株式会社ラケシス――――
企画書には住所とメールアドレスしか記載されていない、謎のゲーム会社。
インターネットで検索してみても、同名の会社は医薬品製剤メーカーしか
見つからなかった(しかも正確にはラケシス・ジャパン)。
本文中に『新鋭の会社』と記してあるだけで、沿革や実績は不明。
どの媒体のゲームを作る会社なのか、スタッフは何人いるのか
等の情報すらまともに記載していない。
メールでのやり取りもまだしていないみたいだし、
小倉さんは相当怪しんでいるみたいだ。
一方で、企画書の内容はしっかりした物になっている。
ゲームのジャンルは育成SLG。
キャラクターの能力をパラメータ化するなどして、
キャラクターを成長させる事を目的としたジャンルだ。
「育成SLGは、キャラゲーでよくあるジャンルの一つ」
電車内の少し硬いシートに身体を預ける俺に、
隣の席から黒羽根が声を掛けてきた。
ガタンゴトン、というどこかノスタルジックなレールの
継ぎ目の通過音は殆ど聞こえて来ない。
最近の線路はロングレールという継ぎ目の少ないレールに
しているらしく、それはそれで快適性の面ではいいんだろうけど
電車らしさが一つ失われている気がしないでもない。
で――――なんで俺と黒羽根が電車に乗っているかというと、
株式会社ラケシスを直撃訪問する為だ。
メールアドレスはわかってるんだから、メールでのコンタクトは
いつでも出来るんだけど、それをせずにいきなり押しかけた方が
会社の実体がより鮮明にわかる。
何しろ、企画書に書いてる会社の情報が少なすぎる。
胡散臭いと思われても仕方がない。
ただ、そこには事情があるのかもしれない。
近年、ゲーム制作会社と一言で言っても、それは必ずしも
家庭用ゲームやアーケードゲームを制作している会社を
指すとは限らない。
スマホでお手軽にプレイするアプリやソーシャルゲームを
制作する会社も含まれる。
新鋭の会社となると後者の可能性が高く、そうなると
まだ社会に出て間もない若い連中が興した会社という事が想定できる。
となると、まだ売り込み方とかコンタクトの際の礼儀が
よくわかっていない連中なのかもしれない。
それを確かめる上でも、実際に会ってみるのが好ましい。
そして俺らには、それを即実行できるだけの時間がある。
……暇だからね。
その辺のフットワークの軽さを買われて依頼された筈だ。
ウチの事務所がある共命町からはかなーり遠いんで
交通費はかかるけど、それは必要経費だから大丈夫。
ってな訳で、株式会社ラケシスがあるという某県までの
電車の旅の真っ直中、俺は黒羽根からゲームについての
レクチャーを受けていた。
「でもキャラゲーの購買層は普段ゲームをあんまりやらない
原作ファンも想定するから、本格的なSLGだと敬遠される。
だからショッボいシステムにしてADVのオマケにちょこっとSLG
要素を入れて難易度を抑えるのが定番」
「なるほど……企画書にもADV要素が濃いって書いてるな」
「ギャッピング・ガールはキャラ命のマンガだから
キャラ育成とADVの組み合わせが妥当かも。目新しさはないけど」
いつになく饒舌な黒羽根の説明は終わらない。
「キャラゲーはクソゲーの宝庫。原作ファンが一定数買う事が見込まれるから
中身についてはそんなに吟味されてないし、アニメ放送時期との兼ね合いで
納期を大きくズラせないのが主な理由。バランス崩壊の格ゲーとかエロい絵
出しとけばいいって投げやりなのも沢山ある。でも、逆に一定の需要が
見込めるからこそ無茶が出来る面もあって、普通やれない企画をキャラゲーで
やる事もある。その中には傑作もある」
「無難と冒険が混在した分野、って訳か」
「クソゲーだからって原作の人気まで落ちる、なんて事はまずないから
そういう意味では原作サイドのチェックも甘い」
素人ならではの辛辣なコメント。
とはいえ、黒羽根の話は一応筋が通っている。
そして、その内容はそのまま俺が今抱いている"ある懸念"を
支持するものでもある。
今回の訪問でその懸念を払拭できればいいんだけど……
「それにしても、ギャッピング・ガールがあんなに受けるとは……
俺が言うのもなんだけど、あれってそんなに面白いかなあ。
りりりり先生の個性が死んでる気がするんだけど」
「個性派のマンガ家が売れ線や王道展開を書いたら大当たりした。
これ、よくある話」
「ファンとしては複雑な心境だ……」
とはいえ、りりりり先生が売れて将来に困らない状態に
なるというのは素直に喜ぶべきかもしれない。
彼女がマンガ家を続ける限り、彼女らしい作品が読める
機会もあるだろうから。
「……勝ち組羨ましい」
そんな俺の隣で、ポツリと黒羽根が心の声を吐露した。
妬み、やっかみといった部類じゃなく、本気で羨ましがってるらしい。
「今の時点で15万部出荷って事は、最終的には1巻が50万部近く
売れる可能性もあるし、そうなると2巻以降もバカ売れ確実。
印税収入ハンパない。そんな人生が欲しい……」
「お前も目指せばいいだろ。興味あるんだろ?」
「……………………・・………………………………………………・・…………
………・…………………………………………・・………………………………
………………・……………………・………………………・・……………無理」
スッゲー溜めてからのネガティブ発言。
重い、重すぎる。
あの無理無理無理無理……って連呼するヤツの方がまだマシだ。
「まあ、お前の人生にそこまで首突っ込む気はないから好きにしろ。
ただし今回の仕事はお前の詳しいジャンルだから、お前に頑張って貰うぞ。
場合によってはお前がメーカーの人と話するかもしれんから、覚悟しとけよ」
「……え゛」
あれだけ饒舌だった黒羽根は、俺の一言で完全フリーズ。
到着まで一言も発せずにガクガクと震えていた。
そんなこんなで――――到着。
途中、これまで食べた事もないような黒毛和牛の駅弁を必要経費で食べたり
乗り継ぎ待ちの途中で黒羽根が緊張のあまりトイレから出てこなくなったり
色々あったものの、無事に某県へと辿り着いた。
そして、タクシーを利用して株式会社ラケシスへと向かう事に。
当然、必要経費で。
必要経費最高!
「……」
そんな優越感に浸りながらタクシー乗り場へ向かう俺の隣で、
黒羽根は顔面をカチコチにしながら歩いていた。
「あんまり気負うな。得意ジャンルなんだから、俺に話したみたいに
堂々とペラペラ持論を展開すりゃいいんだよ」
「……」
俺の助言に対し、黒羽根は血走った目で歌舞伎の見得ばりに
睨みつけてくる。
まあ、対人恐怖症持ちに取材という体の調査を任せるほど
俺も鬼じゃない。
本当に無理なようなら、俺が全部やるとしよう。
尤も、俺の懸念が現実のものになれば、その必要もないんだが――――
「ラケシスぅ? そんな会社聞いた事ないなぁ」
タクシーの運転手に行き先を告げた際のリアクションが、
無情にもその懸念の現実味を示唆していた。
仕方なく、目的の住所を告げその該当場所へと移動。
結果、そこには――――
「……やっぱりか!」
会社どころか建物すらなかった。
ただ電柱が立ってるだけの街路。
何を意味するのか、考えるまでもない。
あの企画書に記してあった住所は、架空の住所だったって訳だ。
「やったぜ」
対人交渉の必要がなくなった事で、黒羽根は大喜び。
全くこいつは……まあいい。
それより報告が先だ。
出でよスマホ。
「……あ、小倉さんですか? 例のゲーム会社の住所に行ってみたんですけど
どうやら虚偽記載だったようです。はい、そうです。会社自体ここにありません。
なので、今後その会社からまたコンタクトがあってもスルーして下さい」
俺は手短に小倉さんへの説明を行った。
架空の住所を自分の会社の住所だと偽って記載している場合、
その殆どは詐欺グループだと断定して間違いない。
この手の犯罪は昔から数多存在し、今もその数は減っていないらしい。
特に最近は、アニメだのマンガだのゲームだのラノベだのといった
エンタメ分野の詐欺が増えているという。
今回、ギャッピング・ガールがそのターゲットになったって訳だ。
その背景には、これまでヒットに恵まれてこなかった会社が
ギャッピング・ガールのような大ヒット作を突然生み出したという状況が
関係しているのは想像に難くない。
出版社および編集局は浮き足立ち、また慣れていない状況に戸惑いもある時期。
そこに『ゲーム化しませんか?』と声をかければ、直ぐに乗ってくる
可能性は十分にある。
そこで、まず説得力のある企画書を送り、信用を確保しつつ
コミュニケーションをとっていく。
その中で広告用にとイラストを描いて貰ったり、プレゼント用にとサイン色紙を
書かせたりして、納品後にそのままドロン。
ヒットしたばかりの作品の未発表イラストやサイン色紙となれば、その需要は
かなり大きい。
オークションで高額の売買が行われる事も珍しくない。
恐らく、小倉さんもそれを心配して俺に調査させたんだろう。
三日後にまた来るとか言ってた時点で、暗に『直に行って確かめて来て』と
言ってるようなもんだしな。
三日って期間は通常、外堀からの調査には短すぎる。
でもこうして直接乗り込むには十分な時間。
プロの探偵相手に方針まで口を出すのは行きすぎと判断し、
敢えて遠回しな物言いをしたんだろう。
中々のキレ者だ。
「……さて、連絡も終わったしこれで仕事は完了だ」
「終わり? 詐欺グループを突き止めて壊滅したりしねーの?」
「まだ騙される前の段階だから、そこまでは無理。虚偽の住所なんて
書き間違えたとでも言えばそれで済む話だからな」
連中にしてみれば、それこそゲーム感覚で詐欺を働いているんだろう。
真面目に現実を生きている人間が相手にする必要はない。
「なんで、仕事は終了。帰るぞ」
「つまんねー」
自分の仕事がなくなった途端、黒羽根は調子こいてブーブー
言い始めた。
……よーし。
「そこまで言うのなら、お前におとり捜査して貰うか。
テレビで見た事あるだろ? 詐欺グループに何度も何度も電話して
挑発的な態度とって最終的に会社に乗り込んで行くって番組。
お前、あれやってみろ」
「……え゛」
「スゲー罵声浴びるぞ。ドMにはたまらない仕事だと思うけど」
「無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理
無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理
無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理
無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理
無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理」
黒羽根はバブルヘッド人形みたいにプルプル首を振動させながら逃げていった。
……と、そんなこんなで一件落着。
ギャッピング・ガールのゲーム化は公になる事なく凍結した。
――――依頼開始から三日後。
「……この度は迅速に処理して頂き、ありがとうございました」
予定通り再訪してきた小倉さんは俺の提出した最終報告書を読み終え
深々と頭を下げてきた。
「いえいえ。貴女にはヒントも頂いてましたし、こちらとしては
難しい事は何もありませんでしたから」
「そう言って頂ければ……ふぅ」
小倉さんはお疲れの様子。
無理もない。
例の企画書が届いた時点で、大きな疑念もあったとはいえ
少しの期待も混在していただろうから、精神的にかなり疲れただろう。
もしラケシスが実際に存在する会社で、しかも先進性のある会社だったら、
2巻が出る前の段階でゲーム化を発表できる環境が整えられたかもしれない。
それは、ヒット作を出した事のないマンガ家や雑誌としては異例の展開。
恐らくマスコミの食いつきもいいだろう。
そうなれば、一気に飛躍できる可能性もあった訳だ。
詐欺である事が判明してホッとしてる反面、そんな一抹の期待が途絶えて
ガッカリしている――――そんなところか。
「ふぅ……」
「お疲れですね」
「はい……前に清田がゲームにハマっていると話しましたよね」
「覚えてます。りりりり先生もさぞ残念がっていたでしょう」
「ええ、とても。それで、どうしても諦めきれず自分で作ると言い出しまして」
……ん?
「それも、自分が今ハマってる『うたプリ』みたいなのを作ろう、と……」
……んん?
「いや、ギャッピング・ガールってモロ男向けのエロコメですよね?
乙女ゲーとは対極の作品じゃないですか」
「そうなのよ……それであのバカ、ならいっそ原作をTSモノにしようとか言い出して」
「TS?」
知らん単語が出て来た。
黒羽根に目で説明を求めてみる。
「TSは性転換を扱ったジャンル。マイナーだけど中には「らんま1/2」みたいなメジャー作もある」
ああ、なんとなくイメージできた。
って……ちょっ、待てよ。
って事は……
「そうなんです。それで……登場キャラを全部男性化して、完全BLにするって……」
……はあああああああ!?
そんなのアリなの!?
黒羽根に目で説明を求めてみる(二度目)と、微妙にウキウキした顔で頷いた。
「このジャンルは女体化が基本。男性化、しかも1話じゃなくてストーリーの途中に
いきなりってのは画期的かも」
「画期的な訳ねーっつーーーーーーーーーーーの!」
「ひっ」
小倉さんがキレた!
余りの剣幕に黒羽根、ビビリまくって硬直。
俺もフリーズ寸前だ。
「エロコメで売れたマンガの女キャラを男にする!? そんな読者への冒涜あるか!
読者にしたら『あ……ありのまま今起こった事を話すぜ!
《俺はエロいマンガを読んでいたと思ったらいつのまにか┌(┌^o^)┐ホモォ》
な……何を言っているのかわからねーと思うが俺も何をされたのかわからなかった……
頭がどうにかなりそうだった……テコ入れだとかバトル化だとか
そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……』
だろーが! あのクソマンガ家! せっかくの、せっかくの待望のヒットを無駄にする気か!?
私がどぉンンンンンンンだけ苦労してあのマンガを売り込んでるって思ってんだ!」
「お、落ち着いて下さい小倉さん。そんな無謀な試みが実現する訳ないですってば」
「それがそうでもないのよ……」
今度は急にシオシオと泣き崩れる小倉さん。
情緒不安定過ぎる……
「当然、こんな腐れ女子の妄想でヒット作をメチャクチャにする訳にはいかないから、
私の所で握り潰しておく話だったのよ。なのにあの野郎……あの横尾の野郎が
編集会議でこの一件を暴露しやがって、編集長が妙にノリノリになったのよう」
それは……ダメだろ編集長。
「編集長が言うにはね……その展開を支持する理由その1、女性向け作品は映像をはじめ
メディアミックス需要が堅いから展開しやすい。その2、ヒット中の方針変換といい男性化という
前例が少ない方向の変換といい、話題性十分。その3、りりりり先生はエロコメよりTSや
BLの方が活き活きとした作品が描けそう。以上の理由からゴーサインを出してもいい、だって」
「一見説得力がありそうで、リスクマネージメントの概念が皆無ですね」
「でしょ!? どんな判断よ! 金をドブに捨てる気!?」
今にも炎を吐きそうな勢いで吠える小倉さんを、俺はただただ呆然と眺めていた。
まさか今回の一件がこんな着地を見せるとは……
詐欺を働こうとした連中もまさか自分達の行いがこんな展開を招くとは
夢にも思っていなかっただろう。
これなら、騙されてた方がマシかも知れない。
「一応、まだ保留って事になってるけど、昨日編集長自ら清田に連絡入れて盛り上がったとか……
はぁ、次の会議が怖い……」
「えっと……ご愁傷様です」
「そういう訳で、次の依頼です」
床に額がつくほど項垂れていた小倉さんが、ブワッと上体を持ち上げる。
挙動がゾンビだ。
そしてその腐った目は、俺じゃなく黒羽根を睨んでいた。
「どうやら助手の貴女、こっちの世界の事情に詳しい様子。如何にこの展開に無理があるか、
如何に自分達のしている事が無謀であり得ない愚行なのかを私以外の編集部および
清田りりりりに説明、いや説得して下さい。資料集めには私も全面協力しますので」
「……うえっ?」
「うえっ、じゃありません。貴女がするんです。貴女にしか頼めません。
お願いです。私の出世を……私の野望を守って下さい!」
「――――――――――――――――」
すがりつく勢いで小倉さんに懇願された黒羽根は、案の定完全フリーズ。
とはいえ、正式な依頼である以上断れる筈もなく、暫く黒羽根はこの件で
忙しくなる事となった。
それはつまり、契約期間の延長を意味する。
まあ、これはまた別の話として――――
架空の企画書が生み出した猶予期間に果たしてどんな意味があるのか。
これはもしかして、運命とか宿命とかそういう類のモノなんじゃないのか。
俺はなんとなく、そんな事を考えながら小倉さんの手土産の包装紙を
ピリピリと破いていた。
今回の教訓。
現実はゲームより奇なり。
そして――――非情である。
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