目を開けると、そこは船上だった。
甲板に差し込む何処までも色の薄い太陽が、瞼の保護を失った肉眼を
ジリジリと焼いてくる。
それに思わず顔をしかめると――――小さい笑い声が聞こえて来た。
その声が、次第に細くなっていく。
どんな面白いことも、いずれは飽きてしまう。
そんな、呟きと共に。
面白い寝顔と、面白い寝起きの顔は、寿命10秒にも満たない輝きだったようだが、
それでも、十分に役割は果たしたのだと、そう言っていた。
目の前にいる、彼は。
「ところで、永遠の存在って信じます?」
唐突にも程がある、ファンタジックな言葉。
ただ、彼の発言は偶にそう言う傾向が見られる。
それは、演出の類ではないらしく、自分自身の着想をそのまま口にしているだけ、
と言うのは本人談。
信頼性は五分五分と言ったところだ。
それは兎も角として――――永遠。
つまり、果て無きもの。
証明しようのない、存在。
何故ならば、仮に不老不死の人間がいるとしても、それが永久に続く命だと
実測する事が叶わないからだ。
永遠を観察するのは、永遠の存在のみ。
この世で最も美しい帰納法だ。
よって、信じない。
その旨を告げると――――彼は一言、『貴方らしいですね』と笑った。
まだ年端も行かない少年の笑顔は、普通ならば純粋な表情で形成される筈だが、
それとは縁のない、計算されつくした口角に広がりが逆に心地いい。
瑞々しい程に、全てが意の中にある少年。
それはある意味、純粋と言えなくもない。
「確かに、証明は出来ないでしょうね。終わりがないんだから。ですけど、
例えば不老不死って言うのは、人間が常に持ち続けるロマンですよね。
その存在を科学的に証明出来れば、それは一つの回答とはなり得ませんか?」
彼の言葉は、ありふれてはいた。
この世界に、不老不死をはじめ、様々な『永遠』を研究する人間は
思いのほか多い。
それはつまり、生まれながらにロマンティシズムを持つ人間が多い、と言う事なのか、
それとも諦めが悪い、死を受け入れたくない強欲な者が多い、と言う事なのか。
いずれにしても、彼の言葉は、そんな人間の本能が生んだ歴史の範疇を
逸脱するものではなかった。
「例えば、擬似的にそれを生み出す、とか。人の中で」
ただ――――歴史上、それが机上の空論の域を超えたことはない。
ありふれていても、決して回答が出ていないのは、そう言う理由があった。
倫理性が年々社会に浸透している現代。
公的はおろか、秘密裏にも証明は難しくなってきている。
彼は、それを全て理解しながら、敢えて発言している。
そう推測するのに、躊躇は要らなかった。
「永遠が存在すとすれば、それは人の中しかない、と思うんですよね。
時間の概念から逸脱出来るのは、人間の体内。人間の、脳内。
脳だけが、時間の流れを止める事が出来る可能性を持っています。
少なくとも、時間の早さを変える事が出来る訳ですから」
スラスラと流れてくる言葉が、波の音にかき消される事はない。
何故なら、耳の持つ音波収集能力が、その言葉を念入りに拾うように
命令されているからだ。
何に?
言うまでもない。
知的好奇心だ。
「永遠があるとすれば、それは人間の頭の中。そして――――記憶の中、です」
彼は、指でこめかみを叩きながら、愉快そうに笑っていた。
その笑顔は、ある種のイノセンスが込められていた。
そして、その映像が途絶える。
これは――――
――――記憶の中?
「……大丈夫ですか?」
気が付くと――――雪人は、上体だけを起こして、海の家から砂浜を眺めていた。
曖昧。
何もかもが、曖昧だった。
明確に覚えているのは、無量小路を目潰しで仕留めた辺り。
そこからは、何が現実で、何が虚実なのか、区別が付かない。
その後見た光景が、記憶なのか、それとも全く別のものなのか。
フラッシュバック症候群なのか、夢なのか。
全ての境界線が、曖昧だった。
ただ、目が覚めたと思った瞬間、既に身体はある程度の活動を始めていた。
起きたばかり、じゃない。
夢より、フラッシュバックの可能性が高い。
或いは、両方?
混在しているのか――――?
「あの……お医者さん、呼びましょうか」
物静かな声の中に、躊躇える響きが混じっている。
雪人は暫く頭を抑え、5秒ほど視点が定まらないフリをした後、その声の主――――
月海に対して、小さく笑みを見せた。
「あ、大丈夫。ちょっと眩暈がしただけだから」
「そうですか。貧血でしょうか?」
「そうかも。最近、レバーとか食べてなかったし。鉄分不足かな」
実際には、眩暈の兆候はない。
これが一番、フラッシュバック症候群後の自分を見た人に対しての
妥当なカムフラージュだと、雪人は長年の経験で結論付けていた。
案の定、月海は安堵に近い表情に変わっている。
尤も、それはあくまでも雪人判断であって、表情の変化自体かなり希薄だ。
「えっと、俺って倒れたりしたのかな」
体調に問題がない事を確認し、現状を問う。
月海は首を縦に振り、海の家の壁に掛かった時計を確認していた。
「2分ほどです。妙な話し方をする男性の方が、ここまで担いで来てから」
「げっ……アレに借りを作ったのか」
とは言え、以前ほどの嫌悪感はないので、雪人は言葉ほどウンザリはしていなかった。
ただ、2分という時間は、異質だった。
無量小路がここまで背負ってきた時間を含めれば、3分ほどだろうと推測できる。
その間、雪人は確かに気を失っていた。
フラッシュバック症候群では、あり得ない事。
あれは、時間を殆ど経過しない。
この離島へ来てから、雪人の症状は明らかに変化していた。
不安が脳裏を過ぎる。
だが、解決策など全く見当もつかない。
なるようになるしかない。
これは、もうずっと前に出していた結論でもあった。
「でも、無事でなによりでした」
殊勝な言葉が、雪人の鼓膜を撫でる。
その感触の所為か――――ようやく雪人はしっかりと意識を取り戻したような
心持ちになった。
同時に、視界がクリアになる。
目の前で座る月海は――――水着姿だった。
ただし、タンキニ水着。
しかも、殆ど露出なし。
服と変わらないくらいに。
「残念……」
「? 自虐的ですね」
「いや、俺の事じゃなくて……ま、いっか。ってか、わざわざ介抱してくれてたの?」
頭を切り替え、雪人は腰を上げる。
見下ろす形になった月海は、期待していた肌の露出こそない物の、普段しない
格好で小首を傾げる姿は、それなりに稀有なものだったので、価値は十分だった。
「ただ見ていただけです。ちょっとの間」
「ま、それでもありがとな」
ふるふると首を横に振る月海に、雪人は苦笑を禁じえなかった。
「あれ? 普通に目覚めてるー!」
「……よかった」
そこに、湖と結衣が駆けつける。
湖はラッシュパーカーを着込んでおり、上半身はやはり普通の服状態。
下半身もスポーツ選手のようなパンツルック姿。
実にNO露出だった。
結衣に到っては、もう普通にワンピースと何ら変わりない水着だ。
「全く、騒がせるだけ騒がせて……なーんかちょっとガッカリ」
「それは今まさに俺が考えていた言葉と一語一句違わない」
「?」
雪人の嘆息に、湖と結衣は顔を見合わせて首を捻っていた。
「ま、心配かけたのは悪かったよ。貧血で倒れたみたいだ」
「私は対して心配してないケドね」
ヘッ、と言わんばかりに笑う湖の横で、結衣が不思議そうな顔を浮かべる。
「湖さん、『くろきさまがたおれましたぞー!』って声が聞こえた時、
びくってしてた」
「し、してません! 結衣ちゃん、余計なことは言わなくて良いの!」
「で、でも、その後、大声で『救急車は呼んだの、黒木はどこにいるの、大丈夫なの』
って捲くし立てて……」
「わーわーわー! わーわーわー!」
湖が結衣を担ぎ上げ、足早に去って行った。
そのパワフルさにも驚きつつ、雪人は気恥ずかしさで頬を掻く。
勿論、心配されて悪い気はしない。
思わず苦笑が漏れる。
「湖さん、よっぽど心配してたんですね」
そんな雪人に、月海がポツリとそんな言葉を漏らした。
そして、その後に言葉は続かない。
特に何かを考えての発言じゃないのだろう――――そう結論付けたものの、
結局返答に困り、雪人は沈黙のままでいた。
「あれ、ゆっきー。周囲をうろつく水着ギャルのエロさに思わず鼻血出して
倒れたんじゃなかったの?」
そこに今度は香莉が登場。
こっちは、健康的なビキニ姿。
薄めのブルーと淡いピンクでストライプっぽい模様を描いている。
「そんな露出高い人、いなかったですけど。つーか、仮にいても
倒れはしないでしょ」
「でもねー。ゆっきーって、ムッツリっぽいし。そう言う男って、普段
溜めに溜めてるから、爆発した時はヘンな暴走しそうじゃん。
で、どーよ。私のこのあーてぃすてぃっくばでぃ。ガマンしないで褒めても良いのよ?」
「なんつーか、微妙です」
「え!? どこが!?」
雪人の間髪入れないダメ出しに、香莉はショックを隠し切れず、稲妻をバックに
身を引いていた。
「いや、普通って言うか……普通じゃないですか。もっとこう、ねえ」
「な、何がフツーよ! ホラ、見なさいよ! 結構ガンバってるって思わない!?
ドキってするでしょ!? つくみん、なんか言って! このバカに言ってやって!」
「私の口からは、何とも」
月海は意外にも、事なかれ主義的発言は控え、態度を保留した。
「まあ、スタイルの良さは認めますけど、水着に関しては想像の域を出ないと言うか」
「うー……折角私の水着姿で悩殺しようと思ってたのに……もう賢者モードだったなんて」
「違げーよ。ある事ない事言わないで下さい。体裁の悪い」
月海は意味がわからずにキョトンとしていたが、雪人は予想外の反撃に
思わず顔をしかめていた。
「ま、それはそれとして。ゆっきー、動けるなら準備体操しときな。
これから一勝負あるぜよ」
「何故土佐弁なのか」
「そっちより勝負の方に興味持ちなさいってば。これから、あのヘンな苗字の男の
サークルが主催してるドッジボール大会に出るから、アンタも混ざりなさいよ」
雪人は記憶を広げ、検索する。
ドッジボール大会――――確かに、そう言う事を言っていた。
恋の、という冠と共に。
「……出るんですか?」
「賞品が不明って、ロマンあるじゃん。もしスカな物だったら主催者ぶっ飛ばして
財布の中身分捕っちゃうし」
「アンタ時々社会人の枠はみ出すよな……尾崎世代でもないのに」
「何言ってんのか良くわかんないけど、つくみんも頭数に入れてるから、
足首だけはしっかり回しときなさいね。後は……あっちの二人でいっか」
月海は良くわかっていない様子だったが、迫力負けしたのか、小さくコクリと頷いていた。
斯くして――――余り露出のない水着ばかりの女性と雪人による
『チーム・オーバープロテクション』が結成された。
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