――――今回は念で挨拶してみた狭間十色だ。
聞こえる人は聞こえる、聞こえない人は聞こえない。
モスキート音のようなものと思ってくれい。
それはさておき、朗報が一つ。
胡桃沢君の骨折が治ったらしい。
でも、その骨折の間ずっとアルバイト先のスパランドに
迷惑をかけたんで、暫くそっちで丁稚奉公してから
合流したい、というスカイプのメッセージが今届いた。
そう。
LINEが市場を席巻して久しいけれど、俺は未だにスカイプ使いだ。
だって別に乗り換える理由がないんだもの。
そんなわけで、胡桃沢君の復帰は近い。
となると、現在その代役を務めてる黒羽根の処遇をどうするか、
なんだけど――――
「仕事終わった。チェックプリーズ」
キラン、と濃いクマの上にある虹彩を光らせ、
報告書を持ってくるその姿に、以前のような陰鬱さや怯えはない。
元々暗い性格とはいえ、それなりの期間同じ職場で働けば
慣れというものは出てくる。
今の黒羽根は、事務所内で仕事をする上では特に問題のない
ごく普通の事務員として機能していた。
うむ、これなら将来社会に出てもなんとかやっていけるだろう。
ここまで来るのに多少の苦労もあったけど、それなりに
報われたと言えるんじゃないだろうか。
「チェック完了。誤字四つ、曖昧な表現三つ、主観に寄りすぎな
結論一つ。手直ししてこい」
「チッ」
……まあ、仕事の内容と態度についてはまだまだ
改善の余地はあるんだけど。
何にせよ、彼女がいなかったらここ1〜2ヶ月のはざま探偵事務所が
立ち行かなかったという事実は動かしがたい。
多少無理してでも感謝の証としてボーナスを支払って、
円満に契約期間を終了しよう。
そういえば、契約期間っていつまでだったっけ……
書類見ればわかるか。
確か引き出しの一番下のファイルに綴じてたような……あった。
「えっと、200014年の……」
……ん?
200014年……んんん?
2 0 0 0 1 4 年 ! ?
西暦200014年だと!?
なんだこのあり得ないミスは!?
ぐああ……なんちゅー事をしちまったんだ……
0が2コ多い。
1コでも問題外なのに2コて!
あと198000年も雇用しなきゃならんのかい!
もう地球すら残ってないんじゃないのかコレ……
いや、まあ実際にはこの手のミスは契約者合意の元に
捺印して訂正すりゃいいだけの話なんだけどさ。
それをするって事は、同時に契約期間の話になる訳で、
そうなると先にボーナスあげて「これまでありがとう(ニッコリ)」
という優しい契約満了の世界を築けない訳で。
相手に「延長は?」という言葉を使わせない、
円満な終わり方にならない可能性がある。
……まあ、黒羽根がそこまでこの事務所に固執するとも
思えんけどさ。
こいつなりに、自分が変わってきてることは多少なりとも
自覚してるだろうし、それならもうここは卒業しても、って
思ってるかもしれない。
正直、最低限ではあるけど戦力にはなってるんで
いてくれて困る訳でもないし、期間満了だからって
強引に閉め出す必要もないんだけど、胡桃沢君が復帰した時に
まだコイツがいるとなると、胡桃沢君が気まずい思いをするだろう。
それは避けたい。
んー……仕方ない。
「黒羽根」
「まだ終わってねーから少し待てソーロー探偵」
「……おい。口が悪いのはいいけど下品なのはNGっつっただろ。
あと俺は決して早漏じゃないぞ」
「早漏じゃなくて早老。老いが早いって意味だバカ」
「それはそれでこの流れだと下品な方向を想像するんだよ!」
……と、まあこういうやり取りが自然に成立するくらいの
間柄にはなってる訳で、こんな奴でも辞めるとなれば
それなりに感慨深いものがある。
でも、仕方がない。
2人も雇うような規模の事務所じゃないし、胡桃沢君の席は
空けなきゃならない。
俺だって辛いさ。
親しい人間なんてそう多くはない。
まして一応同世代。
まして一応女子。
それなりに人間形成に貢献した自負もある。
そんな相手に――――
「で、黒羽根。契約期間終わるからウチでの仕事は今週までな」
なんて普通に言える自分が辛い。
ああ、なんていう職業病。
探偵ってね、言い難いことでもズバッて言えないと
務まらない職業なんだ。
どんなに可憐で朴訥とした女の子が相手でも、その子が
殺人犯だって証拠があれば、『犯人はお前だ!』って
ビシッて言うでしょ?
だから、今の俺のこの性格を誰も責めることはできない。
「……」
とはいえ、俺の苦しみ抜いた末の通達に対し、
黒羽根は驚いたり悲しんだりはせず、キョトンとしていた。
「……報告書の直し、終わった」
「いや、聞かなかった事にすんなよ」
「……」
返事が、ない。
これはもしや……
「帰る」
やっぱり現実逃避か!
「待て黒羽根。話は終わってな……」
「帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る
帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る
帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る
帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る
帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る
帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る」
……うーん、壊れてしまったか。
意外にも、契約満了ってのが相当コイツにとってストレスだったらしい。
コイツなりに、はざま探偵事務所に自分の居場所を見つけてたのだろうか。
「いや、別に契約が終わったからってここに来るなって訳じゃないんだぞ?
普通に遊びに来てもいいんだし」
「うるさい帰るもう二度と来ねーよこんな所」
黒羽根はすっかりふて腐れてしまった。
参ったな……せっかく徐々に築き上げてきた信頼も壊れつつあるぞ。
仕方がない。
主義じゃないけど、本音を話そう。
「正直言うとな、お前がここまで馴染むとは思ってなかったんだよ。
でもお前は最低限とはいえ、仕事ができるようになった。
お前がいなかったら成立しなかった仕事もある。その点は本当に感謝してる」
すっかり目が黒くなっていた黒羽根は、ダークモードを解除したのか
一応俺の話に耳を傾けていた。
「とはいえ、契約は契約だ。ついでにウチの事務所の内情も知ってるだろ。
長期間女子高生を雇う余裕はウチにはないの。だから契約満了って事で
納得してくれ。ほんの少し、感謝の気持ちとしてボーナス出すから」
こっちとしては、最大限の誠意を表したつもりだった。
考えてみてくれ。
ウチの事務所がボーナス出すんだよ?
これ以上の誠意がこの世に存在するのか?
それで納得して貰うしかない。
俺は毅然とした態度で、黒羽根と向き合い――――
「……胡桃沢さんが復帰するんだな」
割と本気でビクッとした。
怖い……なんか怖いぞ。
胡桃沢君が怒った時のとは違う質の怖さだ。
「ボーナスという名の手切れ金を渡して、胡桃沢さんの席を空ける気だな」
まあ……一部明らかに不適切な表現があるけど――――
「概ね合ってる」
「私を捨てる気だな畜生!」
「人聞きの悪い事言うんじゃねえよ! 俺の愛人かお前は!」
「ひっ」
多少は明るくなったとはいえ、黒羽根は黒羽根。
怒鳴り返せば直ぐに萎縮するところは変わってない。
「うう……やっと見つけた安住の地だったのに」
「所詮はアルバイト先だろうが。お前の今の居場所は学校とか家とか
そういう所だ。ここで経験した事を何年後かに活かしてくれ」
「捨てられた経験を何に活かせばいいんだ畜生」
「いい加減、その発想から離れろよ……そもそもお前、鉄拳目指してたろ?
本家今いい感じだし、ここで培った社交性で弟子入りすれば?」
「鉄拳目指した過去なんてなかった」
黒歴史にしやがった。
まあ、わからないでもないけど。
「とにかくだな、繰り返すが契約は契約だ。今週いっぱいで席を空けろ」
「フン。契約なんてあってないようなモンだし。任天堂とソニーだって
それでゴチャゴチャしたって言うし。だから私は来週もここにいる」
黒羽根はなんか訳のわからん開き直りをし始めた。
「そしてアニメとゲームの円盤を買う資金をここで調達する。
どうせ手切れ金もはした金なのは目に見えてるし」
「それが本音か!」
この女……他でバイトできる気がしないからしがみつく気だな。
上等だ。
そこまで言うなら、その通りにしてやろう。
諭吉っつぁん登板予定だったけど、こうなったら英世にご登場願うか。
それでも事務所の経営を圧迫しかねない痛手だが……
<ピュッピュピュッピュ♪ ピュピュピュピュッピュ♪
……口笛が聞こえてくる。
これは……俺のスマホの着信音だ。
着信音、最近変えたばかりだからまだ慣れないな。
さて、相手は……ん?
「む、りりりり先生か」<Oh!
ヘブリカン
マンガ家の清田りりりり先生からの連絡。
珍しいな。
新刊は来月だし……何か俺に用事でもあるんだろうか。<コロラド州の真ん中
「黒羽根、ちょっと待て。電話だ」
「胡桃沢さんからか」<カリフォルニアのパートタイマー
「だからなんでいちいちヤンデレっぽいリアクションなんだよ!
りりりり先生からだよ」
「んぐ……なら仕方ない」<パパラッチからのエスケープ
黒羽根はマンガ、アニメ、ゲームといったジャンルに関心が強い為、マンガ家の
りりりり先生は尊敬しているらしく、名前を出すだけで緊張感を醸し出す。
なら探偵事務所になんて応募しないでりりりり先生のアシスタントでも<ミッドナイトにライドオン・タイム
目指せって話なんだが。
まあ、今はそれを言っても仕方ない。<エンジン吹かしてブーンブンブン
「はいもしもし」
「恐れ入ります。こちら、はざま探偵事務所所長、狭間十色様の
携帯で間違いないでしょうか?」
……ん?
りりりり先生の声じゃないぞ。
確か、この人は……
「もしかして、担当さんですか?」
「あ、はい。清田りりりりの担当、小倉と申します」
つい先日ゆるキャラの著作権について聞いたばっかりなんで
覚えのある声だった。
名前は初耳だけど。
「番号を存じ上げておりませんでしたので、清田の携帯で
御連絡させて頂きました」
「は、はあ。それで、私に何か」
一応、馴れ馴れしくならないよう社会人としての一人称を使用。
怒ると怖いからな、この人。
すると――――
「実は狭間様にご依頼を、と思いまして」
予想もしてない所から仕事が舞い込んで来た。
電話では何なので、という事で直接事務所に来て話をするという。
で――――翌日夕刻。
「いつも清田がお世話になっております」
担当の小倉さんはパリッとしたスーツ姿で
我がはざま探偵事務所に現れた。
既に写真で一度外見は拝見してるんで、
生で見た感想とか感動は特になし。
長くサラッとした黒髪、落ち着いた雰囲気、瞬きの少なさ、
一つ一つの所作の優雅さなど、りりりり先生とは殆ど対照的だ。
なお、メガネは掛けていない。
ヘアピンで髪をアップにしてもいない。
なんとなく担当って役職に秘書っぽさをイメージしていた
俺には若干の違和感があったが、まあいい。
問題は――――
「これ、よろしかったらお召し上がり下さい。つまらない物ですが」
問題はそう、手土産の中身だ。
賞味期限もしくは消費期限が長い物ならいいなあ。
甘味であればなおいいなあ。
何しろ、この事務所にとって甘味、つまりおやつは高嶺の花。
勿論、依頼人を招く上で最低限の茶菓子は用意してるし、
それらの期限が切れそうな時は俺たちが頂くけども、
本当に最低限の量しかない上、定期的に町長とかが来て勝手に
食べていくんで期限直前まで残るケースは稀。
甘味に飢えた低糖値探偵、狭間十色です。
「これはこれは御丁寧に。ありがとうございます。さ、こちらへ」
まあ、そんな感情を表に出して嘗められても困るんで
おくびにも出さないけどね。
そんな訳で、依頼人となったりりりり先生の担当、小倉さんを
ソファーに招き、話を聞くことにした。
なお、黒羽根はコーヒーを煎れている最中。
事前に小倉さんの嗜好は聞いている。
ブラックがお好みらしい。
苦味しかないあの黒いお湯の何が良いのか俺にはわからんけど。
「では、早速ですがお話を伺いましょう」
「ええ。実は……」
小倉さんは慣れた動作で鞄から資料とタブレットを取り出し、
それをテーブルに載せた。
資料の表紙に記されていたのは――――
【「ギャッピング・ガール 〜ギャップは未来を救う〜(仮)」企画書】
【ジャンル:育成SLG】
「……企画書ですか」
「はい。ゲーム化の企画書です」
ゲーム化――――その言葉に俺よりも黒羽根が鋭い反応を見せる。
さっきまでモタモタとバリスタを起動させていたのに、
いつの間にか俺の隣に座って資料を凝視していた。
「狭間様のご協力によって、清田のギャッピング・ガールは
かなり好調な出足を見せています。先日こちらにも献本をお送りしましたが、
1巻は即日重版がかかって現在15万部が出荷されています」
「15万部……スゴい好調」
珍しく黒羽根が驚いたような顔で積極的に会話へ入ってくる。
かくいう俺も驚きを禁じ得ない。
りりりり先生と接点を持つようになってから、
マンガ市場について色々調べてみたんだけど、
その際に得た知識が正しいなら、まだ2巻が出ていない時点で
1巻が出荷15万部というのは、かなり好調な部類だ。
それ以上のモンスターヒット作も当然あるけど、その数は
長い長いマンガの歴史において決して多くはない。
りりりり先生はこれまで、商業的に大成功といえるヒットを
飛ばした事はなかった。
だから、初版は抑え気味だったと推察される。
加えて1巻という事もあって、重版がかかるにしても基本小刻みに
かける筈だから、出荷数と実売数にそこまで大きな差はない筈。
既に実売で10万部は出てるだろう。
「正直言うと、私はここまでの規模のヒットは想定していませんでした。
感情に任せ、狭間様を電話口で怒鳴るという醜態を晒してしまいましたが……
貴方のおかげで清田の作品がヒットし、私の会議での発言権が
増した事に感謝する毎日です。あらためてお礼を」
「いや……そんな生々しい事言われても」
「あの醜態を忘れて頂ければ、尚ありがたいのですが」
そうは言われても、今この目の前にいるキャリアウーマン的な女性が
放送禁止用語まで使って怒鳴り散らした過去、忘れようにも忘れられない。
「……つきましては、貴方を信頼し今回の件について御依頼をと思い
馳せ参じた次第です」
「今回の件というと、このゲーム化の企画書ですか?」
コクリ、と担当の小倉さんは頷いてみせた。
「先程申しましたように、ギャッピング・ガールは大ヒット中です。
正直、ウチの雑誌でここまでの規模のヒットは初めてなんです。
何せウチの雑誌、これまで一度もアニメ化作品を手がけた事が
ありませんので……フフフ、ザマア見ろ横尾、アタシが先だったな。
テメーはアタシに平伏すんだ……フフフフフ」
横尾、というのは恐らく同僚のライバルなんだろう。
虚空に向かってほくそ笑む小倉さん、怖い。
「コホン、失礼……それで、ここまでのヒットという事で
メディアミックスの話が早くも出て来ていまして」
「そのメディアミックスの先陣を切ってゲーム化をする、って訳ですか」
「違うと思う」
むう、黒羽根が堂々と異論を……
ここにきて、成長ぶりに拍車をかけてきたか。
「普通、メディアミックスで最初に最初に出るのはドラマCD」
「そうなんですか?」
「そうですね。マンガの場合はそのケースが最も多いと思います」
「……(フフン)」
黒羽根、持論を肯定されドヤ顔。
口の端を吊り上げたその笑い方、すげームカつくぞ。
「通常、メディアミックスは出版社が窓口となって売り込みを行ったり
依頼を受けたりして企画を進めていきます。当然、売れたマンガであれば
出版社は積極的に売り込もうとしますし、外部からの依頼も頻繁に届きます。
ただ、1巻の時点ではリスク管理、物理的な問題の観点からそこまで動く事は
まずありません。1巻が売れて、2巻が急激に下がるというのはマンガでは
少ないですが、それでもある程度は見極めが必要ですし、読者層の分析も
しなくてはなりません。当然、企画を進めていく為の時間も大量に必要です。
けれどドラマCDのように低リスク、比較的短時間での制作が可能、
単行本に同梱する事で販売元を自社にできる商品の場合は
かなり早い段階でゴーサインが出ますので、商品化が早いんです」
担当の小倉さんはかなり踏み込んだ説明をしてくれた。
本当に俺に感謝してくれているのがわかる。
まあ、俺が原案みたいなもんだからな、あのマンガは。
当然クレジットなんてしてないけど。
「また、ドラマCDは将来アニメ化を目指す為の試金石でもあるんです。
読者層の中に、他メディアでの展開について来てくれる人達が
どのくらいいるか。声優プロダクションの反応はどうか……
そういう意味でも有効なメディアミックスです」
「そうだったんですか……」
俺、ドラマCDをナメてたかもしれない。
ちょっと反省。
「ただ、私たちはまだ他メディアの会社とのパイプが不足していて、
プランニングの時点からもう難航している状態で。実はドラマCDについても
声優の皆さんのスケジュールを確認するだけでかなり時間を割いている
始末なんですが、そんな折にこの企画書がウチの部署に届いたんです」
「……え? これって持ち込みの企画なんですか?」
「ゲーム化は原作よりアニメを基準に開発する事が多いっぽい。
いきなりゲーム化ってのは滅多にない」
黒羽根の意見に小倉さんがまた頷く。
「はい。ゲーム化は通常、アニメ化との共同プロジェクトとして
発足するものなので、いきなり単独で自社が企画する事はまずありません。
ゲーム化といっても、今の時代ゲーム会社の方だけで制作を行うことは
殆どありませんから。声をあてるにしても、オープニングのアニメを
作るにしても、最初からアニメ会社と連携する方が遥かに効率がいいんです」
なるほろ。
という事は、この企画書は――――
「そういった事情を知らない、個人のファンからの贈り物ですか?」
そう考えるのが一番しっくり来る。
「違います。狭間様の推理の根拠もなんとなく想像できますが……
実は、新鋭のゲーム会社みたいなんです」
「外れ。探偵恥っ……ぎゃっ」
クスクス笑う黒羽根の足を踏んづけつつ、俺は
あらためて企画書を手に取って眺めてみた。
書かれている概要を見る限り、確かに素人っぽくはない。
例えばこの部分。
《ギャッピング・ガールの特徴であるキャラのギャップをパラメータで管理し
数値差によってキャラのギャップをより明確に表現。またその数値差で
ストーリーを分岐させて、中には原作のストーリーとはかけ離れたエンディングも
用意し、『原作とのギャップ』を鮮明に打ち出す事でテーマを確率》
最後、"確立"が"確率"になってる点はご愛敬として、その目の付け所は
中々いいように思える。
会社名は……株式会社ラケシス。
確かギリシャ神話の女神の名前だったか。
この手の神話から名前をとる会社、多いよな。
それはさておき――――
「狭間様に依頼したいのは、この会社の調査です」
ほう。
なるほど、そういう事か。
メディアミックスはしたいけど、パイプがない状況で
向こうからアプローチしてきたんだから、できれば協力体制を築きたい。
でも、信頼に足る会社かどうかはわからない。
何せ実績がないに等しいんだから、数字上での判断はできない。
そこで、どれだけの技術と人脈を持っていて、どれだけの
可能性を秘めた会社なのかを見極める為、探偵の俺に密偵の仕事を
依頼してきた訳か。
密偵か……
密偵……
な、なんて探偵っぽい仕事なんだ!
「本来なら、実績のあるメーカーにお願いしたいんですけど、
何せウチは弱小出版社の弱小部門なので……それに、これだけ
早くウチの作品に目を付けてくれた会社を無碍にも出来ませんし。
どうかお願いします」
ペコリ、と頭を下げてくる小倉さんへの返事は既に決まっていた。
尊敬するりりりり先生の為の依頼。
しかも探偵らしい仕事。
断わる理由は何処にもない。
紛れもなく、ここ最近で一番燃える依頼だ。
「事情はわかりました。引き受けます」
そう、引き受ける――――って、俺より先に黒羽根が返事しやがった!
「……まあ、そういう事で。契約書は後で作成して郵送しますよ」
「助かります。実は清田、最近とあるゲームにハマって、すっかり
ゲーム好きになっていて……今回の件を相当喜んでいるんです。
できれば、良い会社であって欲しいんですが」
売れっ子マンガ家になったってのに、ゲームする暇なんてあるのか?
りりりり先生らしいというか……マイペースな人だ。
「ちなみに、どんなゲームにハマってるんですか?」
「……うたプリ」
うたプリ?
「うたプリは女性向けの恋愛ゲーム『うたの☆プリンスさまっ♪』の略称。
メディアミックスが成功して大当たり中」
例の如く黒羽根は得意ジャンルなので堂々と解説。
女性向け恋愛ゲームってのは所謂乙女ゲーってヤツか。
その説明から察するに、りりりり先生も黒羽根と同じ趣味なのか……
「最近は暇を見ちゃPSP引っ張り出して……ああ、教えるんじゃなかった」
アンタが教えたんかい!
乙女ゲープレイ率高いな、俺の周り。
「では、三日後にまた来ますので、その時に経過を教えて頂けれな」
「三日後……ですか」
「はい、三日後。三日でお願いします。では、私はこれから重要な
会議があるので、これで」
まるでムチでも振るかのようなキレのある動きで
小倉さんは資料とタブレットを鞄に入れ、席を立ち、
事務所を出て行った。
なんとも慌ただしいご帰還だ。
……さて、それじゃまず確認をしておくか。
「手土産の中身は……ん? なんだコレ、いなごの佃煮?
まいったな……甘露煮は俺の中じゃノー甘味なんだよ。
黒羽根、持って帰る? お前の家の茶菓子と交換してくれ」
「探偵、意地汚っ」
黒羽根に蔑まれたものの、重要な確認を終えた俺は
久々の燃える仕事に向け早速情報収集の準備を始めた。
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