『U. de L'oiseau Bleu 第一期生入学式』
 入学式当日の朝は、それがさも当然であるかのように、澄んだ青空だった。
 こう言った節目の日に限らず、快晴と言う気候は万人に好まれるもので、
 会場の前にいる人々は総じて明るい表情を浮かべていた。
 雪などと言う言葉を名前に含んでいる雪人も、この日ばかりは晴れの方がありがたいと思っており、
 朝一でベランダの外に出て、胸を撫で下ろしていた。
 なにしろ、傘も持ってない現状。
 初日から濡れ鼠など、幸先悪い事この上ない。
 現在の時刻は9時10分。場所は入学式の会場となっている『パシフィコ・センター』の玄関前。
 20メートル以上の幅がある階段とその踊り場には、スーツ姿の男性と着物姿の女性が数多く点在していて、
 初々しい喧騒がノイズとなって耳まで届く。
 その様は、小中高の入学式とは違う種類の緊張感と期待感に満ちていて、中々赴き深いものがあった。
 会場の全景も、その雰囲気を演出している。
 桜の代わりなのか、沢山の百日紅が立地を艶やかに彩り、その中心に切頭円柱と直方体を交えた形状の
 建築物が揚々と聳える様は、どこか非日常めいた興奮を掻き立てる。
 入学式の空気は、十分に醸し出されていた。
 尤も、受験生が多数を占めるこの中においては、そんな事よりも建築物の面積の求め方などを
 トピックの一つとしてチョイスされているのかもしれないが――――
「ここにおられましたか、愛しの君」
「……ん?」
 暫く辺りを眺めていると、妙に既聴感のある言葉が聞こえて来て、思わず雪人は振り向く。
 すると、そこには――――懸念通りの男が懸念通りの行動を懸念通りの表情で実行している画面に出くわし、
 頭を抱えざるを得なかった。
 無量小路五月雨。
 ペンネームでもそうそういないと思われる奇妙な名前の、執事風変態だ。
「その着物姿、いとをかし。しかしながら、私が思うに、貴女のふくよかな下唇には、
 白と桃色のキャミソールの方が電撃的に映えるのではないかと存じる次第で」
 無量小路は相変わらず、一句ごとに豊かな私情を乗せている。
 台詞だけ聞くと、カイゼル髭にオールバック、メガネをかけた高身長の中年がセクハラしているような印象だが、
 実際には童顔で爽やかな顔の男が嬉々として語っていると言う、実に歪んだ世界がここにはある。
「カオスなナンパだな……」
「おお、黒木様。先日は有意義な時間を提供して頂き、この無量小路、感無量でございました」
 思った事をつい口に出してしまった雪人に、無量小路が気付く。
 その歓喜に溢れる表情に、雪人は自身の行動を深く呪った。
 しかし、同時に考える。
 思わず口に出る――――そんな行動、本当にあるのだろうか?
 自分は、この変態童顔野郎とコミュニケーションをとる事を望んでいたのではないのか?
 実際、現在の一人ぼっちと言う状況は、見知らぬ地において心細さを覚えるには十分な条件。 
 それを回避する為に、無意識に――――或いは意識的にそうしたのではないのか?
「あ、あの……失礼します!」
 そんな思考を巡らしている間、着物に身を包んだ女子は無量小路の前からそそくさと逃げ出した。
 図らずも、規則正しく生きている女性(推測)を毒牙から守り抜いた格好だ。
「ふふふ。黒木様はいつも私の勇み足を優しく諌めてくれますな。この無量小路五月雨、お陰様で
 あの小泉理莉様に必要以上の不和を持たれずに済みましたぞ」
「お前が何を言っているのかはわからないが、まあ結果オーライと言う事にしておこう」
 明らかに、もう二度と会話をして貰える筈もない女子相手に『フラグ立ては次に持ち越しだ』と
 言わんばかりの物言いをしている無量小路に、雪人は背を向けた。
 眼前には、数多の人、人、人。
 仮に心細かったとしても、この変態をその解決策に選ぶ必要は欠片もないのだ。
「ところで、黒木様。貴方はこのツアー、どのような目的で?」
 しかし、思いの外まともな踏み込み方をして来た無量小路に、雪人は『思わず』振り返る。
「……大学体験ツアーなんて、進学希望者が予行練習しに来る以外に何の目的があるんだ?」
 そして、極めて優等生的回答を唱えてみた。
 下手に感心させて、これ以上付きまとわれない為に。
 敢えて直球をぶつける事で、違う見解を引き出す為に。
「成程。一理ありますな」
 しかし、無量小路はどちらにも属さないリアクションを返した。
『まもなく入学式が始まります。出席する生徒は速やかに式場内へとお入りください』
 そのタイミングで、入場を促すアナウンスが流れる。
 建物の前でたむろしていた人々が一斉に波を作り、エントランスに大勢の行列が生まれていた。
「さて。我々も参りましょう。着物の群集と言うのも、エロチシズムとは違った趣があり見ごたえが
 ありますし、な」
「な、って言われても、同意のしようがない」
 変態の思考に同調できる引き出しのない雪人は、頭を振りつつ重々しい静寂の待つ会場へとその身を運んだ。
 場内に入り右折して階段を上り、大きな扉の開いた先にある大ホールへと赴く。
 オレンジ色の光と影が荘厳な色を形成するその空間は、これまで経験した体育館での入学式の会場とは
 明らかに一線を画していた。
 更に、ステージに下りる重厚な緞帳がそれを一層増幅させている。
 これが本当に擬似的なステージなのかと疑いたくなるほど、しっかりと作りこまれた卒業式会場だった。
 ちなみに、席は決まっていないので、何処でも自由に座る事が出来る。
 ふと隣を見ると、既に無量小路の姿はなかった。女子の近くに行ったようだ。
 こう行った状況では、知り合いがいれば席は決まりやすい。
 無量小路がいなくなった事で、再び一人ぼっちとなった雪人は、座るきっかけを探して暫しうろついた。
 何となく、着物姿のツインテールを探す。
 実際、他に知り合いなど――――
「……ぁ」
「?」
 蚊の鳴くような声。周囲が静寂に包まれている事で、幸いにも認識できたその声に、雪人は聞き覚えがあった。
 目をやると、そこには――――予想通り、お隣さんがいた。
 尤も、お隣さんと言うのは居住におけるお隣さんであり、現時点でまだ座席を決めていない雪人にとっては
 お隣さんではなく、そもそもお隣さんと言うのはバスの座席の時の仮称であって――――
「や、どうも」
 面倒になったので、雪人は適当に思考を分解して声をかけた。
「……」
 しかし、相変わらず無口。
 或いは訝しがられてる可能性もある。
 バスとアパートはともかく、ここまで縁があるとなると、それが意図的のように取られても不思議ではない。
 二度ある事は三度あるなど、良い方に解釈する時以外は通用しないのだ。
 つまり、雪人は彼女からストーカー容疑を掛けられている可能性があった。
 払拭すべく、円滑なコミュニケーションを試みる。
「えっと……あ、先日はどうもありがとう。おそば、美味かった」
「そう……ですか」
 社交辞令を流すと言うより、返答に困っているような反応。
 取り敢えず、気味悪がられていると言う事はなさそうだったので、雪人は一応の安堵を覚えた。
 とは言え、深入りするとその容疑が現実のものとなる可能性もある。
 話はこの辺にしておこう――――そう思った刹那、数百人の眼前に居座っていた緞帳がゆっくりと上がりだした。
 その奥には、記念演奏の為の吹奏楽団が各々緊張の面持ちでスタンバイしている。
 その表情を見る限り、プロではないようだった。
 実際にどこぞの大学に所属する楽団なのかもしれない。
 彼らにとっては、一世一代の大仕事なのだろう。目が血走っている人もいる。
 ちなみに雪人の視力は2.0。レーシックのお世話にもなっていない。
 パソコンとゲームで目をやられる現代人としては、中々のものだ。 
 その優れた視力で、周囲の人間が全員着席している事に気付き、雪人は最寄の席に腰を下ろす。
 結果的に、お隣さんと3度目のお隣さんになった。
「えー、式に先立ちまして、××大学合奏団による記念演奏を行います」
 奇妙な気分の中、推測が的を射ていた事に満足しつつ、雪人は適当に演奏を聞き流した。
「――――ご清聴ありがとうございました。それではユニヴェルシテ・デ・ロワゾー・ブリュ
 第一期生入学式を開催いたします」
 司会の渋い低音によって発せられた宣言により、卒業式は始まった。
「学長式辞」
 演奏の後に控えしは、メインイベントにして最も関心度の低い学長による式辞――――
「……?」
 ――――の筈だったが、妙に忙しない雰囲気が会場中に漂う。
 満ち溢れているのは間違いなく、期待感。
 雪人は思わず首を捻った。
「おい、ついにあの長峰教授を生で見る瞬間がやってきたぞ。一日千秋の思いとはまさにこの事だな」
「ああ。なにしろ彼は、あの名門『陸橋大学』の学長を40代の若さで努め、社会・哲学・心理などの
 分野において多大な功績を残し、数多の財団法人から目をかけられ、テレビ出演も多数こなし、
 その渋いルックスと穏やかな物言いで、今やお茶の間の人気者となっている超大物だからな」
「その通り。このツアーには彼目当てで参加した学生が我々も含め大勢いるぐらいだ」
 えらく都合のいい説明口調の会話が、雪人の耳に届く。
 作為的なものすら感じたが、そう言う事もあるだろうと納得し、雪人はその長峰教授とやらに目を向けた。
 そして、気付く。見覚えがあると。
「……ぁ」
 その声は、雪人のものではなく、お隣さんのそれだった。
 今の雪人と同じく、待望ではなく驚駭の表情。
 それにも少なからず好奇心的な疑問を覚えたが、雪人はステージ上の長峰教授に視線を固定させていた。
 その人物は、先日掲示板の前で会ったハトフン紳士だ。
 そうとなれば、退屈と思ってた式辞に俄然興味が湧いてくる。
 彼なら、おそらく詰まらない事は言うまい――――そう判断したからだ。
「……」
 中年紳士改め長峰学長の真摯な眼つきが、浮き足立っていたホールの雰囲気を一瞬で引き締める。
 これは、ただ場慣れしているだけの人間の成せる業ではない。
 持って生まれた空気とでも言うか、独特の迫力を有しているからこその、いわば技術だ。
「皆さんに一つ問いかけたい。大学とは何だと思うかね?」
 突然の質問――――しかもかなりアバウトな問い掛けに、ホール中の学生がキョトンとする。
「辞書を引けば、こう書いてある。学術の研究および教育の最高機関――――確かにその定義に間違いはない。
 が、それは側面に過ぎないとも言える。私はこう解釈している――――大学とは、世界の縮図であると」
 世界の縮図。
 この言葉に、雪人は既聴感を覚えた。
 しかし、間断なく入り込んでくる情報にかき消される。
「無論、この解釈が正しいかどうかは各々の判断に委ねるところではあるが、もし君達が大学と言う機関に
 興味を抱いているならば、頭の片隅に入れておいて欲しい。いずれ入るであろう本物の大学が
 どう言う場所か、それを知る事の出来るこの機会に」
 長峰学長は熱弁を振るうといったスタイルではなく、ただ淡々とそう述べた。
 そして、そのまま最後を締めくくった。
「入学おめでとう。我々は一人の例外もなく、君たちを歓迎する」
 一礼の後、彼はスマートな足取りで舞台を去った。
 まさに一人舞台。
 英国人のような物言いも様になっている。
 しかし――――ハトフンの一件を目の当たりにしたばかりの雪人には、そのギャップが
 面白くて仕方がなかった。
「来賓祝辞」
 その他、どうでもいい項目で時間が潰れ、入学式は終了。
 学生達は晴れて自由の身へ。
「ふあ〜ぁ」
 伸びをしつつ、雪人はお隣さんの方に視線を送った。
 ――――いない。
 声一つかけずに去ってしまった事実だけを取ると、あからさまに嫌われている可能性がかなり高い。
 昨日蕎麦を貰っていなければ、凹んでいた事だろう。
 と言うか、それでも実際雪人は軽く凹んでいた。
 釈然としないまま人の波に飲まれ、しなやかに退館。
 外はまだ境界を越えていない太陽が斜に構えていた。
 現時刻を確かめようと、ポケットの携帯に手を伸ばす。
(……ない)
 そこで思い出す。
 充電する事を忘れたまま今朝を迎えて、結局電源切ったまま家に置いてきたのだった。
 現代っ子にあるまじき行為ではあるが、雪人は特に携帯電話に対して思い入れはなく、
 ゲームやメールで時間を潰す習性もないので、特にダメージなく息を一つ吐く。
「……ん?」
 なにやら階段の下が騒がしい。
 その高音量で間断なく続く言葉の応酬に、しばし耳を傾けてみる。
「サッカーに興味ある方〜! サークル『アンフィールド』にようこそ!」
「夏はテニス、冬はスキー! その他なんでも楽しい事いっぱいやっちゃうよ!」
「明日の名人はキミだっ! 百人一首に興味のある人集まれぃ!」
「我々は児童ポルノ改正案再提出へ断固として講義する! 同士よ集え!」
 入学式名物、サークル勧誘パレード。
 新入生をゲットせんと、拡張器片手に怒鳴り声にも似た絶叫を上げる人、手馴れた動作でどんどん
 ビラを配る人、上半身裸でなにやら身体を使ったパフォーマンスに勤しむ人。
 門の前は一種異様な雰囲気で騒然となっている。
 雪人は初めてそれを目の当たりにし、ちょっとした感動を覚えていた。
 しかしながら、同時に疑問も降って湧いた。
 現在、このツアーに参加している人間は、皆新入生の筈。
 それが何故、サークル勧誘などに興じているのか――――
「やあ、そこの君。戦略恋愛などに興味はないかい?」
 ……は?
 突然、余りに日常会話とかけ離れた言語の出現に、雪人は思考の停止を余儀なくされた。
 嫌々振り向いたその先に見たものは、黒縁メガネをかけ、微妙にインテリジェンスを醸し出している
 センター分けの男。
「戦略恋愛。それは数ある恋愛形態の中で、最も美しく、そして儚いもの。永遠のロマン。
 誰もがその難関に挑み、時に挫折し、時に誘惑に負け、時に近場での浅い情欲に身を焦がす。
 しかし、だからこそ、ボクは思うのだ。戦恋こそ、最も尊い恋愛の在り方だと。で、どう?」
「いや、どう? と言われても」
 雪人は困惑した。
 思考が縊死しそうになるのをどうにか食い止め、必死で回答を模索する。
 しかし、どうにもわからない。
 これは一体、何の勧誘なのか。
 宗教の勧誘ですら、こうもわかり難くはない。
「ふんむ、いまいちピンと来てないようだ。では一般人に馴染みの深い、源氏物語の話など……」
「いや、真性のロリコンの話された所でピンとはこないので……」
「むうっ! 君、その返しは入部の意思表示と受け取ってもいいのだな!」
「……」
 何故そうなる、などという不毛な返事は声に出さず、雪人はざっくり無視を慣行する事にした。
 こいつはヤバい。おそら。100万人中人99万9800人はそう思う筈。
 ヤバい人は無視。これは生きる上での大原則だと、雪人は肝に銘じていた。
「それじゃ、俺はこれで」
「あいや待たれい」
 シュタッ! と左手を上げて去ろうとした雪人を、ヤバい人が強引に引き止める。
 離脱は完全に失敗した。
「まだ用件は済んでいないのだよ。取り敢えずこの書類にサインなど」
「しない! 俺は源氏物語なんぞに興味はない!」
 全身全霊、本音で答える。
「またまた。光源氏をロリコン認定している者が、戦略恋愛に興味ないなどあり得ないのだよ」
 その甲斐は全くなかったようだ。
「どういう理屈だ……いいか? 俺は戦略恋愛なんて言葉は知らない。仮に俺が知らないだけで
 世間一般で既に浸透していたとしても、興味もない。どうでもいい。じゃ、これで」
「いやいやいやいや」
 再び引き止められる。
「いやね。ぶっちゃけると、サークル活動は最低3人必要なのにまだ我輩1人なのだよ。
 このままでは、このツアーに参加した意義がなくなってしまう。頼む、我輩に協力してくれ」
「協力しない」
「いやいやいやいや」
 再度引き止められたが、これ以上この現代で一人称を我輩などと申す地雷男と関わるのは危険なので、
 雪人はレベル4の強制退却を決行した。
 ほぼ全力で強引に前進する。
「たーのーむーよーうー。誰も話すら聞いてくれんのだよー。脈あるの君くらいなんだよー」
「だああっ! 足にまとわり付くな鬱陶しい!」
 勧誘男は引きずられながらも付いてくる。
 階段を下りはじめると同時にズルズルと言う擬音が鈍い打音に変わり、なんか涙とか血のようなものも
 流しているようだが、切実さは一行に伝わらない。ただただ鬱陶しいだけだった。
「どうしてもダメだというのなら、いっそ君を巻き添えに自爆する覚悟なのだ」
「おいコラちょっと待て」
 流石に聞き捨てならなかったので、立ち止まって胸倉を掴む。
「色々と言いたい事はあるが、まず所持してる火薬類全部捨てろ。話はそれからだ」
「そうか、話を聞いてくれるのか」
「……」
 発言には常に注意を心がけましょう――――
 

 

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