黒木雪人。
 17歳。
 高校三年生。
 ――――身体的な観点から特徴を選出するのが少々困難な、至って普通の男子である。
 細部にまで目を向けると、若白髪がちょっと多かったり、身体の数箇所に傷痕があったりするのだが、
 それに気付く者は殆どいないので、まあ大した意味はない。
 現在の社会において最強の武器となる頭脳の方はと言うと――――
 こちらは平均をかなり上回っているようだ。
 具体的な数字を示すと、高一の時に薦められてやってみたIQテストの結果、
 138と言う数字が導き出された。
 IQと言うと、小説や漫画では、180だの200だの、やたら滅茶苦茶な数字を高校生が出しているが、
 このIQ(Intelligence Quotient)と言うのは、年齢が大きくモノを言うテストの点数であり、
 現行の検査で出される最大値はせいぜい160程度で、高校生が出す数字としては、
 180以上はまずあり得ない。
 100が平均で、偏差値で言うところの50に相当する。
 138と言う数字がいかに高いか、おわかりになって貰えただろうか。
 また、最新の模擬試験の結果もそこそこの偏差値を記録し、素行に問題もない為、
 学校側の彼に対する評価も概ね良好。
 とは言え、これらもまた、人間の平均的な範疇の枠内だ。
 彼の特色を最も表しているのは、精神面。
 だが、それは誰に対しても言える事なので、やはり意味はない。
 パーソナリティは年々個別化が明確になっており、血液型などで大まかにカテゴライズする事を
 否定する風潮にあるので、要するに『個性的』と言うステータスは万人のものなのだ。
 しかも、17歳と言う年齢はまだ人格形成の段階。
 個性もへったくれもない。
 性格を定義付ける出来ないのだ。
 敢えて特徴を述べるなら、同世代の人間よりやや多く経験則、持論、見解を持っている為に、
 精神年齢は高い。
 だからIQが高いとも言える。
 しかしながら。そう言った優等生な一面を持つ一方、他者との会話の際には結構普通の話し方をする。
 バラエティ番組を良く見る為、ボケとツッコミに対しては一定の理解があり、言葉も少々荒い。
 そんな訳で、彼に対する評価や受け止め方は、人によって大分異なっているようだ。
 定格的な定規を持った方々は、総じて優秀の烙印を押しているようだが――――
 そして。
 そんな彼が現在、最も必要としているものは――――自己分析の完成。
 その為に、黒木雪人は『俺』を『彼』にすり替える。
 そうする事によって、より客観的に、より俯瞰的に自分を観察出来るからだ。
 様々な体験と共に積み上げて行く思想と概念は、彼の中で一つの世界を作り上げた。
 その世界の中で生まれる規律は、彼の行動理念となって、加工された状態で表現されて行く。
 今はまだ中途段階だが、完成に伴い、構成された世界には、きっと二つとない風景が
 広がっている事だろう。

「他にも特質すべき点はあるが、黒木雪人は大まかにこう言った人物である……と」

 百円ショップで購入した履歴書にそう記し、一つ息を吐く。
 黄昏時ではないが、何となくメランコリーな気分になり、雪人は大きな嘆息を垂れ流した。
「充足理由の原理――――それが今の俺のアイデンティティなのかもしれないな……」
「何を戯けた事言ってる」
 憂いの表情で自己同一性について考察していた雪人の耳に、ぶっきらぼうな声が届く。
 無論、そこにその男がいるから、呟いた言葉ではある。
 出なければ、学校の教室内で独り言を堂々と唱えるアブない高校生だ。
「ああ、友人Aか。相変わらず変な後髪だな」
「朝っぱらから不愉快な事を言わないで貰おう」
 言葉通り、愉快さの欠片もない顔で不機嫌を露わにする雪人の友人A――――周藤鷹輔。
 雪人にとって、唯一の親友と言って良い存在だ。
 とは言え、付き合いは二年ちょっと。
 高校に入ってからと言う、さほど長くはないものだ。
 無論、その年月と親密度は比例しないのだが。
「相変わらず視力の弱さを凹レンズで補ってるのか。不憫なヤツだな」
 雪人の指摘に、周藤は苦笑する事もなく、無表情で眼鏡の中央部、ブリッジを押す。
 この、眼鏡を上げる動作、成績の良い人間がやると、妙に頭が良く見える。
 これまで、あらゆる作品で何億回と使われた仕草だろう。
「現在の眼鏡の普及率を教えてやろうか?」
「結構だ。それを知った所で使いどころは何処にもない」
 とは言え――――それを実際に知ってるところに、この周藤と言う男の特徴が窺い知れる。
 とにかく、内包する知識の量が半端ではない。
 脳がインターネットと繋がっているんじゃないか、とさえ言われるくらいだ。
 しかも、どんなジャンルにでも精通している。
 各政党の特徴と展望を唱えた次の瞬間、次クールのアニメ全タイトルの原作が掲載されている雑誌を
 言える位だ。
 少女マンガもライトノベルも4コマ漫画雑誌も、ついでにゲームも。
 しかし一番の特徴は、それをひけらかすような真似を一切しない、懐の深さにある。
 高校三年生という時期は、自身の武器の切れ味を試したい年頃なのだが、周藤鷹輔はそれをしない。
 優越感に興味がない、珍しい部類の人間だった。
「まだ進路を決めてないらしいな。大河内女史がぼやいていた」
「一応一昨日の相談の結果、若干の猶予を貰った」
 雪人の言葉に、周藤は眉尻を下げる。
「先延ばしは感心しないな。近年の政治家の悪行の影響が、このような一介の高校生にまで奔出するとは」
「仕方ないだろ、大事なことなんだから。つーか、お前は俺の父親かっての」
「数少ない友人と呼べる人間の将来が深憂に堪えないだけだ。保護者を気取るつもりはない」
 本人の言の通り、周藤には友達が非常に少ない。
 雪人以外に存在するかどうかすら怪しい。
 人見知りするでもなく、人当たりが辛辣という訳でもないこの男に親しい人間が生まれない理由は、
 至ってシンプル。
 成績が良過ぎる事だ。
 単純にクラスで一番、或いは学年でトップと言うレベルなら、寧ろ人気者にもなるだろう。
 が、この周藤の場合はスケールが違う。
 全国模試で常に一桁の順位を叩き出す『天才』などと呼ばれる水準だ。
 有名進学校と言う訳でもないこの学校においては、余りにも異端な存在と言っていい。
 クラスで3本の指に入る雪人とも、比較にならない。
 本人曰く『高校レベルの試験は、ある程度の着眼点と暗記力と集中力さえあれば、
 誰でもこのくらいは取れる』との事。
 しかしそうは思わないのが凡人の凡人たる所以で、最初はチヤホヤしていたクラスメイトも、
 言葉の節々に次元の違いを感じ、徐々に距離を置いた。
 周藤にしても、気を使ってまで輪の中に飛び込もうという気はないらしく、現在に至る。
「そう言うお前はどうなんだよ。お前なら日本で行けない大学も学部もないだろうし……留学か?」
「その方向で計画を立てている」
「マジかよ!? どこだ? ハーバードか? それともケンブリッジ? 宇宙開発なら
 カリフォルニアが良いらしいけど」
「生憎、ガンダムを作る気はない」
 周藤は真顔で呟く。真面目に。
「言っておくが、ドラえもんもだ」
「わーってるよ! いつ誰がそんな空想の世界を具現化させるのかと聞いた!」
 雪人の叫びに満足でもしたのか――――ようやく周藤が笑う。
「まだ未定だ。あくまで現段階での構想であって、決定事項ではない」
 留学――――他所の土地、特に外国に在留して勉強すること。
 意味自体は誰でも知っているが、自分の国の言葉を話す人間が殆どいない環境での生活など、
 普通の高校生には縁のない話だ。まして、この学校にその進路を描く者は他にいない。
 教師にしても、薦める以上の事は出来ないだろう。
「お前もどうだ?」
「はあ? バカ言うな。英語もロクに話せないってのに、外国になんぞ住めるか」
「……」
「微妙にしょんぼりするな……」
 雪人は肌寒いものを感じ、小さく首を振る。
「そういやお前さ、夏休みはどうすんだ? 自由参加の補習授業があるらしいけど、
 お前には必要なさそうだし」
 この高校の名称は、緑葉学園と言う極めてノーマルで健全そうな名称だ。
 かなり自由な校風で、強制参加のイベントは少ない。
 修学旅行も体育祭も文化祭も球技大会も、基本的には自由参加。補習もそうだ。
『規律でぎゅーぎゅーなのは中学までで卒業。本校では自主性を養ってください』
 とは、入学式での校長の弁。
 実際は生徒確保の為の宣伝かもしれない、という分析も成り立つが、評判は良いようだ。
「色々とやる事がある。それに費やす事になるだろう」
 周藤はさり気にそう唱え、ブリッジを押した。
「そっか。留学の準備とかもあるんだろうしな。ま、時間があればどっか遊びにでも行こうや」 
「……そうだな」
 そこで話を切り上げ、周藤は自席に戻った。
 その様子を眺めつつ、雪人は頬杖を付きつつ考える。
 否応なく訪れる、人生の分岐点。
 高校生は皆、その岐路で悩む事こそが一番の仕事だ。
 自分は――――何になるんだろう。
 何になれるんだろう。
 雪人は、いつもそんな事を考えている。
 黒木雪人が持つポテンシャルなど、60億を越える人間の中では、決して突出してはいない。
 極めて平々凡々とした、夜空の星ほど数多の中の一つに過ぎない。
 雪人自身、ドデカイ事をやりたい訳ではないし、地位とか名声に興味もない。
 ただ、黒木雪人として生まれた以上、黒木雪人を満喫したいという欲求はあった。
 自分に何が出来るか、何を創れるのか、何を残せるのか――――それぐらいは追い求めたい。
 何も許されなかった十数年間を取り戻す為にも――――
「ちゃんと進路を考えないとな」
 一瞬、思考を口に出してしまったかと錯覚したが、その声が自分の――――ましてや
 男のものでない事に気付く。
 気が付けば放課後。
 そして進路指導室。
 目の前には、年上の女性がいた。
「……人の思考に割り込んで来ないでください」
「そのようなつもりはなかったが」
 軽いジト目で俺を見やる彼女は、緑葉学園3年2組担任、大河内静先生(24)。
 いわゆる女教師という存在だ。
 近年は下火の傾向にあるが、男子高校生にとっては一定のブランド力を有している女教師。
 実際に、その言葉が大きな意味を持つのは、DVDに収録されているストーリーのぶっ飛んだ
 男性特需作品くらいなのだが。
「で、進路は決まったのかな?」
「大河内女史。我々高校生は、人間関係や社会問題、或いは始めて間もない性生活など、
 様々な悩みの種からポンポン芽が出てきて、実に忙しない毎日を送っています。日々忙殺です。
 そんな中で将来の展望について浅はかに答えを出すのは、良くないと思うんです。
 ホラ、急がば回れって昔の人も言ってるじゃないですか」
「……黒木雪人君。君はどうして、いつもそうなんだ」
 大河内女史は嘆息交じりに頭を抱えていた。
「取り敢えず、有りもしない性生活で悩む暇があったら、進路の方も考えようとは思わないか?」
「そう言われましても、昔そう言う事をちゃんと考えろと教えてくれたのは、他ならぬセンセじゃないですか」
「君の成績なら進学が妥当なところだが、大学に行く気はないのか?」
 露骨に無視されたものの、雪人の中に嫌悪感はない。
 無論、そんなものを覚える資格もない会話だったが。
 それより、歪んだ青年の主張に対し、顔色一つ変えない大河内と言う女性の方に
 スポットを当てた方がいいかもしれない。
 というのも、美人教師。
 天然記念物並に珍しい、貴重な存在である。
 可愛い雰囲気くらいの女教師なら結構いるが、芸能人と言われても納得のいく教師となると、
 相当に珍しい。
 それこそDVDの住人以外では稀有とさえ言える。
「はあ。まあ何とも」
 そんな大河内女史に対し、雪人は生返事で対応した。
「曖昧だな」
「曖昧なんですよ。特にやりたい事もないし、やれる事も多いのか少ないのかわからないし。
 かと言って、じゃあ進学、とキッパリ決められるほど、大学ってとこに興味がある訳でもない」
「やりたい事を見つける為に大学へ行く、と言うのが、最近もっぱらよく聞くフレーズだが?」
「それを口実に、4年間かそれ以上の猶予を得たいだけでしょ。まだ遊び足りないから」
 溜息を落としながらの雪人の発言に、大河内女史は渋い笑みを浮かべた。
 彼女には、教師として恐れられているのと同じくらい、慕われている面もある。
 後者を形成する要素の一つに『割とよく笑う』という項目があるようだ。
 ただし、愛想を振りまいている、と言うほどの頻度ではないところがポイントだ。
 あくまで自然と零れる『美人』のその笑みにこそ、巨大な意味がある。
「ま、あながち間違いではないな。だがその猶予の中で宝を見つける者が多いのも事実だ」
「……それは、そうかもしれませんけど」
 大河内女史の意見は、雪人より遥かに大人のそれだった。
「今は大学を出てようが出てまいが、就職は難航を極める時代だ。安易に進学を選択して、
 時間と金をムダにする可能性も決して少なくない。
 その辺を慎重に考えている、と言うのなら、私も無理にすぐ決めろとは言えないが……」
「じゃ、言わない方向で」
「……どうもそんな繊細な性格には思えないな、君は」
 雪人の性格を断定し、大河内女史は嘆息する。
「失礼な。これでも慎重派で有名なAも半分は混じってるAB型ですよ」
「……」
 大河内女史は努めて冷静な面持ちで閉眼し、徐々に眉間に皺を寄せていた。
「毎回そうだが、君と話すと……どうもな。疲れる」
「最近は生徒とのコミュニケーションに苦労する教師が多いみたいですね。
 ジェネレーションギャップなんでしょうか?」
「知らん。私が苦労しているのは君限定だ。余分な話が多すぎるんだ君は」
「性分なんで」
 悪びれず雪人は言い放った。
 指摘の件は、一応自覚あっての事だ。直す気はない。
「……話を戻そう。そうだな、何か趣味とかはないか?」
「基本的に多趣味なんで腐るほど。音楽鑑賞、スポーツ鑑賞、映画鑑賞、美術鑑賞……」
「鑑賞ばかりだな」
「あと、バラエティ番組の批評。これは欠かせませんね」
「……もう良い。進路の切欠になるようなものは、何一つなさそうだ」
 一括して反古にされてしまい、雪人は若干凹んだ。
「ま、ここであーだこーだ言って、簡単に決定するような、いい加減な青写真でも困るからな。
 わかった、もう暫く待つとしよう。ただし。夏休み前には決めて欲しい」
「すいません、なんか俺の所為で無駄に時間を割かせてしまったみたいで」
「生徒の進路相談を無駄な時間だと言う教師がいるのなら、教育自体が無意味なものになる。
 そんな事に気を使わないでいい」
 大河内女史は呆れ半分、優しさ半分の微妙な笑顔で、そう諭した。
 本日の進路指導は、これで終わりとなるようだ。
「それでは、気持ちの良い回答を期待しながら待つとしよう。寄り道しないで帰れよ」
「あいー」
「返事は――――」
「はい」
 セミロングの頭に血管マークを作りつつ、女史は去って行った。
 その瞬間、雪人にとってこの進路指導室は意味のない空間となる。
 その教室を出ると、廊下には一般的な放課後と何ら変わらない、既視感すら生まれない風景が
 広がっていた。
 毎日そうしているように、雪人はそこに溶け込む。 
 明確な意味のない音が喧騒となって入り乱れ、回遊魚のように群れを成す学生が、
 喜怒哀楽を慌しく表現している。
 雪人も1匹の魚になって、廊下を泳いだ。
 4階、3階、2階、1階、そして下駄箱――――それは毎日変わらない光景。
 実際は、微細な変化があるのかもしれない。
 だが、日常の中でそれに気付く事は殆どない。
 学校を出てもそれは同じ。幾度となく踏みつけた通学路も、雪人が生まれる前から開店している
 金物屋も、駅前の広場に何本も植えられた樹も、見慣れすぎて目を瞑っても再現できる光景。
 しかし。
「……?」 
 その光景が――――次第に薄れていく。音も徐々にその量を失っていく。

(――――来、た)

 多少の凹凸はあるものの、自己形成もままならない標準的な高校生の枠内に収まっている、
 と自己分析している黒木雪人だが、内包するものの中には、他人とは完全に異なるものが存在する。
 それが『これ』だ。
 発作のように不定期に起こるそれは、或いは病気なのかもしれない。
 が、病名も症例も見当たらない。
「……また、か」
 現存する筈の景色と音は視界から消え失せ、代わりに描写されるもの――――それは、昔の記憶。
 今、雪人の目に映っている景色は、学び舎の廊下だった。
 しかし同じ廊下であっても、現在通っており、ついさっきまでいた緑葉学園のものとは
 床の色も窓の位置も、何より視点の高さが全く違う。
 この高さは、身長140cm程度に該当する。
 現在より30cmほど低い。
 小学生の頃か――――雪人は、自然とそう判断した。
 その光景に、雪人は驚かない。
 初めての出来事ではないからだ。
 これは、回想なのだ。
 回想と言うものは『抽象』であって、その際に周りの現実を極力排除する『捨象』が自然発生する。
 つまり、昔を思い出す時、人間は現在を忘却すると言う事だ。
 しかし、それはあくまで脳内世界における作業であり、物理的具象を伴うものではない。
 ここまでくっきりと、視覚、聴覚、嗅覚で認識できるほど現在を消去し、過去を再現する事など、
 出来得る筈がない。
 だが、今雪人はそう言う状態にある。
 そこは間違いなく、雪人が昔通っていた小学校の内の一つ、更科小学校の校舎だった。
 そして、その場面を雪人は既に知っている。
 5年生の時の10月15日、放課後の教室を出て、家へ帰ろうとしているところだ。
 教室の入り口にぶら下がってる、プレートや黒板に記されてある日付で確認するまでもない。
 余りに明細で、余りにリアルな記憶。
 しかし、この日が雪人にとって、それだけ忘れられない特別な日かと言うと、全然違う。
 ただのなんて事ない、日常の一頁。
 実際この場面、その前後に何かある訳でもなく、普通に学校を終え、家に帰り、就寝するだけ。
 無論、意図して思い出すような場面ではない。
 では何故そんな日の事を思い返すのか――――それが全くわからない。
 突発的に回想される過去は一つではなく、幼少期から中学生時代までの間の幾つかの時期を
 ランダムに思い出し、映し出してしまう。
 そして、それらの過去は、思い入れのある場面であったり、今回のように全く普通の日であったりと、
 全くもって規則性がない。
 一つの場面は一度見たら終わりではなく、何度でも見る。
 その為、いつの間にか日付やら状況やらも克明に記憶に蘇っていた。

(――――俺は狂っているのだろうか?)

 もしそうなら、実に簡単な解答だ。
 白昼夢と言う、割とメジャーな類似症状も存在している。
 しかし、その結論を雪人は保留としていた。
 認めたくないのではなく、証拠不十分として。
 少なくとも、精神に特別な異常を抱えていると指摘をされた事はないし、自覚もない。
 尤も、この症状を誰かに話せば夢遊病患者と見なされ、専用の病院を紹介して貰えるだろう。
 だが、生憎この光景は白昼夢ではない。
「なあなあ、お前ん家行っていいか?」
「いいよー。ポケモンやろうよ」
 耳に入ってくる会話は、やはり小学生らしい内容ばかり。
 こんな喧騒の中の会話すら、雪人はもう覚えてしまっていた。
 しかし、その会話に加わる事は出来ない。
 これほどリアルであっても、だ。
 回想の中では傍観者でしかない。
 この突発性フラッシュバック症候群(と雪人が勝手に名付けた)を初めて発症したのは――――
 かなり昔の事。
 物心がついた頃には、既にこうなっていた。
 その為、正確な記憶はない。
 子供ながら、当時から雪人はこれが異常であると言う事を悟っていたので、小学生の頃は
 友達を作る事が出来なかった。
 相談できる相手もいない。
 そして現在に至るまで、周期的にこの症状に苛まれて続けている。
 発症の条件は特になく、いつ、どういった状況下でこうなるのかという点においても、
 規則的な要素は一切ない。
 一度発症すると、強制的に過去の自分の記憶が現実とすり替わり、暫く経つと元に戻る。
 過去のどの場面を回想するかはわからず、いつ現実に還るのかも決まっていない。
 ただ、回想中は現実の時間は全く経過していない。これは一致している。
 夢ではないと確信する一番の理由が、これだった。
「さようならー」
 廊下ですれ違う生徒一人一人に挨拶をしている先生の姿が目に映る。
 その先生に対し、雪人は会釈だけを返した。無論意味はないが、毎回なんとなくそうしていた。
 その後、視界は校舎を出て、通学路を普通のペースで歩く。
 商店街も駅もない、住宅地ばかりの風景がゆっくりと流れていく。

 そして、ゆっくり、ゆっくりと――――視界が変化して行った。




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