『あ、はじめまして。お二人ともここに所属ですか?』
『それじゃ、黒木君と同級生だね。1ヶ月宜しく』
『僕、大友教授に憧れてるって言うか、目標にしてて』
『だから、僕はこの試験に合格して、大友教授に協力したいと思ってる』
『ありがとう。良かった、君みたいな人と一緒ならやって行けそうだ』
『何だ? この下らない試験は……移籍だって?』
『僕は必ずここに残る。何があっても』


 かつて、何度か耳にしたその男の声が、雪人の頭の中で次々と再生されて
 行く中――――チーム『コイ☆バナ』の勝利を告げる静のアナウンスが
 浜辺に響き渡った。
 無量小路と、同じく『コイ☆バナ』の一員、布部がハイタッチを交わしている中、
 男はニコリともせず、眉間に皺を寄せ、険しい顔つきで唾棄している。
 完全に別人――――白石悠真のやさぐれた姿を眺めつつ、そんな言葉が
 頭の中を踊った。
「く、黒木さん。あれって、あれって……」
「困った事になりましたね」
 つい先日まで、同じ大友研究室の仲間だった男。
 その中で誰より大友教授を敬愛し、研究室に身を置く事を
 至上の喜びとしていた男。
 そして、パイロット・トレード制度によって、研究室から離脱する事を
 余儀なくされた――――哀れな男。
 白石の姿には、その悲哀が歪んだ形で、しかもかなりわかり易く出ていた。
 髪は荒れ、肌も荒れ、表情に到っては猟奇的になっている。
 そんな白石が――――ふと、視線を雪人の方に向けて来た。
 その目はまるで、親を殺され、兄弟姉妹を殺され、祖父母を殺され、親戚を殺され、
 友人を殺され、恋人を殺され、恩師を殺され、妻を殺され、子供を殺され、
 ペットを殺され、親切にされた隣人を殺され、慰めてくれた知人を殺され、
 上司を殺され、部下を殺され、同僚を殺され、相談した医師を殺され、
 かかりつけの歯医者を殺され、好きなタレントを殺され、好きなミュージシャンを殺され、
 好きな作家を殺され、好きな作品の監督を殺され、好きなキャラの声優を殺され、
 話しかけた他人を殺され、話しかけられた他人を殺され、関係者各位を殺され尽くした、
 殺意しか残っていない人間のようだった。
「……病んでんなー」
「ど、どうしましょう!? 私、あの人に岩場に連れ込まれて全部の爪剥がされて
 その後あれこれされてしまうんでしょうか!?」
 久々にパニック状態の宇佐美嬢の懸念は、ある意味当然だった。
 殺意なんて、普通に生きている中で浴びるものではない。
 まして、感じ取れるものじゃない。
 しかし、今の白石の顔は、その造形だけでも十分にホラー。
 そこに殺意がないとは、到底言える筈もなかった。
「……殺す」
 白石はそんな雪人達の様子を睨みながら、その殺意を言葉として具現化させる。
「まずはお前らを殺す。殺す。殺す。お前らを。お前らを殺す。殺すお前らを殺す。
 次は僕を裏切った大友教授を殺す。大友教授殺す。お前ら殺す。殺す。お前ら」
 そして、ブツブツと『殺す』を連呼しながら、フラフラと離れて行った。
「あああああ、あの……ふあうあう」
 宇佐美嬢はあまりの恐怖にガクガク震え出した。
 病んでいるどころではない。
 壊れている。
 よく形容の手段として、人間を『壊れている』と表現する事は多いが、
 実際に故障している人間を目の当たりにしたのは――――
「落ち着いて下さい。あいつも色々あって気が立ってるんでしょ」
 雪人にとって初めてではなかった。
「でででででも! コロサレチャイマスヨ!?」
「うーん……そこまで深刻にならなくても良いような。本気で殺す気なら、
 こんな公衆の面前でなくても、これまでに幾らでも機会はあったでしょうし」
 寧ろ、もっと歪んだ壊れ方をした人間を見てきている。
 かつて、静の叔父、陸に利用されていた頃。
 或いは、それ以前。
 雪人の人生の中で培われた経験が、白石の状態を正確に把握した。
 とは言え――――殺意に満ちているのは確か。
「ま、取り敢えず試合前にボディチェックだけはして貰いましょっか」
「……時々思うんですけど、黒木さんって時折異常に肝が据わってますよね」
「何事も、淡々としてるのが一番ですから」
 苦笑しながら、雪人は自論を述べた。
 そして――――決勝戦が始まる。
 チーム『オーバープロテクション』vs チーム『コイ☆バナ』。
 まずは、雪人の要望通り、各人のボディチェックが行われる事となった。
 男のチェックは審判団が、女のチェックは静がそれぞれ行う。
「異常ナシ。異常ナシ。異常ナシ――――」
 黒ずくめの審判団が機械的な物言いでチェックを終えていく中、
 女子の方は妙に盛り上がっていた。
「……」
 その様子を、白石が目を剥き、血管を浮かび上がらせながら睨んでいる。
「ほっふっは。いいですな、婦女子の皆様が戯れ合う光景と言うのは」
 その白石を背に高らかに笑う無量小路が、そのまま雪人に近寄って来た。
「黒木様。この度は良き仕合をしましょうぞ。一球に生命を込め、
 お互いの魂を交換し合う。フッ……燃えますな」
「それは良いが、よくアレをチームに入れたな」
「彼ですか。あの集中力は捨て難い故、我がサークルに招き入れたものですが……
 どうにも、私怨が過ぎますな」
「こっちには女子が多いんだ。ヘンな事させるなよ」
 釘を刺す。
 しかし、無量小路は不敵に微笑み、首を横に振った。
「これもまた、スポーツの一面なのですよ。黒木様」
「意味わからねーよ」
「楽しみですな。黒木様が傷付きながらも女性を庇う姿……むっふっふ」
 一体その何処に楽しみな要素があるのか――――雪人は改めて
 変態の変態性について考慮する無意味さに息苦しさを覚えつつ、
 自軍のコートに戻った。
 既にボディチェックは終了したらしく、女性陣は既に揃っている。
 白石の方も、武器の所持等は問題ないようだ。
「ゆき。あの人怖い。ずっと犯罪者の目してる」
「やっぱり、私が加入した所為で辞めさせられた事を恨んでいるんでしょうか」
 とは言え、やはりあの尋常でない様子には恐怖を感じるらしく、
 結衣と月海は身を縮めて慄いている。
 宇佐美嬢も含め、この三人を戦力と考えるのは困難な状況だ。
「仮に恨んでても、それは逆恨みってヤツだ。気にするな」
「でも……」
 月海が怯えた目を向ける。
 小動物のようなその所作に、思わず雪人は頬をポリポリ掻いた。
 そして、視線を別の方に向ける。
「香莉さん」
「外野はその三人。内野は私とまどにゃんと、ゆっきー」
 その視線を待っていたのか――――香莉は不敵な笑みで腕組みしながら、
 スラスラとそう述べて来た。
「……って事でしょ?」
「異論ありません」
 雪人も同じ種類の笑顔を作る。
 意思の疎通は完璧だったようだ。
「一回戦と同じ、ってコトね。よーし」
「違うよ」「違うね」
 左の掌を右拳で叩く湖に、雪人と香莉は同時に否定の言葉を投げる。
「へ? 同じじゃない。私と黒木と谷口さんが内野なんでしょ?」
「違うんだよな、それが」
「そ。一回戦とは違うの。今回は……」
 そして、二人揃って相手のコートに目を向けた。
「この三人の誰一人、アウトになっちゃダメ」
「一人も当たらず、全員を仕留める。パーフェクトゲームが絶対条件だ」
 それが、外野の三人を守る最大にして唯一の方法だった。
「って訳で、湖。お前は今回も俺の背中に張り付いてろ。万が一引き離されたら、
 意地でも避けろ。地面這ってでもな」
「む、無茶言わないでよ」
「まどにゃんは詳しい経緯知らないだろうけど、他の三人を内野に入れる訳には
 行かないのよ。あそこの怖い顔したガキが粋がってるからねー」
 軽い口調と視線で、香莉が白石を指す。
 その顔は、これから復讐を遂行できる喜びに満ちていた。
「……頼むよ」
 雪人はその白石に一瞬目を向け、湖に向けて呟く。
 その顔を暫し眺めた湖は、静かにコクリと頷いた。
「それでは、始めるとしよう。スポーツマンシップに則った試合をするように」
 尋常でない緊張感と敵意を察してか、静が警告を促す。
 その一方で、大友教授はいつもと何ら変わらない、朗らかな顔をしていた。
 白石の視線にその姿が映っているのか、いないのか――――
「では、ジャンプボールを」
 その静の指示に反応したのは、香莉と白石だった。
 一回戦とは違い、湖は最初から雪人の背中に張り付いている。
「まー、怖い顔しちゃって」
 それを背にする白石に向け、香莉は瞼を半分落とした目で、睨むように
 その顔を眺めていた。
「……研究室にいた時から、気付いていた。貴女は僕が嫌いみたいだな」
「そりゃそうでしょ。上から目線で、他人を見下すような年下を
 どうやったら好きになれるんだか」
「そんなつもりはなかったけど……いや、それはどうでも良い。
 僕は気が立っている。余り挑発しないようにして欲しい」
 血走った目で、血管から『ピキピキ』と音が聞こえそうなくらいに
 いきり立っている白石を前に、香莉は口の端を上げた。
「なんか、勘違いしてるみたいね。私は挑発なんてしてないのよ?
 ただ、呆れてるだけ。嘲ってるだけ、って言い直した方がより正確かしら?」
「……何?」
「ボクは誰より研究熱心で、誰より教授を尊敬してて、誰より真剣に
 取り組んでいたのに、どうしてボクが辞めさせられるんだ? おかしいじゃないか、
 そうか、悪いのはボクを辞めさせた教授と、割り込んで来た女子生徒。
 止めなかったゼミ生も同罪だ……と、でも思ってんでしょ?」
 笛の音と同時に、ボールが舞う。
「その甘っちょろい頭、私達が冷やしてあげるから――――」
 反応したのは、白石だけ。
 香莉は跳ぶ事すらせず、悠然とセンターラインを跨ぎ、自軍のコートへと
 歩を進め、振り向き――――ボールを受けた『コイ☆バナ』の内野陣に対し
 人差し指をクイクイと曲げ、『挑発』した。
「かかってらっしゃい」







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