何曜日かも把握してないくらいだ。
さて。
そんな我が事務所には今、実に4人もの女子が屯している。
我が助手の胡桃沢水面。
その友人で解離性同一性障害(二重人格者)の白鳥和音。
マンガ家の清田りりりり先生。
そして、最近依頼をしてきた喪女、黒羽根螺旋こと黒羽根留美音さん。
螺旋ってのは偽名だったらしい。
なんでも、留美音(これでルミネと読むらしい)ってのが
某ショッピングセンター……じゃなく某お笑い専門劇場の名前と被ってて
コンプレックスがあるってんで、キラキラなハンドルネームを使っていたらしい。
まあ、気持ちはわからないでもないけど、それは今はどうでもいい。
こんなヘンテコリンなメンツが事務所に集まっているのは、
我が事務所に依頼を……って訳でもなく、単に話し合いをしに来ただけとの事。
なんでも、胡桃沢君が呼びかけたらしい。
女4人の中に俺が1人。
肩身が狭いぞ。
所長なのに。
「所長! 何ボーッとしてるんですか! 会議に参加して下さい!」
「いや、何の会議なのかもよくわかってないんだけど……」
「私のキャラを固める為の重要会議です!」
……あー、今まで散々キャラが薄いってからかってきたモンだから、
それがコンプレックスになっちゃってたのか。
にしても、会議はやり過ぎだ。
「あのね、胡桃沢君。キャラなんて作っても仕方ないと思うんだ。
君は別にテレビに出たり劇場で腱鞘炎になったりするお仕事を
してるわけじゃないんだから、素のままでいいだろ?」
「イヤです。これ以上所長に薄い薄い言われたくありません」
トレードマークのオオカミ耳がピコピコ動く。
……これも、もう見慣れちゃったよなあ。
「なんですか、その『まだそのネタやってんの?』って言いたげな
旬を過ぎた芸人でも見るような目は」
「いや、それ被害妄想。ってか、無理してキャラなんか作っても痛々しいだけだってば」
「このまま小馬鹿にされるよりマシです」
胡桃沢君の目が据わっている……。
仕方ない、少しだけ付き合うか。
「今日、皆さんに集まって貰ったのは他でもありません。私こと胡桃沢水面が
キャラ薄いとか探偵の助手っぽくないとかチェンジとか言われる事のないよう、
ドッシリと構えて日々を過ごせるようなキャラを提案して欲しいんです」
「……帰りたいにょん」
「和音ちゃんダメ! 貴女が頼りなんだから!」
冷めた気持ちなのは俺だけじゃないらしく、胡桃沢君の友人である筈の
白鳥さんは心底イヤそうな顔でソファーに腰かけていた。
学校帰りなんで制服姿のまま。
とはいえ、彼女がいるのはまだわかる。
友達だし。
問題は残りの2人だ。
「ああああああの、ななななななんで私がここへ呼ばれたのでしょう」
清田りりりり先生は若干怯えつつ、胡桃沢君へ問う。
それに便乗し、隣の黒羽根さんもコクコクと頷いていた。
この2人、率先してこういった場には来そうにない人間の代表だからなあ……
「そっちのお2人は、濃いキャラの見本としてお越し頂きました。
特に清田先生はマンガ家なので、キャラ付けのプロフェッショナルとしての
的確な助言や提案を期待しています。場合によってはアドバイサー契約を
交わしてもいいと思ってるくらいです」
「そそそそそ、そういうのはちょっと……」
我が敬愛するりりりり先生が狼狽えている。
とはいえ、今の胡桃沢君に何を言っても馬耳東風。
俺がヘンにいじりすぎた結果、無関係の彼女達にまで飛び火してしまった。
あんまり人をからかうのはよくないって風潮の今の時代、俺の行為は
どうやらいき過ぎてしまったらしい。
反省せんと。
「そういう訳で、これから私のキャラへどんどんキャッチーな肉付けをしていきます。
4つのカテゴリーを用意しましたので、順番に見ていきましょう」
そう告げつつ、胡桃沢君はホワイトボードに勢いよく文字を連ねていく。
1.外見
2.言葉遣い
3.属性
4.生い立ち
「……おい。その4番目のは設定にしちゃダメだろ。経歴詐称だぞ」
思わずツッコんでしまった後で、気づく。
彼女には、余りハッピーになれない過去がある。
或いは、それをリセットする為の提案なのかも……
「経歴詐称、上等です!」
……そう深く考えるのが馬鹿らしくなってくるほど、胡桃沢君は
拳を振り上げて力説した。
どうやら、本気で自分のキャラをねじ曲げる気満々らしい。
にしても、経歴詐称はやり過ぎだが。
「清田先生にお伺いします」
そんな俺の思慮を無視し、胡桃沢君はりりりり先生にキッと目を向ける。
「はははははははい、なななななんでしょう」
「キャラを濃くする上で、この4つ以外に何か必要なコンテンツがあるでしょうか」
「えええええええと、生い立ちの設定変更はさすがにナシだと思います3次元空間では。
そそそそそそその代わりに、パーソナルデータを追加するといいんじゃないでしょうか」
「パーソナルデータ?」
全員の目がりりりり先生に集中する。
「あああああああの、多人数に見られると顔が火照ってしまいますので……」
あがり症のりりりり先生は縮こまってしまった。
「つまり、特技とか好物とか交友関係とか資格とか成績とか、って事だと思うにょん」
「むむむ、成程。ではそれに書き換えます」
白鳥さんの指摘に、胡桃沢君はテキパキとホワイトボードの4のカテゴリーを
書き換えた。
っていうか……探偵助手なんだから、もっと自分で考えろ。
俺がフォローしたんならまだしも、普通の学生の白鳥さんにフォローされてどうする。
どうも彼女は、探偵助手としてのイロハに欠けている。
それが、彼女を没個性にしてしまっているのかもしれない。
ってか、俺自身が全く探偵っぽくないのが原因だ。
せめてパイプ咥えたり、変装名人だったり、メガネかけて子供になったり
した方がいいのかもしれない。
その気は一切ないけど。
「ではでは、この4つを軸に、私のキャラをより濃く、よりキャッチーにしていきます。
皆さん、どうか知恵を貸して下さい」
ペコリと一礼する胡桃沢君。
ここに集まった3人は、それなりに彼女(っていうかこの事務所)に恩がある所為か、
乗り気でないにしても断る事はしなかった。
それにしても……
「いかにも流されやすそうなりりりり先生はともかく、黒羽根さんがここへ来たのは
意外だな。っていうか、鉄拳の真似はやめたの?」
現在の彼女の風貌は、最初にここを訪れた時とほぼ同じ。
黒い服一式で身を固め、髪はボサボサ。
目の下のクマはいっそう濃くなった印象を受ける。
「……今は、こういう格好が追い風らしいから」
「どこ情報だよ」
「アニメ化もされる」
「だからどういう系列の情報だよ」
なんかよくわからないけど、喪女に風が吹いているらしい。
そんな筈もないんだけど。
「で、結局君は何を目指す事にしたの?」
「……小ぎれいなマンガ家。アシなしの」
チラリと隣を見ながら。
ああ、りりりり先生の影響か。
まあ……女版鉄拳よりは現実的か。
「それか、小ぎれいな在宅ライター」
いずれにしても、人と交わらない職業がお望みらしい。
この場にいる時点で、そこまで人嫌いってワケでもないだろうに。
「では、まずは外見!」
こっちの会話を無視し、胡桃沢君はバシッとホワイトボードを叩いた。
「自分の事だと緊張しないんだなあ。黒羽根さんへのプレゼンの時は『うあ』しか
言ってなかったのに」
「うるさいですよ、所長」
すっげー睨まれた。
「これに関しては、私は当初から意識してました。その結果がコレです」
モコモコのオオカミ耳を指差す。
まあ、確かに個性的ではある。
けど……
「あざとさが先立って、不快感しかないにょん」
白鳥さんの言う通りだった。
「うっ……だ、だったらどんな格好がいいんですか。可愛くて、同性受けもよくて
サラッとした感じで個性を出せる外見って何ですか、清田先生」
「えええええええええ? わわわわわわわ私ですか?」
狼狽しているりりりり先生に、再び視線が集まる。
とはいえ、コレは仕方がない。
キャラの外見ってのは、マンガで一番大事な所。
シルエットだけでキャラが判別できるくらいのわかりやすさがなければならない世界だ。
「ええええええと、くくくくく胡桃沢さんの場合は体型的にノーマルというか
普通な感じなので、むむむむむ難しいですね」
真面目に検討し始めたあたり、彼女も相当律儀だと思う。
ちなみに、現在彼女は月刊少年マチュピチュで『ギャッピング・ガール』という
マンガを連載中。
男性受けが極端にいいらしく、割と人気上位をキープしているらしい。
「そそそそそれでは、いいいいいいつも『ナニカ』を持ち歩いている、など如何でしょう」
「ナニカ?」
「ははははははい。その何かは、胡桃沢さんに縁があり、かつ外見でインパクトのあるモノ。
そこに1エピソードあれば、キャッチーかつ意義深いアイテムになり、それによって
外見の弱さ……もとい、個性も補強できます」
何気に毒吐き――――って訳じゃなく、『外見の弱さ』ってのは胡桃沢君を
マンガのキャラとして考えた結果、出てきた言葉なんだろう。
なにしろ現実と違って、マンガは美男美女の存在比率が異様に高い。
美女ってだけじゃ個性にすらならない世界だ。
フツーにしてりゃ、胡桃沢君は十分個性的な部類に入る学生だと思うんだけど。
「アイテムですか……例えば、でっかいリボンとか?」
「りりりりりリボンの大きさにもよります」
「私の身体より大きいくらい?『こっちが本体じゃね?』とか言われるような」
「そんなリボンを学校にしていったら、怒られるにょん」
白鳥さんの現実的な指摘に、胡桃沢君が項垂れる。
っていうか……オオカミ耳は怒られないのか?
「……」
で、喪女の黒羽根さんは一切会議に参加せずに表情を凍らせ
虚空の一点をジーッと眺めている。
まるで無理に新歓コンパに参加させられた内気な新入生だ。
でも、彼女は(止めたとはいえ)自分変革を行った、いわば胡桃沢君の先輩。
一家言あるかもしれん。
「黒羽根さんはどう思う?」
「!」
こっちが言い終わる前にビクッとした。
反応が過敏なのは、普段あんまり他人と会話してない所為か。
前回の訪問の時には、それなりにちゃんと会話できてた気がするんだけどなあ。
「いや、胡桃沢君経由で聞いたんだけど、黒羽根さんも一回外見変えたんでしょ?
その時の経験を踏まえて、アドバイスしてもらえないかなと」
「アドバイス……私が?」
ビクビクしながら、俺を睨んでくる。
いや……睨んでるって意識じゃないんだろうけど、顔に力入りすぎて
眼輪筋が強張ってるからどうしてもそう見える。
それを和らげるだけでも、印象は大分変わりそうだけどなあ。
「えっと……その……奇抜なのは止めたほうが」
割と普通な意見だった。
いや、でも大事だ。
マンガとは違って、現実に奇抜な外見をしても大抵引かれるだけだしな。
あのオオカミ耳も、多分そこそこ引かれてる気がする。
引かれてるのに地味って最悪だな……
「奇抜なのはダメ……メモメモ」
真剣な顔で、胡桃沢君はほぼ当たり前の意見をメモしていた。
相当追い詰められてるな、こりゃ。
「あのな、胡桃沢君。外見ってのは、気を引けばいいってもんじゃないぞ。
自分の内面や特徴をわかりやすく他人に知らせるのが第一だ。
好きな色とか、好きなアクセサリーとか。他人の目を気にして外見を選ぶ
ヤツにはロクなのいないぞ」
「賛成にょん。あざといのはダメだにょん」
「そそそそそそうですね。わわわわわ私もそれがいいと思います」
俺の意見に、白鳥さんとりりりり先生も乗っかってくれた。
「そうですか……となると、どんな外見がいいのでしょう」
胡桃沢君は迷える仔羊の目で俺に助言を請う。
よし、ここは上司らしく期待に応えよう。
彼女の特徴は――――
「まあ探偵助手だよね」
「女子高生の探偵助手って、現実には滅多にいないにょん」
白鳥さんの言う通り。
創作物ならともかく、女子高生の探偵助手が現実にいるなんて事はまずない。
……十代の探偵も似たようなモノだけどさ。
「でもでも、助手のコスチュームってどんなのがパブリックイメージなのか
わかりません。秘書的な感じですか?」
秘書か。
メガネにタイトスカートのスーツ、髪をアップにしてヘアピンで留めて……
「にににに似合いそうだけど、たたたたた探偵助手とは違う気がします」
りりりり先生が率先して意見を述べてくる。
意外にもノリノリらしい。
「りりりり先生は探偵助手の格好、どんなのがいいと思います?」
「わわわわわ私のお友達の小説家の方が以前、たたたたた探偵モノを描いていたので
参考にしてみては如何でしょう」
「成程。ネットで探してみましょうか」
本当は、まんま探偵の助手の格好を検索すればいいんだろうけど、
まあ見つからない。
というか、ほぼ二次元創作物の映像しかヒットしない。
しかも、これという決まった格好も見当たらない。
なので、りりりり先生のご友人の作品を参考にしてみた結果――――
「……黒いドレスにフワフワのスカート?」
ゴスロリじゃん。
「タイトルは『俺の助手がゴスロリの格好で踏みつけて来る事件簿』。
最後に事件簿ってつけりゃいいってモンじゃないと思うんだが」
「でででででも、けけけけけ結構ヒットしたんですよ」
したのかよ。
内容読んでないから無闇に批判もできやしない。
「……という訳なんだけど、胡桃沢君、ゴスロリはどう?」
「割と正装っぽくてイイ感じです」
ノリノリだった!
うーん……まあ、似合うっちゃ似合うし、個性的ではあるけど
なんというか、コスプレ感がハンパなくて探偵助手ってよりお水っぽいんだけど……
「っていうか、黒羽根さんの格好と似てる気がしないでもないにょん。
あ、初めましてにょん。白鳥和音っていうにょん」
「……あ……は……はじめまして……黒羽根です」
白と黒の間には無限の溝が広がっていた。
ここにきての自己紹介かよ……いや、別にいいけど。
「彼女の格好を参考にするといいにょん。喪服みたいだけどにょん」
「そうですね……良い感じです。黒羽根さん、参考にさせて頂きます」
「う……あう……」
挙動不審ながらも、黒羽根さんは満更でもなさげ。
何気に全員が戦力になるという、無駄のない会議が繰り広げられていた。
で――――次は言葉遣い。
あ、ここからは長くなるんでダイジェストでお送りします。
「語尾に何かつけるといいにょん」
という、説得力ありまくりな白鳥さんの意見に従い、胡桃沢君は語尾に
『〜だぞっ』とつける事になった。
「所長、どうですか? だぞっ」
「いや、使い方おかしいから」
マスターするまで100年くらいかかりそうだけど。
次は属性。
「……属性は内面とリンクしないとただの記号で終わってしまうから、
性格とかを考えた方がいい、と思います」
という、これまた説得力ある黒羽根さんの意見に従い、
胡桃沢君は『ヤンデレ』属性を新たに身につけた。
ホラ、最初は人類滅亡とか言ってたし、ピッタリ。
「……ピッタリ、かなあ」
「だぞっ、をつけるにょん」
「ピッタリかなあ、だぞっ」
「だぞっ、の所で拳をグッと握ると萌えるかもにょん」
白鳥さんもいつのまにか乗り気になっていた。
だが、あいかわらず使い方はおかしい。
で、最後のパーソナリティ。
「くく胡桃沢さんは趣味とか特技がありますか?」
リラックスしてきたのか、割とドモリが減ってきたりりりり先生の質問に、
胡桃沢君は顎に指を起きながら思案顔。
割と長い間彼女と接しているけど、趣味特技ってのはあんまりピンとこない。
料理をはじめとした家事全般が格別上手いわけでもないし、
何かに夢中になってる場面も見た事がない。
隠された彼女のプライベートに、ついにメスが入る!
「可愛いぬいぐるみとか動物のアクセサリーを集めるのが趣味です」
……普通だった。
っていうか、ちゃんと推理しようぜMr.myself。
探偵なんだから。
「ででであれば、もっと可愛らしさを前面に出していきましょう。
外見はゴスロリファッションでも、カラフルな色彩にして、
声も高めに。あと、ブログを開設して、独自の言語を開拓するとか」
「なんか段々きゃりーぱみゅぱみゅに近づいてる気が……」
俺の呟きを無視し、女子4人は各々いろんな意見を出し合い、
胡桃沢君のキャラ付けを楽しげに行っている。
あの黒羽根さんですら、いつの間にか輪の中に加わって。
ガールズトーク――――とはちょっと違うけど、それなりに楽しそうだ。
ま、偶にはこんな日常もいいだろう。
こんなのばっかりじゃ困るけど。
依頼、来ないかなあ……
――――と、そんな騒がしい時間が終わり。
いつのまにか夕刻。
でも、この日はまだ終わらない。
むしろ、ここまでが前座だと知ったのは、この少し後。
胡桃沢君、りりりり先生、黒羽根さんの3人が帰った後だった。
「ったく……女子3人で姦しいっていうけど、4人揃うと姦しいどころじゃないな」
思わず本音を漏らしながら、玄関口を背に事務所を見渡すと、
ソファーにはまだ白鳥さんが残っていた。
「あれ? みんなと一緒に帰らないの?」
そう疑問を唱えつつ、俺は白鳥さんの変化に気づいていた。
白鳥和音よりも、大人びた表情。
愁いを帯びた、それでいて優しげな眼差し。
「ええ。貴方に話があるから」
「……三和さん、か」
彼女の語尾から『にょん』が消えているのが、何よりの証拠。
今の彼女は白鳥和音ではなく、白鳥三和。
ちなみに、三和は『みわ』ではなく『みか』と読む。
「俺に話? まさか、また両親が暴走し始めたとか……」
彼女は昔、両親から虐待を受けていた。
その苦痛から逃れるため、別人格を形成した。
それが三和。
解離性同一性障害による、新たな人格だ。
「今は監視されてる状況だから。そんな度胸、あの人達にはないでしょ」
肩を竦め、三和は嘲笑する。
ヤンキー町長こと小田中加奈枝さんの尽力によって、彼女の両親は
二度と狼藉を働かないよう、定期的に市の職員によって監視されている。
だからこそ、俺はあの件に安心して『解決』の印を押した。
その事件の報告書には『コイワズライ』ってタイトルつけてるんで、
興味のある人、忘れた人は一度読み返してもらえると嬉しい。
「だったら、何の話かな? 胡桃沢君の友達から相談料とる気はないから
長話だろうと雑談だろうと何でも応じるけど」
「アフターケアもちゃんとしてんのね。優しい探偵さん」
以前対峙した時も感じていた事だけど――――
彼女の雰囲気は、主人格の和音よりかなり大人びている。
さしずめ、妹を守る姉――――そんな感じだ。
「相談したい事があんの」
ちょっとスレた物言いで、三和は制服のポケットから紙を取り出した。
そして、そのまま俺に手渡してくる。
三和さん。
白鳥三和さん。
私の声が、あなたに聞こえているでしょうか?
話したいことが、たくさんあります。
抜粋する事もできないくらいのめいいっぱいの想い出たち。
あなたが私の傍にいてくれたから、私の記憶は優しいままでいられました。
もしあなたがいなければ、嵐のような日々にじっとしながら部屋の隅で堪え忍んでいたでしょう。
けれども、いつかは別れる時が来るのは必然で、そんな日がくるのを覚悟しなければ。
あなたは私だけれど、私ではない存在なのですから、いつか消えてしまう。
だから私は、あなたが私の中に残って、一緒に笑い合える未来がくるか、試したい。
その為には私一人の力では難しく、他の人の力を借りないと、成功しないでしょう。
なので、以前お世話になったあの探偵さんの力をお借りできないか、頼んでみるつもりです。
あなたの名前を呼んで下さい。
そうすれば、想いは積み重なり、この謎が解けると思います。
成功を祈って。
――――紙にはそう記されていた。
「……これをどう思う?」
挑発するような、小悪魔的な表情。
探偵である俺を値踏みするかのように。
俺は少し高揚する気分を抑えつつ、もう一度文面に目を向けた。
体裁は、手紙。
三和へ向けて綴られた手紙だ。
差出人は記されていない。
中身を読むと――――三和への想いと、彼女の未来への憂慮が書かれているのがわかる。
重要なのはこの部分。
『あなたは私だけれど、私ではない存在なのですから、いつか消えてしまう』
これが何を意味するのかは想像に難くない。
人格の消失。
そして、差出人は……彼女の主人格である――――
「白鳥さん……和音からの手紙」
「でしょうね。あたし達が二重人格者だって知ってるのは、貴方と胡桃沢さんしかいない。
貴方か胡桃沢さんがこんな手紙書いたとしたら、手の込んだイタズラって事になるけど……」
「いくら暇な事務所でも、そんな酔狂な真似はしない」
和音になりすましての手紙なんて、書く意味がない。
「だから、和音からって事を前提で話すけど……この手紙、おかしいと思わない?」
三和の言う通り、内容には少々腑に落ちない点がある。
問題は後半だ。
いつか三和の人格が消える日が来る――――これは理解できる。
白鳥家の案件以降、俺は解離性同一性障害について多少だけど調べてみた。
この障害によって生まれた新人格は、時の経過によって消失するという
例が少なからず存在しているからだ。
明確な治療方法は確立されていないし、人格の消失するメカニズムも
ハッキリとはしていないけど、消える時には自然に消え行く。
それが、解離性同一性障害によって生まれた人格の定め。
白鳥三和という人物は、いつかこの世から去って行く。
もっとも、それは命ある人間の宿命と同じ。
寿命って事だ。
「問題は……この文だな」
俺はその次の文章に目を向けた。
『だから私は、あなたが私の中に残って、一緒に笑い合える未来がくるか、試したい』
つまり、その自然の消失を防ぐ為に、和音が何かを試している、って事だ。
あの語尾に『にょん』とか付けている女が、こんなシリアスな文章を
書いてるってだけでも妙な話だってのに、人格消失を防ぐ為の試みを考えてる、だと?
しかも、その後に続くのが、俺への協力要請だ。
「……探偵さん。貴方、和音に何かロクでもない事、吹き込んだりしてないでしょうね」
「この文面だとそう疑われてもおかしくないけど、完全否定だ。
そもそも、俺は彼女とそんなに親しくもない」
胡桃沢君の友人となった和音は、たまに事務所に遊びに来る。
けれど、会話の多くは取るに足らない雑談だし、そもそも俺は仕事があるから
彼女の相手は胡桃沢君が殆どやっている。
仲の良さって点では、他人に限りなく近い。
「そう。だったらいいけど……どうにも奇妙なのよね。大体、あたしの消失を
探偵さんと協力してどうにかできる、なんて考えるのは不自然だし」
「それに関しては同感だけど、俺にも解せない事が一つある。お前に対して」
「何?」
「なんでそれを、和音に聞かないのか。俺に聞くよりよっぽど意味があるだろ?」
差出人が和音なのは明らか。
別に彼女が悪巧みをしているとも思えない。
だったら、直接本人に聞けばいい。
人格が同時に出現しないのなら、時間差での筆談でもいいだろう。
つまり、三和の人格の時に、和音へ向けて置き手紙を書けばいい。
「……シカトされてんのよ」
「シカト? 紙に書いても無視されてるのか?」
「ええ。他の事には答えるのに、この件は完全スルー。何かあるって
思わない方が不自然でしょ」
苛立たしげに吐き捨てる三和は、まだ俺が裏で糸引いてるんじゃないかと
いう疑惑の目を向けてくる。
やれやれ……いい迷惑だ。
「わかったよ。そんじゃ、濡れ衣を晴らす為にも、事情徴収といくか。
和音を出してくれ」
「そんな簡単に人格交代はできないのよ。あたし達の場合」
解離性同一性障害によって多重人格者となった場合、その人格同士の
意思の疎通がどの程度できるかは、個人差があると言われている。
例えば、現在表に出ている人格が、他の人格に対して直接話しかける事が
できる人もいれば、そうでない人もいる。
中には一切コミュニケーションが取れない人もいる。
また、これらが段階的に訪れるというケースも少なくない。
最初は意思の疎通ができず、別人格の存在自体が曖昧だったけど、
徐々に別人格との会話ができるようになった……ってのは、むしろスタンダードな
プロセスと言えるだろう。
彼女等の場合は、他の人格に切り替わっている状態だと、表に出てない方の
人格の記憶がない。
つまり、寝ている状態だ。
だから、意思の疎通は不可能……って事になる。
ある意味、わかりやすい。
「自由に人格の切り替えができないのか。面倒だな」
「……って言いながら、何用意してんのよ。その金槌は何?」
「大抵、こういうのって気絶したら人格切り替わるだろ?」
というワケで、実力行使――――
「傷害罪で逮捕されるに決まってんでしょ、そんなの! アホなの!?」
――――とはならず。
さすがに焦った三和の顔に満足し、俺は金槌を置いた。
「それに、仮に和音に貴方が聞いても、答えてくれない気がする。
あの子、感情を表に出さないし。秘密主義的な所あるから。根は素直なんだけど」
「まあ、解離性障害になるくらいだから、そうなんだろうけど」
素直だから、外部による刺激、負荷によって多大なダメージを受けやすい。
結果、障害という形になってしまう。
これも、解離性同一性障害のスタンダードの一つだそうな。
「だから、この文面だけで解決して欲しいんだけど……無理?」
三和はこれまでにない、真面目な顔で俺に懇願してきた。
無理……と聞かれれば、無理とは言えない。
探偵なんてやってる以上、依頼されれば答えるのが運命だ。
「……今まで触れなかったけど、最後の3行も妙だ」
「ええ。あたしもそう思う」
『あなたの名前を呼んで下さい』
『そうすれば、想いは積み重なり、この謎が解けると思います』
『成功を祈って』
この謎、というのが妙に浮いている。
文面通りにとれば、この手紙は単なる表明じゃなく、謎かけって事だ。
あえて今まで触れなかったのは、この部分に関しては
和音じゃなく三和が書いた可能性があったから。
つまり、三和が俺に依頼するにあたって、俺宛に『この謎が解けるかな?』という
意味を込めて綴ったメッセージかも、と思っていたからだ。
でも、そんな説明は彼女の口から出てこなかった。
って事は、ここまでが和音の書いた手紙、って事になる。
「あなたの名前、ってのは三和の事だよな」
「……いつから呼び捨てされるような仲になったの? あたし達」
「今のは正確に言うと『あなたの名前、ってのは三和という名称の事だよな』だ。
便宜上省略したけど」
「ふうん。ま、いいけど」
妖しげに微笑むあなたの名前は、和音の時とはまるで別人。
年齢は胡桃沢君と同じなのに、男を惑わすような表情だ。
もし彼女が初対面で、正式な依頼人だったとしたら、惑わされてたかもしれない。
「三和って名前を呼ぶ事に意味があるのか?」
「そういう事になるでしょうね。でも、次の『想いが積み重なり』……ってのは
どういう事?」
「さあな。謎が解けるらしいぞ」
正直、全く意味がわからない。
いや……待てよ。
「……」
俺が瞼を落としてジト目になるのとほぼ同時に、向こうも同じ顔つきになる。
名前を呼ぶ。
想いが重なる。
これって……
「ねえ。これってまさか、あたし達をくっつけようとしてない?」
「なんか俺もそんな気がしてきた」
俺が三和の名前を呼ぶ。
想いが重なる。
謎が解ける……つまり、想いの正体に気づく。
成功する……つまり、恋が発展する。
こう解釈すれば、意味は通じる。
となると、前提として――――
「いや、全然違うから。別にあたし『この胸のモヤモヤは何? あたし探偵さんに
恋してるんじゃないのかしら?』とか、思ってないから」
「それは見ればわかるし、そもそも俺もそんな解釈した事ない」
大体、彼女の人格と会うのは事件依頼だ。
恋も何もあったもんじゃない。
とはいえ――――解釈としては、筋が通っている。
文章の本編は、彼女を俺と引き合わせる為のギミック。
こう書けば、三和は俺の所に来て話を聞こうとするだろう。
そして、その後の3行は――――三和に対するメッセージ。
恋を後押しするという。
だが、実際には三和は俺に対して何の感情も抱いてない。
よって、和音の一人相撲。
なんてグダグダな結論なんだ……
「謎は全て解けた、ってトコ?」
「一番の謎は、どうして和音がそんな誤解をしたのかって所だな……」
俺の呟きに、三和は肩を竦める。
「ま、確かに事件の後、貴方の事を褒めたような記憶はあるけど。
それだけで恋とか言われてもね。まさかあの子がこんなに勇み足のお節介焼きなんて
思いもしなかった」
「そりゃこっちの科白だ」
しかも俺、フラれたみたいになってるし。
「ったく……今日は災難だな。胡桃沢君のヘンなキャラ会議に付き合わされるし
なんか勘違い野郎みたいな扱い受けてるし……依頼もこないし」
「依頼人ならいるじゃない。ホラ」
悪びれもせず、三和は自分を指差す。
「だったら依頼料とるぞ?」
「一度言った事を撤回するなんて、探偵さんらしくないねー」
「ぐっ……」
半眼で妖しく微笑む三和に、俺は歯軋りを禁じ得ない。
「それはともかく、キャラ会議って何?」
「さっきやっただろ……って、そうか。あの時は和音だったのか」
とっととお帰り願うべく、掻い摘んで説明。
すると――――三和の顔色が少し変わった。
「そっか。胡桃沢さんもそんな苦労してんだ」
「なんだよ急に。真面目な顔しても似合わないぞ」
「失礼ね。それは和音」
アンタも十分失礼だ。
「胡桃沢さんの気持ち、わかるって事。ほら、あの子も親戚からイジメられてたでしょ?
境遇似てんのよ、あたしと」
「そういえばそうだな。だから友達にもなりやすかったのか」
「もしかしたら胡桃沢さん、過去の自分と決別したいのかもね」
……そこまでは考えなかったな。
てっきり、普段から俺がキャラ薄いとか言って弄ってる所為だと思ってた。
実際、彼女も自分でそう言ってたし。
でも、三和の言葉が真実かもしれない。
キャラが薄いのも、そうだ。
彼女は、あの親戚のクソ野郎を極力刺激しない為、意図的に薄いキャラを
日常の中で演じていたのかもしれない。
そして今、その必要性がなくなり、新しい自分を模索している――――
と、これは考えすぎかな。
探偵の悪い癖だ。
「あたしみたいな多重人格者で、かつ主人格じゃない人格は、
自分のキャラクターが『作られたモノ』ってわかってても、自覚がないのよね。
あたしにとっては、これが生まれたままのあたしだから。でも、実際には
和音が生み落とした性格。だから、時々自分の存在がわからなくなんのよ。
あたしは一体何者なんだー、ってね」
三和の言葉は、思いの外沈んでいた。
明るくはないけど、彼女の声や表情は常に余裕が滲んでいる。
でもそれは、大人びているんじゃなく、達観なのかもしれない。
自分は本来はいない人間なんだという。
和音という人間の中の、想像上の存在のようなもの。
それが疾患によって、無自覚の内に表に出てしまっただけ――――だと。
いつ消えてしまってもおかしくない存在。
いうなれば、不治の病にかかり、いつ死んでもおかしくないと
宣告されているようなものだ。
前言を撤回しなくちゃならない。
命ある人間の宿命と同じ――――じゃない。
彼女には彼女にしか知り得ない苦悩があり、運命がある。
「なんかゴメンね。愚痴っちゃって」
「別にいいよ。愚痴を聞くのも探偵の日課だし」
「……それって探偵ってより相談窓口じゃないの?」
減らず口はお変わりなく。
三和という人格のキャラクターは、この一日で大分露見した。
胡桃沢君、こうはなるなよ。
「もしかしたら、あたしじゃなくてあの子が……」
「何?」
「なんでも。そんじゃ、謎も解けた事だし、あたしはもう帰るね」
気づけば、外は真っ暗。
いつの間にか夜になっていた。
「送って行く、とはさすがに言えないから、気を付けて」
「え? タクシー代くれんの?」
「タダで探偵に相談しといてタクシー代請求するな! とっとと帰れ!」
チロっと舌を出し、三和は我が【はざま探偵事務所】をあとにした。
ったく、なんなんだよ、アイツは。
持ってきた紙、置いたまんまだし。
まあ、解決した今となっては無意味な産物だけど。
明日、ゴスロリの格好をしてヤンデレと化した胡桃沢君にでも見せてみるか。
果たして、今日出た結論に彼女単独で辿り着けるか。
……無理だろなあ。
折角の探偵助手なんだから、ヘンな方向のキャラ立てせずに『切れ者』を
目指してくれりゃいいのに。
ま、探偵自体が切れ者じゃないから……ってツッコまれそうだけど。
そもそもこの探偵事務所自体、探偵事務所らしくない。
殺人事件とは言わないまでも、せめて暗号解読とか眠れる財産の探索とか
その手の事件に関われれば、ちょっとは彼女を助手らしくしてあげられるんだが。
街の探偵さんでは、そうはいかないな。
「……待てよ」
この和音の手紙を改変して、暗号化してみるか?
そしてそれを胡桃沢君に解かせる。
そんな事を繰り返して推理力をアップさせれば、彼女のキャラも立つだろう。
そうなってくると助手ってより女探偵だけど、最近その手のキャラも流行ってるし。
強制的に髪を短くさせられてる可愛そうなあのキャラとか。
よし、その路線で手助けしてやろう。
……つっても、暗号ってどうやって作るんだ?
コンピューターを使った暗号化だと面白くないし、そもそも
手がかりなしだと解きようもないよな。
最初は難易度を控えめにした暗号が望ましいだろう。
だったら……縦読みとか?
それは余りにも短絡か。
冒頭の『三和さん』の時点で、頭が漢字だからかなり縛られちゃうしなあ。
……三和さん、か。
よし、ひらめいた。
これで行こう。
これなら、適度な難易度の暗号になる。
『三和』ってのがキーワード。
あとは、本文をそのキーワードに添った文字配列にして……
「あれ?」
何気なく、その思いついた『暗号化』に従って手紙の文字を拾っていた
俺は、思わず目を丸くした。
これは……文章だ。
文章になる。
慌てて残りの文面でも、同じように文字を拾っていくと――――
「……なんてこった」
完全な文章が浮かび上がってきた。
これは――――俺と三和を引き合わせるためのギミックなんかじゃない。
暗号だ。
この手紙は、暗号だったんだ!
『想いは積み重なり、この謎が解ける』
その通りだ。
最後の3行は、暗号を解くためのヒントだったのか。
でも……なんでこんな事をわざわざ?
「暗に俺に伝えたかった……って事か?」
だとしたら、『彼女』の身に何かが起きているのかもしれない。
けど『この事実』だけじゃ何とも言えない。
俺は偶然にも解いてしまった白鳥和音による暗号を眼前に、
これから起こる『何か』を予感せずにはいられなかった――――
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