アロハオェェェェェ。
 別にハワイとは縁も所縁もないし健康を害してもいない狭間十色だ。
 単に取り乱しているだけだとここに宣言しておこう。
 そう、俺は今、取り乱している。
 半ば錯乱状態だ。
 突然だが、まず現状をお伝えしよう。
 仕事の電話が今し方入ったばかりという珍しい状況である。
 しかも、どっちかってーと推理小説に出て来る探偵が請け負いそうな
 タイプの仕事だ。
 なんと、この街に住む10歳の小学生が行方不明になったという。
 最近、ゲーム絡みの案件が続いていただけに、妙に現実感のある
 ちょっと底冷えのしそうな真夏の事件だ。
 といっても、行方がわからなくなったのは今日の事で、
 まだアフタヌーンの時間帯だから、事件と呼べるかどうかは微妙、というか
 事件にまでは到らないってのが正直なところ。
 過保護な親の勇み足って可能性も否定出来ない。
 電話してきたのは、親じゃなく兄だったけど。
 ただ……今回の以来、単に行方不明事件(仮)ってだけじゃない。
 依頼人は、この共命町にあるスパランド【CSPA】の経営者の息子との事。
 このスパランドは、胡桃沢君がアルバイトとして働いている所だ。
 つまり今回の以来、彼女と遭遇する可能性が高い。
 ……これは想定外。
 まさかこんな形で再会する事になろうとは。
 いや、メールやスカイプでは何度もやり取りしてるし、
 近いウチに直接会って話をしようとは思ってたけど、
 あんまりにも突然なんで心の準備が出来ていないというか……
「うわああああああ私のクビ確定だあああああ終わったああああああああ」
 でも、もっと心の準備が出来てない奴が身近にいたんで
 割と冷静になれた。
 こういう時、自分より取り乱してくれる存在はありがたい。
「落ち着け黒羽根。確かにお前はクビ濃厚だけど、まだ決まった訳じゃないじゃないか」
「決めるのはアンタじゃん! そのアンタにクビ濃厚言われてるし!」
「いや、だってお前やる気ないんだもん。多少雑用が出来るようになったけど、
 そこで満足してるようじゃ……」
 ふーっ、やれやれ的なジェスチャーで黒羽根を挑発してみる。
 その結果――――
「だ、だったらやる気見せればクビ回避出来るんだな?  腐女子向けのゲームに
 チョコチョコ課金するくらいのショボい報酬を楽して手に入れられるこの環境を
 キープ出来るんだな?」
「おい、ぶっちゃけ過ぎだぞ」
「よーーーしわかった! やる気出してこの事件手伝ってやるから見とけヘボ探偵!」
 ……なんかコイツ、悪い意味で馴染んできたよな。
 根暗なのは変わらないけど、喜怒哀楽はかなり明瞭になってきた。
 出会った当初は他人でありながら思わず将来を悲観してしまうようなヤツだったけど、
 今なら普通に生きていけるだろう。
 一応、雇用した甲斐はあったって事で適当に言いくるめて、
 胡桃沢君復帰にあたって円満退社して貰うとするか。
「……何だよ、その張り切ったって無駄って顔は。私がどんなに頑張っても
 もうクビになるのは決めてるのにププ、って顔は!」
「お、洞察力もアップしてるじゃんか。将来探偵でも目指すか?」
 マンガ家や小説家より遥かに現実味のない夢職業。
 俺は100%冗談と皮肉のつもりでそう言い放ったつもりだったんだが、
 何故か黒羽根は妙に表情を活き活きとさせ始めた。
「探偵……腐女子探偵黒羽根螺旋……い、いいかも」
「……お前、まさか本気にしちゃいないよな?」
 腐女子探偵。
 あらゆる事件に腐向け思考を適用し、あり得ない妄想を撒き散らしながら
 推理していく探偵。
 殺人事件があった場合、同性同士の痴情のもつれを当たり前のように
 仮定するとか、そんなん。
 ……って、マジでシャレにならないぞ!
「ま、こんなのが探偵になれるほど世の中甘くはないけどさ」
「うーわ暴言だ暴言。コイツマジ最悪。腐女子から妄想取ったら
 何が残るんだよ畜生。夢くらい見てもいいだろ」
 取り敢えず、実現不可能って自覚はあるらしい。
 十代で探偵業やってるの俺が言うのもなんだが、
 探偵なんて簡単になれるモンじゃないし、なるモンでもない。
 っていうか、同業者の数は一人でも少ない方がいい。
 万が一、コイツが本当に腐女子探偵になって、街の人気者にでもなってみろ。
 俺の立場はどうなる?
 どんな小さな芽でも、摘んでおくべきなのだよ。
 さて……下らないやり取りをしてる間に平常心を取り戻した事だし、
 依頼人の元へ行くとしよう。
 胡桃沢君との再会は……ま、なるようになれ、だ。
「行くぞ黒羽根。準備しろ」
「あいさー」
 なんか妙に阿吽の呼吸が出来上がってるかのように、黒羽根は
 既に外出準備を終えていた。
 何気に助手業も板についてきたな。
 だからといって、手放すのが惜しいって気には一切ならないけど。
 そんな訳で、俺は黒羽根と共にスパランド【CSPA】へと向かった。

 


 同じ共命町にある施設とあって、ウチの事務所からは徒歩20分という
 近場にあった【CSPA】の第一印象は、一言で言えば『妙』。
 一言どころが一語だけど、こんなにこの言葉が似合う施設は中々ない。
 俺もスパランドには全く明るくないし、そもそも一度も行った事ないんだけど、
 少なくとも俺の中のイメージにあるスパランドとは大分違う。
 まず看板。
「……動物園?」
 黒羽根の言うように、動物園の看板としか思えないような、動物の絵が
 描かれた可愛い仕上がりになっている。
 この動物は……ラッコか?
 いや、ラッコってこんな面長じゃないよな。
 あ、思い出した。
 カピバラって動物だ。
 ここ何年かで急激に知名度を上げた動物だな。
 そういや夕方にやってるローカルニュースで、共命町にカピバラが
 現れたとか何とか言ってたような記憶が……まさかこのスパランドが召致したのか?
 随分思い切った事するんだな……
「たっ……」
 ん?
 なんか今、遠くから叫び声が聞こえたような……
「探偵さあああああああああああああああああああああん!」
 うわ、耳が!
 日常では決して聞く事のない絶叫で耳がやられた!
「街の探偵さんですよね!? 彩莉を! 彩莉を探して下さい! もう、彩莉がいなくなって
 もう八時間くらい経ってるんです! 彩莉に万が一の事があったら俺は! 俺は!」
「お、落ち着いて下さい! 初対面の男にウネウネされても困ります!」
「彩莉を探して下さいよぉーーーーーーーっ! お願いですからぁーーーーーーっ!」
 同世代と思しきその男は滝のように涙をダーッと流し、俺にすがりつくようにして懇願してきた。
 どうやら依頼人らしい。
 ……困ったな。
 どうやら重度のシスコンのご様子。
 取り乱し方が尋常じゃない。
 ……いや待て。
 電話口ではここまで取り乱してなかったぞ。
 何があったんだ一体。
「とにかく、冷静に。何事もまずそれが基本です。妹さんは俺が必ず探し出してみせますから」
「うう……す、すいません。なんか悪い方悪い方に想像が働いて、つい……」
 依頼人の男は俺から離れ、自分の袖で涙を拭き始めた。
 どうやら落ち着いたらしい。
「……大変失礼しました。私、スパランド【CSPA】の従業員、有馬湯哉と言います」
 お、おう。
 よかった、どうやら普通の人みたいだ。
 あのテンションがデフォルトだったら、流石につき合いきれない。
 余程妹さんの事が心配なんだろう。
 正直同年代のシスコンってちょっとヤだけど、妹想いと見なせば多少は……ね?
「……」
 ん、いつの間にか黒羽根が俺の身体を盾にして隠れてやがる。
「どうした黒羽根。もう大丈夫だぞ。さっきのは人間なら誰でも一度くらいは
 やってしまう半狂乱ってヤツだ。っていうかお前の得意技だろ」
「いや、得意技とかそういうんじゃないし……っていうか、なんて言うか」
 妙に歯切れの悪い声で、黒羽根は必死に身を縮めている。
 人見知りが発動してるようだけど、なんかそれだけじゃなさそうだ。
「……黒羽根? もしかして、ウチのクラスの?」
 依頼人、仰天発言。
 なんと黒羽根のクラスメートだと判明した!
 って事は、胡桃沢君のクラスメートでもあるのか?
 ああ、だからここで働いてるのか。
 ……どういう関係なのか、ちょっと尋問したい気もするけど、今は私情は置いておこう。
「ヒ、ヒトチガイデスヨ。ワタシニホンジンチャウネン」
「慣れない事するなよ……そもそもお前の苗字珍しいから、もうバレバレだろ」
「うわー終わったー終わったークラスメートに素性知られたーもうバイトできねー」
 どうやら黒羽根は身バレを恐れていた模様。
 いや、胡桃沢君にバイトさせてるくらいだし、その辺は融通利かせてくれるだろ、多分。
 俺はなんとなーくその辺を期待して、依頼人に目配せしてみる。
 ありがたい事に、依頼人はコクコクと頷いてくれた。
 サービス業やってるだけあって、察しが良い。
「それで、街の探偵さん。実は……」
「狭間十色と言います」
「あ、えっと……狭間探偵。実は……」
「その呼び方は止めてくれ。探偵ナイトスクープになっちゃうから」
「た、確かに。それじゃ十色探偵で」
 別に"探偵"は付けなくてもいいんだけど……ま、いいか。
「それはともかく、そちらのお名前も聞かせて貰えるとありがたいんですが」
「あ! 自己紹介まだでしたね。すいません……色々な感情が入り乱れてパニックになっちゃって」
 そう言いながら、依頼人は名刺を出して俺にくれた。
 名刺か……作った方がいいよな、やっぱり。
 持たない主義で通してはきたけど、名刺持ってない探偵って普通に非常識なんだよなあ。
 世界で俺だけなんじゃないか。
 そうだ、胡桃沢君に作って貰おう。
 復帰最初の仕事はこれくらいのがいいだろう。
 それはともかく――――名刺には"有馬湯哉"と書かれていた。
 胡桃沢君や黒羽根の同級生って事は、俺の一コ下か。
 その年齢で、学校に行きながら働いてるのか。
 労働少年ってヤツだな。
 そういや、苦労が顔に出てる気がする。
 シスコンなのはともかく、なんか親近感が湧いてきた。
「それじゃ、有馬君。さっきの話の続きをどうぞ」
「あ……はい。えっと、実は十色探偵の関係者がウチで働いてて……」
「胡桃沢君だね」
「そうなんです。それで、彼女なんですが……」
 さて、どうしたもんか。
 会わせてくれと言うのも何だしな。
 彼が自然に取り次いでくれれば、それがベストなんだけど。
「行方不明になってしまいまして」
「……は?」
 ……は?
 思わず声と心の声を同期させてしまった。
「えっと……確か行方不明になったのは、君の妹さんだという話だった筈じゃ」
「はい。彩莉というんですけど、その妹と、ウチの従業員一名、そして胡桃沢さん。
 合計三人が行方不明に」
 な……なんだそりゃ!?
「え……何ソレ。大事件じゃん」
 黒羽根がドン引きするのも無理のない話だけど、俺にとっちゃそれどころじゃない。
 胡桃沢君が行方不明……?
 それも、合計三名も?
「詳しい事をお話しします。どうぞ、中へ」
 すっかり冷静さを取り戻していた有馬君とは対照的に、俺の頭の中は
 カオスと化していた。








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