警備員。
自宅を守ったり自室を守ったりする特殊なものを除けば、基本的には
その業務は警備業法によって定められている警備業務を行う職業の事だ。
警備業務って言う仕事は、特定の場所において、事故や盗難などの問題が発生しない
ように警戒を行い、何か起こった際にはそのトラブルの対処、解決に尽力する
と言うもの。
また、車両が事故を起こさないように警戒及び防止に努める、車両を使用した
運搬中に運搬物の盗難を予防する、要人等の人身の危険を防ぐ、と言った
業務も、警備の範疇に属している。
警備には一号業務〜四号業務まであり、一号業務は施設の監視及び巡回、
そして車両の入出管理を、二号業務はイベント会場や駐車場、工事現場と言った
場所における人や車両の誘導や案内を、三号業務は金品の輸送を行っている
運搬行為全般に対しての警備を、そして四号業務は要人に対しての身辺警護を行う。
簡単に言えば、一号業務は施設警備、二号業務は交通整理や会場警備、三号業務は
運搬警備、四号業務はボディーガードと言う事だ。
「君に行って貰うのは、一号業務と呼ばれる職業です。警備して貰う施設は、
この南棟Aをはじめ、北棟と南棟の全般、実験棟、実験棟、体育館、スポーツセンター、
情報処理センター、保健管理センター、事務局、駐車場、多目的ホール……
こんなところですね」
つまり、大学に存在している殆どの施設、と言う事。
流石に雪人は眉間に皺を寄せ、反論を試みようと――――
「ああ、大丈夫ですよ。機械警備ですから。今言った施設には全て、周囲や玄関口、
窓口にセンサーを設置してます。そのセンサーに反応があった場合に
ここの機械がブザーを鳴らしますから、反応があった施設へ向かってください」
「機械警備、ですか」
勿論の事ながら、雪人に警備の経験はない。
ただ、機械警備については、実は知っていた。
その昔――――大河内女史の叔父にコキ使われ、おとり捜査をしていた時期。
彼に何度か、警備会社から連絡が入っていた。
警備会社が設置したセンサーに反応があると、警察に連絡を入れるのが
決まりになっているようだ。
その関係もあって、少しだけシステムについて聞かされていた。
機械警備はソフトとしての発達が目覚しく、多くの警備会社は専門の
システムを専門業者から購入し、それを導入している。
センサーも同様。
安価で質の高い物が大量に入荷できるので、一つの警備会社が何百もの
施設を一度に警備する事も可能だ。
センサーは施設内の通信機器と繋がっており、それが警備会社本部にある
パソコンと繋がっている。
ブザーが鳴るのは、そのリンクがあってこそだ。
ただ、欠点もある。
センサーの質が高すぎる、と言う点だ。
センサーの種類は赤外線だったり振動探知型だったりと様々だが、
いずれも感度が良すぎて、人間以外のものを察知してしまう。
例えば、偶々野良犬がその施設の周りをうろついたり、窓際に少し大きい虫が
飛び交ったりすると、それを感知してブザーが鳴る事も少なくない。
一応、そう言った人為的でない侵入と言うのは、その後の機械の反応で
ある程度はわかったりするが、万が一の可能性を考慮する必要がある為、
本部で待機している警備員はその都度ブザーが鳴った施設に向かわないといけない。
機械警備の仕事は基本的に楽と言われているが、もしこの出動を一度でも
怠れば、確実にその警備会社は信頼を失うと言う事を考えると、気の抜けない
仕事とも言える。
「……と、説明は以上です。詳しくはこのマニュアルを読んでください。
基本的には、巡回と機械警備を2人1組で行う事になります。巡回は
ルートが決まっていますから、その通りに回って下さい」
雪人に対して説明を行っているのは、ツアーを主催した『株式会社アープ』
と言う会社の人間。
宇佐美嬢や香莉の上司に当たる男らしい。
そして、その説明を受けているこの場所は、大友研究室もある南棟Aの
一階の突き当たり。
ここに、機械警備の為の警備機器が仰々しく設置されていた。
警備の本部の割に、立地場所が南にありすぎると言う欠点もあるが、
最も離れている北棟Aまででも、走れば10分足らずで付く距離。
問題はないと言うことらしい。
「2人1組って事は、他にも誰かいるって事ですよね。その人は?」
「先に決まっていたので、昨日説明を行いました。今日の夜にここに来るでしょう。
それでは、鍵をお預けします。宜しくお願いしますよ、黒木雪人君」
フルネームで雪人の名前を呼び、男は事務的な表情を一度として崩す事なく、
その機械警備室を後にした。
聞きたかった事は他にもあったが、男の顔はそれを明らかに拒んでいた。
アルバイトの人間と話す事などない――――メガネ越しに、そう言う目をしていた。
尤も、直接の上司と言うわけでもないし、そもそも今後会う事も殆どないと
思われる人間。
特に気にする必要もないと切り替え、それでも少し気分を悪くしつつ、
雪人は暫く機械警備室でマニュアルを読み耽った。
そして――――突然、携帯が震え出す。
結衣からだった。
『ゆき、テーマ決まった?』
緊張したような、少し高い声。
その言葉で思い出す。
時刻は、16時55分。
「……しまった」
見事に研究テーマの事を失念していた事を思い出し、慌てて頭の中の
ガラクタを押しのけ、整理を行う。
とは言え、一度警備の事で満たした頭は、中々切り替わってはくれない。
しかし、そこで気付く。
切り替える必要はないんじゃないか、と。
つまり――――
『ゆき?』
「あ、ああゴメン。今決まった」
『今……?』
訝しげな声を挙げる結衣を適当にあしらいつつ、二階の大友研究室へ。
そこには、既に白石を除く二人の研究生が待っていた。
時刻は丁度17時。
遅れたわけではないが、申し訳ない心持ちでテーマと主な活動予定を
記した書類を受け取り、慌てて自分の分を書き込む。
そして、改めて大友教授へ提出。
無事、受理された。
「黒木さんは、どんなテーマになされたんですか?」
勤めを終えて隣の部屋に戻ると、二人とも待っていてくれた。
「『大学の街頭化現象を考える』……って書いといた」
苦笑しながら、先程殴り書きした言葉を述べる。
雪人の頭の中には、以前大友教授と屋上から眺めた、この大学の景観が今も残っている。
鮮烈だった。
一つの街のミニチュアのような空間が、全て学び舎と言う事実。
ただ、そこは施設と言うより街と言う印象を受けた。
その生活空間を、雪人は教育機関としての大学ではなく、一つの街に見立て、
レポートを書いてみようと思ったのだ。
その為には、あらゆる施設を見て回る必要がある。
そして、警備員と言う仕事を得た雪人は、それが十分に可能な立場にあった。
「街、ですか」
「うん。学ぶ場所があって、物を買う場所があって、運動する場所があって、
ゴミを捨てる場所があって、事務的な手続きをする場所があって、そして
道があって……そう言う、生活に必要なものが揃ってるこの空間は、もう
それだけで街って気がするんだ」
「……大学都市全体じゃなくて、この敷地内だけで街、って事?」
結衣が珍しく、自主的に言葉を投げてきた。
雪人は少し驚きつつ、頷く。
「まあ、思いつきって言えばそれまでだけど。取り敢えず、折角色んなところを
見て回る機会を得たんだから、それを利用しない手はないって思ってさ」
「素晴らしいと思います! 私なんて……結局思いつかなくて、例をそのまま
使わせて貰う事にしましたし……フフッ、なんて創造力のない」
自嘲気味な宇佐美嬢は何処か病的に微笑んでいた。
それを若干怖そうに眺めていた結衣が、不意に視線を雪人の方へ向ける。
「ゆき、大学に泊り込むの?」
「んー……取り敢えず初日は帰って、しんどいようなら泊まる、かな。
その辺は流動的」
「わかった」
何を知りたかったのかは不明だが、結衣は納得したように頷いていた。
そしてその後、雪人が接した宇佐美嬢の上司の話で主に宇佐美嬢が
盛り上がりを見せ、暫く雑談し――――気付けばすっかり外は暗くなっていた。
ストーカー被害を訴える女性と、小動物のような女の子。
とても単独で帰らせる訳には行かない二人だが、雪人もこれから仕事と言う事で、
送って行く事は出来ない。
「しまったな……どうしよう。大友教授がまだ棟内にいるかな」
話題を提供した事もあって、責任の一端を軽く感じつつ、雪人は
隣の部屋を覗く。
しかし、そこに教授の姿はなかった。
「泊まって行っちゃえば? 警備の人間もここにいる事だし」
にゅっと、香莉が現れる。
「それは流石にちょっとなあ」
既に慣れてきているので、神出鬼没の女性に対して雪人は特に驚く事なく、
発言内容に対しての検討を試みていた。
「……驚かそうと思った訳じゃないけどね。別に。フン」
不愉快そうだった。
「でも、実際泊まっていけば? 私も今日は泊まるし。仕事溜まってんのよ」
「そうなの? それじゃ、そうしようかな。結衣ちゃんはどうします?」
親友が一緒と言う事で、宇佐美嬢はアッサリ承諾。
しかし、流石に結衣は――――
「泊ま、ります」
「え? 本気か?」
「がんばる」
何を頑張るのかは良くわからなかったが、雪人は一つ不安を抱えながらの
警備初日を迎える事となった。
「で。ゆっきーはお仕事いいの? もう8時だけど」
「あ、まずい。それじゃお仕事行ってくるんで」
女性3人に別れを告げ、雪人は急いで機械警備室へ向かった。
夜の大学は、基本的に人が残っていれば明かりは点いている。
警備を始めるので、これからはずっとこの状態で夜を迎える事になるだろう。
それでも、周囲の闇が窓から見える状態は、決して明るいと言う印象にない。
それが、これからどんな人間と一緒に仕事をするのかと言う不安をより
増大させていた。
警備と言うからには、男である事は間違いない。
身体に自信のある人間が有力だ。
そして、可能性を考慮するならば、この南棟Aが本拠地となる事から、
南棟Aの研究生に声がかけられた可能性が高い。
雪人がそうであったように。
もし、白石だったら――――
(あんまり嬉しくないな……)
最初こそ爽やかな好青年と言う印象だったが、徐々に過剰気味な自己顕示欲と
協調性のなさを露見し始めたあの男子に、余り良い印象はなかった。
下手したら、バイト中に『お前、トレード要員になれ』と言う圧力を
かけてくる可能性すらある。
そうなれば、とても居心地の良い職場にはならない。
また、展開的にもう一人、可能性の高い人間に心当たりがあった。
無量小路五月雨。
ストーカーの件で協力を仰いだ事で、多少打ち解けた感はあるが、
やはり変態である事には変わりなく。
『女性への妄想力を満たすべく、ミステリアスで何処かエロティシズム溢れる
夜の大学を徘徊する為にこの仕事をお引き受けした次第ですぞ』
そんな台詞が聞こえてきそうな自身の脳内に、雪人は絶望した。
毒されている。
頭を振り、その可能性を突き落そうと試みたが、離れてくれない。
離脱したと思われる古田鉄平と言う可能性もあった。
かなり不安の割合が増えてきたところで、雪人は機械警備室の扉を開ける。
その中にいたのは――――
「……」
三越研究室のイケメン軍団の一人だった。
パーマは当てていない。
童顔でもない。
ナルシストでもない。
正統派なイケメン。
雪人が現在知り合いになっている男子の中では、取り分けまともな部類に入る
良識人だった。
「よし当たり!」
「!?」
歓喜のあまり思わず拳を握った雪人に対し、正統派イケメンの男は
まるで小心者のように身体を振動させ、驚き――――と言うより恐怖を
露見させていた。
「えっと、三越研究室の人だよね? やー、良かったよ知り合いで。
俺の名前は言ったっけ? 黒木雪人っての。宜しくな。えっと、そっちは……」
「ちょ、ちょっと待って! 待ってくれ……」
不安を一層した事で多少テンションが上がっていた雪人に対し、
正統派イケメン君は明らかに狼狽していた。
と言うよりは、怯えていた。
「……あ、ゴメン。一人でテンション上げ過ぎたな」
「いや、良いんだ。悪いのはその、俺なんだ」
「?」
発言の意図がわからず、雪人は首を捻る。
わからないのは、それだけではない。
初対面時や新歓風パーティーの際とは、全く表情も雰囲気も違っている。
「俺、その……アイツ等といる時はその、普通に出来んだけど、一人だと
なんつーか、ちょっと調子悪いって言うか、あんまり上手く人と話せない
って言うか」
しどろもどろに、イケメン君は自身の事を語り始めた。
名前は、小林拓。
三越研究室の面々とは、小学生低学年の頃からの友人らしい。
常に彼等と共に行動しており、やんちゃな他の三人から少し引いたポジションで
色々と物事を冷静に見極め、熱くなったメンバーを嗜めたり、ケンカになりそうな
ところを沈静させると言う、リーダー的な役割を担ってきたとか。
それが当たり前になっていた事で、他の三人がいないと、自分を上手く出せず、
不安と焦燥から極度に緊張してしまう体質になってしまったとの事。
「それを払拭したくて、一人で警備の仕事を引き受けた、ってとこか」
雪人の言葉に、恐る恐る小林は頷いた。
「俺、あのグループにいる時はエラソーにしてんだけど、一人だと全然ダメで、
女子とかに話しかけられても何言っていいかわかんねーし、知らねーヤツに
話しかけるとかあり得ないっつーか……」
「まあ、今時珍しくもない事じゃないか? 割と多いと思うぞ、そんなヤツ」
特に驚く事でもなかったので、雪人は持参した栄養ドリンクを飲みつつ
新品の警備服をじっと眺める。
「マジで? マジでそう思う? なあ、マジで? 俺、異常じゃないのか?
こんなに他人が怖いの、俺だけじゃないのかな?」
雪人から大分離れたところで、小林は目を泳がせながら切実そうに問い掛けてくる。
実際、そこには相当な不安とこれまでの苦労が見て取れた。
特に、今後大学への進学を考えるなら、面接、新たな環境での生活開始等、
人見知りが命取りになるようなイベントが目白押しだ。
相当な覚悟を持って、このツアーに、そしてこのアルバイトに臨んだと思われる。
「多分な。それに、俺とこうして話してる時点で、結構マシ……って言うと失礼か。
悪い。言うほど重症じゃないと思うけど」
「お、お前はなんか話しやすいんだ。最初お前が俺らの研究室に来た時、な、
なんて言うか、俺あんな風だったけど、心の中では『コイツすげー!』って思ってたんだ。
俺らみたいなの、結構初対面ではビビるヤツ多くてさ。それをフツーに接してきて、
ここに来た時もナチュラルにフレンドリーって言うか……俺もそうしたいって言うか」
雪人は何故かイケメンに憧れられていた。
「いや、俺は普通だろ?」
「そんな事ない。寧ろかなり不遜だ」
あまり使わない言葉を使い、小林は褒めてるのかそうでないのか微妙な評価を
雪人に対して口にした。
「……ま、良くわかんないけど。兎に角、これから暫く2人で仕事するんだから、
適度に宜しくな。その人見知りに関しても、俺が協力できる分には協力するから」
「さ、サンキュー! うわ、マジ良かった。マジ嬉しい〜……
こんなの、アイツラには絶対言えねーからさ……言わねーでくれな」
苦笑しつつ、首肯。
こうして、雪人のアルバイト初日はある意味新たな出会いと共に始まった。
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