8月8日(土)。
 丁度講義のない、そして末広がりの8並びと言う縁起の良いこの日、雪人達は
 改めて宇佐美嬢の住むマンションの一室に集まっていた。
 メンバーは雪人と宇佐美嬢の他、香莉、湖――――そして無量小路五月雨。
「ほう……これが宇佐美様の住まう魅惑の領域。この香り、この暖色、この空気……
 いや、生きるとは素晴らしい事ですな」
 まるで少年のような顔立ちの無量小路は、切々と悦に浸っていた。
「あの……折角手助けに来て下さった方にこう言う言い方は失礼なのかも
 しれませんけど、どうして連れて来たんですか?」
 部屋を視姦されている格好となった宇佐美嬢の非難は当然、引率者である
 雪人に注がれる事になる。
 その尤もな批判に対し、雪人は不敵な笑みを携え、堂々と答えた。
「毒をもって毒を制す」
 その言葉に、その場にいる女性全員が雷で打たれたような顔になり、
 そして拍手をし始めた。
「確かに。変態の心理は変態にしかわからないものね。納得」
 湖は特に感心しきりで、雪人に握手を求めて来た。
「と言う訳だ。無量小路、この気の毒な女性を救う為、協力を頼む」
「むうう……この無量小路五月雨、ここまで他人に必要とされたのは
 生まれて初めてですぞ。僭越ながら、持ち得る全てをぶつけて
 この問題の解決の一助となるよう尽力しましょう」
 グッと拳を握り、感涙しながらの決意表明。
 変態だが、根は優しい男だった。
 と言う訳で――――ストーカー分析Part2。
 ストーカーと一言で言っても、主に4つの性質、4つの対象を有しており、それによって
 行動理念がそれぞれ異なると言うのは、前回説明した通り。
 それに加え、その性質と対象の組み合わせによって、それぞれ行動パターンが
 ある程度固まってくると言う傾向が見受けられる。
 ここで、その性質と対象をおさらいしよう。


●性質
 ・過敏型(思い通りにならないストレスを過剰に抱え込み、爆発させるタイプ)
 ・障害型(感情の制御が出来ず、精神的疾患により善悪の判断が付かないタイプ)
 ・依存型(責任や感情を他人に擦り付け、自我を防衛するタイプ)
 ・妄想型(思い込みが激しく、妄想と現実の区別を付けられないタイプ)

●対象
 ・恋愛対象(恋愛感情を持っている相手、その恋人や配偶者に対して)
 ・復讐対象(恨みを持っている相手、その親しい関係者に対して)
 ・性的対象(性的興奮を覚える相手に対して)
 ・妄想対象(脳内で作り上げた仮想恋愛、被害妄想の相手に対して)


では、次にそれぞれを組み合わせ、改めて表にすると――――


 ・過敏型×恋愛対象(片思いの相手、恋人、妻に関して過剰な愛情を持ち、監視する)
 ・過敏型×復讐対象(怨恨の対象者に対し、恨みを膨らませる)
 ・過敏型×性的対象(衝動的な性的興奮を抑制出来ず、襲う)
 ・過敏型×妄想対象(自身の思い込みを現実のものへ昇華させようとする)

 ・障害型×恋愛対象(片思いの相手に対し、独占欲を発揮しようとする)
 ・障害型×復讐対象(恨みを持った相手に法を超えた捌きを施行しようとする)
 ・障害型×性的対象(無差別、或いは自身の好みに合った相手を探し性犯罪行為に及ぶ)
 ・障害型×妄想対象(妄想を少しずつ現実へと転化させようとする)

 ・依存型×恋愛対象(恋人や妻の行動を常に非難し、自身の欲望を正当化する)
 ・依存型×復讐対象(恨みを増幅させ、復讐を正当化させる)
 ・依存型×性的対象(相手の外見や服装を自身の欲望の動機と考える)
 ・依存型×妄想対象(被害妄想を膨らませ、その責任による自身の転落を相手へと擦り付ける)

 ・妄想型×恋愛対象(空想の中で理想の恋人像を作り出し、それを現実に無理に当て嵌める)
 ・妄想型×復讐対象(ありもしない事実を作り出し、憎しみの対象にぶつける)
 ・妄想型×性的対象(対象の性癖や性生活を作り出し、それを事実と認識する)
 ・妄想型×妄想対象(現実にはいない人物を生み出し、その世界観に浸り続ける)


「……とまあ、こうなるんだけど、そことそこ、寝るな!」
 雪人の意見を最後まで聞いていたのは、無量小路と宇佐美嬢だけだった。
「でもね。正直聞いていられないほど気持ちが悪いって言うか……」
「正直、それを解説するゆっきーもなんだかアレよね」
「うるさいな。お前等だっていつ被害に遭うかわからないんだから、ちゃんと勉強しろ」
 言われなきレッテルを張られそうになった雪人は、ジト目で2人を睨む。
 双方共に容姿は悪くない。
 フェロモンのようなものは微塵もないが、その外見だけでも十分ストーキング被害の
 予防をしておく必要性はある。
「ま、確かに私もまどにゃんもプリチーだからね。ちゃんと聞いておこっか」
「ま……まどにゃん?」
「そこは流しとけ。で、厄介なのはこの組み合わせの中でも、コレとコレとコレ」
 新たな呼称が誕生する中、雪人は紙に書いた16の組み合わせの中の3つを円で囲んだ。
 それは『障害型×恋愛対象』と『障害型×性的対象』と『妄想型×復讐対象』。
 今回のケースに当てはまる可能性があり、且つ危険性の高い組み合わせだ。
「まず、結構長い間まだ宇佐美さんに実害が及んでない事を考えると、過敏型はない。
 依存型も考えにくいから、この2タイプは除外して良い。残る2タイプの中で
 危険なのは、これ等って事になる」
「『障害型×恋愛対象』は独占欲を持つパターン、『障害型×性的対象』は好みの女性を
 付け狙って犯罪に走るパターン、そして『妄想型×復讐対象』は濡れ衣で復讐しようと
 するパターン、って事ね」
 湖の要領を得た要約に、雪人はコクリと頷く。
「これらは今後大きな事件に発展する可能性が高い。だからまずこの3つの組み合わせを
 想定して、これ等の場合にストーカーがどう行動するか、どう行った追跡行為を
 行うかについて、検証しようと思う
「そこでこの無量小路の出番、と言う訳ですな」
 凄く嬉しそうに、無量小路は笑顔で身を乗り出して来た。
「でも、幾ら変態の心がわかるって行っても、実際にはどうやって検証すんの?
 あと宇佐美、コーラのお代わりちょーだい。ちゃんとカロリーゼロのヤツね」
 香莉に顎で使われる宇佐美嬢を不憫に思いつつ、雪人は用意していた意見を
 淡々と説明した。
 それは――――
「この男の妄想力を利用する」
 つまり、無量小路にストーカーになりきって貰う、と言う作戦だ。
「幸いここに、3人の女がいる。3パターン、バッチリ行けるな?」
「理解出来ましたぞ。無論、可能です。寧ろ歓迎です。これで暫くは充電の必要が 
 ありませんな。はっはっは」
 2人はグーを付き合わせ、成功を確信し合った。
「ちょっと待った待った待ったー! 嫌よ! 何で私までそいつの頭の中で
 その……へ、変な感じにならなきゃなんないのよ! 嫌ーーーーっ!」
 一方、フィーメイルトリオは湖をはじめ、全員が露骨に嫌悪感を示している。
 無理もない話ではあったが。
「我慢しろ。そもそも既にこいつの頭の中じゃお前等の服装は自身の理想に
 置き換えられているに違いない」
「黒木様はこの無量小路の全てを把握しておられるようで……良き理解者に
 巡り会えた、とはこの瞬間の事を言うのでしょう」
「嫌ーーーー!?」
 潔癖症の気でもあるのか、湖は涙目で絶叫する。
「マンションなんだから隣に迷惑をかけるな」
「でも、私も叫びたい心境です……」
 宇佐美嬢もかなりのダメージを受けている。
「アンタは我慢しなさいな。当事者なんだから。でもそこの顔だけはやけに可愛いアンタ、
 私はチャイナドレスしか許さないからね」
「コスプレと混同するな」
 一方、香莉は嫌がりつつもちょっとノリ気味だった。
 そして、それぞれの感情がダダ漏れする中、検証は始まる。
 まずは『障害型×恋愛対象』タイプ。
 主演は湖だ。
「ふむ。設定と致しましては、この無量小路が21歳の大学生、窓霞様は……窓霞は」
「何で呼び捨てに変えんのよ! それ以前に名前で呼ぶなあっ!」
「失礼。湖様は2つ年下で、19歳の大学1期生としましょう。二人はサークルの先輩後輩と
 言う仲で、湖様にこの私無量小路が片思い中という設定でございます。湖様は
 サークル仲間皆の人気者。しかし私無量小路はそれを快く思わず、焦燥感と
 苛々を募らせ、次第に湖様が異性を会話するだけで血管が破裂しそうな心境になると言う、
 そんなある日の事です」
「……仕事早いなー」
 雪人が思わず感心するくらい、設定は細かくそして的確だった。
 ちなみに、全く打ち合わせなどはしていない。
 先程の説明でここまで深く理解していたようだ。
「湖様はいつものように講義を終え、サークルの部室へと赴きます。赴いて下さいませ」
「歩けばいいの?」
「はい。そして、室内に入ると、そこには部長がいます。仮に黒木様を部長としましょう。
 黒木様、湖様に挨拶を」
「よう。早いじゃん」
「そこで湖様は気軽に『最近、ここに来るのが楽しいんですよね』と答えます。
 当然、良い空気が流れます」
 無量小路の即興の脚本を元に、三文芝居は続いて行く。
 何故か雪人まで引っ張り出された最中、次に控える香莉と宇佐美嬢も食い入るように
 寸劇に見入っていた。
「そうですな、二人並んでジュースを買いに行く、等と言うシチュエーションが好ましいでしょう。
 余り仲良くし過ぎても、本件とかけ離れてしまいます。宇佐美様、親しい男性はおられない
 との事でしたが、間違いありませんかな?」
「は、はい。いません」
「では、並んで下さいませ」
 そして言われるがまま、湖と雪人は並んで歩く。
「……」
 湖は何処となく照れていた。
「そして、自販機でジュースを買い、お互いにそれを取り出そうと屈み、同時に取出口に
 手を伸ばす。偶然重なる手と手!」
「おー。何か20年前のトレンデードラマみたい」
 茶々を入れる香莉を他所に、雪人と湖は共に屈んだままフリーズしていた。
 幾ら演技とは言え、自ら手を伸ばすのは流石に恥ずかしい。
 お互い、後手に回ろうと牽制しあっていた。
「どうされました? 早く続きを。ここからが本番ですぞ?」
「いや……って言うか、この再現V必要ないんじゃないか?」
「何言ってんの。リアリティが大事でしょ? 早く手をくっ付けなさいって」
 そしてついに香莉が楽しみ出した。
 雪人は嘆息しつつ、湖の方に視線を送る。
「うぁ……」
 凄く強張っていた。
「そこまで嫌か……」
「い、嫌って訳じゃないけど。苦手なのよ」
 男が? と――――そう聞こうか迷ったが、雪人は言葉を止めた。
 流石に数人に取り囲まれたこの状況で聞く質問ではない。
 代わりに、少し表情を崩して手を伸ばす。
「あ、ありがと」
 何故か礼を言い、湖はその手にそっと触れて来た。
「重なる手と手! それを偶然見てしまった私無量小路! このきっかけがあって、
 これまで積もりに積もっていた仄かな想いは歪んだ愛情へと変貌するのです!」
「初々しくて良いねー。にしても、見事にストーカーの心理理解してるわ」
 要は、きっかけ。
 どんなストーカーでも、それまでの人生をある程度常識の範囲内で過ごして
 来ている筈。
 でなければ、とっくに警察行きとなっているのだから。
 つまり、狂気に誘われる者は皆、何らかのきっかけによって化けるという事。
 元から狂っていても、それが表面化するのはそう言う経緯があっての事だ。
「ふむ、ふむふむ……見えてきましたぞ。この哀れな21歳の大学生が取る行動が!」
 何かが憑依したかのように、無量小路はビクビクと体を動かす。
 そして、徐にペンを掴み、雪人の用意していたノートにその行動傾向を書き殴った。
「まず、私は湖様の全てを知りたがりますな。既に別の男性に目が向いているかもと言う
 危機感を乗り越え、こちらに目を向けさせる為、盗聴器を仕掛けますぞ!」
 ビシッ、と断言。
 実際、それは十分あり得る事だった。
 障害型は犯罪行為に対して全く抵抗がない。
 また、計画性が強い傾向が見受けられる。
 その2つを考えると、寧ろ可能性大とすら言える。
 あくまで、宇佐美嬢を狙っているストーカーが実在し、尚且つ『障害型×恋愛対象』タイプ
 だったら、と言う話ではあるが。
「と、盗聴器……? そ、そんな物がここに?」
「取り敢えず探してみましょう。俺は天井周辺を見てみるんで、女性陣は小物類を
 チェックしてみて下さい。特に電化製品中心に。あと小型カメラにも注意して」
 雪人のテキパキとした支持に従い、全員で盗聴器の詮索を開始した。

 ――――3時間後。

「……なかった、ですね」
 宇佐美嬢の部屋全てをくまなく探した結果、見つからなかった。
 幾ら素人でも、全ての物をチェックすればその有無はわかる。
 カーペットをひっくり返し、照明も全部外してまでチェックしたので、間違いはないだろう。
「良かった〜」
 安堵感から宇佐美嬢はだーっと涙を流す。
 流石に、これまでの生活音が第三者にダダ漏れとなると、ちょっと精神衛生上耐えられないのも
 無理はない話だ。
「となると、次は『障害型×性的対象』パターンか。じゃ、宇佐美さん」
「へ? 私?」
 安堵も束の間。
 変態の妄想対象となる事が確定した宇佐美嬢は、愕然としつつ眉尻を極限まで下げていた。
 とは言え、当事者なので頑張って貰う。
「ふむ。それでは設定を練りますぞ。宇佐美様はかなりセックスアピールが強いので……」
「女性の割合が50%越えてる場でセックスアピールって言葉はイエローカードだ」
「む、それは知り得ませんでしたな。その警告は甘んじて受けるとしましょう」
 粛々と反省の弁を告げる無量小路の手前で、宇佐美嬢はメガネを際限まで曇らせて
 不安を露にしていた。
 後、性的魅力が高いと言われた事にも微妙に引っ掛かりを覚えているらしく、
 腰の辺りに手を置いていた。
「では改めて。宇佐美様は地元商店街の販促キャンペーンガールと言う事にしましょう。
 そしてこの無量小路はそのポスターを見て『このレベルならヤレる』と勘違いした
 27歳のフリーター、と言う事で」
「その設定、ちょっと嫌……でも我慢しなくちゃ」
 不服を口にするも、当人と言う事もあり我慢の道を選んだ宇佐美嬢は
 無量小路の視姦を甘んじて受け入れた。
『障害型×性的対象』パターンの場合、厄介なのは自発的なストーカーと言う点。
 要するに、前向きなストーカーと言う点だ。
 思い込みの強さと攻撃性を兼ね備えているので、凶悪犯罪に繋がりやすい。
 まして、性的な衝動に突き動かされているのだから、世の女性にとってはこの上なく
 消し潰したい存在だ。
「まずは家ですな。家を突き止めます。一人暮らしかどうかを確認する為です。
 洗濯物もチェックしますぞ。カムフラージュに使われやすいトランクスが
 申し訳程度に2、3枚あれば、逆に攻め込みやすいと判断すると思われます」
「う……」
 何か身につまされる事でもあったのか、宇佐美嬢の顔が曇る。
「ある程度目星が付いたら、行動ですな。劣情を催しているこの私は
 その一方で冷静に接点を探りますぞ。まずは行きつけのバー、カフェ、
 或いはコンビニ、スーパー……そう言った所で少しずつ視界に入るようにします」
 実際――――このタイプのストーカーは積極性が高く、対象者に関与しようと
 かなり活動的になる。
 無量小路の妄想は現実的だった。
「……となると、もしこのタイプだったら何度か目にしてる可能性がある、
 って事よね。宇佐美、どーなの?」
「そろそろ名前に戻して欲しいな……えっと、そう言う記憶はない、と思う。多分」
 宇佐美嬢の記憶が確かなら――――『障害型×性的対象』パターンの可能性も薄い。
 と、なると――――
「私の出番、って訳ね」
 つまり、『妄想型×復讐対象』。
 逆恨みで狙われていると言うパターンを残すのみとなった。
「人から恨みを買う事なんてないけど、逆恨みなら何度だって持たれて来たから、
 ある意味適任ね。さあ、そこの顔だけ可愛い変態! 私を使ってストーカーの行動を
 的確にシミュレーションなさいな!」
 妙にノリノリの香莉に対し、無量小路は親指を立ててそれに応えていた。
「最初からこの組み合わせで3パターンやってた方が早くなかった?」
「言うな」
 湖の疲れきった声を制しつつ、雪人は改めて3つ目のパターンについて考えていた。
 逆恨み。
 それは、ある意味最も厄介な爆弾だ。
 なにしろ、どんな人間にだってそれを投げ付けられる可能性がある。
 問題は、それがストーカーにまで発展するケースだ。
 例えば、アイドルに熱愛報道が発覚した際。
 或いは、学校の人気者が一度だけ優しく微笑みかけたのを好意と解釈し、
 その後彼女に恋人が出来た場合。
 更には、自分が好意を寄せている男性と親しげに会話している女性に対して。
 一般的に、『妄想型×復讐対象』パターンと言うのは、理由を無限に用意出来る一方で、
 ストーカー被害にまで発展するケースと言うのは半ばテンプレート化している。
「谷口様は、27歳OLとしましょう。4つ年上の上司と打ち上げの席で仲がよく、
 社内で噂になるような仲と認定します。そしてこの無量小路は一つ年下の同僚です。
 新入社員の際に指導係として接して頂き、その際に好意を寄せるに至りました」
 そして実際、無量小路もその中の1つを選択したようだ。
 ここまでは問題ない。
「ふむふむ、見えます、見えますぞ! 私の行動は実に明快ですな。やはり
 妄想型、と言うのはこの無量小路との相性が抜群なのでしょう。社内で
 会話する谷口様と上司を見て、パソコン画面には『殺』の字が多数踊っております」
「それだとテンプレ過ぎない? 現実的じゃない、って言うか、ドラマとかで良く見る感じだし」
 湖の言葉に、無量小路は感心したように小刻みに頷く。
「流石は我が麗しのマドンナ窓霞様。じ――――」
「だから名前で呼ぶなっ!」
「失礼。湖様。実はですな、これは『自分自身への暗示』なのです」
 無量小路の言葉に、湖は勿論、宇佐美嬢、そして雪人も驚きの表情を作る。
 ここに来て、全く想像していなかった行動理念が変態のスペシャリストの
 口から発せられた。
「妄想タイプと言うのはですな、常に非現実の世界で生活している訳ではないのです。
 現実と、非現実を何度も往復しております。だからこそ、その境界が曖昧になるのですが、
 それにはやはりきっかけが必要なのです。愛していた者の裏切り――――と思い込める行動。
 好きなクリエイターの失態――――と信じ込めるエピソード。それ等がスイッチとなり、
 現実の世界に虚構を捻じ込むのです」
「それとさっきの『殺』連発がどう関係あるのよ」
 湖の疑問に、無量小路は静かに、紳士然とした態度を崩さず、笑う。
「ドラマで良く見る、と先ほど湖様は仰られましたが、まさにその通り。
 演じているのですよ、今私は。演じる事で、自分に酔っております」
「自己陶酔型?」
 雪人の言葉に、無量小路は頷く。
「妄想型は、常に自分をどう見せるかと言う演出を考えます。それが健全な方向に働く
 場合は、例えば一層格好を良くしたい、或いは意中の女性の好みに合わせたいと
 思うのでしょうが……その一方で、目の前の現実を理解する能力も持っているのです。
 その結果、演出力が自制出来ず、『まるでドラマの中の登場人物のような自分』、或いは
『マンガ・アニメのような自分』を演出してしまう傾向が強く見受けられます」
 つまり――――自力で何かをすると言う志が現実と言う壁を越えられないと
 理解した時、創作物のシチュエーションへと逃げる、と言う事だ。
 実際、犯罪においてはそう言った『キャラ作り』が結構見られる。
「となると、宇佐美さんを狙っているストーカーがもしこのタイプなら……」
「スタンダードな枠に嵌った『狂気』を演じる可能性が高い、って事ね」
 キラン、と瞳を輝かせ、香莉が断言する。
「素晴らしい。その通りでございます」
「あの……その場合、どうやって身を守れば」
 宇佐美嬢の言葉に、無量小路は晴れやかな笑顔を見せる。 
 顔だけなら、もはや主役級の貫禄だ。
「このタイプは段階を踏みます。そこに至った場合の危険性は群を抜いておりますが、
 それまでは比較的安全と思いますぞ。今後、怪文書が届いたり、大学や会社内で
 あらぬ噂が立つようであれば、それを元に再度検証する、と言うのが合理的かと」
「わ、わかりました」
 あっさりと頷き、宇佐美嬢は胸を撫で下ろす。
 その所作に――――雪人は違和感を覚えた。
「じゃ、今日は解散ね。まどにゃん、何か食べてく? おねーさんおごっちゃるよ?」
「はは……何か怖いんで遠慮しときます」
 場が一斉に和む中、無量小路はそっと雪人の耳に顔を近付ける。
「おい、気持ち悪いから離れろ」
「重要事項ですのでご容赦を」
 そして、芯のない声でボソッと告げた。
「もう一つの可能性――――黒木様なら既にわかっておられるでしょう。
 それも頭に入れておいた方が宜しいかと」
「……やっぱり、そうなるのか」
「あくまで推測ですが」
 無量小路は顔を離し、笑顔を作って湖達に合流し、煙たがられていた。
 そんな中、雪人の視線は宇佐美へと向く。
 もう一つの可能性。
 それは、雪人の中では既に明確な言葉になっている。
 ただ、現段階でそれを確認する訳にも、まして確信する訳にもいかなかった。
 動機が見出せない。
 しかし、その可能性は決して低くない。


 ――――事態は、妙な方向へと動き始めていた。







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