警備員の業務は、基本的に難しくはない。
機械警備――――等という言葉からやたら複雑な作業を想像する者も
少なくないだろうが、実際には60を過ぎた老人でも問題なく覚えられるくらい
単純なもので、基本的には各施設に設置した機械から定期的に送られてくる
通信データをチェックする程度だ。
異常がなければその旨を報せるデータが来るし、何かトラブルがあれば音で
報せてくれる。
音による通知がなく、定期通信が途絶えた場合は、侵入者ではないものの、
機械のトラブルが発生した事になり、整備に赴く必要がある。
「……って事は、センサーの取り付け方や外し方を覚えなきゃならない、って事か」
マニュアルを読みながら、雪人は段ボール箱の中に置かれていた各種センサーに
目を通した。
センサーは主に3つ。
シーリングライトと見分けが付き難い外見の『パッシブセンサー』。
窓に設置して振動を感知する『マグネットセンサー』。
そして、熱で侵入者を検知する『赤外線センサー』だ。
監視カメラは、基本的に設置はしていない。
マンション等と違って、この大学にはプライバシーの観点もあって
置く事は控えたようだ。
その為、機械警備は3つのセンサーの受信チェックと、ブザー音が鳴った際に
いち早く現場へ駆けつけると言う仕事が主だったものになる。
「後は、見回りか。一周一時間くらいで回れるのかな? 一日二回行けば
良いって書いてるから、一回ずつで良いよな?」
雪人は相棒となる小林に向かって訊ねた――――つもりだったが、
答えは返ってこない。
「おーい」
「あ、ああ。聞こえてる。えっと……あ……その……」
「大丈夫。ゆっくりで良いぞー」
明らかに狼狽顔のイケメンに、雪人はマニュアルを熟読しながら
間延びした声を送った。
人見知りと言うのは、完全に性格の問題とも言えない。
過去の経験や環境が、コミュニケーション能力を奪った可能性もある。
雪人の周囲にも、人見知りの激しい人物がいた。
4年振りに再会したその人物――――結衣は、変わらず他者と接する事を
苦手にしていたが、以前と比べると多少は改善されたようにも思っていた。
雪人の記憶の中の女の子は、自分以外の同世代の人間が目を合わせようとした
だけで、泣きそうな顔をして下を向くような女の子だった。
改善の理由は、年齢を重ねた事による成長――――というよりは、
恐らくあのギャルもどきの軍団が要因だと、雪人は考えていた。
同時に、自分のした事――――乖離させた事が本当に正しかったかと言う
疑念が湧いてくる。
目の前にいる、明らかに外見はチャラい、いかにも無気力世代と言う感じの風貌の
男でも、実際にはこれだけ繊細な内面を持っている。
言葉遣いや外見だけで、人の真意は測れない。
それでも、一応自分なりに線を引き、その線を越えた発言があったと判断したからこそ
信念を持って行動に移った。
でも、正解かどうかはわからない。
難しい。
そう言うものだとわかっていても、そう思わずにはいられなかった。
「で、出来れば、後にして欲しいんだ。その、深夜の時間。その方が人がいないって言うか、
もし人がいて話しかけられたらって思うと……あ、いや、違う。ダメだ。
これじゃ意味ねーよな。やっぱり俺が最初に行くよ」
小林は、自分なりに目的を持って、この仕事を請けたと言う。
そして今も、その目的を果たす為、恐怖と戦っていた。
「わかった。変な奴に話しかけられたら、身分を証明出来る物を提示させろだってさ。
あと、センサーの扱い方もざっと見ておかないとな。コレ、見た事ある?」
「あ、いや、ないかな」
少しずつだが、雪人と小林は会話を増やして行った。
そして、一通りマニュアルに目を通し、センサーの確認を何度も行い、緊急連絡の為に
赤外線通信で番号交換を行ったところで、一度目の巡回の時刻となる22時になり、
小林が警棒を手に取る。
警備員は、武道の心得のある者がなる事もあるが、全く体力に自信がない人間でも
行う事が多い仕事。
その為、警棒の携帯が許可されている。
尤も、実際に襲われて警棒で撃退した、と言うケースはかなり少ない。
「……じゃ、行ってくるぜ」
「膝震えてるぞ」
「知らない奴に話しかけられるの、超怖え……」
かなり頼りない発言と共に、小林は警備室を出て行った。
これから暫くは、一人で待機と言う事になる。
機械警備と言うのは、パソコンと睨めっこする仕事のように思われがちだが、
実際にはブザー音がなるか定期チェックの時間が来るかしない限りは
音が聞こえる範囲で寛いでいても問題ない。
その音もかなり大きいので、多少部屋から離れても問題ないし、
マンガを読みながら、或いはゲームをしながらでも十分対処可能とあって、
仕事としては異様に楽だ。
眠ってはいけない、音の聞こえない範囲に行かないと言う事さえ守っていれば
何をしても問題はない。
ちなみに、既にブザー音の音量は確認済み。
ここは一階だが、ブザー音は四階の廊下までバッチリ響く。
室内にいても十分聞こえるくらい、大きな音だ。
つまり、この南棟Aのどこかに居れば良い、と言う事だ。
(結衣の様子を見に行ってみるかな……)
現在、研究室にお泊り中の従妹を思い浮かべる。
人見知りの激しい結衣にとって、他人と共に宿泊すると言うのは
かなりの冒険だ。
プレッシャーで逃げ出した可能性もある。
「ういーす。ゆっきーいる?」
しかし、その可能性は香莉の緊張感のない声で瞬時に打ち消された。
その直ぐ傍に結衣もいたからだ。
「差し入れ、持って来ましたー」
宇佐美嬢が手提げビニール袋を掲げると、幾つもの金属音が室内を足音のように
駆け巡った。
「ほーほー、ここが警備室か。でもなんか秘密基地成分が不足してない?」
「そんな成分は元よりないけど……」
「なーに言ってんのよ。警備って言ったら、何個もある監視カメラの映像を部屋の
中央でアゴを手に乗せながら見回すあの感じでしょ? あれって完全に秘密基地じゃん」
何処から仕入れた知識か良くわからない発言をしつつ、香莉は初めて同性の友達の
部屋を訪れた小学生のように、家捜しを始めた。
「ったく……あ、缶ジュース頂きますね」
「え? それジュースじゃなくて缶詰よ?」
「か、缶詰?」
見た印象で100%缶ジュースを連想していた雪人の手が止まる。
その様子を意にも介さず、宇佐美嬢はビニール袋を中央の長机に置いた。
「フルーツから白桃、黄桃、パイナップル、チェリー、洋ナシ、みかん。
魚からサバ、イワシ、ツナ、サンマ。
貝からホタテ、アサリ、カキ、赤貝。
その他水産物からカニ、小エビ、イカ。
後はトマトの水煮、グリーンピース、タケノコ、スイートコーン、
ホワイトアスパラガス、マッシュルーム、コンビーフ……」
ゴロゴロと、次から次にビニール袋の外へ出されていく。
その数は余裕で30を越えている。
「か、カニ缶まで……これ総額幾らなんですか……?」
「大した事ありませんよ。所詮は缶ですから。黒木さんにはお世話になりましたから、
そのお返しと言っては何ですけど、色々持って来ました。好みに合った食材が
あればいいんですが」
ニッコリと、メガネの奥で笑っているその姿に、雪人は困惑を覚えた。
大分知り合って時間が経った今、判明した妙な性質。
宇佐美結維は、缶詰依存症だった!
「もしかして、食事は缶詰ばかりとか?」
「え? どうしてわかったんですか?」
「いや……ありがたく頂きます」
小首を傾げる宇佐美嬢に冷や汗を禁じえず、雪人は缶詰の中から良さげな物を探す。
やはりカニ缶は別格の輝きを放っており、金色が眩しい。
安定感のあるツナ缶も存在感を見せ付けている。
フルーツ類の中では、チェリーのミニチュア感が異彩を放っている。
コンビーフの重量感も侮れない。
意外なくらいの缶詰の多彩なラインナップに、雪人は思わず息を呑む。
いざ選ぶとなると、口の中に様々な想像の味覚が現れてきて、甲乙付け難かった。
「結衣ちゃんは何が好き?」
悩んだ挙句、従妹にファーストチョイスを譲る。
「え……」
突然振られ、結衣は明らかに混乱した。
「ど、どうしよう……どれが良いのかな……どれにすればいいかわからない……」
「いや、そんなテンパるような事でもないと思うけど」
「ううう……どれも美味しそう……」
結衣はポジティブに悩んでいた。
「へえ。これがセンサーね? これに引っかかるとダメなのか……」
一方、香莉はまるで犯罪者が対策を練るような勢いでセンサーに興味を抱いている。
女三人揃うと姦しいというが、全く騒がしくないのに収拾が付かなくなり始めた。
そんな中、宇佐美嬢は一人しんみりとしながら天井を見上げている。
何かを思い返すかのように。
「それにしても、こうやって多人数でお泊りをすると、修学旅行を
思い出しますね。黒木さんは高校生の修学旅行、どちらへ行かれました?」
「修学旅行は……まだ行ってないですね」
「そうなんですか? 高校生の修学旅行って、大体三年生の夏休みまでには
行っていると思ってました」
確かにそれが道理だ。
高校三年生の二学期以降は受験を控えてるから普通は旅行なんて行っていられない。
妙な学校だ――――と首を捻った雪人は、それを言葉にしようと
喉を振るわせようとした。
しかし、声が出ない。
それには理由があった。
直ぐに、視界がそれを具現化する。
薄れ行く、部屋の景色。
久々の感覚だった。
突発性フラッシュ症候群――――
――――そこは、病室だった。
一目でそう理解したのには、理由がある。
直ぐ傍に花を入れた花瓶があり、ベッド同士を仕切る間仕切りカーテンが
左右に見えていた。
しかし、そこで雪人の脳裏に矛盾が生じる。
雪人はこれまで一度も、入院を経験した事がなかった。
大きな怪我や病気をした記憶はない。
その事実は、雪人の頭の中に大きな渦を生んだ。
渦は混沌。
混沌は、常闇を生む。
ここは何処か――――本当に病院なのか――――そんな思想が埃のように
舞い、雨雲のような形を作って、渦巻いていた。
一瞬、凄まじい想像が脳裏を過ぎる。
人間、例え入院した記憶がなくても、少なくとも一度は病院のベッドで
横たわる機会がある。
すなわち――――生誕直後。
当然、その時期の記憶など、ある筈もない。
もしこの突発性フラッシュ症候群がそんな人生の創世記の記憶を見せるとしたら、
それはとてつもない事なのかもしれないと、戦慄を覚える。
《母体は無事かね?》
突如、そんな声が聞こえて来た。
それと同時に、先程の推測が限りなく核心に近付く。
《はい。問題ありません。バイタルサインは全て安定しています》
《重要なのは脳波だ。脳さえ生きていれば、最悪どうにでもなる》
そんな声が、無機質な響きで室内を揺らしていた。
そこから、声が聞こえなくなる。
実際には、音は同じ音量で聞こえていた。
しかし、言葉が形を成さない。
次第に、視界も変化した。
まるで、テレビ画像にノイズが入り、見えているのに何が映っているか
わからないような状態。
普段の終了過程とは、明らかに異なっていた。
もう慣れたフラッシュバックだが、この終わり方は記憶にない。
記憶にない事は、恐怖を生む。
雪人は声をあげた。
しかし音にはならない。
正確には、鼓膜の刺激を脳が認識していない。
実際に叫んだかどうかは、わからなかった。
ただ、このいつもと違うフェードアウトに、恐怖と、一握りの高揚感を
覚えてしまっていた――――
「――――ゆっきー!」
「うわ何っ!?」
突然、混濁した視界情報が一つの容を形成する。
香莉の顔面のアップだった。
「携帯鳴ってるってば! 取っていいの? ってゆーか、私が取ったら
半々の確率で『はい、黒木の妻ですけど何か?』ってイタズラ敢行しちゃうけど」
「止めてくれ。って言うか、自分でコントロール出来ないのかよ」
世にも恐ろしい悪戯を断固拒否し、まだ定まらない頭の中を強引に整頓しながら、
雪人は机の上に置いている、震える携帯を手に取った。
電話の主は――――
「……イケメン1号? 誰それ」
「勝手に見るな!」
香莉をシッシッと追い出しつつ、通話ボタンをプッシュ。
ブザー音は鳴っていないので、侵入者が現れた訳ではないと思われる。
大方、見知らぬ人を発見して話しかけるべきかどうか迷っている――――
そんな所だと推測し、耳にスピーカー部を当てた。
「く、黒木君? 悪いけど来てくれないか? ちょっとヤバイ、ヤバイんだ」
案の定、助けを請う声が切迫感を携え飛び込んでくる。
「不審者でもいたのか?」
「ああ。でも、ちょっとフツーじゃないんだ。俺、どうして良いか全然わかんねえよ。
どうしよう。マジヤバイ……」
動揺は、声だけでなく息遣いにも現れていた。
人見知りが酷いと言うだけでは、ここまでは心を乱さないだろう。
本当に、何かとんでもない事態が起こった可能性もある。
「落ち着け。落ち着いて状況を教えてくれ。何があった?」
「と、兎に角早く来てくれ。俺一人じゃどうしようもないんだ。頼む。
そこを出てからホールと大講義室のある方に進んだ先にある駐車場だ。
もうヤバイから、切るな」
大声を出したくても出せない――――そんな切羽詰った震える声が、
そこで途切れた。
「……悪いけど、暫くここにいてくれ。でっかい音が聞こえたら
俺の携帯に連絡してくれ」
「ゆき、何かあったの?」
真っ先に結衣が尋ねてくる。
雪人は少し意外に思いつつ、一つコクリと頷いた。
「じゃ、私も同行しよっかね。これでも一応主催者側の人間だし。
ここは二人いれば十分よね?」
香莉が背後で話を進める中、雪人は警棒を片手に急いで部屋の扉を開けた。
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