本日も、研究室調査は続行。
雪人はこの日、宇佐美嬢と組む事になった。
結衣と組まずに済んだのは幸いだったと思いつつ、改めてこの南棟Aの見取り図を眺める。
1階は研究室がないので無視しても問題なし。
2階と3階、それぞれ半分ずつを昨日の時点で消化しているので、本日は残りを潰していく
事になる。
「まず、一番近い三越研究室から行きましょうか」
「異論ないです」
宇佐美嬢の提案に従い、大友研究室の右隣の大河内研究室の向かい側にある
三越研究室を訪ねる。
この研究室は初めて訪れる事もあり、2人とも若干の緊張を覚えていた。
資料によると、研究生は4人。
全て男だ。
理系である事は間違いないので、何となく気難しそうな眼鏡が4人並んでいる姿を予想しつつ、
扉をノックする。
「どうぞ」
どこか飄々とした語調で、入室許可の声が飛んで来た。
雪人は宇佐美嬢と一瞬顔を見合わせ、ノブを回す。
室内には――――イケメンが4人いた。
一番手前の席には、目が前髪で隠れているが、正統派の印象を持たせるイケメン。
その隣には、明らかに日サロで焼いたと思しき不自然な肌の色をしたホスト風のイケメン。
ソファに腰掛けているのは、やや過剰にパーマをかけた髪を執拗に指で触る、ナルシスト風イケメン。
そして、一番奥の席から好奇心旺盛な顔でこちらを眺めている、童顔イケメン。
4者4様、見事にタイプの異なる男前軍団がそこにはいた。
「……古」
「え?」
「あ、いや。あの、大友研究室の者ですが……」
思わず漏れてしまった本音をひた隠し、雪人は訪問の理由を述べる。
「ああ、教授から聞いてるよ。好きに調査して良いよ。俺等、ゲームやってっから」
それに対し、正統派イケメンは気さくに対応してくれた。
「それは助かります」
「あ、あの。それでですね、皆さんにアンケートを取らせて頂きたいのですが」
健やかに礼をのたまう雪人から一歩引いた場所で、宇佐美嬢のフォローが飛ぶ。
調査の一環であるアンケートは、基本的には個人の氏名と年齢、所属サークル、
ツアーに参加した動機、このツアーのこれまでの満足度などと言う項目が在る。
ちなみに、最後の満足度に関しては、円滑にアンケートに答えて貰う為のものだ。
これがあるだけで、何となく回答者は『これは多分ツアー関係者に提出するアンケートだ』
と思ってくれるので、回収率がかなり高くなる。
提案したのは雪人だった。
「アンケートぉ? それ何分くらいかかんだよ?」
こちらは少々柄の悪い、ホスト風イケメンの言葉。
とは言え、ホストは大体こんな感じなので違和感は全くない。
実際、先程のイケメンよりも遥かに印象の良くない話し方だったが、負の感情は抱かなかった。
「15分くらい頂ければ」
一方、宇佐美嬢は若干怯えつつ、言い淀む事なく答えている。
元案内役なだけあって、対人スキルはそれなりに高レベルらしい。
「それくらいならいーじゃん。どんなアンケートかキョーミあるしさ」
「僕も構わないよ。何より、女性の頼みを無碍には出来ないからね」
童顔とナルシー風イケメンも快く承諾してくれたので、ホストも渋々ながら
アンケート用紙を受け取ってくれた。
雪人は安堵しつつ、部屋のチェックに入る。
この三越研究室、基本的には大友研究室と同じ構造なのだが、中にある物はかなり
大きく異なっている。
マンガ、マンガ、お菓子の袋、ペットボトル、お菓子の袋、マンガ、ペットボトル、
マンガ、DS、ペットボトル、フリスク、香水、サロンパス、マンガ。
大体床に散乱しているのはこんな感じだった。
ただ、ここまで乱雑に物が転がっている割に、ソファーやテーブルは妙にしっかり
拭き掃除がされている。
本棚も埃一つない。
なんともアンバランスな空間だった。
「ねー、眼鏡のおねーさん。今日暇ー?」
そんな調査に明け暮れる雪人の耳に、一行でナンパとわかる声が響く。
童顔イケメンの声だ。
「い、いえ。今日は歓迎会があるんです」
「え、マジ? 歓迎会とかしてくれんの? いーなー。ここのオッサン、そんなの
ゼッテー開かねーし」
「アイツマジ使えねーよなぁ」
初見では好印象だった童顔イケメン及びホストイケメンの言葉遣いに、雪人は
何となく不愉快な気分になった。
とは言え、言葉遣いにではない。
こう言う言葉遣いの高校生なんて、今の時代石を投げれば90%は当たる
と言うくらいに散乱している。
問題は、喋り方だ。
いちいち演技がかっている。
まるで、テレビで見たドラマの台詞をそのまま引用しているかのように。
そこがやたら引っかかった。
「ねえ、それじゃ俺らもその歓迎会呼ばれて良いんじゃね? アンタラ同じ階っしょ?
親睦深めるのにはチョード良くね?」
「お前厚かまし過ぎだろ。誘って貰ったならわかるけど、自分から言う事じゃねーって」
ホストイケメンを、正統派イケメンが軽口で宥める。
無論、正義感なんて一切伝わってこない仲間内のじゃれ合いだが、宇佐美嬢はかなり
助けられたらしく、引きつった笑みを浮かべている。
「あ、俺終わったわ。これどうすれば良い?」
そうこうしている間に、パーマイケメンは黙々とアンケートを書き進めていたらしい。
意外に思いつつ、雪人はその容姿を受け取った。
社、と言う苗字。
年齢は雪人と同じ17歳だ。
外見上は全くそうは見えないが、このツアーの参加者の多くは17、18で固まっているので
驚くべきデータではない。
「……良いよ、歓迎会。別に身内だけって訳でもないから」
そのパーマイケメンの行動に感動した――――訳ではないが、雪人は自然とそう口にした。
「え!? マジで!? 何だよアンタ、チョー良いヤツじゃん! ってか他のメンツは
どうなってるワケ?」
「事務のこ……事務のお姉さんに聞けばわかるよ。あの人が主催者だから」
香莉の苗字を思い出せず、雪人は多少つっかえつつ言葉を連ねる。
宇佐美嬢はかなり面食らった顔で雪人を見ていたが、参加を受諾したのは
別に彼女への嫌がらせと言う訳ではない。
雪人にとって、こう言った人種は余り接した事のない人間だけに、憩いの場を
共にする機会を設けてみたい気分になったのだ。
「良いの? 俺等、って言うかあいつ等だけど、割とぶっ飛び系っつーか、あんたらと
ちょっとカラー違うかもよ?」
そんな雪人に対し、意外な事に宇佐美嬢より先に正統派イケメンが確認を発してきた。
特に挑発的だったり、カッコつけだったりと言ったニュアンスはない。
本気で迷惑にならないかを確認している、そんな物言いだ。
「やっぱり、話してみないとわからないもんだ」
「あん?」
「こっちの話。ただ、女性陣へのアプローチは原則ノータッチでお願いします。
そう言う店じゃないんで」
「ブー」
後ろの3人がブーイングを発しているが、気にせず雪人は調査を再開した。
隣の教授室へ足を運ぶと、宇佐美嬢が慌ててそれを追う。
「……意外です。黒木さん、ああ言う方達と普通に話せるんですね」
「意外かなあ。同級生だし」
「でも、何となく成人式で暴れそうな人達じゃないですか。後、コンビニの入り口の前で
用もないのにずっと座っている方々って言う感じです」
声を潜め、割とはっきり不快感を示す。
余り宇佐美嬢は現代の若者に免疫がないらしい。
世代的に言えば、十分範囲内の筈なのだが。
「俺はどっちかと言うと、少女マンガをドラマ化した時の2〜5番目のクレジットの
連中って感じだけど」
「うっ……負けました……」
何の勝負なのか全くわからなかったが、宇佐美嬢はガックリ項垂れていた。
「で、でも、私ああいう人達は苦手なんです。ですから、失礼な事を言うようですが、
余り参加して欲しくないような、そんな気が……するんです」
「いや、そんな名場面っぽく言われても、もう誘っちゃったし」
「うう……黒木さん、恨みます〜」
宇佐美嬢はさめざめと泣き言を言いながら、本棚の論文をくまなくチェックしている。。
流石に申し訳ないと言う気持ちがない訳ではないので、雪人は自分自身の好奇心以外の
目的を打ち明ける事にした。
「同じ階にいる以上、嫌でも顔は合わせるでしょ。何もない状態で一人の時に絡まれるより、
皆が集まる場で一度香莉さんや教授にでも睨み利かして貰ってた方が良いかな、と思って」
「えっ……そこまで考えていたんですか?」
一応、頷いておく。
「す、凄いです黒木さん。すいません、私ったら何て浅はかな女なんでしょう……
ああっ、もう! 何でこんなっ、私こんなだからお仕事もっ」
宇佐美嬢はいつものネガティブ思考に陥り、うねうねし出した。
「あの、私お詫びします。『まあこの子、なんて配慮なしな子なんでしょう。
まるでリスペクト言ってれば良いって感じの今時の薄っぺらい子じゃない』って
思った事、心からお詫びします!」
そして、言わなくても良い本音まで暴露してくれた。
「……意外と毒舌なんだね、宇佐美さん」
「ああっ、今のは言葉のアヤと言うか何と言うか」
それが先天的なものなのか、親友の悪影響による後天的なものかは定かではないが、
取り敢えず、調査は滞りなく進み、1時間程度で終了した。
昨日一通り行った事で慣れたのも大きいのだろう。
雪人は宇佐美嬢と共に三越研究室を後にし、次の研究室へ向かった。
今度は三越研究室の隣――――と言っても、その間にはトイレと階段がある為厳密には
隣ではないが、西側にある大山研究室。
丁度大友研究室の向かいに当たる研究室だ。
「失礼します」
「やあ、待ってたよ」
既に話は通してあったので、大山教授は快く迎えてくれた。
ちなみに、大山教授は女性だ。
年齢は60を超えているが、その姿は40代でも通用する程に若々しい。
だが、声は明らかにダミ声だった。
しかし何処か温かみを感じる声で、比較的穏やかな口調と相成り、癒しの効果を与えてくれる。
「あなた達、大友研究室の方がやっていらしたから、手伝ってあげなさい」
その声に呼ばれ、隣の研究室からゾロゾロ現れたのは、4人。
全て女性だった。
「自己紹介しなさい」
大山教授に促され、4人の女性はそれぞれ頭を下げる。
「米山です。ソフトボール部の部長をやってます」
ポニーテールの活発な女性に、雪人も頭を下げつつアンケート用紙を手渡した。
「伊佐美ちゃんです☆ 声優のお仕事を目指してまーす☆」
次は、明らかなアニメ声の小さい女の子に渡す。
「井本。女優志望。ま、ヨロシク」
続いて、顔の右部分を長い髪で隠した女性に渡す。
「水野と申します。保育士を目指しています。どうぞよろしくお願いしますね」
そして、最後にほんわかしたロングヘアのお嬢様タイプの女子に渡す。
皆タイプは異なるが、美女だった。
「……やっぱ古」
「どうされました?」
「いえ。それでは、お手数をお掛けしますけど、記載の程を宜しくお願いします」
ハーレム状態の雪人は目を細めつつ、部屋の調査に取り掛かった。
そして、こちらも問題なく終了。
「ありがとうございました。あの、宜しかったら今夜私達の研究室で……」
アンケートを書き終わった女子に、宇佐美嬢は積極的に回収を試み、
ついでに歓迎会に誘っていた。
特に諌める理由もなく、雪人は傍観しながら資料をまとめる。
基本的には女子だけの研究室らしく、室内にはスイーツの箱やフォーク、ティーカップが
上品にテーブルに並んでいる以外は、殆ど物らしい物はない。
ただ、唯一初期のニンテンドーDSが鈍器のようにゴロッと転がっていた。
「まあ、良いんですの? それでは是非お伺い致します」
お嬢様っぽい女子は宇佐美嬢と気が合ったのか、直ぐに参加を表明し、和気藹々と話をしていた。
「じゃ、あたしも参加しようかな。そっちの君、構わない?」
「ええ。華やかになりそうで嬉しいですよ」
スポーツ少女に何故か話を振られた雪人が頷くと、残りの2名も破顔し、友好的な空気を醸し出す。
「わーい☆ 伊佐美も行こーっと☆」
「それじゃ、何か差し入れ持って行こうかな」
ロリっ子と男っぽい女子に微笑みかけ、雪人と宇佐美嬢は大山研究室を後にした。
「次で最後……でしたよね?」
「多分。えっと、ブ……ラックウェル研究室、です。はい」
最後は外国人教授の研究室だった。
「HELLO! Welcome to Doorway to Hell! HAHAHA!」
なにやら英語で話しかけて来たかと思えば、急に笑い出す。
金髪、青い目、深い彫り。
そして陽気。
日本人がアメリカ人に持つイメージそのままの人物だった。
「It takes a joke too far,professor.May I ask for the fieldwork?」
そんなブラックウェル教授に戸惑う雪人を尻目に、宇佐美嬢はいきなり英語で話を始めた。
流石に元案内係。
英語もお手の物のようだ。
「Of course.Feel free」
「I really appreciate it」
話がまとまったらしく、宇佐美嬢は雪人に指で〇のサインを作ってみせる。
その所作は、年齢の割に妙に愛らしかった。
「お、あんたらがチョーサの人達?」
そんな中、隣の研究室からここの所属と思しき人間が顔を見せてくる。
今度も4人。
最初に話しかけて来たのは、ドレッドヘアの黒人だった。
にも拘らず、日本語のイントネーションが堂に入っている。
「俺、ルート。サッカーやってる。ヨロシク」
「はい。宜しく」
自然に握手を求めてくる辺り、外見に違わず外国人と言う感じだった。
一方、その隣ではクッチャクッチャとガムを噛む不敵なアメリカ人がじっと宇佐美嬢を見つめている。
身長はかなり高く、身体つきもしっかりしているが、何より特徴的なのは頭。
坊主頭に赤とか緑とか黄色とか色々混ざって、訳がわからない。
「彼はデニス。バスケやってる。あと、そっちのインテリヤクザっぽい天然パーマはアラン。
プロフェッサーを目指して勉強中のフランス人だ」
「コチニワ」
教授を目指している割にはカタコトな挨拶だったが、アランは割と気さくだった。
一方のデニスは明らかに危険人物と言ったオーラを醸し出しており、雪人は
目を合わせないようにひたすら尽力しつつ、アンケート用紙を渡した。
「本当はあと一人いるんだが、群れるのが嫌いってんで来てない」
「名前は?」
「一郎」
何故か一人だけ日本人名だった。
ハーフと言う可能性もあるが。
「ヤツはスゲェぜ。是非俺のセクシーフットボールの一員として
オランダに持って帰りたい逸材だ」
「はぁ」
良くわからない会話になりそうだったので、雪人は適当に流した。
ちなみに、宇佐美嬢は研究員とは一言も会話をしていない。
ルートやデニスの風貌に萎縮しているらしく、一切彼等を見ようともせず、
ブラックウェル教授と話し込んでいた。
「終わったゼ」
最も早くアンケートを書き終えたのは、デニスだった。
受け取ると、実に丁寧な文字で懇切丁寧に全項目答えている。
特に漢字は楷書で書かれている事もあり、やたら美しかった。
「日本の漢字は芸術ダ。特に『龍騎』と言う熟語のフォルムは美しい。いずれこの肉体に刻みたいと思ってイル」
「余りお勧めはしないけど……と言うか何処で覚えたんだろ、そんな言葉」
デニスは親指を立て、ニッコリ微笑んだ。
意味は不明だが、悪い人間でない事は伝わってきたので、雪人も親指を立て返した。
そして、滞りなく調査も終了。
外国人部隊で形成されたこのブラックウェル研究室は、やはりらしいと言うべきか、
ポップコーンの容器とコーラの空き缶ばっかりが転がっていた。
「映画館みたいでしたね」
部屋を出た宇佐美嬢の第一声に納得しつつ、雪人は夜の歓迎会に思いを馳せていた――――
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