「ご乗船ありがとうございました。またのご利用を……」
 無機質なアナウンスの声を右耳に、参加者の喧騒を左耳に吸収しつつ、
 雪人は自動販売機のボタンをポチっと押した。
 そして、無表情で2つ目の缶茶を拾い、フェリーターミナルの待合スペースへと向かう。
 離島のターミナルは近年作られたばかりと言う事で、建物自体はかなり新しく、
 独特の匂いがしているのだが、それ以外には然したる特徴は無い。
 寧ろ、目を引くのはすれ違う人々だ。
 標準的な高校生が多数を占めるかと思いきや、パンクロッカースタイル、原色キラキラ電波系、防護服、
 ゴスロリ、ホスト、執事……実に多彩で、見てて飽きない。
 ちなみに執事はさっき船内で一悶着起こした無量小路だったが、知り合いと思われたくないので
 雪人は目は合わせずにやり過ごした。
「うぉーい、こっちこっちー」
 そんな人塵の中、よく通る声が喧騒を掻き分けて届いてくる。
 音源の方に顔を向けると、壁際の辺りで二つの尻尾を揺らしながら、湖が手を振っていた。
「ほれ」
「てんきゅー」
 雪人の差し出した茶をニコヤカに受け取る。そこに、先程までの剣呑とした雰囲気は欠片もない。
 余り物事を引きずらないタイプのようだ。
 よくウジウジする男を『女々しい』『女みたいな奴』と言われていたのも、今は昔。
 今では『草食系男子』と言うカテゴリーも存在するくらい、弱々しい男性が多くなっているのだ。
「……」
「何?」
 差し出したままの雪人の手をじっと見ながら、湖が不審そうに尋ねる。
「いや、金」
「えーっ、奢りじゃないの? せっこ」
「うるさい。当方予算にゆとりなし」
 雪人は、裕福な家庭の人間ではない。
 そもそも、家族は約一名、しかも労働者ではないのだから、当然だ。 
「ったくもー……はい」
 そんな事情など知る由もなく、湖は不満げに硬貨1枚を放り投げた。
「……お前はいつの時代の人間だ? 100円で340mlの茶が買えるのはローカル自販機だけだ」
「はいはいはい。ホンっトにせこいったら」
 10円玉が3枚、不機嫌な音を立てて雪人の右手に積まれた。
 例え少額だろうが、せこいだの何だの言われようが、こう言う事はきちんとするに限る――――
 それが雪人の持論の一つだ。
 金のトラブルほど疲れる事はないと言う事を、経験によって知っている故のものだった。
「それで、これからどうするんだ? 確か住む所までは案内して貰えるって聞いたけど」
「待ってればいいんじゃない? 多分寮組とかマンション組とかに分かれて一緒に行くと思うし」
 湖の意見は建設的且つ的を射ていたので、雪人は驚愕を禁じえず――――
「何その釣られたばっかりの虎魚みたいな顔」
「……何でもない。にしても、まさかあんたがこのツアーに参加してるとはね」
 しみじみと語る雪人に、湖の目がジトる。
 ちなみにジトるとは『ジト目になる』の略だ。
「随分な言い草ね。私が大学受験するようには見えないって言いたいの?」
「いや、もう会う事もないと思ってたから。偶然って残酷だな」
「優勝候補が一回戦でかち合ったみたいな言い方されてもね……意味わかんないし」
 湖は脱力して首を横に振る。
 感情表現が豊かな女子生徒だった。
「それに、私は何となくまた会う気がしてたけど」
「ふーん……」
 女の勘と言うのは、いわゆる野性の勘と同じで、ある種『言った者勝ち』的な風潮がある。
 とは言え、それを指摘した所で特に意味もない。
 雪人は意味のある行動を求め、缶のプルタブを開けた。
 缶と切り離せないステイ・オン・タブというタイプになってから久しいが、これが開発されたのは、
 捨てられたプルタブによって赤子や動物が負傷、死亡すると言う事件がアメリカで多発した事に起因する。
 危険と言うものは、些細な事からでも簡単に生まれてくると言う訳だ。
「ね、あんたは何処に住むの?」
「アパートだよ」
 缶茶を口に近付けながら答える雪人に、湖は微かに目尻を下げた。
「へー、そうなんだ。じゃ、一緒だ」
「……はがっ!」
 飲もうとした缶茶の飲み口に、雪人の歯がぶつかる。
「何してんの」
「痛っつー……お前な、何考えてんだ。安物アパートなんだぞ? セキリュティなんて皆無じゃないのか?」
「だーいじょーぶだって。上の階だし、鍵だってかけるんだし」
 危機感など微塵もない様子で、湖は笑う。
 雪人はそんな現代っ子にあるまじき眼前の女性に、思わず顔を覆った。
「あのな、危険と言うものは些細な事からでも簡単に――――」
「あ、出入り口のとこでみんな集まってるよ。行った方がいいんじゃない? ホラホラ」
「聞けよ人の話……って言うか、この現代社会に潜む闇をもう少しだな」
 風紀委員並のしつこさで喚く雪人は、そのまま湖にズルズルと引きずられ、集合場所へと移動。
「それでは皆さん、これから暫くガイドの指示に従ってください」
 フェードインしたのは、ちょうど説明を始めている場面だったようだ。
 ちなみに、説明しているのは宇佐美と言うガイドではなく、別の女性だった。
「ここからは住居別に分かれてバスで移動します。えー、寮の方たちは1、2番目のバスで、
 マンションの方たちは3、4番目、アパートの方たちは5、6、7、8、9番目のバスに乗って頂きます。
 尚、マンションとアパートは事前のアンケートで立地条件等の希望を聞いておりますので、
 その希望に出来るだけ沿った物件を用意しております。えっと、そのー……あ、そうそう。
 これから名簿をお渡ししますので、御自身のお名前が書いてある番号のバスにお乗り下さい」
 やや不慣れな感のある語調のガイドの説明の後、言葉通り名簿が各人に配られて行く。
 雪人の名前は8番目のバスに記されていた。
 8は漢字で八と書き、末広がりの形なので縁起が良いとされている。
 ちなみに湖は9番目。
「9は『苦』と掛かる為、他人の忠告を無視する奴は苦しみのた打ち回ると言う意味になる」
「……何が言いたいのよ、何が」
 湖の半眼を無視し、雪人は悠然とバスの順番を待った。
 一つ辺りのバスの収容人数は余り多くなく、約40名となっている。
 そのバスが9台出ると言う事は、あの船に乗っていた参加者の数はおよそ350人。
 あからさまに胡散臭いツアーの割に、相当数の人数が参加していると言う事だ。
「あ、そうだ。ねえ」
「ん?」
 湖が何か言おうとしたところで、8番目のバスが到着する。
「あ、俺あのバスだ。何?」
「メアド、聞いて良い?」
 その発言に――――雪人は雷撃を受けたような衝撃を感じたフリをした。
「これが逆ナン……本当にあったんだ。都市伝説と思ってた」
「ナンパなんてする訳ないでしょ!? 変な誤解しないでよ!」
 冗談は本意気のものとして処理されてしまった。
「ったく……情報の交換とか出来ればいいな、って思っただけよ。
 本当ならあんたになんか関わりたくないんだけど、他に知り合いがいないから」
「知り合いならいるだろ。船上でナンパされてた奴」
「あんなの勘定に入れるかっ!」
 冗談が悉く本意気のものとして処理されてしまうので、雪人は仕方なく真面目に断った。
「え……普通断る? って言うか私、そんなに煙たがられてたんだ……」
 女子が自分から連絡先を請うて、断られる。
 そのレアな現実に、湖は泣きそうな顔で自己を卑下していた。
 ちなみに、その間にも雪人は迅速な所作で自分の携帯の赤外線をオンにしている。
「話によると、結構自由度の高いツアーみたいだからな。情報の共有は望む所だ」
「だったら最初から『うん、いいよ♪』で良いでしょ……はぁ」
 湖が心の底から嘆息する中、赤外線によってデータは交換された。
「メールするからちゃんと返事出しなさいよね」
「うい。んじゃお先」
 バッテリーの残りが少ない事を気にしつつ、雪人はバスに乗り込んだ。
 ちなみに、雪人は乗り物には強い体質なので、座席を気にする必要はない。
 よって、適当に空いてる窓際の席に座る。
「ふー……」
 取り敢えず一息。
 バス特有の嫌な臭いに辟易しつつ、改めて視界を広げる。
 普段は自転車と歩行が移動手段の雪人は、こう言う公共の乗り物の中にいると、
 何となく非日常の香りを感じ、気分の高揚を自覚した。
「あの」
 そんな事を考えながら荷物を荷台に乗せていると、覇気の無い声が通路側から聞こえて来た。
 女性の声だ。
「隣……いいですか」
「あ、はい。どうぞ」
 表情にも覇気のない女性だった。
 顔自体はかなり可愛い部類に入る。しかし、その表情の所為で初見では余りそう認識できない。
 年齢も判別が難しかった。
「……」
「あ、失礼」
 値踏みするような見方をした事に詫びを入れ、そそくさと着席。
 女性は特に気に障ったような素振りは見せず、表情を変えないまま隣に座った。
 程なくしてバスが発車。窓の外が流動し、見慣れない景色が間髪入れずに視界へ飛び込んでくる。
 規模に一貫性の無いビル群――――
 真っ白の横断歩道と信号機――――
 見慣れた店舗のコンビニ――――
 青々とした街路樹――――
 旧商店街を思わせる閑散としたアーケード街の入り口――――
 断片的に視覚が取り上げてくる風景には、ここが離島、それも大企業の一大プロジェクトによる
 モデルスクールといった主張は窺えない。
「えー、あー、マイクテスっ、マイクテスっ。あかんぼあまいなあいうえおっ」
 そして、そのまま暫く窓の外を眺めている所に、最前列に座っていたガイドと思しき格好の女性が
 急に席を立った。
 ちなみに、宇佐美ともターミナルのガイドとも違う。
「はーい、今日も絶頂期の私、谷口香莉(たにぐちこうり)が皆々様の案内役を
 勤めさせていただきまーす! どもども」
 谷口、と名乗ったバスガイドは、未知の地を跨いでやや緊張気味な乗客を和ませようとしているのか、
 単純にそう言う性格なのか、やたらハイテンションで案内を始めた。
 雪人にとっては余り好ましくない空気だったが、目的地まで20分と考えれば、苦にするような事でもない。
「……っ」
 しかし、お隣はそうでもないのか、先程までの無表情とはうって変わって苦しそうにしていた。
「大丈夫ですか?」
「……(コクッ)」
 雪人の言葉に無言で頷くが、それが本意ではなさそうだ。
 息が荒く視線も泳いでる。
 これは、場の雰囲気に酔った訳じゃないとしたら――――
「もしかして、乗り物が苦手、とか?」
「……」
 今度はハッキリとは首肯せず、僅かに首を傾けた。
「それじゃ席変わりましょう。窓開けますから外の空気吸って」
「……でも、悪い、です」
「別に窓際に思い入れがある訳じゃないんで……はい、どうぞ」
 言いながら立ち上がり、雪人はそそくさと通路へ移動し、席を空ける。
 こう言った行為は円滑にしなければ、徐々に恥ずかしくなってくるし、相手にその空気が伝わり、
 気を使わせてしまうからだ。 
「……すいません」
 が、女性の声色は感謝と言うより恐縮だった。
「後10分弱で着くみたいだから、それまで頑張って」
「……は、い」
 これ以上の会話は彼女には苦悶だと判断し、通路側の席に座りなおした雪人は、
 残りの10分をバスガイドに委ねる事にした。
「はい、右手をご覧ください。中指の付け根から小指の方に出てる皺が感情線ですよー」
 何故か手相を見て回っていた。
 特に興味のない雪人は結局、携帯を弄りながら到着を待つ事となった。





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