一度きりの夏! 今年行かなきゃ来年はない! 真夏を彩るキラメキの海と
 ギラギラ輝く太陽に向かって、この二度と来ないバカンスをめいいっぱい
 楽しんじゃいませんか!? 夏なら海! 海なら夏! 日頃のストレスも疲れも
 スカッと吹き飛ばすサマーハンティングバケーション、是非お越し下さい!


「……何書いてんですか?」
 車中で眉間に皺を寄せながら紙に向かってウンウン唸る香莉を横目に、
 雪人は後部座席のシートベルトをしっかりと締め、背もたれに寄りかかった。
 一方、同じく後部座席の右側に座る香莉はしかめっ面をそのままに、その視線を左へと向ける。
「国内向けのパックツアーのキャッチコピーに決まってんでしょ。明日までに考えとけって
 言われてんのよ。ったく、こう言うのはバイト君にでも考えさせりゃ良いのに……」
「そう言えば、ツアー添乗員だから旅行代理店勤務なんですね。忘れてた」
「あーもーっ! 浮かばないー!」
 ヒステリックな声が響く中、車の主である大友教授が到着。
 そして、助手席に結衣が乗り込み、軽自動車のエンジンが掛かる。
「さて、それじゃ行こうか。それにしても、海なんて久々だねえ。離島に来てて
 海に一度も行かないって言うのも、おかしな話なんだけど」
「すいません、車出して貰って」
「良いよ。今日は会議もないし、研究は頭さえあれば何処でも出来るしね。
 丁度煮詰まってたから、気分転換にはピッタリだよ」
 いつもの調子で朗らかに笑い、大友教授は車を発進させた。
 そして、このすぐ後ろからもう一台付いてくる。
「でも、ゆっきーはあっちの車の方が良かったんじゃない? イロイロな意味で」
「どう言う意味ですか」
 その『あっちの車』には、月海と湖、宇佐美嬢が同乗。
 運転席には静が座っている。
「ゆき、あっちが良かった?」
 香莉の発言を真に受けたらしく、結衣が首だけで振り向き、訊ねてくる。
「あんな女ばっかの空間、気まずいに決まってるだろーに。一人うるさいのがいる以外は
 こっちのが断然良いよ」
「あーら。そんなコトいっていいのかしら? 海に行くなんていうステキな提案した
 この私に向かって」
「キャッチコピー、考えなくても良いんですか?」
 何とかその口を閉じて貰おうと言う雪人の意地の一振りにも、香莉は
 涼しい顔をして首を横に振る。
「車が動いてる時に下向いて考え事すると、酔うのよ。結衣ちゃん、そう言うのない?」
「あります。とっても気持ち悪くなります」
「よねー。そんな状態で質の高い発想なんて無理だから、仕事は後でいいの。わかった?」
 香莉は結衣を味方につけ、理論武装を完成させた。
 最近、結衣と香莉は接点が多いのか、会話がスムーズ。
 雪人はこっそり、その事を嬉しく思っていた。
 結衣と再会して約20日。
 昔の彼女と、今の彼女との境界が、ようやくある程度ハッキリして来ている。
 以前の結衣は、人見知りに身を委ね、他者との接触を殆ど断っていた。
 現在の結衣は、人見知りを抱えつつ、それと相談しながらやり繰りしている。
 それは、彼女が生きていく上で身に付けた、なけなしの処世術なのだと、
 雪人は理解していた。
 心当たりが自分にもない訳ではない。
 それだけに、その苦労や葛藤を思うと、兄のような心持ちになる。
「ま、だったら良いんですけど」
 そう答えながら、雪人は目の前の助手席の上から覘く頭にポン、と手を置いた。
「?」
 不思議そうな顔で振り向いた結衣に、苦笑を見せる。
 特に意思を伝えようという意図はなく、単なる衝動だった。
「で、これから俺達は何処に行くんですか?」
「海っつったじゃない。何? ゆっきー、私の話全く聞いてなかったの?
 殺すよ? 私は無視されるのがキウイよりキライって言ったでしょ?」
「その発言はおろか、キウイが嫌いってのも初耳だけど」
「あの色、シャレになんないでしょ。見るだけでムカムカすんのよね」
 香莉と話をすると、確実に論点が蝶々のようにヒラヒラ逃げていくので、
 雪人は視線を運転席に向けた。
「で、これから俺達は何処に行くんですか?」
「西折浜海岸、って所だよ。海水浴場になってて、結構ツアー参加者も
 利用してるみたいだよ。スイカ割り出来るといいよね」
 何故か大友教授はスイカ割りに情熱を注いでいるようだった。
 尤も、雪人も『海』と聞いた瞬間、スイカ割りを連想していたので、
 その意見には前面賛同。
「ですね」
 かなり良い声で同意を示した。
「ああ、具体的な場所の事だったの。ってか、大友センセとゆっきーって、
 なんか似てるよねー。雰囲気っていうか、人格が」
「そうですか? そんな風に思ったことはなかったけど」
「ま、自分の事はわからない、って言うからねえ」
 香莉の指摘に対し、雪人が首を捻る一方、大友教授は否定も肯定もせず
 運転を続けていた。
「……」
 そんな中、結衣が余り言葉を発せず、窓の方をじっと凝視している事に気付き、
 雪人はその頭に置いていた手を離し、身を乗り出す。
「酔った?」
 首肯。
 表情がかなり暗い。
 普段と大差ないようで、実はかなり異なる。
 結衣は口数は少ないが、決して無表情ではない。
 百面相、と形容されるような表情のわかりやすい変化はないが、辛そうにしていると
 目が人一倍死ぬ。
 今、まさにその状態だった。
「窓を開けようか?」
 大友教授のそんな言葉に瞬時に首肯。
 かなり辛そうにしている。
「あー、酔い止め買っとけばよかったな。ゴメンね。私が無理矢理引っ張ってきちゃったから……」
 香莉の言葉に、今度は首を横に振っていた。
「海、行ってみたかったから」
「……ゆっきー、この子私の妹にしたい。毎日抱いて寝たい」
「酔った年下の同性にときめくな」
 実際、乗り物酔いと言うのは、割とバカには出来ないもの。
 それこそ、重病と言うくらいに苦しむ人も少なくない。
「今、丁度半分くらいまで来たから、一旦休憩しようか」
 そんな大友教授の申し出に従い、取り敢えず近場の空き地に車を止め、
 休憩を取る事となった。
 当然、後ろから付いてくる静カーも事態を把握する為、停まる。
 すると――――ゾロゾロと静以外の同乗者が揃って青い顔で出て来た。
「あれ、どったの? 全員揃って車酔い?」
 香莉の言葉に、宇佐美が代表して首を横に振る。
「……8回」
「8回? 何が」
「……8回、そっちの車とぶつかりそうに」
 ごく普通に先導する車について行った結果、定期的に車間距離を詰めすぎて
 大惨事寸前の状況を作っていたらしい。
「成程……ゆっきーがこっちの車に乗りたがる訳ね」
「成長しないな、静ねえ……」
 雪人は嘆息しつつ、運転席から出てこない静の方に向かい、ドアを開けた。
「女ばっかりなら慎重に運転すると思ったのに……」
「いや、これでも慎重を期したのだが……面目ない」
 教育者は素直に非を認めつつ、自身も顔を青くしていた。
「不思議な事に、これでも接触事故はゼロなんだよな」
「どんな寸止め属性よ」
「いや、その属性を思いつくアンタこそどんなだ」
 香莉に向けたジト目を暫く保持し、雪人はその視線を月海と湖に向けた。
 特に深い理由はなかったのだが――――
「何? あの子達の水着姿でも想像した〜?」
「してねーよ」
 結果的に、香莉に対し隙を作ってしまった事を後悔するハメになった。
「私に感謝しなさいよ? 海に行くって事はつまり、水着姿になるって事。
 一生のウチ、知り合いの女子高生の水着姿を見られるなんてもう二度とないんだから。
 いやコレホントにゾクゾクするから」
「何でアンタは時々エロ親父になるんだ」
「やーね、人生の先輩として健全な範囲での快楽を教えてるだけじゃない。
 それとも、若い子には興味ない、ってか?」
 不気味な笑い顔を作りつつ、香莉はその視線を車の方に移す。
「ま、中々美人だもんねー。おシズさん」
「その呼び方、もう決定なんですかね」
「仕方ないじゃない。シズちゃんじゃ、今では倫理的観点からお風呂場っていう
 最高の見せ場を奪われてごく普通の国民的ヒロインになったツインテールの
 女の子と被っちゃうし」
「ごく普通の国民的ヒロインって何だよ」
 色々ある指摘ポイントの中から、雪人は敢えてそこにメスを入れた。
 尤も、返答はなかったが。
「さて、私は結衣ちゃんの看病でもしよっかね。自販機あっちにあったよね?」
「あー。んじゃ、金は俺が」
「こう言うのは年上に出させるモンよ」
 雪人が財布を出そうとする間に、香莉は来た道を徒歩で引き返して行った。
 その背中を頭を掻きながら眺め、視線を結衣に移す。
 結衣は後部座席で横になっていた。
 自分の中の何か――――主に吐き気と思われる大敵と闘っているらしく、
 苦悶の表情を浮かべている。
 一部ではそう言う姿に劣情を催す輩がいるようだが、雪人は痛々しさしか感じなかった。
「はー、やっと動悸が治まった」
 そんな雪人の傍に、疲労感タップリの湖が近付く。
「なんか悪いな。恐ろしい思いさせて」
「アンタに謝られてもね。ま、ここからは変わって貰うから良いけど」
 ニッコリと微笑んだ湖の手がポン、と雪人の肩に手が置かれる。
「……俺と香莉さんはともかく、結衣は残しといてくれよ」
「あ、そっか……じゃ、宇佐美さんには気の毒だけ――――」
「イヤです!」
 湖の案は本人の食い気味のリアクションで封じられた。
「私、ジェットコースターとかフリーフォールとか空中ブランコとかドドンパとか
 FUJIYAMAとかええじゃないかとか、苦手なんです! お願いしますから、後生ですから
 変わってください!」
「後半妙に具体名が出たな」
「そ、そこまで言われると……んー、どうしよ。私も流石に辛いし……」
 咽び泣く宇佐美嬢を前に、二人して腕組みする中――――
「私は、そのままで構いません」
 月海がポツリと、そう宣言した。
「え? 良いの? でも、怖いでしょ?」
「多分、大丈夫だす」
 思いっきり噛んでいた。
 明らかに怯えている。
 或いは、それだけではないだろうと、雪人は一人確信していた。
 月海と初めて会ったバスの中の光景が、記憶に蘇る。
 あの時、月海は完全に車酔いしていた。
 乗り物は苦手な筈。
 それに加え、静のアトラクション的な運転とあっては、既に相当なダメージを
 負っている事は間違いない。
 雪人はポン、と湖の肩に手を置く。
「……そうか、湖。自ら身を挺して……お前は男だ」
「女よっ!」
 頭髪を逆立て怒る。
「……ま、仕方ないケド。この中じゃ、私が明らかに余力残ってるみたいだし」
「あの、私は……」
「その顔色で大丈夫、なんて説得力ない事言わないの。大丈夫なのは私。
 遊園地、割と好きだしね」
 そう言い放って力なく笑う湖に、雪人は密かに感心していた。
「にしても、よく海に行く気になったな。色々障害多いのに」
 そして、3人に向けて破顔する。
 それに対し、最初に反応を見せたのは、顔の青い月海だった。
「海……好きだから」
 水関連は基本好きらしい。
「ま、折角の離島だしね。これまでは全然離島に来たってカンジじゃなかったし。
 せっかく来たんだから、キレイな海を一回は見ておきたいじゃない」
 湖は満面の笑顔。
「私はムリヤリ香莉に……ま、まあ、偶にはハメを外したいって言うのも、
 ありますから」
 一方、宇佐美嬢は何故か顔を赤くしていた。
「それでも、かなり緊急の召集だったろ? 水着とか良く用意できたな」
 そんな、何気ない雪人の言葉に――――空気が固まる。
「水……着?」
 湖は、不可解なモノを見つけ、恐れ慄くと言った表情で雪人から離れていく。
 月海も青い顔のままキョトンとしていた。
「え? 俺おかしな事言ったか? 海っつったら水着だろ」
「そんなワケないじゃない! このままのカッコで砂浜に下りるだけよ!
 なななな何で私がアンタの前で水着姿にならなきゃなんないってのよ!」
「……水着、所持していません」
 驚愕の事実がここに判明した。
「何ーーーーーーーーっ!?」
 そして、それに対する鋭利な反応が周囲にこだまする。
 香莉の。
「ちょっと、そこのブリッコ高校生! 海に行くのに水着持ってこないたー、
 どう言う了見よ! なーにカマトトぶってんの、このメス猫!」
「スゴい。死語の歴史資料館みたいなセリフだ。香莉さん、年齢詐称してない?」
「しれないから! それよりそこの2人! 私の期待を裏切ってどうするつもり!?」
「いや、アンタこそ同性の水着姿を見てどうするつもりだったんだ」
「さっきからうっさい! アンタもねー、そうやって飄々ぶってるけど、
 ホントは水着姿チョー期待したんでしょ? もっと怒りなさいよ!
 自分を曝け出しなさいよ!」
 香莉のあまりの剣幕に、雪人以外の全員が唖然としていた。
「そ、そんなコト言われても、水着なんて無理だし」
「用意する暇、ありませんでした……」
 湖と月海が当然の主張をする中、憤る香莉はまるでマントをつけた怪盗が
 演劇のクライマックスシーンで自分が犯人だと告げる場面のように
 右手を胸元にひきつけ、バッ! と外へ広げた。
「それなら! 今から水着の買出しに行く!」
「え、ええええ!?」
 月海以外の全員がマジかこいつ、と言う顔をする中、香莉は湖と宇佐美嬢の
 肩を鷲掴みにし、静が乗る車へと向かって行った。
「ちょっ、今から行くんですか!? って言うか、この車で!?」
「な、何で私が!? 嫌、嫌ーーーーーーーーーーーっ!」
 宇佐美嬢の断末魔の声が響く中、レールのないジェットコースターは
 ぎこちない動作で来た道を引き返して行った。
「……吉原を連れて行かなかったのが、最後の良心か」
「素直に喜べません……」
 まだ顔の青い月海が力ない瞳でそれを見送る中、雪人は妙な疲労感に包まれ
 深い深い溜息を吐いた。


 実は、ひっそり香莉に向かって親指を立てていた事は、言うまでもない。





  前へ                                                             次へ