世の中は変わる。
時代と共に主となるコミュニケーションも変化し、日常生活の中に全く異なる様式を強引に組み込んでくる。
例えば1980年代は、遠方にいる相手とのやり取りは固定電話による通話と公衆電話が圧倒的に主流だった。
この頃にはショルダーフォンと呼ばれるバッグのような電話が誕生したが、重さが3kgあり価格も端末代20万、基本使用料2万円、通話料金1分100円という高額商品だったため、普及する事はなかった。
1990年代に入ると、携帯電話の開発が本格的に進む一方で中々現実的な価格水準には下がらず、その代わりにポケベルという物が大きなブームを呼んだ。
令和の時代になってもごく稀に耳にするこのポケベル、実は受信専用の通信機で、電話から短いメッセージを送る事が出来るという物。
初期の頃は数字のみしか送れなかったため、『084(おはよう)』などの語呂合わせでやり取りをしていたらしい。
その数年後、PHSという小型の携帯型無線通信機が登場。
当時高額だった携帯電話よりも安価で会話が可能だった為、学生を中心に爆発的なヒット商品になった。
更に時は進み2000年前後。
携帯電話が現実的な価格まで抑えられるようになり、更にインターネットの普及に伴いネット接続ができるサービスの付属、そしてメールとカメラ機能の搭載によって携帯電話が爆発的に普及。
特にメールは通話と違って記録に残しやすい、後で確認しやすいというメリットもあり、日常だけでなくビジネス分野でも定着した。
その携帯をよりパソコンに近付け、かつタッチパネルなど操作をより簡易かつ感覚的なものにしたのがスマートフォン、つまり現代のスマホだ。
今や買い物の支払いは現金よりもスマホを用いたキャッシュレス決済が一般的。
日常のあらゆる行動にスマホは欠かせない物となった。
機器の変遷に並行し、ネットを用いたコミュニケーションツールは機器だけではなくサービスにも及び、多様化している。
ネット普及前は『パソコン通信』という言葉が用いられ、パソコンを用いてネットで連絡し合ったり、個人的なサイトを作って情報を公開したりしていた。
1990年代後半に入るとネットとパソコンが急速に普及し、個人サイトが爆発的に増加。
そのサイト内で掲示板を設け、そこで複数の閲覧者がコミュニケーションをとる形が定着した。
2000年前後になると、特定のテーマに対して匿名で書き込める掲示板が登場し、掲示板コミュニティが確立される。
個人的なやり取りを一切しない不特定多数の集団が連日連夜、歯に衣着せぬ言動で雑談したり議論を重ね、時に乱暴な言葉で罵り合うスタイルは当時異様に映ったようだが、アンダーグラウンドの界隈だったそれは次第に一大勢力となり、大きな影響力を持つまでに至った。
一方で個人サイトは廃れていき、代わりにブログが自己表現の主な場となった。
自分の思いを文章化し、それを日記のように定期的に書いて投稿。
それを見た人がコメントを残し、それにブロガーが応える形でコミュニケーションが成立していた。
そのブログをコミュニケーションの手段に特化したサービスとしてミクシィが登場。
これが日本で最初に爆発的普及を果たしたSNSと思われる。
2010年前後にはTwitterが徐々に頭角を現し、同時に画像を中心にしたインスタグラム、映像を介したコミュニケーションツールとしてYouTubeやニコニコ動画が人気を集める。
2010年代後半頃からLINEがSNSの中核を担うようになった。
……前置きはこの辺にしておくか。
ハローハロー、東京の片隅より愛を込めて。
はざま探偵事務所所長、狭間十色でございます。
まだ探偵業を始めてそんなに経っていない筈なのに、もう14年くらいやってるような気がするよね。こうも時代が流れていくと。
いやー時代ってのはね、ホントにスピードが速い!
ついこの間まで10万人くらいのフォロワーを抱えていた人が、今見たら140万人だってさ。凄いよね。
ちなみにウチの事務所のフォロワー数も増加の一途を辿っている。
なんと2ヶ月前の4倍ですよ!
4倍って凄いよね。物凄い飛躍だよ。泣けてくるよね。だって4倍だもの。元の数字が幾つだったとか、現在の数字が幾つだとか、そんな細かい事はどーでも良いの。4倍。その事実だけを噛みしめて生きたいね。そういう人生の方が気楽だろ?
「あんまり現実逃避してるとホントに現実から見放されますよ?」
「……」
ウチの助手はいつも手厳しい。
「良いんだよ見放されても。だってとっくに見放されてるもの。なんだったら見つめられた事なんて一度もない! だからこの事務所はいつまで経っても人が来ないんだよ!」
「維持費とか生活費、大丈夫なんですか……?」
「そろそろヤバいね。物価急に上がったでしょ? もうね、半額弁当ですらまあまあのお値段だよ。どうすんのこれ。ねえどうすんの! このまま物価高続いたら干涸らびて骨までパサパサになっちゃうよ!」
「私にキレられても」
「これだけ物価が上がっちゃうと生活費以外の消費なんてもっと切り詰めるじゃん。探偵雇って不倫現場抑えるくらいなら自分で尾行するとか言い出すじゃん。最近はペットが行方不明にならないようペット用GPSとかあるらしいじゃん! 探偵終わったよ! 終わったよ探偵業!」
「よく酔ってもないのにそんなクダ巻けますね……」
時代は変わる。変わり過ぎて、便利になり過ぎて探偵の出る幕がなくなりつつある今、俺たちの命は風前の灯火だ。
「そういう訳だから、営業方針もかなり変えていかなきゃね。依頼人に御足労願う古からのパターンはもう崩壊だよ。コロナ禍の頃からもう崩壊してるけどさ。それよりも今はネット探偵の時代だね」
「○○警察の探偵版ですか?」
「いや、あれは無償で頑張る人たちだから……ネットに強い弁護士の探偵版」
「……大丈夫ですか? それ」
あんまり大丈夫じゃない気はするけど、背に腹は替えられません。
「とにかく、ネット上のトラブルとか謎について請け負う感じでやってみようと思う。という訳で胡桃沢君、Vtuberになって」
「わかりました!」
……なんでそうなるんですか、みたいなノリが一切ないか。そうかそうか。これも時代か。
という訳で、キャラ付けに困っていた胡桃沢君はその苦悩の果てにVtuberになった。
『はざま探偵事務所の公式Vtuber、水瀬クルミです! がんばりますよー今日から。今日からがんばりますよー!』
名前は本名の胡桃沢水面をほぼひっくり返しただけ。それにあやかって、決め台詞を入れ違いにして二度繰り返すのを口癖にするという雑なキャラ設定も作った。
いわゆる個人勢で、ガワはイラストレーターに直接依頼。有名な人には受けて貰えないだろうから、いい感じの絵を書いているまだフォロワーの少ない人を見繕って相場通りのお値段でオーダーしたら、思った以上に良い感じのキャラデザを描いて貰えた。
勿論、個人勢がやっていけるほど甘い世界じゃない。あくまで探偵事務所のマスコットキャラだ。初期投資は最小限、売れ線的な作法も全て無視。胡桃沢君のストレスになる活動は一切なし。登録者数なんて気にするな!
という訳でユルく始めた広告活動だったんだけど……
「なんか微妙に人気出てない?」
「それほどじゃないですよ。個人勢で100万人くらいの登録者数がいる方もいらっしゃいますから。私なんてその辺の小石です」
確かに、そのレベルと比べれば……とは言いつつ、もうすぐ万が見えてくる数字。活動内容のショボさからすれば大健闘じゃないか?
探偵事務所のキャラだから、変な奴がコメント寄せてきても『素行調査しますよ! しますよ素行調査!』『所長に訴えますよ! 訴えますよ所長に!』みたいな返しが出来るのが強い。脳使わずにウケが取れるし。
……なんか、このまま人気が出続けたらVtuberの事務所と勘違いされない? 大丈夫かこれ……
「あ、同業者からダイレクトメール来ました」
「終わったな。絶対クレームだよ。私達の界隈を荒らすなクソ新参って感じの」
「性格悪いですよ所長。そんな事ないです。依頼ですよ」
「何ッ!?」
まさかその方面に営業が効く結果になるとは……何事もやってみるもんだな。
「えっと、彼氏バレしちゃって炎上したみたいです。どうすれば良いのか悩んでいるみたいですね」
「一番よくあるやつだな……事務所の対応は?」
「穏便に行こう、みたいな感じで言ってくれるけど切り離しにかかってる空気が伝わってきて辛いそうです」
まあ……そうね。そういう世の中かもね今は。
「んじゃ対処法@。この際彼氏も巻き込んでカップル系Vtuberに転身」
「一番ダメなやつじゃないですか! カップルYouTuberじゃないんですから!」
「でもあんまりいなさそうだからスキマ狙えそうじゃない?」
「誰もやらないのは見えてる地雷だからですよ……」
確かに。
「対処法A。ネクロマンサー系Vtuberに転身」
「……どういう事ですか?」
「死霊遣いになるの。『あなた達が聴いた声は幽霊の声です』で押し通す」
「誰が納得するんですか……」
シャレが利いてて良いと思うんだけどな。まあでも今の世の中にはあんまりハマらないか。
「対処法B。彼氏がいる事を報告し、あなたたちファンの為に別れると宣言する」
「怖いです怖い怖い怖い! 炎上どころか社会問題になりますよ!」
「対処法C。実は男の娘だったとカミングアウト……」
「論外です!」
怒られてしまった。
まあ実際、この手のトラブルは多いけど結局一番マシなのは沈黙なんだよな。風化するのを待つ。ベストとは程遠い筈なのに、これに勝る対処法がない。
でも、それは凄くストレスになる選択だ。人によっては耐えきれないだろう。延々とチクチク言われ続ける訳だし。鋼メンタルじゃないと無理だ。
後、同じくらい無難な方法は『兄です!』で乗り切るやつ。勿論誰も信じないけど、100%確定を99%確定にはできる。それで踏み止まるファンも多い。
ただしこれも絶対ネタにはされるから、そういうのを気にする人は無理だ。
「一応聞くけど、引退は視野に入れてないんだよね?」
「みたいです。彼氏とも別れる気はないみたいで……なんかこの件でちょっと冷たくなったってボヤいてますけど」
「良いんじゃない。逆に燃える方が危険だよ。問題が収束した途端に冷めそうだし」
「ありますね……」
でもそうなってくると、いよいよ打てる手は限られてくる。
「ちなみにその中の人、力量はどんなものなの?」
「トークは上手ですよ。声色も多才ですし。声優さんじゃないかって話も出てたくらいですから」
成程。だったら試せる手が一つあるな。
「男の声が入った時点で、どう繕っても疑われるんだ。だったら繕い方にこだわるのが良いと思う」
「どういうふうにですか?」
「例えば――――」
その後。
『みんな見えてるかい? 今日はボクが君達の相手をするよ。ボクじゃ不服かい?』
ウチに依頼をくれたVtuberは『多重人格Vtuber』として再スタートを切った。
シナリオはこうだ。
そのVtuberには以前から別の人格が芽生え、彼らも配信をやりたい、活動したいと言うようになった。でも配信なんて簡単にできるもんじゃないから主人格(依頼者のVtuber)は断っていた。
でも、このままだと可哀想。だから依頼者は決意した。彼ら別人格を仕事仲間にしようと。
人格の中の一つは『トオル』。彼女は男性人格で、声も男っぽい。そんな自分にコンプレックスを感じてもいる。自分が表に出る事で人気が下がると気にもしていた。
だから事務所と相談し、男性のVtuberがどんなトークをしているかを勉強する事にした。それが一番しっくりくるから。
彼氏バレしたと騒がれたのは、そのトークの声が入ってしまったから――――というストーリーだ。
信じない奴は信じない。当たり前だ。でも実際にその後、多重人格Vtuberとして人格を切り替えながら活動する事で誠意を見せる。『本当にそうだったんじゃないか?』って思わせる説得力を活動で見せつける。
これこそが誠意ある対応ってやつだ。
「なんか人格すごく増えましたね。今は七つくらいあるらしいです」
「それぞれの人格にファンが付くから登録者数凄い事になってるな」
結果、上手くいったらしい。良かった良かった。
「実は今度、私も番組に呼ばれる事になったんですよね。ますますフォロワー数増えそうです」
「胡桃沢君がそれで良いなら別に良いけど」
「大丈夫です! 私の場合、彼氏バレの心配はありませんから!」
それはどういう意味なんだ……?
ともあれ、はざま探偵事務所は妙な形で少しだけ業績が向上した。
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