意を決して、俺は通話ボタンを押した。
 同時に、決まり文句。
「はい。こちら【はざま探偵事務所】。耳栓の片っぽ紛失事件から大統領誘拐事件まで
 何でも承りますですよ?」
 ネタばらしすると、この手の挨拶は、依頼人にリラックスしてもらう為のものだ。
 大統領誘拐事件まで扱ってるなんてスゴい……なんて思われたいわけじゃないんで
 その辺よろしく。
『あの……相談をしたいんですが』
 そんな男の声が聞こえてくる。
 どうやら依頼人だ。
 よかったー。
 相談であれ何であれ、マスコミなんかよりずっといい。
「相談ですね、承りました。最初の30分は無料となっておりますので
 遠慮なくなんでも仰って下さい」 
『は、はい。それじゃ、まず……』

 最初から話す内容を決めていたらしく、依頼人の男(声の感じ、多分同世代)は
 テキパキと相談を始めた。

『実は、今家にスパイがいるかもしれないんです。でも確証が持てない状態で
 どうすればいいのかわからなくて……』

 ……スパイですか。
 いやー、我が探偵事務所、こんな相談ばっかです、ホント。
 ま、普通ならこんな相談されたら頭がおかしいのかって怒るべきなんだろうけど、
 俺の場合はそうはいかない。
 どんな相談でも真摯に、そして紳士に対応。

 - はざま探偵事務所は先入観を抱かない -

 これ、新しいキャッチフレーズね。

「スパイですか。であれば、この電話は盗聴されている可能性もありますね」
 取り敢えず、スパイがいる事を全肯定した上で、最初のケアポイントを話す。
「携帯の場合、電話自体に盗聴器が仕掛けられている心配はしなくていいです。
 問題は場所。今、どこにいますか?」
『自室です。普段、ここは就寝以外殆ど立ち寄りません』
「であれば、心配は不要ですね。ところで、声を聞く限りまだお若いようですが
 年齢を聞いてもいいでしょうか?」
『あ、はい。16歳です』
 ビンゴ。
「その年齢で、自室に殆どいない。そしてスパイがいるかもしれない。
 という事は、ご自宅で商売をされていて、スタッフの中に産業スパイがいる
 という心配をしている……そんなところでしょうか」
『そうです。父がオーナーで、僕はスタッフの一人として実家を手伝っています。
 で、スパイなんですけど、親しいスタッフの中の一人かもしれなくて、
 でも全然手がかりがないんです。ただ、スタッフの中の一人が「この中に
 スパイがいるかも」って言ってて、それで不安になって……』
 そりゃまた、奇妙な話だな。
 産業スパイがいるってのをどうやって把握したのかは知らんけど、
 もし把握したんなら営業者にまず通達だろうに。
 そうはできない理由があるのかもしれない。
 なら、まずは――――情報収集だ。
 探偵の基本ね。
「お話はわかりました。では、今度はこちらが幾つか質問しますので、
 なるべく答えて下さい。難しい質問でしたら黙秘で構いません」
『わかりました』
「まず、スパイの容疑がかかっているスタッフの人数をお願いします」
『はい。三人です』
 少ないな。
 だとしたら、かなり絞られる。
「では、次に……スパイがいるかもと言った人は、その中に含まれていますか?」
『は、はい。そうです』
「それぞれの行動範囲と時間をお願いします。業種は仰らなくて大丈夫です」
 矢継ぎ早なこっちの質問に対し、依頼人は迅速かつツボを押さえた説明をしてくれた。
 まず、スタッフA。
 この人は、接客業をしているらしい。
 殆ど一日中働いていて、自由時間はないも当然との事だ。
 スタッフBは、経理担当。
 足が不自由で、移動は電動車椅子らしい。
 客前に出る事はないようだ。
 最後にスタッフC。
 ……といっても、彼女はスタッフじゃないらしい。
 そもそもそれ以前に、一日20時間寝て、4時間しか活動しないという。
「……一日20時間睡眠ですか。過眠の症状ですね。治療は受けているんですか?」
『あ……えっと、治そうとはしてるみたいなんですが、中々上手くいかないみたいで』
「わかりました。で、この過眠の女性がスパイ疑惑を訴えた方、と」
『そうです』
「成程。大体わかりました」

 こりゃ、結構複雑な状況だな。
 まず、この3人の誰かがスパイで、他の2人のウチの1人がスパイがいると
 依頼人にリークした人物と仮定すると、かなり変だ。
 そもそも営業者じゃなく、その息子の依頼人に話している時点で変すぎ。
 となると――――リークの目的はスパイの特定じゃないな。
 その前に、まずスパイが誰かを伝えておくか。
「スパイの可能性がある人は、彼女です」
『彼……女?』
「はい。この過眠の女性です」
 俺の回答に、依頼には驚いたみたいだ。
 無理もないかな。
 スパイがいるかも、って言った本人がスパイってのは、普通に考えたら変だ。
 でも、この場合は変じゃない。
 寧ろ必然だ。
 営業者じゃなく依頼人に話している時点で、『スパイいるかもしれないから見つけて!』
 っていう懇願じゃない。
 別の目的がある。
 なら、それは何か。
 簡単だ。
 リーク者はスパイがいると勘ぐっている。
 それを、営業者じゃなく依頼人に伝えている。
 つまり――――探す気はない。
 何故なら、特定はできているから。
 それじゃ、何の目的で依頼人にリークしたのか。
 証拠を得る為なら、やっぱり営業者へ話す方が遥かに有益だ。
 より権力のある人間に問い詰めさせればいい。
 敢えてそうしないのは、証拠集めの質が違うから。

 リークしたスタッフCは――――自分がスパイだと疑っている。

 だとすれば、依頼人にリークしたのも納得できる。
 スタッフA、B、Cは昔なじみの関係だという。
 なら、自分がスパイだと知られたくない筈。
 適度な距離にいる依頼人に、確認して欲しかったんだ。
 自分がスパイかどうか。
 だけど、もしスパイじゃなかった場合、『自分はスパイかも』と
 直接訴えるのは、精神的にヤバい人と思われかねない。
 だから、助言に留めて依頼人が自発的に行動するよう促した。
 そんなところだろう。
 何より、スタッフAとBがスパイの可能性はまずない。
 Aは忙しすぎるから論外だし、Bは車椅子があるから目立ちすぎる。
 そっちもスパイ向きじゃない。
 仮に、スパイがいるのが不思議じゃない環境なら、スパイっぽくない
 というカムフラージュをしていたが、実はスパイ……って展開はあり得るけど、
 この場合はスパイそのものの存在が想像できないような職場と思われる。
 なんで、あえてカムフラージュする意味は全くない。
 効率が悪くなるだけで、メリットが皆無だ。
 そんな訳で、スタッフCがスパイだと俺は推理した。
 まあ、推理苦手なんで、当たってるかどうかはわからないけど。
 ちなみに、睡眠障害はフェイクで、実際には眠っていると思わせている時間に
 色々動き回っている可能性もあるけど、これは流石に飛躍し過ぎかもしれない。
 なんで、暗に仄めかす程度にしつつ、俺は依頼人に説明した。
「……以上の事は、あくまで可能性です。一つの方向として頭の中に入れて、
 今後の行動を貴方自身が決めて下さい」
『は、はい。わかりました』
「相談は以上でしょうか? まだ時間はありますが……」
『あっ、いえ、あの、まだあります』
 お、まだあるのか。
 まあ、まだ30分には程遠い。
 なんとなく頼りにされている感があるし、追加相談も承るとしよう。
『えっと、実は今、実家の店が不安定なんです。もし潰れてしまったら、
 学校を辞めて働かなくちゃいけなくなるんですけど……』
 ……なんかえらくネガティブだな。
 しかも、さっきとは打って変わって普通の相談。
 そう思った直後――――
『僕の家には今、小学生の従妹がいるんですけど、もし店が潰れたら
 僕があの子を守らなくちゃいけないんです。でも、大した技術もないし
 夢もない僕が、社会に出て通用するかどうか、不安なんです』
 俺は思わず、携帯を落としそうになった。
 小学生の従妹を守る――――そんな依頼人の言葉に、思うところがあったからだ。
「それは難問です」
 半ば無意識に、そう答えていた。
 理由は、先日の誘拐未遂事件。
 町長の娘、静葉ちゃんが何者かに連れ去られる寸前で俺が助けた、あの事件だ。
 あの後、俺は町長に事情を説明して、警察へ向かった。
 町長は最初、ピンと来ていない様子だったけど、警察で俺が説明していると、
 いつの間にか過呼吸になっていた。
 震える自分の身体を抱くようにして、床に座り込んでしまった。
 あの町長が、だ。
 俺の警察に対しての説明でようやく、自分の娘が誘拐されそうになった実感が
 湧いたんだろうと思う。
「幸い、この日本では大した努力も技術も必要なく、
 ある程度の手間と時間をかければ生きるだけなら可能です。
 でも、貴方は守るべき相手がいるとの事ですから、難問です」
 そう――――難問だ。
 一歩間違えば、あの町長でもリタイヤしそうになったくらいの。
 偶然、俺がその場に居合わせただけ。
 単なる幸運によって、町長はこの難問からリタイヤしないで済んだ。
「守るって事は、単に食べさせていくだけには留まりません。その従妹が
 これから抱く夢も、得る家族も、育む価値観も、歩む筈の未来も、
 全部を守らなくちゃならないんです。これは、決して簡単じゃありません」
 でも、まだ静葉ちゃんの一生は続く。
 幸運にまた恵まれるとは限らない。
 誰も、例え親でも、その人の行動や思考は縛れない。
 把握できない。
 だから、上手くいかない。
 貴くても、離れて行ってしまう事もある。
 気付けない事も山ほどある。
 自分以外の人を守るってのは……この上ない難問なんだ。
「明確な答えはありません。ただ言えるのは、難問だという事だけです。
 若いウチに社会に出るだけなら、私もやってます。苦労はありますけど、
 大した問題じゃありません。でも……たった一人の身近な人を守る事は
 決して容易じゃないと、最近思い知りました」
 俺はつい、今の自分に重ねてしまった。
『え……?』
 案の定、依頼人はキョトンとした様子。
 まあ、今のは話さなかった事にしよう。
「私には、気構えと配慮と危機感が欠如していました。貴方はそうならないよう、
 微力ではありますが今回の助言が役に立つ事を祈っています」
『あ、ありがとうございます』
 どうにか誤魔化せた……かどうかは不明だけど、格好はついた。
 さて、これで相談は終わりかな。
「相談は以上でしょうか?」
『……最後に、一つだけ』
 あれま。
 欲張りな依頼人だな。
 ま、頼られて悪い気はしない。
 場合によっちゃ有料ゾーンまで相談してそうな勢いだし、
 この際トコトンつき合うとしよう。
『今、僕たちの店に胡桃沢水面さんがいます』
「……なんだって?」
 余りにも予想できない不意打ちに、俺は横っ面をはたかれたような気さえした。
 胡桃沢君が……?
 って事は、この依頼人は……
「胡桃沢君の差し金……?」
『あ、違います違います。胡桃沢さんは、先日からここで働いてくれてるだけで、
 僕が探偵さんに連絡を入れている事は知りません』
 本当にそうなのか……?
 いや、そんな嘘を吐く意味もないのか。
 落ち着け俺。
 動揺しまくリングじゃねーか。
 これじゃKOされちまうぞ。
『胡桃沢さん、探偵さんのところで助手をしていたんですよね?』
「肯定です」
『でも、辞めたそうで』
「……肯定です」
 それで今は、依頼人の所にいる。
 どうしてだ……?
 もし、依頼人の店が風俗店とかだったら、俺ホント、死ぬぞここで。
 こうなってくると、プライバシーがどうこう言ってる場合じゃない。
 店名を聞かないわけにはいかない――――
『ウチ、スパランドなんです。【CSPA】って名前の』
「【CSPA】……ああ、聞いた事があります」
 特にいかがわしいスポットって訳じゃない。
 スパランド――――要は近代的な温泉施設だ。
 胡桃沢君……疲れてたのかな。
『彼女、探偵さんの助手を辞めた事を後悔してるかもしれません』
「……そうなの?」
 ああっ、思わず依頼人に向かってタメ口を。
『でも、正直なところ、よくわかりません。それに、なんで辞めたのかも
 僕は知りませんから。なので……もしケンカ別れしたのなら、
 僕が仲を取り持とう……っていうのは、お節介ですか、ね?』
 この依頼人……ええ人やないかい!
 なんていいヤツ……依頼人としては異例の人格者だ。
 ハーレム野郎とか着拒喪女とか、ロクなのがいない依頼人の中で
 際立ってるぞ、いい人っぷりが。
「お、お節介なんて事はないですよね、そうです、ないです」
『探偵さん、動揺してます?』
「そんな事はナッスン。えっと、お願いしてもいいかな? いいですかな?」
『あ、勿論です。えっと、何をすればいいんでしょうか』 
 そりゃ勿論、会わせて――――と言おうとしたところで、
 俺はようやく冷静になった。
 彼女がどういう理由で出ていったのかを知らない以上、
 ただ会うだけじゃ不発に終わりかねない。
 まずはそれを確定させないと。
 それに、辞めたの後悔してるってのも。
 両方が確定して、初めて説得できるってもんだ。
 いかん、浮き足立ってる。
 頭をまとめないと。
 でも。
 とにかく……無事でよかった。
「えっと……そういえば、貴方の名前をまだ聞いてませんでした」
『あ、はい。有馬湯哉です』
「有馬君。えっと、君に伝言を頼みたいんだ。それを胡桃沢君に伝えて、
 そのリアクションと返事を俺に折り返し教えてくれれば」
『わかりました。どんな伝言ですか?』
「前から言おうと思ってたけど、その耳似合ってないと思う――――これで」
 俺は躊躇なく、それを告げた。
 これは賭けだ。
 彼女がどうして俺の元を離れたのか、そこまではわからないけど……
 彼女が俺に対してどんな思いでいるのか、それは多分、わかってる……つもりだ。
 けどストレートには言わない。
 探偵の助手なんだから、それくらいは推理してくれな。
 ……なんてメッセージも込めた伝言だ。
『あの……本当にそれでいいんですか?』
 有馬君は引いていたけど、それは今は関係ない。
 俺は彼に伝言を託し、電話を切った。
 全てが上手くいくかどうかはわからないけど……
 とにかく、祈るしかない。
 何せ推理下手な探偵。 
 なんで、祈るのアリだと思っている。
 そんな思いで、俺はファミレスの中に戻った。

 余談だが……一番高い朝定食の伝票だけを残していなくなった
 黒羽根の携帯は、まだ着信拒否のままだった。
 あいつはいつかシメる。










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