まずは僕の話を聞いてください。
 その上で判断して貰いたいです。

 僕は恋をしました。
 直接話した事はありません。
 でも運命を信じています。
 神様のお導きだと思うんです。
 それくらい彼女は魅力的でした。

 彼女は変わった格好をしていました。
 よくヘッドホンをしています。
 最初に彼女を見かけた時もそうでした。
 ちょっとクールな雰囲気がとても似合っていて、僕は一瞬で見惚れました。
 
 髪型は二つ結びです。
 風が強い場合はその髪が靡いていて凄く魅力的に映ります。
 服装は様々で、ノースリーブで露出が多い事もあれば大人っぽくシックに着飾っている事もあります。
 どれも似合っていて最高です。

 足下はロングタイツとスニーカーでカジュアルな組み合わせにしている事が多いです。
 でも結構尖った一面もあるみたいで、黒のロングブーツを履いている事もあります。
 そういう所も素敵です。

 僕は彼女の事を何も知りません。
 名前とか簡単なプロフィールは知っていますが、それと見た目くらいです。
 だからどういう性格なのかも具体的にはわかりませんし、わからなくても恋に支障はありません。
 彼女を見ているだけで僕の心はいつも張り裂けそうなくらいドキドキします。

 僕は教室で彼女を見ているだけで幸せです。
 それ以上は何も望みません。
 自分から何かアクションを起こしたり、接触を試みたりする事は未来永劫ありません。

 でも一つだけ望みがあります。

 僕は彼女に永遠であって欲しい。
 そこから踏み出さないで欲しい。
 彼女が彼女ではなくなる気がするから。

 もし彼女が正しく彼女でなくなるのなら、僕はもう耐えられない。
 その時僕はきっと、彼女から目を逸らしてしまう。
 心さえ失ってしまうかもしれない。

 だから僕は、僕自身も永遠である事を選びます。
 
 僕のこの恋を理解して欲しいとも思ってません。
 これが一般的な恋愛感情じゃない事くらいはわかっています。
 僕はきっと特殊な感性を持って生まれた人間なんでしょう。

 けれど僕はその事を遜る事も致しません。
 僕には僕の生き方があって、それは僕だけの権利だと思うんです。
 他人にご迷惑をお掛けしない限りは、思慕はどんな形であっても良い筈です。

 だから僕は自分の生き様に後悔はありません。
 彼女に恋をして、彼女に見惚れた自分を恥ずかしくは思いません。
 他人からどう思われようと、僕は永遠を信じています。

 僕の話は以上です。
 どうぞ御判断を頂きたく存じます。

 

 

 


「……」

 あまり良い気分はしない。
 決して長くはないこの文章は、それでも俺の胸を鷲掴みにして無造作に引き千切ろうとするような、なんとも面妖な禍々しさに溢れている。

「所長、また見てるんですか?」

「まーね。他に抱えてる案件もないし」

 俺がこの"遺書"を遺族から受け取ったのは五日前の事。
 以来、暇さえあればこの文面に目を通している。
 だけど、まだ問い掛けに対しての回答は見えて来ない。


 これを書いたのは、仁科優斗という16歳の高校生男子。
 ただし厳密には書いた訳じゃない。
 スマホのメモ機能に記された文面で、それをコピーさせて貰っただけだ。

 日付は仁科優斗が亡くなった日。
 ただ、それ自体はあまり意味がない。
 第三者が細工する事は何ら難しくないからな。

 とはいえ、御遺族の依頼は『本当に優斗は自殺したのか?』じゃない。
 この遺書の真相を解き明かして欲しい、というものだ。

 彼は夏休み最終日の前日、駅の近くにある立体駐車場から飛び降りて亡くなった。
 事件性を疑う要素はなく、警察も早々に自殺と断定。
 飛び降りたと思われる場所にスマホが置いてあり、この遺書を書いたメモが表示されていたらしい。

 自殺の動機は不明。
 この遺書の中に書かれている内容から察するに、彼が恋をしていたという女子に関係している可能性が極めて高い。
 文面を素直に受け止めれば、ストーカー行為に及んでそれを他者から咎められた事を苦にしての自死……と読める。

 ただ、彼の通う学校にこの文章内の格好をしているという女子は見当たらなかった。
 つまり、原因となり得る人物自体が存在しない。
 ストーカー行為以前の問題だ。

 けれども警察は自殺と断定した。
 こういう自殺濃厚なケースでは動機は余り重要視されず、現場の状況などから『自殺として矛盾がないか』という点を調べ、矛盾がなければ自殺という結論に至るのが常だ。

 理由は単純明快。

 自殺した人間の真の動機など本人しかわからず、その本人から直接話を聞く事は出来ない。
 自殺者の精神状態は正常ではなく、論理的な動機である保証がそもそもない。

 ミもフタもない言い方をすれば、自殺の動機に理路整然としたものが必ずあるという前提が間違っている。
 あるケースも膨大にある一方、周囲の誰もが理解不能なタイミングで自ら命を絶つケースもまた膨大に存在する。
 何しろ、日本だけで一年の間に約2万人が自殺している訳だからな。

 極論を言えば、遺書があってもその遺書の内容が正しいとは限らない。
 それは別に真犯人が他にいる偽装殺人って訳じゃない。
 書いた本人が真実を書き残していない可能性があるって事だ。

 意図的に嘘をついている場合もあれば、自分の意志とは関係なく精神的な混乱や病気の症状などでそうなってしまう場合もある。
 いずれにしても、遺書の内容の信憑性を文面のまま鵜呑みにする事は出来ないのが現実だ。

 だけど、遺族は納得が出来ない。
 信憑性があろうとなかろうと、死を選んだ身内が最後に残した言葉を疑うなどあり得ない事。
 これもまた、絶対的な現実として俺達は認識しなきゃならない。

「どうします? また一から聞き込みをしますか?」

 この五日間、胡桃沢君には徹底的に仁科優斗の周辺を探って貰った。
 でも警察が調べた通り、該当する女子は見当たらなかったし心当たりのある人間もいなかった。
 ヘッドホンやロングブーツという記述から、ライブハウスに通っている可能性も示唆されていたそうだが、結局そういう生徒も該当はしなかった。

 ストーカー行為を連想させる記述は服装に対する言及。
 毎日のように彼女の私服姿を見張っている様子が窺える為、彼女の行動を逐一追っている可能性は否定できない。
 以降の何処か思い込みの強さを感じさせる文面も、ストーカー特有の視野狭窄を思わせる内容だ。

「いや……聞き込みよりもまず、この遺書を読み解くべきだと思うんだ」

 正直、ずっと違和感を抱いている。
 そもそもが遺書としては具体性に欠け過ぎているし、曖昧で抽象的な割に伝えようとする必死さも感じる。
 そこに妙な齟齬がある。

 加えて、幾つかの文章に不自然な表現も散見される。
 日本語として怪しいギリギリのラインだ。
 でも思考障害を疑うほどじゃない。

 恐らく警察は、彼の『どうぞ御判断を頂きたく存じます』で締めるこの遺書を、自分がストーカーじゃないという訴えだと断定しているんだろう。
 俺に依頼して来た遺族に、そんな感じの説明をしたらしい。
 自分の命をもってストーカーの汚名を晴らす、という言い分だ。

 でも俺は、それはほぼないと思っている。
 ストーカーを疑われていて、かつ極めて不本意だと感じているのなら、当然その事への言及があるだろう。
 文面に『ストーカー』と記述するのが嫌なくらい辟易していると受け取れない事もないけど、それなら尚更その感情をぶつける筈だ。

 だけど、この遺書からはそういった怒りや不本意といった感情は全く見えない。
 でも警察はいちいちそこにまで論理的な理由を求めない。
 怒っていなかったとしても、自殺を決行する事に矛盾はないからだ。

 俺は警察じゃない。
 探偵だ。
 だから当然、この遺書の中に潜んでいる何かを見つけ出さなきゃならない。

 俺がこの遺書から感じるのは……恐れだ。
『でも一つだけ望みがあります』から始まる数行からは、彼女に対する羨望だけじゃなく、何かを恐れているように感じる。
 それが『彼女が正しく彼女でなくなる』に起因するのだとしたら、『彼女が永遠であって欲しい』という願いからズレていく事を意味するんだろう。

 この場合の永遠は何を指す?
 永遠じゃなくなるってのはどういう事だ?

「永遠……ですか。永遠の憧れでいて欲しい、みたいな事なんですかね」

「人に対して永遠って言葉を使う時は、大体そんな感じだよね」
 
 胡桃沢君の見解は恐らく正しい。
 仁科優斗は"彼女"に恋をし、更に永遠性を求めている。
 それは永遠のヒロインであって欲しいという願いだ。

 彼は彼女の名前と見た目しか知らないと言う。
 それで恋していると断言するのは確かに一般的ではないかもしれないけど、見た目だけで恋愛感情を抱く事自体は異常じゃない。
 問題は、彼が彼女に恋をした理由が見た目であるという事実だ。

 現実として、ずっと同じ見た目であり続ける事はあり得ない。
 例えば思い出の中でならあり得るかもしれない。
 でもそれは自分の問題であって、彼女に望む事じゃない。

 ずっと引っかかっているのはそこだ。
 自殺した人間が変な事を書き残すのは別に不自然でも何でもないけど、この文面は何かがズレている気がする。
 単なる思考障害や精神の混乱とは違う、全く別の次元のズレを感じる。

「絶対に見た目が変わらない事を望むって、どういう心理なんだろうね」

「うーん……今の見た目が完璧過ぎて、それ以外は認められないって事でしょうか」

「でもそこまで固執しているのなら、接触しないってのも妙な話だよ。『君は変わるな』って怪文書の一つでも送るものじゃない?」

「それはわかりませんけど、何かズレてますよねー」

 胡桃沢君も俺と同じように感じている。
 そうだ、何かが決定的にズレている。
 だから要領を得ない。

 永遠。
 不変。
 変わる事のない人間……そんな人間はいない。

 だったら―――― 


「人間じゃない……のか?」


 頭の中にずっと漂っていた霧が、その発想一つで一気に晴れていく。
 探偵をしていて、一番気持ちが昂ぶる瞬間だ。

「どういう事ですか? まさかこの遺書を書いた子が人間じゃないとか言い出すんじゃないでしょうね。それはちょっと人としてどうかと思いますよ?」

「胡桃沢君。生憎だけど俺の思考はもうその次元にはない」

「……?」

「人間は絶対に変わる。成長も退化もする生き物だから。だとしたらそれは永遠にはなれない。永遠になり得るとしたら思い出の中だけだ。でも思い出なら自分の気の持ちようで良い。相手に望む必要はない」

「はあ」

 まだ胡桃沢君はピンと来ていない様子。
 そろそろ結論を告げてあげよう。

「永遠を望むとすれば、それは相手が人間じゃなく、だけど人間の場合だ」

「……何言ってるのか意味不明なんですけど。人間じゃないけど人間ってなんなんですか?」

「いるじゃない。そういう別次元の存在が幾らでも。特にこの日本には」

 胡桃沢君は暫し思案顔で俯き――――やがて目を見開いて顔を上げた。

「キャラクター!」

「そう。人間を描いたキャラクター。要は絵だ。絵なら永遠に変わらない」


 
 髪型は二つ結びです。
 風が強い場合はその髪が靡いていて凄く魅力的に映ります。
 服装は様々で、ノースリーブで露出が多い事もあれば大人っぽくシックに着飾っている事もあります。
 どれも似合っていて最高です。

 

 この文面、確かにリアルな人間を観察しているように見えなくもないけど、それよりも絵の事を言っている方がしっくり来る。
 ノースリーブの格好をした絵もあれば、シックに着飾っている絵もある……という事なんだろう。

 

 僕は教室で彼女を見ているだけで幸せです。
 それ以上は何も望みません。
 自分から何かアクションを起こしたり、接触を試みたりする事は未来永劫ありません。

 

 見ている以外に何も望まなかったのは、それ以外に出来る事がないからだ。
 接触を試みる事はそもそも出来ない。
 だから『未来永劫』という言葉が使われた。

 

 仁科優斗は人間に恋したんじゃない。
 キャラクターに……二次元の存在に恋をした。

 

 僕のこの恋を理解して欲しいとも思ってません。
 これが一般的な恋愛感情じゃない事くらいはわかっています。
 僕はきっと特殊な感性を持って生まれた人間なんでしょう。

 

 だから、自分でもそれが普通じゃないとわかっていた。
 彼が仰いだ判断は、自分がストーカーか否かという事じゃなかったんだ。

 でも、それは死を選ぶ直接的な理由にはなり得ない。
 自死に正当な理由があるとは限らないのは理解しているけど、これだけ自己肯定感がハッキリある人間が自ら命を絶つとは考え難いのも事実だ。

 何故、死ななきゃならなかった?
 死ななければ永遠を守れなかったからか?
 でも絵は彼の死に関係なく永遠……

「所長」

「何?」

「『ヘッドホン 二つ結び ロングタイツ キャラクター』で検索したら、このキャラが出て来たんですけど……これじゃないですか」

「見た事ある気がする。有名なキャラなのかも」

 確かに一致する点が多かった為、胡桃沢君の指摘したキャラを一通り調べる事にした。

 そして――――結論が出た。

「そういう事か」

「……どういう事なんですか?」

「わからない」

「へ?」

「結論は出たよ。多分合ってると思う。でも俺には全く理解が出来ない」

 そのキャラクターは16歳という設定だった。
 そして彼も16歳。
 同い年だ。

 

 僕は教室で彼女を見ているだけで幸せです。
 


 これは彼の空想……そのキャラとクラスメイトという設定に基づいた妄想なんだろう。
 そして、それが叶うのは今年だけ。
 彼が16歳でいる間だけだ。

 だから今年、命を絶った。
 17歳になれば、クラスメイトという設定に矛盾が生じるから。
 そうすれば、彼の中でその妄想は永遠となって完成するから。


 その後、更にそのキャラクターを調べてみたところ、今年で生誕16周年を迎えたらしい。
 元々16歳という設定だった為、その設定に世に出てからの年数が追い付いたって事だ。
 そして誕生日は――――彼が亡くなった日の翌日。

 彼の頭の中では、次の日にはそのキャラクターは17歳になっていたんだろうか。
 設定ではきっと16歳のままだと言うのに。
 彼の中の何かが動き出してしまうと思ったんだろうか。

 答えはわからない。
 既に彼はこの世の人間ではないから。

「……これが結論で良いんでしょうか。御遺族が納得するとも思えないですけど」

「納得は出来ないだろうね。フザけるなって怒鳴られるかもしれない」

 理解は出来ない。
 だけど、あの遺書を読んで俺は判断を下したんだから、そのまま伝えなくちゃならない。

「でも伝えるよ。ちゃんと」


 探偵に寄せられる依頼は必ずしも合理性を伴うものとは限らない。

 解決できない事もあるし、答えを出したところで納得して貰える保証もない。

 そういう仕事だからこそ堂々と、胸を張って宣言しよう。


「彼の望みはきっと叶う、って」



 ――――それが俺の最終判断だ。 









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