取り敢えず、多少流血している変人を連れて館内に引き返し、ロビーに腰掛けつつ、
 雪人は不本意ながらも話を聞く事にした。
 彼の名は古田鉄平。恋愛とは程遠い、真面目な生活の中で16年間生きてきたらしい。
 一応エリートと呼ばれる進学校に通っており、今は某有名大学を受験する為に勉強中。
 しかし、そんな生き方に疑問を感じ、恋愛を戦略的視点から捉えた『戦略恋愛』なる分野を
 昨年から研究し始めた、との事。
 明らかに脈絡のない吹っ飛び方だが、雪人は一切口を挟まなかった。
 何しろ面倒臭い。
「勉学を突き詰めて行く内に、我輩は重大な事に気が付いたのだ。世の中は恋愛で動いており、
 その恋愛には常に戦略的見解に裏付けられた――――」
「いや、それはもう良いから。本筋だけさっさと話して、さっさと断らせてくれ」
 本格的にズレて来たので、さりげなく軌道修正。
 古田は若干不満そうにしつつも、それに従った。
「ふむ。それでだな、我輩は同世代の人間と恋愛における戦略性について朝夕問わず語り合いたい
 所存であったが、我が高校にはそのような人材が皆無であった。そこで今回のツアーに参加し、
 その願いを叶えんとしたのだが……」
 話が長くなったので、割愛しよう。
 この古田と言う男、要は恋愛について理論的な見解から色々研究してみたいらしい。
 そして、それについてあーだこーだと薀蓄っぽく言いたいようだ。
 ぶっちゃけると、そうする事でしか恋愛についてのトークを語れる機会がないという
 ある意味高次的な判断に基づいた路線変換とも言える。
 10代も半ばを迎えると、形はどうあれ、恋だの愛だのについて何かしらの一次的講釈を
 自分の中で検討する人間が殆どだ。
 仮にそれが『自分とはスッパリ縁のないものだ』を言う結論に至ったとしても。
 つまり、古田鉄平と言う男は、その中で最も自分に合った恋愛へのアプローチを
 意識的か無意識的かは不明だが、見つけてしまった訳だ。
「それでサークルまで立ち上げようと言うのか」
「うむ。ちなみにサークル名は間口を広く取って『恋愛フィロソフィー』とする予定だ」
 それは雪人が今まで聞いた言葉の中で最もセンスの悪い名詞だったが、指摘していくと
 キリがなさそうなのでスルーした。
「ところで、サークルってのは勝手に作っていいのか? 何やら勧誘が沢山いたみたいだけど」
「む? 君はこれを見ていないのか?」
 意外そうに唱えた古田が取り出したのは『菊と玉』という題名の分厚い本だった。
「そんないかがわしい題の本など誰が読むか」
「む、これは失敬。今のは我輩の愛読書だった。最近、恋愛と花火についての関連性を研究していてな……
 こら何処へ行く。ほれ、この本だ」
 逃げ出したい衝動を必死で抑えつつ受け取ったそれは、『U. de L'oiseau Bleu』の手引き――――
 すなわち、この擬似大学に関する様々な紹介および解説が成されている冊子だった。
「……こんなもん、いつ貰ったんだ?」
「ここへ来る船上で支給していたが」
 雪人は記憶の糸を辿ってみたが、そのような場面は見つからなかった。
「サークル活動は基本的に『三人以上の部員』、『活動の主旨をまとめた文書の提出』の二つが
 絶対条件で、それを満たせば法律に反する行為を除き、自由に活動して良しとされている。
 無論、活動においての責任は全て本人達に属するが。ただし、部室に関しては申請して
 許可が下りないと使えないそうだ」
 古田の解説は、いかにも進学校の生徒ですと言わんばかりに、テンポの速い説明口調だった。
 つまり、雪人が先程見かけた勧誘をしていた面々は、全員ツアー参加者の新入生と言う訳だ。
 入学式終了直後、直ぐにホールを抜け出し、急いで勧誘準備を整え、何事もなかったかのように
 他の新入生に呼びかける。ビラは事前に作っていたのだろう。
 キャンパスライフに憧れる人間の多くは、サークル活動へ大きな期待を寄せている。
 高校の部活と違い、サークルには何処か軽い響きが含まれているのも、一つの要因かもしれない。
 部活特有の縦社会と言う面倒なシステムは極力省かれ、社交の場、遊戯の場としての機能に
 特化していると言うのが、パブリックなサークルのイメージだろう。
「サークルか……」
 ここで、雪人は自分がこのツアーに参加した意味を改めて考えてみた。
 自己形成、もっと簡単に言えば自分探し。
 そんな今時流行らない旅に出る舞台として選んだこのツアー、大学やその周辺のリアルさには
 何度も感心する一方、雪人は大学と言う機関への興味を実はさほど持っていなかった。
 一応名目としては、進路をどうするかと言う点においての判断材料。
 大学と言う施設を体験する事で、進学に対しての価値であったりモチベーションであったりを
 見定めようと言うのが、恩師である大河内女史へ伝えた動機だった。
 ただ、実際には大学への興味より、このような予備知識のないツアーに飛び込んだ自分の
 心情の変化、環境への順応、好奇心の方向性などを見定めたい、と言う思いが遥かに強かった。
 しかしそれは、そう言う認識が強いほど逆に分析し辛くなる。
 行動が自分の中で抑制されてしまうからだ。
 誰でも、評価されるとわかっている試験に対し、最良の結果を求めるもの。
 それと同じ事だ。
 だから、雪人は考える。
 そう言った自己分析に対してのあらゆる思考は、このツアーの間に封印してしまおうと。
 そうして、一月後に自分の行動を振り返り、改めて分析してみようと。
 ならば、今すべき事は一つ。
 このツアーの本分である、大学生活を満喫する事に尽きる。
 であれば、サークル活動は決して無視出来ないだろう。
 キャンパスライフの中心的なポジションなのだから。
 本気で加入を検討しなくてはならない。
「ふむ。良い顔だ。精悍な中に、明確な意思を感じる」
 古田はそんな雪人の思考を読みでもしたのか、一人勝手に感心していた。
「君がサークルに対していかに真面目に考えているか、この古田鉄平、なんとなく察知した。
 なれば、この書類にサインを」
「しない。未来永劫な」
 無論、サークルは沢山在るので、敢えて分野も発起人も名称も胡散臭い所を選ぶ必要は欠片もなかった。
「ふんむ……」
 が、古田はさも『何故この男は我輩に協力しないのか、不思議でならん』と言わんばかりの顔をしていた。
「この際だし、はっきり言わせて貰う。恋愛にはとても興味あるが、お前の言う戦略恋愛とやらに関心はない。
 心理学の分野に興味のある奴を当たれ」
「そうか。では交換条件といこうではないか」
「聞けよ人の話……」
 もはや会話すらままならない。
 予想以上の変人には既に一名出会ってしまっている雪人だったが、
 その翌日には二名様ご案内となってしまった。
「確かに、何の犠牲もなしに利益のみを得ようとした我輩は浅はかであった。ここは大奮発して、
 我輩が苦心して書き綴った論文『恋愛の波動と花火の炸裂音の周波数における関連性』を……ぐほぁ!?」
 何もかも面倒になったので、雪人は暴力で解決した。
「むふう……顔面に前蹴りとは……傷害は立派な犯罪行為……ぐふっ」
 一撃目で倒れた古田の顔面をストンピングで沈黙させる。
 何か軟骨が潰れたような音が聞こえてきたが、雪人はそれより今日の昼食の事に思考を向ける事にした。
「うぬれえ……我輩を倒したからと言って逃れられると思うな……すぐに第二、第三の刺客が貴様を……」
 不気味に蠢きながら呪詛を振り撒く妖怪を無視し、再び退館。
 テンポよく広い階段を下りる。
「これ受け取ってくださーい!」
「お願いしまーす!」
「はいコレよろしく!」
「はーいどうぞー」
 同時にテンポよくビラを受け取る事になってしまった。
 門を出るまでに溜まった紙切れの数、実に18。
 雪人は入学式会場の入り口近くにある駐車場の端にあったアーチスタンドに腰掛け、
 その全てに目を通してみた。
 実に、軽薄。
 その殆どは、娯楽のみで構成された、とても魅惑的な内容の物だった。
 一例を挙げると、『飲みサー』と呼ばれる飲み会や合コンを中心に構成されたサークルでは、
 平日は講義終了後に集まって適当に駄弁り、楽しそうな事が見つかればそれをして遊ぶ。
 夕食は居酒屋で(ただし未成年なのでお酒はNG)盛大に。
 金曜はカラオケで盛り上がり、週末は合コン。
 実に娯楽。実に悦楽な内容だ。
 実際の大学のサークルが、これと一致するという保証はない。
 何しろ、この18枚のビラは全て高校生が大学のサークルに持つイメージに基づいて
 作成した代物だ。
 勿論、インターネットなどで本物のサークルやその宣伝を参考にした物が殆どと言う推測は成り立つが。
「……」
 雪人は、改めて考える。
 実際かなり魅力的だ。
 と言うのも、このツアーにおけるサークルは、実際の大学のサークルとも違い、このツアーの
 この機関でしか味わう事が出来ないものだからだ。
 高校生の背伸びと言えばそれまでだが、だからこそ意味のある物になるのでは、と言う誘惑が
 心の中に芽生えてくる。
 しかし、切実な問題も一方であった。
 サークルとくれば、天秤に掛けるのは当然、講義後の他の行動。
 すなわち、アルバイトの存在だ。
 大学生になると、アルバイトをしている人間の比率は高校のそれから一気に跳ね上がる。 
 勿論、自分で大学および生活の費用を稼ぐと言う人も居れば、遊びの為の資金を稼ぐと言う人も居る。
 どちらも立派な動機だ。
 雪人は決して裕福ではない為、何気にツアー中の生活に関しては不安もあった。
 このツアー、食事に関しては全て自己負担なのだ。
 そこがリアルと言えばリアルなのだが、現在の手持ちだと、一日の食品は1000円を切る。
 食費を切り詰めれば、アルバイトなしでも生活は可能。
 しかし、アルバイトをすれば、軍資金は増える。
 だがそうなると、サークルへの参加は難しい。
 そんな、現実でも数多くの新大学生が悩んでいるであろう問題に直面した雪人は――――
「黒木雪人様!」
 フルネーム、しかも様付き、さらには女声で名前を呼ばれ、困惑しつつ振り向く。
「黒木雪人様でいらっしゃいますね?」 
「はい、そうですが」
「あーよかった〜」
 半泣きの表情で安堵するこの女性。
 雪人は直ぐにその顔を思い出していた。
「ツアーガイドの方ですよね?」
 メガネの似合う秘書系美人。
「はい、宇佐美と申します」
 名前の方までは覚えていなかったが、雪人は笑顔で対応する。
 しかしその眼前の女性は、葬式のスピーチかと思う程にどんよりと曇った表情をしていた。
 そして、急に腰を一五〇度ほど折り曲げる。
「申し訳ございません! 申し訳ございません!」
 更には、謝罪の言葉を二度発した。
「この度、わたくし宇佐美結維、黒木雪人様に対し業務上の過失を犯してしまいました。
 なんと、なんとお詫びすればっ!」
「いや、いきなりそんな事言われても何が何やら」
 宇佐美嬢は明らかに取り乱していたが、雪人も同時に混乱していた。
「ご説明させて頂きます。当ツアーにおけるマニュアル等の必要書類をフェリー上にて
 配布していたのですが、黒木雪人様にその書類をお渡しできませんでした」
「ああ、確かそんな事言ってましたね」
 そこで、ようやくピンと来る。
 先程の変人メガネが持っていた手引きを所持していなかった理由。
「その書類を……その書類をっ! 届け忘れてたのですううぅ。なんとお詫びしてよいか……
 誠に、誠に申し訳っ」
 涙目の宇佐美嬢が涙声で平謝りして来る。
 船上で説明してた時の、凛とした外見とフィットする物腰は何処にもない。
「いやそんな、そこまで謝らなくても。って言うか、それなら電話を入れてくれれば」
「ずっと繋がりませんでした……」
 再び思い出す。
 雪人の携帯は現在、バッテリーが切れていた。
「それに電話で済ませるなど、そんな失礼な事はできません。直接頭を下げなければと
 上司からもキツく……上司……あ、あの野郎があんな事しなければ……キーッ!」
 態度急変。
 宇佐美嬢は何かに憑かれたかのように、歯軋りを始める。
「宇佐美サン?」 
「……はっ! すいません! その……取り乱してしまいました」
 本気で取り乱してしまった人間を初めて肉眼で確認した事に軽い感動を覚え、
 雪人はすっかり心を落ち着かせた。
 先程まで変人男性と接してストレスが溜まっていただけに、清楚っぽい女性の
 内省する姿には癒される。ある意味マニアックな回復の仕方だったが。
「兎に角、そんな大げさな事じゃないですから、落ち着いてください。それで書類は?」
「は、はい……こちらに」
 雪人はしょげ返る宇佐美嬢から、大型封筒を受け取る。
 中身を確認した所、色々な書類に混じって先程見た大学の手引もあった。
「それじゃ、確かに頂きます」
「はい。あの、それで……」
 宇佐美嬢もようやく落ち着いたらしく、表情から愁傷な色が消える。
 どうやらこれで解決のようだと、雪人は何となく安堵した。
 蝉の鳴き声が遠くに聞こえる。
 夏真っ盛りの燃える太陽がちょうど真上に来ていた。
 Tシャツに汗が滲む。
「弁護士は如何致しましょう」
「……は?」
 蝉はどうやらミンミンゼミとアブラゼミとクマゼミの混合だったらしく、
 ミーンミンミンミンとジジジジジジとジョワジョワジョワのセッションが
 リズム良く続いている。
「その、訴訟手続は出来るだけお早めにお願いします、と上司が申しておりましたので、
 早急に弁護士を決めて頂けると、大変ありがたいのですが……」
 自然界が奏でる多重音が鼓膜を刺激する一方、不明瞭な意味の筈のその音より更に
 不明瞭な言葉が、雪人の頭の中でぐーるぐーると渦巻いていた。
「あの、何が一体どこへやら」
「私も裁判は初めてなので右も左もわからないのです」
「……」
 絶句。
 気が付ば蝉も黙っていた。
「あの、私もテレビでよく見るような味のある絵で描かれるのでしょうか……?」
「と言うか……騙されてるんだと思います。色々。貴女は」
「ふえ?」
 外見で人を判断する事の愚かさを本気で学んだ高3の夏。
 雪人の見上げる空は、何処までも青く突き抜けていた。

 
 

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