夜間の大学敷地内は、昼間とはまるで異なる世界を形成している。
所謂『夜の街』と大きく異なるのは、光の量。
外灯がない訳ではないが、点々と等間隔で配置されているその灯りには、
まるで光である事を自ら放棄しているかのような、どこか投げやりな輝きがある。
それはそれで、一つの価値。
ゴーストタウンのような色合いを含めた光景を背に、懐中電灯を持った雪人と香莉は
急ぎ足で駐車場へと向かった。
警備員の制服に身を包んでいる雪人と違い、香莉は普段着なので靴も含めて
走っての移動には向いていない――――筈なのだが、その身のこなしには
快活さすら垣間見えた。
「何事もないと良いけどねー。夜間のトラブルって大抵、汚い、臭い、拐かしいの
いわゆる3Kなのよね」
「最後のは言葉として成立してないような……あ、あそこだ」
外灯と外灯のちょうど中間地点に、その駐車場はあった。
駐車場には、公園等と違って灯りの設置を義務付ける法律はない。
夜間にも駐車される所であっても、特に街灯を設置していない月極駐車場は
町中にある。
まして、大学敷地内の駐車場となると、その中に灯りがある方が珍しいかもしれない。
そうなると、やはりそのスペースと言うのは、リスクマネージメントの観点から
決して優良ではないと言わざるを得ない。
雪人は嫌な予感を覚えつつ、その中へ入って行った。
「……何だアレ」
そして、直ぐに不審な物を発見する。
そこには――――黒い装束で全身を包んだ集団がいた。
人数は、四人。
それほど多くはないが、全員が同じ格好と言う時点で、怪しさ全開だ。
まして黒装束。
しかも顔をフードで半分以上隠している。
雪人の頭の中には、瞬時に二つのキーワードが浮かんでいた。
「宗教か、黒魔術……」
「あ、同じ事考えてたかも」
それは一般的な洞察だったようで、香莉も軽快な足取りと共にウンウンと頷いている。
そして、その黒装束集団の近くに、小林拓はいない。
最悪の事態も考えられる状況。
背筋が凍るのを自覚しながら、雪人は警棒を握る手に力を込め、その集団のいる
フェンス際を懐中電灯で照らした。
「すいませーん! どちら様ですかー!」
そして、大声で問う。
すると――――黒ずくめの四人の内三人が雪人の方に視線を向けた。
逆に言えば、一人は雪人の声に反応しなかった、と言う事。
不気味さが一層増してきた。
「この大学の警備をしている者です。身分を証明できる物を」
「……」
怪しげな風貌の面々は、何も答えない。
その中で一人声を発している者がいた。
雪人の方を見ようともしない、その黒装束の人間は――――ブツブツと独り言を呟いていた。
「この駐車場……何で外灯……ないんですかね……光を招き入れる外灯……
アブないじゃないですか……ここに夜間車を停める人もいるでしょう……
大学だと言うんなら……深夜まで研究に励む人もいるでしょう……
きっと教授や准教授クラスですよね……車に乗るくらいだ……お金持ってる……
それなのに外灯が守ってくれない……ここにもし犯罪者が……裕福な人間の
財布の中身を狙う犯罪者が……潜んでいたら……誰が責任を取るんでしょうね……」
ブツブツと、延々と、虚空に向かって話している。
男声で、まだツヤのある若い声。
一種異様な光景に、雪人は冷や汗を滲ませずにはいられなかった。
「う、うわ〜……これどうすりゃ良いんだろ」
決して良識派ではない筈の香莉すらドン引きしていた。
「身分を証明すれば良いのですか?」
そんな中、雪人に視線を送っていた三人の内の一人が、ゴソゴソと動き始める。
声は女性のそれだった。
緊張感が雪人の中で煙のように立ち上る中――――その白い手は、
一つの小さなカードを摘んでいた。
正確には、名刺。
そこには、その女性の名前と思しき表記と、その所属が記されていた。
『宗教法人 ARP
広報宣伝部
井本薫』
「……」
心の中で『ゲッ』と叫びつつも、どうにか表面上は無言で取り繕う。
そんな雪人の隣で、香莉も同じような顔をしていた。
予想通りの宗教。
しかも、何処かで聞いた名前だった。
「……で、その宗教家の皆さんが、深夜の駐車場で何を?」
「それは――――」
「この駐車場……灯りがないんですね……おかしいと思いませんか……
思いませんかアアアアアアアアァァァァァァ!?」
「うわビックリした!」
先程まで独り言の範疇だった男が、突然咆哮のレベルで叫び出す。
雪人に向けてではなく、あくまで虚空、フェンスの方に向かって。
「灯りがない駐車場ォォォ! それは犯罪の坩堝ォォォ! どうしてですか!?
どうして駐車場に灯りがないんですかァァァ!? 公園にはあるのに!
公園には幾つも置いてあるのに、何故駐車場だけケチるんですかよォォォ!」
そして、フェンスを蹴り出す。
何度も、何度も、何度も、何度も。
「……と言う訳です」
「いや、ちゃんと説明して下さいって」
異様な雰囲気に気圧されつつも、雪人は白い目で解説を促す。
「我々ARPは、この仮想大学に強い関心を持っています。広告事業部である
我々がここへ足を運んだのは、我々に何か協力が出来れば、と言う志を知って貰う為です。
現在、その為の調査を行っています。」
「……今一つ話がかみ合っていないように思うんですが。」
「この大学は、欠陥だらけです。それを指摘するのが、我々の貢献となります」
つまり――――この駐車場にいる理由は、調査の為と言う事らしい。
「そんな調査を依頼したなんて聞いてないけどねー」
「独自に行っています。レポートをまとめ次第、ARP本社からこのツアーの主催者宛に
送付する予定です。問題はありませんので、お構いなく」
一方的にそう告げ、黒装束の三人は雪人から視線を外した。
宗教家特有の、周囲の迷惑を一切無視した自己啓発。
雪人は嘆息しつつ、警棒で自分の持つ懐中電灯の側面を強めに叩いた。
その音に、再び視線が集中する。
「騒音は、立派な問題ですよ。宗教家さん方」
「……それは、失礼しました」
その声に、反省の色はない。
表情も、フードで隠れていて窺い知れない。
ただ、井本と名乗った女性は未だに独り言を続ける男の袖を握り、
連れ出すかのように駐車場から出て行った。
残りの二人もそれを追う。
一応、警備員としての役割は果たした格好だ。
「……あんたって、何気にスゴいのねー。私でも無理よ、あんな連中と絡むの」
「仕事じゃなきゃ誰が好き好んでやりますかっての」
心の底から溜息を落とし、雪人は懐中電灯をフェンスの外に向けた。
そこに微かながら人の呼吸音があったからだ。
「く、黒木君……俺……俺……俺ダメだぁ〜。もう心折れたぁ〜」
そこで、イケメン小林は蹲って泣いていた。
「警備員って怖ぇよ〜……初日でこんな悪質なトラブルなんてさ〜……」
「あんた、自分で声掛けられないからゆっきーを呼んだの? なんつーヘタレな……」
「呼んだだけ良いと思うけどな」
身内に甘い雪人に、香莉は首を振ってその意見を否定する。
「フツーなら即クビでしょ。ま、初日だし学生だからそこまで厳しくは
しないだろうけど、本部も。ただ、お仕事でお金貰ってるんだから、せめて
追い出すくらいしなさいよ」
「自分でも無理とか言ってた癖に」
「男と女じゃ危機のボーダーが違うのよ。ったく、男がメソメソだらしない」
「ご、ゴメンなさい〜」
イケメンは、整った顔を限界まで歪めて泣いていた。
「取り敢えず、解決したんだから良いとしようよ。後は俺が巡回するから、
えーと、小林君は先に戻ってて良いよ」
「うわ、甘っ! とことん甘っ!」
「喧しいな。仕事なんだから、効率の良い方法をとってるだけだろ」
既に心の折れた人間に巡回を任せる訳にはいかない。
その判断自体には納得したのか、言葉ほどの非難は香莉の表情には出ていなかった。
「ゴメン、本当ゴメン。俺、ダメだ……マジでダメだぁ〜」
「あーもーうるっさいな! じゃゆっきー、コイツは私が連れてくから、巡回は
ちゃんとしときなさい!」
なんだかんだで姉御肌的なところがあるのか、香莉は小林を引きずるように
駐車場を後にした。
そして――――巡回終了後。
「……何だ? この有様」
警備室に帰還した雪人の目には、空の缶詰がゴロゴロ転がって部屋を蹂躙している
なんとも気概が削がれる光景が広がっていた。
「そのナヨナヨした態度じゃ社会に出ても通用しないのよ! わかってんの!?」
「ひ〜〜〜〜っ」
奥では、香莉による性格改変セミナーが実施中。
そして床の上には、二人の女性が仲良くすいよすいよと寝息を立てていた。
缶詰を食べるだけ食べて、寝てしまったらしい。
「缶詰パーティーかよ……」
そんなので良く盛り上がれたなと呆れつつ、機械警備再開。
と言っても、やる事は殆どない。
各施設のセンサーも、特に異常なし。
定時ごとに届く確認の信号も、全て途絶えず健常状態。
暇をもてあました雪人は、さっき差し出された名刺をポケットから取り出し、
改めて覗いてみた。
「……ARPねえ」
「あーぷ?」
「どわっ!」
突然の反芻に驚き振り向くと、結衣が目を擦りながら視線を送っていた。
寝起きなので、焦点が合っていない。
と言うか、完全に寝ぼけている。
「あ、ああ。結衣ちゃん、ARPって知ってる?」
「うん、知ってる。ビューンってどこかに瞬間移動するやつ」
「それはワープだ」
「なんかうねうねして気持ち悪いのだっけ?」
「ワームだ。遠くなった」
「12?」
「ダースだ! もう原型留めてないじゃん!」
「しゅーほー」
寝た。
電池が切れたように、バッタリと。
と言うか、寝息がダースベイダーだった。
「結衣ちゃん、寝癖良くなかったんだな……」
遠くに聞こえる小林の悲鳴を背に、欠伸をかみ殺す。
結局――――この日は駐車場の件以外は特に問題はなく、朝方になって全員帰宅の途についた。
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