じゃんぼー。
 今日はスワヒリ語で挨拶してみた狭間十色だ。
 さて、そんなことよりも諸君、お久しぶり。
 先日は助手の胡桃沢君が失踪するという、身内のゴタゴタをお見せしてしまって
 申し訳なかった。
 この件についてなんだが……まあ、取り敢えずは解決したと言っておく。
 胡桃沢君は事務所に戻ってきた。
 彼女なりに、葛藤と逡巡を重ねた上での決断だったんだろうと思う。
 俺としては当然、大歓迎だ。
 ただ……根本的な解決には至っていない。
 何故、彼女が事務所を出て行ったのか。
 そこには複雑な事情があったらしいけど、一番の問題は彼女が男性恐怖症に
 なっていた、って所だ。
 普通にこの事務所で働いていて、普通に学校にも通っていたから
 そんな事になってるなんて夢にも思っていなかった。
 隠していたんだ。
 男である俺が困惑するといけないから。
 よくよく考えると、推察できる予兆はあった。
 彼女がこの事務所に押しかけたのは、実家の親戚に襲われそうになったから。
 緊急避難的な対応だ。
 その後、彼女は夜だけ実家に戻って寝泊まりするようになったんだけど、
 最初はこの事務所に泊まっていた。
 まあ、常識的に考えたら、俺みたいな若い男がいる場所で寝泊まりする
 ってのは大問題なんだろうけど、それ以上にあの腐れ親戚野郎の方が
 危険だったわけで、それなのにあっさり実家に戻ったのは疑問に持つべきだった。
 俺と同じ空間で寝るのが苦痛だったんだ。
 この事務所には個室がないからな。
 実家なら、部屋で鍵をかけていれば自衛は出来る。
 俺がヤクザの真似して脅していた分、親戚も手を出し辛い。
 そういう状況と、この個室なき事務所で寝泊まりする恐怖(俺=男への)を
 天秤にかけた結果、実家で夜を過ごす事を選んだんだ。
 ちなみに、もう彼女の家に例の親戚はいないらしい。
 ある日忽然と姿を消したそうだ。
 ヤクザの報復が怖くて逃げた……ってのが妥当な推測だろう。
 この事に関しても、胡桃沢君は先日まで俺に教えてなかった。
 幸いにも、彼女の両親の死亡保険金が彼女名義の銀行口座に
 かなり残っているらしいから、生活面で困る事は今のところないらしい。
 でも、将来の事を考えると、余りそこを削りたくはないだろう。
 家賃も既にその口座から支払ってるらしいし。
 そういった状況を、俺に教えたくなかったみたいだ。
 このキツキツの状況下で、俺が援助するとでも思ったんだろう。
 ……まあ、お給料は正式に払うようにはしただろうけど。
 何にしても、胡桃沢君は隠し事が多い!
 素直に相談してくれりゃいいのに。
 とはいえ、助手の苦悶を見抜けもしないでヘラヘラと過ごしていた俺の責任も重い。
 このままじゃ探偵の名折れ。
 威厳を取り戻さねば。
 ただ――――名誉挽回以前に、相も変わらず依頼が来ない。
 何度か経営危機はあったけど、今回も結構ヤバめだ。
 深刻な水不足に陥ったかのように、はざま探偵事務所は今、干涸らびている。
 なんとかせにゃ。
 あ、ちなみに胡桃沢君は――――
「所長! どうして一ヶ月も謹慎しなくちゃいけないんですか!?」
 電話越しに毎日、同じ事を叫んでくる。
 もうすぐ夕方。
 学校が終わったばかりの時間帯だ。
 彼女が事務所に復帰して一週間が経過したけど、彼女の姿はここにはない。
 さっきの本人のセリフの通り、謹慎中だ。
 無断で事務所を辞めて、営業に支障をきたしたのが理由――――
 というのは、表向き。
 正直ね、男が苦手とか今更言われても、どう対応していいかわからないんですよ。
 そりゃ、気付けなかった俺にも問題あるよ?
 でもそんな急に『実はアンタのこと怖くて仕方なかったんのさぁ! ニコニコ
 微笑んでいるその裏では、モンスターを見る目で見てたのさぁ!』とか
 言われても、対応に困る。
 現状、彼女がここにいても困惑するばかりだ。
 そんな状態で依頼をこなすのは難しい。
 探偵ってのは、いつ如何なる時であってもベストコンディションでなくちゃいけない。
 当然、実際には体調の悪い日だってあるし、頭の回らない時間だってある。
 でもそれらがあった上で、依頼人にベストを尽くす、すなわちベストコンディション
 でなくちゃならない。
 お金を受け取って仕事をするんだから、当たり前の事だ。
 けど、今胡桃沢君がここにいると、それができそうにない。
「どう? わかった?」
「納得できません」
 にべもない。
 やっぱり、彼女が男性恐怖症とはどうしても思えないんだが……寧ろ強気じゃん。
 まあ、恐怖の裏返しによる防衛反応、と言えばそれまでなんだけど。
「今回の件、私とっても反省してます。迷惑かけまくったって思ってるんです。
 だから、挽回のチャンスを下さい。働かせて下さい、所長のもとで」
「いや、だって君、俺が怖いんでしょ? 俺がいつ襲って来るかって
 ビクビクしてたんでしょ? そんな助手のいる探偵事務所、ヤだぞ俺」
「そ、そんな直球で言わなくても……いえ、それが所長の優しさだって知ってますけど」
 知ってるなら言うな、恥ずかしい。
「な、何にしても。恐怖症ってのは恐怖症性不安障害って言われてるように不安が異常なくらい
 強い状態を指すわけで、不安が強い間は休むべきだ。胡桃沢君の場合は過去の体験に
 基づくものなんだけど、これを根本的に治すってのはリスクもある。今の君は不安が爆発してる
 状態だから、まず時間と距離を置いて平常な関係に戻す。それでよろしく」
「それって、私が要らないってことですか!? 私は『はざま探偵事務所』には
 必要ないんですか!? 私、ガリレオをリストラされた柴咲コウですか!?」
「残念だけど、事務所の決定は絶対だ」
「所長! 誰が上手いこと言えって……」
「謹慎明けまでパワーを溜めておいてよ。こっちもこっちで対策講じるからさ。んじゃ」
 一方的に電話を切る。
 流石に空気を読んで、もうかけてこない。
 この辺、冷静さはそれなりに保っているみたいだ。
 まあ、男性恐怖症とはいっても、馴染みの声を聞く分には何ら問題ないだろうし、
 曲がりなりにも俺と同じ空間で結構長期にわたって生活してたんだから、
 重症ってことはないだろう。
 軽く見るつもりはないけど、過度に気にするのもダメだ。
 正しい状況を把握する。
 探偵の根底にあるのは、それだ。
 だから今、彼女は謹慎させる。
 俺が今、彼女と上手く向き合える自信がないからな。
 それと、理由がもう一つ。
「あーあー、かわいそーに。つーかさ、あの子のいないこの探偵事務所って
 存在価値なくね? オレがここに来た意味なくね? オレ、あの子に会いに来たんだし」
 ローカルタレントが特に用事もなく現れるという、奇妙なこの現状も理由の一端となっている。
 彼は以前、密室を作って欲しいという依頼を持ち込んできたYUKITOという男。
 この街を拠点としている訳でもないコイツが何故ここにいるのか、俺は知らない。
 いきなりフラッと現れて、まるで友達の家でマンガ読みながらベッドに
 寝そべってる中高生のような空気で、胡桃沢君の事をいろいろ聞いてくる。 
 こんなだから、いつまで経ってもうだつの上がらない地方止まりのタレントなんだろう。
 まあそれはいい。
 問題なのは、こういう輩と接して胡桃沢君の男性恐怖症が悪化するかもしれない、
 という危険性だ。
 なにせ、胡桃沢君は男性受けがいい。
 依頼人の男の中には、露骨に彼女の身体を嘗め回すように眺める人もいる。
 そういう環境下に今の彼女を置くのは危険だ。
 なので、謹慎は妥当な処置だと思ってる。
 まあ……謹慎というより休養といった方がいいかもしれない。
 さて。
 その事は今は置いておくとして、問題はこのYUKITOだ。
 特に依頼がある訳でもなく、暇だから遊びに来たらしい。
 ハッキリ言って邪魔だ。
 害悪だ。
 この事務所を放課後の空き教室みたいに思ってるんじゃないだろうな。
 そもそも芸能人なら女芸能人を口説けよ探偵助手に色目使うな殺すぞテメェ
 ――――と言いたいところだけど、元依頼人にそこまで毒は吐けない。
 そこで俺は、別の切り口での攻撃を試みた。
「302枚」
「……!?」
 ボソリと呟いた俺の言葉に、YUKITOは全身を痙攣させるかのようにビクッと
 震わせ、その後頭を抱えて俯いてしまった。
「ど、どうして探偵さんがその数字を知ってんだよ!? 俺の……う……
 うわあああああああああああああああああああ!?」
 ……発狂してしまうのも無理はない。
 この数字は、彼の最新アルバムの売上げ枚数だ。
 前の依頼の時に彼が出していたシングルは、初登場2位を記録していた。
 ただしこれは、ゲームタイアップに加えて1人に何枚も買わせる売り方だからこそ。
 最新アルバムは、初回盤と通常盤の2種類で、初回盤にPVが付くだけの
 普通の売り方だったらしく、その結果『初登場299位、302枚』という結果になったようだ。
 要するに、彼の本当のファンは300人強しかいない。
「い、言っとくけどな、それはアレだ。宣伝不足ってヤツなんだって。オレの今回のアルバム
『スーパーハイパーミラクルライダーウルトラデラックスアルティメットグレイテストヒット』
 はなあ、オレが全曲作詞してんだぜ? 才能爆発って感じの最強盤なんだよ。
 それなのに、その事一切告知してねーしさー。そもそもレコーディング……」
 この後、言い訳が10分以上続いたけど、記憶に残ったのはアルバムのタイトルだけだった。
 コイツ、絶対ライダーをスーパーやウルトラと同列の言葉だって思ってるよな。
 コイツの中では仮面ライダーがスーパーマンやウルトラマンと同じ括りで、
 ライダーって言葉に『超』みたいな意味があると思ってるんだろう。
 そして、スタッフがそれを一切指摘せずに裏で大笑いしてる絵まで浮かんでくる。
 気の毒に……いや、寧ろ愛されてるのか?
 どっちにしても、俺には関係のない話だ。
「まあ、貴方のアルバムの売上げが302枚なのはともかく」
「それもう言うなああああああああああああああああああああああああ」
「ここは芸能人崩れの溜まり場じゃないんで、出ていって貰えませんか?
 さっきの電話でもわかったでしょうけど、彼女は今謹慎中なんで」
「ひ、ヒデぇよ探偵さん……オレ、探偵さんに親近感抱いてるんだぜ?
 同年代で働いてるヤツなんて芸能界以外では滅多にいないしさぁ……
 遊びに来るくらい別にいいだろ? つーか聞いてくれよ、オレのダチがさあ、
 全然構ってくんねーんだよ。普通芸能人がダチって自慢だろ? 合コンに呼んだり
 サインねだったり、こっちがウザがるくらい連絡よこすモンだろ?
 なんで誰もケータイ出ねぇんだよおおおおおおおおおおおおおおおおお」
 答えは簡単。
 今日は平日だ。
 もうすぐ夕方だけど、コイツがかけた時間帯はもっと早いはず。
 要はまだ学校だ。
 芸能人なんて仕事やってると、そういう感覚がマヒするらしい。
「あの、一応言っておきますけど、コッチは親近感なんぞ一切持ってないんで。
 ついでに言えば芸能人崩れが事務所にいるとこっちまで崩れそうな気がするんで
 縁起悪いし、もうとっとと帰って貰えませんかね?」
「ヒド過ぎるだろ!? オレは芸能人崩れでもねーし疫病神でもねーし!
 立派に芸能人! 今はローカルだけどいずれ大泉洋みたいに全国区になるから!」
「おうコラ。大泉洋ナメんなよ。なれる訳ないだろテメェごときが」
「なんでヤクザレベルのマジギレ!? もしかして探偵さん大泉洋のファン!?」
 探偵はBARにいる……最高でした。
「それより、もう何回も言ってるけどいい加減帰ってくださいって。
 ここに来ていいのは基本、依頼人だけで……」
「たたたたたたたたたたたたたた探偵さーーーーーーーーーーーーん!」
 まるでドリルで鼓膜を突かれたかのような、ドモりまくりの声。
 これは……間違いなく俺の尊敬する漫画家、清田りりりり先生だ。
「たたたたた助けてください!」
 案の定、でっかいメガネをかけて寝癖だらけの髪の女性――――
 清田りりりり先生が扉を開けて飛び込んで来た。
 そして、その背後には――――
「……」
 最近何かと縁のある、胡桃沢君のクラスメートの女子。
 黒羽根螺旋こと黒羽根留美音の姿もあった。
 なんかこの組み合わせ、前も見たな。
 黒羽根、まさかりりりり先生と仲良しになったのか……?
 あり得ない組み合わせじゃないけど……なんか納得いかない。
 そんな複雑な心境で首を捻る俺に対し、りりりり先生は胸ぐらを掴む勢いで
 突っ込んできた。
「たたたたたたたた探偵さん! きききききき来ました! きききききき来たんです!」
 そして、俺の肩を掴んでブンブンと前後に振る。
「いや、貴方がここに来たのは見ればわかりますから、落ち着いて下さい」
「ちちちち違うんです! きききき来たんです! めめめめメディアミックスのお話が!」
「……え?」
「ぎゃぎゃぎゃ【ギャッピング・ガール】のメディアミックスが決まったんです!」
 えーと、取り敢えず説明しよう。
 ギャッピング・ガールとは、現在りりりり先生が月刊少年マチュピチュで
 連載中のお色気たっぷりなマンガだ。
 ただ、たっぷりとは言っても別に成年マンガ的な感じじゃなく、着エロ路線だ。
 いや、それはどうでもいいとして……メディアミックス?
 やけに早いな。
 あ、もういっちょ説明しよう。
 メディアミックスとは、異なる分野の娯楽メディアに進出することで
 人気、知名度をアップさせるというヒット作の次のステップとしては常套の手法だ。
 ギャッピング・ガールはマンガだから、この作品にメディアミックスが行われる
 場合、例えばアニメ化、ドラマ化、ノベル化、ドラマCD化、映画化などが考えられる。
 通常は、人気の出たマンガはまずドラマCDになる事が多い。
 そこからアニメ化されて、事務所間の関係や監督の意向でドラマCDと
 キャストが変更されて、ファンの間で賛否両論……なんてケースも少なくない。
 でも、いきなりアニメ映画になることもあるし、実写化されて悲鳴が挙がることもある。
 アニメなのに実写をトレースして、よくわからない産物を作ることもある。
 とにかく、メディアミックスってのはとても複雑だ。
 ただしこれが実現するプロセスはある意味明快。
 金になる作品かどうか。
 それが全てだ。
 その金っていうのが、消費者……要するに読者や視聴者の購入によるものなのか、
 スポンサーが支払う金なのか、全く想像もつかない世界から湧いて出る金なのかは
 ケースバイケースだけど、とにかく金になると判断されればメディアミックスが行われる。
 つまり、選ばれた作品だけが許されるステップアップだ。
 そう、つまりギャッピング・ガールは選ばれた。
 俺も多少は関与した作品だけに、コレは素直に嬉しい。
「それは朗報ですね。まずはドラマCDですか?」
「ははははははい! ででででででも、あああああアニメ化も内定してると言われました!
 おおおおおおOADになるか、てててててテレビアニメになるかはわかりませんが!」
 説明しよう。
 OADってのは(省略)。
 要するに、アニメ化だ。
「たたたたたた探偵さんのお陰です! ああああありがとうございます!」
「いやいや、とんでもないです。りりりり先生の力が認められて、俺も嬉しいですよ」
 ドラマCD化は経験しているりりりり先生だけど、アニメ化は初だ。
 うーん、ファンとしては感慨深いな。
 でも……待てよ。
「……おめでたい事だと思うんですけど、なぜ俺に助けを求めに?」
「ああああああ。そそそそそそうでした」
 ワタワタと俺の肩から手を離し、りりりり先生は後ろの黒羽根に目を向けた。
「じじじじじ実は、めめめめめメディアミックスに伴ってギャッピング・ガールで
 新展開をとの厳命を受けて、ししししし新キャラを出すことになったんです」
「ほう。そりゃいいですね。キャラ主体の作品ですから、テコ入れなら
 それが一番わかりやすいし効果的だと思います」
「そそそそそそうなんですよ」
「……あのー。なんかオレ、すっげー存在感ないんすけど。YUKITOなんすけど。芸能人なんすけど」
「うっさい黙ってろ! 今こっちは重要な話をしているんだ!」
「なんでマンガ家にそんなテンション上がって芸能人はガン無視されるんだよ!?
 オレも会話に入れろよ! 遊んでくれよ! 構ってくれよ!」
 YUKITOはダダをこね始めた。
 なんて面倒な芸能人なんだ……もういい年齢のクセして。
 以前、俺は彼のプロフェッショナルな姿に感動すら覚えていたんだけど……
 これじゃ感動詐欺だ。
「そそそそそそそれでですね」
 最終的に、YUKITOはりりりり先生にもガン無視された。
 まあ、先生今興奮してるから視界に入ってないんだろうけど……
「しししししし新キャラは黒羽根さんをモデルにしようかなって思って
 お話をさせて貰ったんですが」
「……正気ですか?」
 黒羽根をマンガに登場させるってのか?
 無謀だ。
 こんなのマンガのキャラとして受けるわけない。
「どどどどどうしても黒羽根さんがイヤと仰るので、せせせせ説得して貰えないでしょうか」
「はあ……でもそれは本人の意思を尊重しないと」
「でででででも、わわわわわわ私は黒羽根さんがいいんです。くくくく黒羽根さんの
 キャラクターがギャッピングガールの世界観にマッチしすぎてシンクロ率800%なんです」
 ……そうかなあ。
 黒羽根にギャップ、あるか?
 見たまんまって気がするんだけど。
「……」
 終始俯き無言でいる黒羽根は、特に否定もせずフリーズ状態。
 それでも、ここへ来たってことは多少は葛藤があるってことだ。
 まあ、最近殆ど相談窓口みたいになってたし、その延長線上の依頼と受け取ろう。
「わかりました。説得を試みます」
「ひゅーひゅー。探偵さん、かっこいーぞー」
「うるさいぞ、落ち武者芸能人モブYUKITO。お前はもう帰れ」
「なんか俺への口調がみるみるキビしくなってね!? 最初の頃確か敬語だったよな!?
 いや、これくらいの方が俺的には親密度アップって感じでいいけどさ」
 いいんかい!
 コイツも黒羽根同様ドMなのか?
 ……ま、男の性向なんて知ったこっちゃない。
「話が進まないんで、今後そこの芸能人は完全無視するとして……黒羽根」
 苗字を呼ぶと、黒羽根はビクッと過剰な反応を示した。
「どうしてイヤなんだ? 別に個人を特定されるような情報は入れないだろうし、
 ただ単にキャラクターのモデルになるだけだろ? 協力してあげればいいじゃんか」
「……比較される」
 ポツリと、黒羽根はよくわからない答えを返した。
「比較?」
「もこっちと比較される」
 まーた『もこっち』か!
 どんだけ好きなんだよ、もこっちが!
「来月からいよいよアニメが始まるから、もこっちの知名度が飛躍的に上昇する。
 そうなるともこっちが喪女の代名詞的な存在になる。そこで私をモデルにした
 キャラが出てきたら、絶対比較される。絶対負ける。ネット上で死ぬ程叩かれる。
 パクリとか言われる。死にたくなる。死ぬ。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ」
「それは流石に飛躍し過ぎと思うけど……つーか死ぬな」
「死なない」
 素直なのは相変わらずだった。
「けど、もこっちに勝てる訳ない。向こうは神、私は平均的喪女。略して均喪。きんもー」
 いや、そんな新語知らんけど。
 取り敢えず話はわかった。
 もこっちと比較されるのが怖いらしい。
「だだだだ大丈夫です! わわわわ私がんばって叩かれないようにしますから!」
「先生の事は尊敬してるけど、こういうのは後出しが圧倒的不利だから無理。無理無理無理無理」
 前向きなりりりり先生の説得にも頑として応じず。
 よくわからんけど、喪女の世界にも序列があるって事か。
「だったら、一話限定で出してみたらどうです?」
「いいいい一話限定……ですか? しししし新キャラなのに一話だけなのはちょっと……」
 俺の提案に、りりりり先生が困惑した表情を浮かべた。
「いえ、テコ入れの新キャラだからこそ一話がいいんです。事前に散々『新キャラ登場!』って
 煽って煽って煽り抜いて、一話だけで退場。そのギャップこそがいいんです」
「そそそそそれです!」
 りりりり先生は興奮気味に首を振り、メガネを落とした。
「ああああっ、めめめめメガネメガネ……」 
 うーむ、リアルにメガネメガネって言ってる人初めて見た。
 さすがマンガ家、一味違う。
「黒羽根も、一話限定ならいいだろ? それなら流石に比較対象にはならないだろう。
 ゲストキャラみたいなもんだし」
「……」
 数秒ほど悩んだ後、黒羽根はコクリと頷いた。
 ……解決してしまった。
 これじゃ今回も相談料発生しないぞ。
「でででででも、どどどどどうやって新キャラを一話で退場させれば」
「そりゃ簡単じゃん! 殺しゃーいいんだよ! インパクトあるしさ!」
 YUKITOが会話に割り込んできた。
 っていうか、さっきからずっと後ろでソワソワソワソワしてたから、
 会話に入れそうなタイミングをずーっと伺ってたらいし。
 くそっ、なんか憎めない。
「ここここ殺すのはちょっと……」
「大丈夫だって。キャラが死ねば脚本家儲かる、って時代だしさ。
 オレ来月から声優に挑戦する予定なんだけど、その役も四話目Cパートで死ぬんだぜ。
 登場は四話目Cパートからなんだけどよ」
「見事にモブ役だな」
 モブYUKITOが公式名になりそうな勢いだった。
「ううううーん。くくくく黒羽根さんはどう思います? もももモデルのキャラが
 死んでしまっても大丈夫ですか?」
「寧ろ喜んで死ぬ。もこっちに対抗するにはそれしかない気がする」
 いや、対抗する気あるんかい。
 心の何処かで、並び立ちたいって気持ちがあるんだな……憧れの存在と。
「わわわわかりました。でででではその方向で担当さんと打ち合わせしてみます。
 たたたた探偵さん、あああありがとうございました。くくく黒羽根さん、
 ももも最寄りのファミレスでお話を聞かせて下さいね」
「できれば後日メールで……」
 りりりり先生と黒羽根は当たり前のように『報酬』って言葉に一切触れず
 はざま探偵事務所をあとにした。
 ……いいんだい。
 尊敬するりりりり先生の役に立てたんだし。
 そもそも30分以内は無料だし。
「……探偵さん。ここさ、市役所の相談窓口とかヤフー知恵袋みたいなモンって
 思われてんじゃね?」
「そうかも……」
 初めてYUKITOの意見が心に届いた。

 


 その後、YUKITOも追い出し、太陽が傾く中で俺は一人黄昏れていた。
 ……いかんな。
 もっと気合い入れないと。
 今のままじゃ、あの太陽みたいに事務所が沈む。
 胡桃沢君が復帰する場所がなくなってしまう。
 つーか、俺の人生が終わる。
 それだけは避けねば。
 とはいえ、依頼を抱えていない貧乏探偵にできる事は、電話を待つコトだけ。
 以前はインターネットを使って宣伝活動を行ったりもしたけど、
 あの効果も最初だけだった。
 いや、知名度自体は上がったと思う。
 実際、コンタクトの件数は増えてるし。
 でもその殆どは、さっきみたいな無料時間内の相談。
 不倫しているかどうか怪しい夫の行動パターンについてとか、
 冷蔵庫の中に入れていた自分のプリンを誰が食べたか教えてくれとか、
 入れ歯をなくしたからありそうな場所を教えてくれとか(結局自分の口の中にあった)
 内容も正直探偵に向かって話すそれとは言い難いものばかりだ。
 いや、何でも相談受け付けます、って姿勢だから、仕方ないことではあるんだ。
 でもさ、そういう相談もありつつの、中には『おっ』って思うような依頼なり
 相談なりが来て、お金にもなる……ってならないと、事務所が維持できないわけで。
 そろそろ本気でこの無料相談の撤廃を考えなくちゃならない時期かもしれない。
 街の探偵さん、なんて親しみを込めて呼んで貰ってるのは嬉しいけど、
 俺は別に慈善事業をやってる訳でも、おまわりさんみたいなスタンスを目指してる訳でもない。
 世の中、金がなけりゃ動けない。
 金ってのは血液と一緒だ。
 血液がなきゃ、人は生きられない。
 血の巡りがよけりゃ、心にも身体にもゆとりが生まれる。
 血が不足すれば、たちまち荒んでしまう。
 でも、血気盛んになりすぎると、やっぱり身を滅ぼしてしまう。
 身の丈にあったお金さえあれば、取り敢えず生きてはいける。
 その金を稼ぐ為にも、電話が必要だ。
 さあ、鳴れ!
 鳴るんだ!
 鳴れよコラ!
 ここで鳴るのが探偵事務所所長って立ち位置の人間のアイデンティティじゃないのか!
 ……鳴らない。
 なんてこった。
 俺は主人公体質じゃないのか。
 こういう時、都合よく電話が鳴って金になる依頼が舞い込んでくるのが
 推理小説の主人公の探偵たちだ。
 俺は……違うのか!
 くっ、推理小説の探偵は目指さないって方針がここにきてアダに!
 俺には主人公補正とかいうボーナスはないのか!
「悶絶しているところ、申し訳ないが……」
「どわっ!?」
 突然の声に、俺は心底ビビリまくった。
 だってそりゃそうだろう。
 自分の事務所にいて、いきなり見知らぬ声だぞ。
 もし、反射的に振り向いたところに町長の姿がなかったら、
 真っ先に強盗を疑う場面だ。
 そう――――そこには呆れ顔の町長と、その隣に立つすまし顔の男がいた。
 声もそうだったけど、覚えのない顔だ。
「探偵……鍵もかけないで何やってんだ?」
「いや、常に扉はオープンってのがウチのモットーなんで」
「全くお前は……」
 大げさにため息をつく町長――――だけど、顔は以前よりトゲトゲしくない。
 町内会費をちゃんと払ってるからだろう。
 あと、一応先日彼女の娘さんを誘拐の危機から未然に防いだ、
 なんてお手柄もあったんで、多少は見直してくれてるのかもしれない。
「まあいい。お前にお客さんだ」
「俺に?」
 正直、胡桃沢君の知り合いかと思っていた。
 いや待て。
 普通に依頼人の可能性大じゃないか。
 いかん、その可能性が頭からスッポリ抜け落ちてた。
 それくらい、依頼人が来るなんてあり得ない事だっていう認識が
 定着してしまっていた。
 うーむ……いよいよだな。
「それじゃ、私は仕事があるからこれで」
「ええ。わざわざありがとうございました」
 町長は出ていく前に俺に視線を向け、何やら不気味に微笑んだのち
 自分の仕事場へと戻った。
 なんだろう。
 やっぱり依頼人じゃないのか?
 分析しにくい反応すんなよな……
「一応、初めましてかな。ホームページの方は拝見させて頂いているのだが。
 バターだけで焼いたトーストのように、平凡だが親しみやすいホームページ
 だったよ。好感が持てたね」
 頭を抱えていた俺に、男が気さくに話しかけてくる。
 あらためて見てみると、平日の夕方に見かける人物としては、
 少し違和感を覚える。
 年齢は……俺より10くらい上かな。
 なのに、スーツも白のYシャツも着ていない。
 グレーのストライプのシャツに、ピンク色のネクタイをしている。
 靴に至っては白のローファー。
 髪も短髪ながらバランスが悪いというか、トゲトゲしてるような感じで
 まとまりのない髪型だし、無精髭も目立つ。
 会社勤めとは到底思えない。
「もしかして、同業者ですか?」
 最も可能性の高そうな答えを導き出した結果、男はゆっくりと拍手をした。
「へぇ……やるねえ。オレよりずっと若い探偵がいるって聞いて
 どーせ興味本位のバカだろって思ってたけど、ちゃんとした探偵なんだな。
 ナイススティックのカロリー値のように意外だったよ」
 同業者であることを認めた男は、爽やかなようで底意地の悪さを
 醸し出している笑みをオレに向ける。
 ……っつーか、同業者かよー。
 依頼人じゃないじゃん。
 ダメだ、やる気が失せた。
 もう今日はお開きにしよう。
「すいません、もう今日は事務所閉めますんで」
「おいおいおいおい! そりゃあねーだろ! オレ今来たばっかだろ?
 用件何も言っちゃあいないぜ?」
「いや、もうやる気出ないんで、すいません。明日にして下さい。主に午前中に」
「なんだこの天王寺動物園の動物たちのようにやる気のない探偵は。それに探偵にしちゃ
 ズイブンと健康的じゃないか。フツーオレらみたいなのは午後からが本領発揮だろう?
 寧ろ夕方まで寝てるくらいじゃなきゃおかしいだろうに」
「いや、もうそんなウンチク的なのもどうでもいいんで。相手するのも億劫だし。
 依頼人じゃないんなら、お引き取り下さい。ウチ今経営やばいんで」
「同業者に経営危機をサクッと漏らすんじゃあないよ。前言撤回せざるを得んな……
 やっぱりこの事務所はダメだな。町長の言った通りじゃあないか」
 同業者――――つまり探偵らしき男は深々とため息をついた。
 呆れているらしいが、それも俺に取ってはどうでもいい話。
 正直、他社の探偵には興味がない。
 商売敵を気にするほど、依頼を食い合ってる訳じゃないしな。
 ……そもそも食うだけの依頼がここにはありません。
 そんな訳で、俺は探偵らしき男を事務所から追い出すべくホウキを用意し、
 ホコリを払うかのごとくサッサッと――――
「落ち着け。オレは依頼人だ」
 部屋のホコリを払った。







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