侵入者の痕跡があった翌日。
大友教授を含む大友研究室所属の面々は全員、早朝から研究室へと集っていた。
「真実はいつも一つ! 謎はすべて解けた! Q.E.D!」
そして、眠たげな目を擦る雪人の隣で、香莉は一人テンション高く
虚空へ向けて人差し指をビシィ〜ッ! っと突き出していた。
「私達にその罪を擦り付け、大胆不敵に研究室へと侵入し、殺人を実行した挙句
巧妙なアリバイトリックで密室を作り上げた『仮面のタフガイ』はこの中にいる!」
今度は手を広げ、シュパァッ! と振りかざして見せたが、周囲のリアクションはない。
大友教授は温和な表情でその様子を見守っており、宇佐美嬢はメガネを拭くのに
夢中になっている。
月海と結衣は二人ともポーっと座っており、湖はどうして良いかわからず
顔を背け出した。
「ゆっきーが機能しないと、私ってこんな空気作るんだ……なんかショック。
って、いつまでも寝ぼけてないで早く私にツッコんで! 『なんで部外者の
アンタがいるんだ』とか『マンガばっかり読んでないでマジメに生きろ』とか
『一部日本語になってないトコロあるぞ』とか、色々出来るでしょアンタなら!」
「……眠い」
侵入者が現れた事をツアー会社に連絡し、報告書をまとめ、その後
パトロールを強化した影響で、睡眠時間2時間に留まった雪人の目はまだ半開きだった。
「ったく……折角目覚めのコーヒー持ってきてやったんだから、とっとと
目を覚まして話進めなさいな」
「んぐんぐ」
その指示に特に抵抗もなく、テーブルに置かれたコーヒーカップを手に取り、
雪人は一気に飲み干した。
実は、コーヒーに含まれている覚醒作用であるところのカフェインの量は、
それ程多くはない。
紅茶の方が余程多いと言われている。
それでも、コーヒーが目覚めに良いのは、その苦味によるところが大きい。
加えて、少なからずプラシーボ効果もあるのだろう。
それを自覚しつつも、そのコーヒーカップをテーブルに置いた雪人は、
先程より目を見開いて意識をしっかりと覚醒させた。
「……取り敢えず、もう聞いてるとは思うけど、昨日の深夜に何者かが
ここへ侵入しました。で、何か盗られた可能性があるんで、全員に
自分の所持品やパソコン内のデータをチェックして貰おうかと思いまして、
こんな早くに出てきて貰ったんですが」
「ぱ、パソコンの中身も見られたんですか……?」
宇佐美嬢が挙手しながら、おずおずと聞いてくる。
「や、多分大丈夫とは思います。俺が駆けつけた時点でどのPCも立ち上がっては
いなかったんで。ただ、HDDに強い衝撃を掛けられて、データが飛んだ可能性も
あるんで、早めにチェックした方が良いんじゃないか、と」
「わかった。確認する」
結衣が一足早く自分の席へ向かう。
それに続き、月海も眠そうな目をそのままに、フラフラと自分の机へ向かった。
「……吉原、何か俺以上に睡眠不足っぽいんですけど。何かいらん事しました?」
「別に〜。ホラ、今はガールズトークって言うの、流行ってるでしょ? それよそれ」
ガールズトークをする月海。
『谷口さん、彼氏が欲しいので、合コンを開いてください。熱帯魚に詳しい人を
呼んで貰えると、助かります。出来ればアロワナに咬まれた事がある人を』
「……」
想像した結果、雪人は具合が悪くなった。
「何か、ヘンな想像してない? 言っとくけど、この前のは冗談よ?
私、超ノーマルなんだからね。ゆりかもめ扱いしないでよ」
「超ノーマルって言う日本語は変だし、公共交通機関に妙なイメージを押し付けるな」
「おかえり、ゆっきー。待ってたの」
何故か熱烈な握手をされた雪人は、香莉の手を払いのけて嘆息した。
「異常なかった」
そんな不毛なやり取りの中、早くも結衣が無事のアナウンスを発信。
本当にあっという間だった。
「ん、了解。結衣ちゃんは異常なし……と。宇佐美さんはどうですか?」
「す、すいません。まだかなり掛かります」
パソコンを立ち上げた宇佐美嬢は、凄い勢いでフォルダ検索を展開していた。
流石に凝視するのはマナー違反なので、雪人は視線を泳がせ、同じく所在無く
している湖の姿を視界に納める。
「……わざわざこんな早くに来なくても良かったのに」
「そ、それはそうだけど、一応現場に立ち会ったワケだし」
コーヒーカップを片手に、湖は心持ち小さくなって呟いた。
微妙に挙動がおかしい。
そして、それに目聡く気付いた香莉は、ニヤリと笑った。
「何かあった? 何かあったのよね? 何かあったハズよ! さあ吐け! 吐けこのヤロ!」
「なんでそんなに嬉々としてるんだ」
「世界情勢や政治経済のニュースより、下らない芸能人の下らないゴシップの方が
圧倒的に需要があるこの世界で、私はとっても正直に生きてるのです!」
「少しはカッコ付けてクールに生きようよ」
「フッ、ゆっきー。そうやって誤魔化してもダメよ。さあ、何があったか
素直に吐きなさい。告白された? むっちゅーってやっちゃった?」
香莉の目の輝きは、星空のようにピュアな瞬きを見せていた。
「なっ……そ、そんなワケないでしょー!? なんでそうなんのよーっ!」
そして、雪人ではなく湖が噴火した。
「えー、でも何か今さっきの会話ってビミョーにイチャイチャなカンジ出てたし。
何かあったと疑るのに何ら躊躇はなくてよ?」
「な! なな何もあるワケないじゃないですかっ! 私別に、何とも思ってないし!」
二つのテールを逆立てる勢いで捲くし立てる湖に、何となく照れ臭いものを
感じつつ、雪人はまた視線を逸らした。
そこで行き当たったのは――――月海の姿。
まだ眠そうな目をしながら、淡々と自分の所持品をチェックしている。
もし――――昨日の件が、例の脅迫事件と何らかの形でリンクしているのなら、
犯人の目的が月海の『何か』にあった可能性がある。
「あら、当の本人はつくみんに浮気中」
「「え゛」」
そんな視線に気付いた香莉の一言に、雪人と湖は同時に奇声を発した。
「浮気……?」
「いや、そういうんじゃないって言うか、そもそも成り立たないだろ、その発言は!」
「あ、そ、そっか。そうよね……付き合ってるワケじゃないのに、ヘンよね」
混乱していたらしく、湖は動揺を打ち消すようにコーヒーを口に含んでいた。
「異常ありませんでした」
そんな混沌とした空気の中、月海の自己申告が小さく響く。
「そっか。吉原も異常なし、と」
その結果は、雪人にとっては意外だった。
ただ、もう一つの可能性が残ってはいた。
もし、侵入者が白石であった場合は――――
「やれやれ。参ったよ」
そんな雪人の懸念に呼応するかのように、隣の部屋で確認を行っていた
大友教授が、余り危機感のない声と共に、戻ってくる。
「何か問題ありました?」
「コピーした資料が中途半端に持ち去られてたみたいだね。データ自体は
パソコンの中にあるから別に良いんだけど」
まるで、他人事のような呟き。
尤も、それはいつもの大友教授ではあった。
「決まりね。大友教授への嫌がらせ。つまり、謎はすべて解けた!
犯人はそう、アンタだ! あっ、名前忘れた!?」
「もう黙ってて……」
香莉を強引に退場させつつ、雪人は昨日拾った合鍵を取り出し、
掲げて見せた。
「念の為に聞いとくけど、合鍵なくした人、いない?」
一瞬の間。
そして――――
「私は持ってます」
「持ってる」
「え? 合鍵ですか? はい、持ってますよ」
三人共、自分の所持している鍵を掲示して見せた。
全員、貰った時と同じキーヘッド。
当然、雪人も所持しているので、この研究室の現メンバーの物ではない事が確定した。
「決定、って事になるのかな」
湖のそんな言葉に、雪人は釈然としない面持ちながら、頷く。
心証と状況証拠。
どちらが証拠能力が高いかなど、言うまでもない。
犯罪が起こった後、その犯罪者を近所の人が『大人しくて、罪を犯すような人間には
見えなかった』と言う確率が、どれだけ高い事か。
雪人の『裏でコソコソ犯罪に手を染めるタイプではない』と言う白石評は、
ほぼ瓦解してしまった。
「ゆき、説明してもらわないと、わからない」
「あ……うん。わかった」
結衣のリクエストに応え、雪人はここ数日起こっている問題と、これまでに
判明した事実に関して、解説を行った。
月海への脅迫。
そして、深夜の研究室への侵入。
それを行った人間が、以前この研究室にいた白石悠真である可能性が極めて高いと。
「……そうなんだ」
その白石に対して特に感情を持っていないのか、結衣は平然と頷いていた。
一方――――直接的な被害を受けている月海は、表情こそ余り変えていないが、
少し俯いたままで話を聞いていた。
「教授、白石は合鍵を返しましたか?」
「いや、貰ってないね」
大友教授のその答えで、全員の考えがほぼ一致した。
「どうします? まだ確たる証拠はないですけど」
「勿論、事情徴収よ。私がトラブル解決の責任者に連絡して、身柄を確保して貰う。
ま、警察ってワケじゃないから、あくまでも任意だけど」
「警察も逮捕状がない限りは基本、任意ですけどね」
雪人は軽口を放ちつつも、香莉の発言を頼もしく感じていた。
同じ研究室にいた人間が、犯罪に手を染めていると言う現実に対しての
やり切れない思い――――と言うのは、特にない。
薄情と自覚しつつも、白石と言う人間に対して抱く感情は、その接した頻度に
比例するように、かなり希薄なものではあった。
ただ、上から目線とは言え、評価する言葉を貰った事も、同時に忘れてはいない。
雪人は複雑な心境で、嘆息をかみ殺しつつ月海へまた視線を向ける。
表面上、畏怖も安堵も全く見せてはいない。
ただ、女一人でツアーに参加し、その先で脅迫にあった人間の心理が
平坦である筈がない。
少なくとも、雪人はこのツアーにおいて、吉原月海と言う人物が、表情ほど
無感情ではないと言う事は把握している。
なんという言葉をかければ良いのだろう――――そんな心持ちで、視線を切った。
「じゃ、あのヤローが口割るまで、つくみんは私ン家にお泊りしましょーか。
それで良いよね?」
「あの……ご迷惑でなければ」
「決まりね。あ、そうだ。折角だから、ゆいゆいとまどっちも泊まりに来る?
もう直ぐツアーも終わりだし、折角の機会だから、みんなでお泊りパーティーしよーよ」
そして、突然の提案。
余りに緊張感のないその発言に――――
「ちょっ、アンタな……」
「はい。お邪魔します」
待ったを掛ける雪人を先んじ、結衣はあっさり了承した。
「え? い、良いの? 結衣ちゃん。この人、ユズかもしんないよ?」
「ゆず?」
「ああっ、なんかゴッチャになった!」
雪人は疲労もあって混乱している。
「私はノーマルだっつってんでしょ! いつまで引っ張んのよその話題!」
「や、今ので通じる時点で信用出来ないって。ってかそれ以前に、いたいけな
女子を合コンに連れまわしたりしそうで……」
「す、するかーっ」
超棒読みだった。
「やっぱりか! 昨日吉原にも無理矢理ガールズトークで変な話吹き込んだな!?」
「し、しらなーいっ」
もはや定規読みだった。
「が、ガールズトーク? ちょっと興味あるかも……」
「お前もドキドキしてそうな顔でそんなカンタンに靡くなよ!
甘く見ちゃダメだってこの人は! 必ず面白おかしい方向に持っていくんだから!」
雪人が必死に制するも、湖もすっかりお泊り肯定派に回っていた。
「宇佐美さんも何か言ってやって下さい! 自身が受けた被害の一エピソードとか!」
「そこまで必死に止めるほど、私って信用なかったのか……」
微妙に香莉がショックを受ける最中、宇佐美嬢は全くリアクションを返さない。
データのチェックに余念がない様子で、もの凄い速度でマウスが動いている。
「どんだけデータ溜め込んでんだ……」
「あの子、地味ーな秘書系美人の割に、中身結構濃いからねー。多分、ネットで
拾ったドン引き画像とか、色々あんじゃないのかな」
「そういう親友の秘密、ポロッと漏らす時点で信用ゼロなんですが……」
血の気の引いた顔で雪人が呟く中、香莉は何故かドヤ顔で視線を絡ませていた。
「大体、女子同士がお泊りするのなんて、別におかしなコトでもないんだから、
保護者でもないゆっきーがあーだこーだ言うのが不自然なのよ。ココは黙って
従妹や友達が大人の階段登るシンデレラになるのを呆然と見送ってなさい♪」
「見送れるか! 言葉の節々にトラブルの種匂わせやがって!」
雪人と香莉の額がガツンとぶつかる。
壮絶な睨み合い。
「良くわからないけど、一つ良い方法があるよ」
そんな二人に朗らかな声を掛けたのは、大友教授だった。
「良い方法……?」
「うん。監視役と言うか、お目付け役と言うか、そう言う人を一人派遣すれば、
それで香莉君も余りハメを外せなくなるんじゃないかい?」
大友教授の提言に、雪人は一人の人物を思い浮かべる。
大河内静。
やや破天荒な面はあるが、教師と言う職について以降は割と生真面目に
なっている彼女が一人いれば、それでかなりの抑止力になる――――そう判断した。
「それ、頂きます。静ね……あーもう良いや。静ねえに聞いてくるから、
ちょっと待ってろ」
癖になっている呼び方の矯正を諦め、雪人は隣の研究室へ向かい、教授室にいる
静に直談判を試みた。
「お泊り? 残念だが今日は無理だ。高校の方の仕事もこっちで片付けないと
いけないからな」
「……さいでっか」
あっさり却下され、絶望感が襲ってくる。
他に、頼りになる大人の女性は雪人の周囲にはいない。
手詰まりだった。
「ふっふっふ。ゆっきー、一つだけ方法があってよ」
頭を抱える雪人に、香莉の声が届く。
いつの間にか、大河内研究室に侵入していた。
「お目付け役、アンタが請け負うのよ!」
「……何っ!?」
「ふふ、私が男を部屋に上げるなんて、前代未聞よ? ありがたく敷居を跨ぎなさい。
そして、唯一の男として、弄ばれるだけ弄ばれなさーい」
「嫌過ぎるわっ! 肩身狭すぎて死ぬ!」
一見、ハーレム。
ウハウハな状況のように思える。
が、実際問題として、女子ばっかの中に一人男が混じるというのは、
その逆よりも遥かに地獄だ。
女子特有の会話の中には、入る事すら困難。
当然美味しい思いなんてないし、何より寝辛い。
トイレ一つでもかなり気を使う。
隣にいる年上の女性と同棲経験を持つ雪人は、女性と同部屋で過ごす事は
喜びなどではなく害悪そのものだと確信していた。
「ってか、それ以前に俺仕事あるし。警備員のバイト」
当然、通るべき免罪符に対し――――香莉は不敵な笑みで雪人の不安を煽った。
「それなら問題ナシ。侵入者があった事を私共の会社は問題視しておりまして、
暫くはアルバイトじゃなくて、ちゃんとした警備員を配置するとの事よ〜」
「バカな!」
そう言う訳で、今後暫く雪人は夜間、自由の身となった。
「女性ばかりの中に男が一人混じるのは、余り関心しないが……ま、特に問題はないだろう。
ある意味これもフィールドワークの一環だと思えば善し」
そして――――事もあろうに、静は香莉の意見を後押しした。
「ちょっ! 静ねえ、それはない! アンタ教育者! そんな簡単にストッパーが
崩れちゃ試合にならないだろ!?」
「と言っても、私はお前が無害な人間である事を知っているからな。
そういう意味では、無碍に×を出す事も出来ん。ま、時間が出来れば
慰労にくらいは行けるだろうから、一応住所を教えておいてくれ」
「わっかりました! お暇が出来たら是非いらして。ゆっきーの過去バナ聞きたいし」
「うむ。しかと引き受けた」
最終結果。
この上ないヤブヘビとなった。
「最悪だ……このツアー史上最悪の展開だ……」
シリアスモードはすっかり立ち消え、雪人は嫌な予感しかない本日の午後を
寝入りそうな心持ちで迎える事となった。
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