世の中は非情だ。
でもそれは、誰もが知っているようで、実はほんの一握りの人間しか理解してない。
色々言われてはいるけれど、結局最終的には自分の味方でいてくれる両親のように、
最終的には自分にとって優しい存在であると言う期待を、誰もが世界に抱いているからだ。
そして、それが幻想だったと気がつくのは、死の淵に立ってから。
その頃にはもう、意識はない。
意識を閉じて、ようやく人は悟る。
世の中に突き放された事を。
誰もが突き放される事を。
ただ、現存する人間の中で、それを理解している人間が僅かではあるが、存在している。
実に非合理な事だ。
無常を理解するには、死を越えなくてはならない。
死を跨がずして本当の意味を理解できないのだから。
ただ、この世の中には確実に、それを理解している人間がいる。
そして――――周藤鷹輔もまた、その中の一人だった。
携帯電話を耳に当て、静かにコール音を聞くその様は、まるで凶悪殺人犯を逮捕して本署に
連絡を入れるエリート警察官のような自信と余裕を醸し出している。
『もしもし、って言葉、携帯電話が普及して随分少なくなりましたね』
『君の挨拶はいつも面倒臭いね』
受話器の向こう側にいる男性の声は、何処か疲れきっているような響きがある。
しかし実際には疲労は微塵もない。
声変わりが終わって以降はずっと、そう言う声だった。
『すいません。友人がいないもので、つい無駄口を叩きたくなるんです』
『構わないよ。誰にだってあるからね、そんな心境は』
『お気遣い痛み入ります。では、早速ですが本日の整合を行いましょう』
整合――――周藤がそう呼んだ行為と言うのは、電話越しでも十分行えるものだった。
ただ、声だけで伝達する訳ではない。
この後、メールによる交信も行う必要がある。
更には、メールの添付ではサイズ的に不可能なほどの大量の動画ファイルを
同期する必要もあった。
それ自体はものの数分で可能だが、その動画を全て閲覧するのは、相当量の
時間が掛かる。
早送りは出来ない。
それは絶対に許されない。
『それで、研究の方は進んでいますか?』
『まあ、順調かな。今週から第2段階に入るけど、今のところ選別はしっかり出来てるし、
エラーも確認されてないよ。と言っても、エラーが出てくるのはこれから、だけどね』
『選別段階ではエラーにすらなりませんからね』
小さく笑う。
その音は携帯のマイク部に拾われる事はなかった――――が、お互いにお互いが
笑っている事を認識していた。
『今のところ、有力な人材はいますか? まあ、第1段階終了時点では殆ど差異は
見えないと思いますけど……』
『一応いたよ』
『それは……僥倖です』
笑みの度合いが変わる。
普段、周藤は人前で笑う事はしない。
その理由は2つある。
1つは、詰まらない事ばかりだから。
まだ学生である周藤にとっては、衝動が生まれない以上、無理に作り笑いをする
必要性もなかった。
そしてもう1つは――――自分が笑顔を見せるのは、自分が心を許した人間のみと言う
信念故だった。
『ちょっと変わった嗜好を持ってたから、それを手掛かりにすれば
見つけやすいかもしれない』
『成程。確かに、性格や反射試験の結果よりは確実ですね。これ等はどうしても
多数重複してしまいますから』
『人間の性格は、パターン化させると結構似たり寄ったりだからね。あんまり
アテにならないんだ』
受話器越しに伝わる苦笑に、周藤は呼応した。
『さて、そろそろ切るよ。長電話すると、後で怒られるんだ』
『そちらに家族を?』
『うん。折角の離島での研究なんでね。家族サービス代わりだよ』
『大変ですね。社会人は』
『君も、将来は苦労すると思うよ』
そのニュアンスが何を意味しているのかを悟り、心中で肩を諌める。
『それじゃ、また定期連絡時に』
『はい。失礼します』
通話時間、2分15秒。
室内は再度、沈黙に包まれる。
そこは、個人部屋としてはやたら広い空間。
その中に一人、周藤はいる。
携帯電話を畳み、直ぐにその長い指で目の前のマウスを掴んで、
同期フォルダをダブルクリックした。
既にデータは行き来しており、そのフォルダには今しがた会話した男性の
パソコン内の同名ファイルと中身が同じになっている。
同期。
それは非常に便利なシステムだが、不自由な面もある。
もし、相手側が勝手に処理すれば、それで全てが台無しになると言う点だ。
尤も、この場合にそれは当て嵌らない。
だから、周藤は安心してデータを読み取る。
動画ファイルの中には、大学都市『U・A』の様々な景色が収録されていた。
そしてその全ては、ある人物の視点。
それを同期する。
この作業は、光回線のように一瞬で行われるものではない。
じっくりと時間をかけなくてはならない。
まだ実験は初期段階なのだから。
未だ――――