一気に冷え込みが厳しくなってくるかと覚悟していた一一月上旬。
俺はというと、残暑の更に名残とでもいうべき中途半端な温さの空気に
支配され、未だ蚊の舞う【はざま探偵事務所】のソファで惰眠を貪っていた。
「おはようございます! もーっ所長、早く起きないと学校遅刻
しちゃうんだからね! 所長のバカ!」
「んあ……?」
「べ、別に所長の為に毎日起こしに来てるんじゃないんだからね!
偶々お家が近所で、両親同士が仲良くて、所長のお母さんから
『所長をよろしくね。あの子ダラしなくて、水面ちゃんが来ないと起きないの』
なんて言われてるから、仕方なく――――」
「胡桃沢君……一日ごとにキャラ変えるの止めて……寝起きにそれ辛い」
未だ手応えのあるキャラを探し切れていないのか、現実を歪めてまで
幼なじみを演じていた胡桃沢君は、終始煮干しが追い打ちで炙られている
ような目をしながら俺を揺さぶっていた。
「んんー、これもしっくり来ません。私ってどんなキャラが似合うんでしょうか」
「何にしても、そろそろどれかに絞って固めた方がいいと思うよ」
自分探しの旅に出たままサントメ・プリンシペ辺りに漂流して
戻れなくなった旅人のように、胡桃沢君は人生の迷子になっていた。
「それはともかく所長、ドアの前にこんなものが置いてましたよ」
本日はウォンバットの耳を付けている胡桃沢君が、口を尖らせながら
俺に差し出してきたのは――――手紙だった。
封筒にも入っていない、今時珍しい手書きの手紙。
そこに書かれている文字の殆どは、ひらがなだった。
「……本当に小学生だったんですね。所長、ドンピシャです」
一通り手紙を読み終えた俺がそれを机に広げると、胡桃沢君が
尊敬の眼差しを向けてきた。
ようやく、助手らしい一面を覗かせてくれた彼女に対し不敵に微笑みつつ、
俺は寝癖を直すため洗面台へと向かう。
排水パイプの側面に無理矢理くっつけただけにしか見えない、
かなり簡易的な洗面台で顔を洗うと、ぼやえていた視界がクリアになり、
周囲の壁の細かい傷や微かな亀裂が嫌でも目に入る。
この部屋だけじゃない。
坂上ビルの至る所に、ヒビ割れは確認出来る。
――――今回の事件の、ある意味主役とも言えるヒビが。
『おかし、ありがとうございました。
みんなでおいしく食べました。
すんでいる人がいるなんて、しりませんでした。
おさわがせしてごめんなさい。
でも、このビルはかたむいて潰れるかもしれませんので、
早めに出ていったほうがいいとおもいます。
おしごとがんばってください』
手紙に記された言葉を一語一句、胡桃沢君は噛みしめるように読み上げた。
そう。
この手紙の記述が、今回の小さな事件の全容だ。
事の発端、俺が爆発音を聞いた日はハロウィン。
本来の収穫祭としての意味合いは薄れ、現代ではクリスマス同様、
イベントの一つとして浸透している。
このハロウィンがまだマイナーだった頃は、仮装した子供が大人の元へ向かい
『Trick or
Treat?(お菓子をくれないといたずらしちゃうぞ)』と唱える習慣が
有名だったけど、今は廃れつつあり、仮装をして練り歩きワイワイ楽しく過ごす日
という形で定着し始めているらしい。
あの爆発音の原因は――――そんな現代ならではのハロウィンを楽しんでいた子供だった。
この坂上ビルを無人の廃ビルだと思い、仮装した子供達が深夜忍び込み、
遊び場として使ったんだろう。
恐らく、花火か何かしらのゲーム。
二日目の悲鳴はロケット花火か、ゲームで失敗してあげた悲鳴のどちらか。
恐らく前者だろうと俺は踏んだ。
というのも、犯人は『男性か女性かわからない中性的な声』だったからだ。
つまり、まだ声変わりをしていない子供。
三日目の電話が一日目、二日目と繋がっていると推察すれば、
自ずとそういう犯人像が浮かんでくる。
問題は――――どうして脅迫めいた電話をかけてきたのか。
最初はこのビルに俺がいる事を知り、自分達の遊び場から追い出す為に
脅迫しているのかと思った。
でも違う。
胡桃沢君が言っていたように、内容は脅迫というより忠告だ。
そう。
あれは忠告だった。
恐らく、連日報道されている欠陥工事のニュースと、このビル内に無数に
存在するヒビを結びつけて、このビルも欠陥工事による産物で
傾き潰れてしまうのでは……と心配したんだろう。
胡桃沢君が偶々その正解を言い当てた事で動揺し、慌てて電話を切ったんじゃないだろうか。
勿論、こんなのは推理でも何でもない。
ただの推察だ。
とても確信を持てるような内容じゃないからな。
そこで俺は、自分の推察が正しいかどうかを確認すべく、彼らにメッセージを送った。
欠陥工事のビルで遊ぶのは危険と判断し、近付かなくなった子供達。
でも、きっとまた来る。
子供の好奇心ってのはそういうもんだ。
そう予想し、俺がこのビル内で働いている事、そしてここからは暫く引っ越し出来ない事を
手紙にしたため、お菓子と共に事務所のドアの前に置いてみた結果、
こうして返事が貰えたってワケだ。
「所長がお仕事で頻繁に出入りしてたら、廃ビルなんて誤解されなかったかもしれませんね」
「うるさいよ」
「あはは。でも、良い子達ですね。こんな手紙をわざわざくれて。ジーンと来ちゃいました」
胡桃沢君はじっと手紙を眺めながら、時折目を細めていた。
「でも、もし俺達が真実に到達出来ず、『脅迫電話を受けた』と警察にでも届けてたら
彼らは深夜ビルに集まって遊び、住民を脅して追い出そうとする悪ガキっていう
レッテルを貼られただろうね」
「それは……」
「人間には良い面も悪い面もある。陳腐な言い方をすれば、天使にでも悪魔にでもなるんじゃなく、
天使も悪魔も心に棲まわせている。子供なら尚更ね」
真実は一つ。
それは真理だ。
でも、必ずしも不変とは限らない。
表層で概念として固定している物も、実際には次々と変貌し続ける
性質を内包している。
幽霊然り、人間然り。
その中から、真実を見抜き抽出する事は難しい。
その難しい作業を涼しい顔で遂行するのが、探偵の仕事だ。
余談だけど――――ハロウィンで仮装するのは、幽霊たちの目を欺く為と言われている。
10月31日の夜、この世とあの世の境目がなくなり、悪霊や悪魔……つまりは"幽霊"が
あの世からやって来ると信じられていて、その幽霊達から乗り移られないよう、
幽霊の格好をして『自分達はあなたがたの仲間だ』とアピールする目的で行われていたらしい。
要するに、ハロウィンの仮装は本来、幽霊に化ける為のものだ。
そういう意味では、今回俺に電話を掛けてきた子供達は、幽霊だったと言えるのかもしれない。
いや……
本当の意味で幽霊だったとも考えられる。
何故なら、俺は彼らの姿を一度も見ていないのだから。
「所長」
九割冗談、一割ロマンを込めた俺の思考を、手紙を畳み顔を上げた胡桃沢君が吹き消す。
「実は私、幽霊なんです」
「……」
「って言ったら、信じますか?」
悪戯っぽい笑み。
生温い筈の空気が一瞬、冬の始まりを思わせた。
「胡桃沢君が幽霊の可能性はゼロだな」
「どうしてですか?」
「幽霊の助手なんて、キャラ立ち過ぎて胡桃沢君じゃないから」
「所長! もう!」
それでも――――幽霊のいる確率は、俺の中で微かに変動した。
一年後の天気と同じくらいの曖昧さでしかないけれど。
それもまた、探偵の本分だ。
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