「……」
テーブルに次々と並べられていく物品の量に比例し、どんどん不安や懸念が
積もり積もっていく中、雪人は少しでも食べられそうなものを半ば本能的に探っていた。
最終的に、並んだ料理は5品。
A イカ墨風ダークネスパスタ
B 血の池地獄風トマトスープパスタ
C ブルーチーズと馬油と熊油のトライアンギュレーションパスタ
D トロピカルフルーツのもんじゃ焼
E 21種缶詰の盛り合わせ
「……」
全てをチェックし終えた後、雪人は絶望を確信した。
逃げ場がない。
何処にもない。
道は5つもあるのに、全てにトラップや断崖絶壁が待ち受けている。
しかも、半数以上がふざけたパスタと言う点も、神経を逆撫でするに十分な陣容だった。
「さ、それじゃ全員席に着きませう。これより、大友研究室の親睦会をはーじめーるよー!
と言う訳で、ゆっきー、まずは最初の一口を選ぶ権利を君に与えようじゃないか!」
「……あの、すいません。インスタントラーメンとかないですか? 俺、市販のラーメン以外
全部アレルギーで、全然受け付けない体質で……」
「あーら、面白ーい。ゆっきー、その冗談、おもしろーい」
棒読み口調で受け流す香莉の顔に、これ以上ない程の邪悪な薄ら笑いが浮かぶ。
最早、雪人に疑念はなかった。
完全に、確信犯かつ愉快犯と断定。
ちなみに、確信犯と言う言葉の本来の意味は『政治、宗教、道徳的な自己主張、および
自己の属する団体の主張を表現する為に、他のいかなる被害やモラルをも無視して
敢行する犯罪』と言う意味なのだが、現代では『悪事とわかりつつ行う行為』と言う意味で
使用される事が殆どなので、雪人もその後多分に漏れず、現代の香莉を脳内でそう表現した。
「……俺を始末する気か? その後に凶器となった食料を全部胃の中に入れて
完全犯罪を敢行する気なんだな? そうなんだな?」
「始末だなんて、人聞きの悪い。私はただ、皆で作った愛情こめこめのお料理を
ゆっきーに一番に食べて欲しいなー、って思ってるだけよ」
「くっ……白々しい」
口では到底叶わないと悟り、雪人は改めて料理の方に視線を向ける。
まず、真っ黒の液体に浸されたパスタが目に入った。
イカ墨パスタならば、パスタ自体が黒く染まっている。
だがその物体は、液体が料理の大半を占めている。
色も、完全な黒ではなく、何処か灰を溶かしたような、濁った水を思わせる。
明らかに、美味しいとか不味いとか、そういう次元を超越したオブジェクトだ。
次に、対照的な色合いのパスタに目を向ける。
こちらは、血で血を洗った大惨事の現場のような、真っ赤な液体で
皿が満たされている。
その中から微かに露見するパスタが、人の手のように見えて、雪人は思わず顔をしかめた。
これも、食べるとか食べないとか、そういう次元ではない。
「それ、ゆいゆいが頑張ってくれたんだよね。ね? ゆいゆい」
「タマネギ、頑張って切った。食べて」
結衣の口調が、何処か弾んでいる。
その様子に、雪人は笑顔すら浮かべる事ができず、ただただ閉口した。
震える顔をどうにか動かし、三つ目のパスタに視界を移したところで――――
「……!」
雪人の体が沈む。
「あらー、どうしたの?」
心配そうに目を丸くする振りをする香莉に対し、雪人は上目遣い――――と言うより極限まで
黒目を上に移動させ、睨んだ。
「な、何だよこの臭いは……人間の不快に感じる物を全部集約させるって
テーマの作品か?」
「何言ってるのか全然わかんないけど、色々油使って頑張って作ったんだから、
ちゃんと食べなさいよー、おほほ」
「……」
絶望的な顔で、雪人は周囲を見渡す。
調理陣は、その臭いをまるで意にも介さず、お互いのキッチンでの健闘を称えあっていた。
一方、雪人が眉間の皺を濃くしてどうにか顔を上げる過程で、女性陣で唯一
調理を担当していない月海が、座りながら気を失いかけている姿が確認された。
調理陣は、嗅覚が麻痺しているらしい。
ある意味、彼女達も被害者だった。
ブルーチーズは勿論、熊油や馬油も、かなり癖のある匂いを持った食材。
だが、その3つが合わさっただけでは説明のつかない、毒々しい臭いを放っている。
ただ、恐ろしい事に、それは悪臭ではなく、あくまでも癖のある臭いの範疇だった。
それが更に神経を逆撫でしてくる。
半ばキレ気味に、雪人は4つ目の料理に目を向けた。
「あ、それ私が作ったんだ」
湖が自ら名乗り出たそれは、しっかり焼けていないドロドロの生地の中に
幾つかの南国フルーツが浮いているという、地獄絵図のようなマテリアルだった。
もんじゃ焼といえば、確かにそういう体ではある。
ただ、正規のもんじゃ焼は、『トロっ』としていると言う表現がぴったりの、
食欲を促進させる『計算の限りを尽くした半生』が売りの商品。
一方、これは、明らかに『ドロベッチャ』と言う表現が似合う、
食欲を衰退させる『凄惨の限りを尽くした惨禍』が売りの廃品だった。
「ほら、塩辛いのって、ちょっと甘い食材を入れると美味しいって言うでしょ?
スイカに塩と逆の理論って言うか。何か私、今カッコいい事言った?」
「お前、もう喋るな」
「そう? ま、確かにウンチク並べられてもあんまり嬉しくないもんね。
さ、私のを最初に食べて。ホラホラ」
地獄への道を促す湖を無視し、雪とは最後の一つに目を向ける。
唯一――――食べ物としての体を保っているのは、その食品だった。
料理と呼べるかと言うと、明らかにアウトの方向の品物。
ただ、周囲が余りにも酷いので、それを料理と呼ぶ事を正しいと思えてしまう状況だ。
実際には、とてもそうは呼べない代物。
皿の上に、数多くの缶詰商品が盛り付けされている、と言うだけの物だった。
とは言え、例えば魚介類とフルーツを一緒にしているとか、独特過ぎる臭いを
放っているとか、そう言うのはない。
ただ、問題が一つ。
21種、すべてが魚の缶詰である、と言う点。
ある意味、魚の盛り合わせだが、刺身と違い、缶詰Ver.はかなり見た目も辛い。
また、缶詰の魚と言うのは、ツナに代表されるように、かなり味付けが濃く、
油も多く使用している。
それを21種――――確実に胸焼けする量だ。
しかも、似た味付けばかりなので、余計に。
地味だが、ある意味最もダメージを受ける可能性を秘めている。
「どうかしました? 缶詰、美味しいですよ」
「はあ……」
缶詰フェチの宇佐美嬢が屈託なく微笑む中、雪人は選択を迫られていた。
どれを最初に食べるか。
それは、作った人間に対する配慮とは一切関係ない、ある意味生命の危機を
回避する為の、極めて重大な判断。
雪人の顔には、大量の冷や汗が流れていた。
「何悩んでんのよ。私の作ったもんじゃを食べれば良いじゃない」
「缶詰、美味しいですよ」
「トマトパスタ、おいしいよ? 多分」
湖、宇佐美嬢、結衣の三人が、それぞれ自分の作った料理を進めてくる中、
香莉はニヤニヤその様子を眺めていた。
この状況を見たいが為に、雪人を家へ呼んだのは明白。
写真に収める用意もあるのか、いつの間にか携帯を手にしている。
雪人は吹き出る汗をティッシュで拭いながら、視線を唯一の味方となりそうな
人物へと向けた。
「吉原、どれが美味しいと思う?」
完全に気は失ってなかったらしく、朦朧としている様子はありながらも、
月海はその言葉に反応した。
「美味しい……ですか」
「ああ。俺じゃ判断しかねるから、お前が見繕ってみてくれ」
雪人のこの行動は一見、月海を人身御供にしているように見える。
が――――それは計算の内。
そうする事で、月海がおかしな物を口にしない為、絶対に食べてはならない
メニューに関して言及する筈と、雪人は踏んでいた。
なんだかんだ言って、香莉は常識人。
いたいけな女子が刺激物を食すような状況は作るまいと――――そう読んでいた。
「あ、つくみん、悪いんだけど、この大量の惣菜をレンジでチンして来てくれない?
結構時間掛かっちゃいそうで悪いけど」
「何っ!?」
しかし、その目論見は脆くも崩れる。
普通、今から懇談会と言う時に、一人だけレンジ係と言うのは非常識だが――――
「はい、わかりました。お任せ下さい」
そのような事を月海が指摘する筈もなく、言われるがままに買い物袋を下げ、
キッチンへと向かっていった。
その様子に軽く手を振った香莉は、次の瞬間、口角を極限まで上げ、勝ち誇る。
「さあ、ゆっきー。選びなさーい。この豪華絢爛の料理の中から、
好きな物を。あ、私はお惣菜の方を頂くから、遠慮はいらなくてよ?」
「く、腐ってる……人間性が腐敗してやがる……」
いよいよ逃げ場がなくなった雪人は、空腹感の吹き飛んだ腹を無意識に摩りつつ、
改めてテーブルに目を向けた。
調理を任せて遊んでいた手前、流石に口にしないという選択肢は失礼に当たる。
何か一つ、最低でも口に入れる必要はある。
となれば、最も安全が保証されている缶詰の盛り合わせが妥当。
だが、料理とは異なるこの既製品を食べたところで、盛り上がる筈もなく、
次の一口を要求される事は目に見えている。
よって、意味がない。
事実上の4択という事になる。
「……」
雪人の汗は、最早滝のようになっていた。
「酷い汗なんだけど……もしかして、私達が一生懸命作った料理、食べたくないの?」
只でさえ苦悩中の中、湖のそんな言葉が負荷を増す。
流石に、ここでイエスとは言えない。
人間、誠実でありたいならば、嘘を吐いてでも最低限の礼儀は果たすべき。
「や、そうじゃない。そうじゃないんだけど……ホラ、アレだよ。アレ。
夏って、暑いからさ」
「冷房ガンガン効いてるけど」
心無い湖の指摘が、沈黙を呼ぶ。
女性四人の視線が集中する中――――雪人は覚悟を決め、目を見開いた。
同時に内省する。
余りに大げさに考えすぎた、と。
余りに引っ張りすぎた、と。
たかが食べ物。
毒が混じっている訳ではない。
食べて『不味い』と思う程度。
最悪の場合、体が拒絶反応を示す可能性はあるので、その場合の対処法として
キッチンへダッシュと言う心の用意はしておく必要があるが、その程度の事。
「そ、それじゃ、頂きましょうかね」
「声が尋常じゃないくらい震えてるんですけど……」
「ゆき、死にそう」
心無い宇佐美嬢と結衣の指摘を無視し、雪人は箸を取り、手を伸ばした。
その箸先が向かったのは――――トマトパスタ。
最も見た目の殺傷能力は高いが、味に関してはさほど懸念材料がない料理と言うのが
選定理由だった。
「おーっと! 雪人選手が最初に選んだのは、血の池のように赤々とした液体が
何処か猟奇的なトマトスープパスタ! コレは英断です! さあ、その一口を
ついに、ついに口へと運ぶーっ!」
何故か実況を始めた香莉を一睨みし、雪人は赤く染まったパスタを口にして――――
思わず目を丸くした。
「これは……普通だ! 普通の味だ!」
「普通……」
結衣が微妙にショックを受ける中、雪人は宝くじを的中させたかのように
大きく何度もガッツポーズをした。
そんな中、香莉は落胆を隠せずに――――いるかと踏んでいた雪人の歓喜の顔が、
徐々に曇っていく。
香莉は、また口角上昇の限界にチャレンジしていた。
つまり、極上の笑み。
それが意味するのは――――
「…………!? !? !? !? !? !? !?」
みるみる内に、雪人の顔色が赤に染まる。
それはもう、驚くほどに顕著に。
「はーっはっはっは! 引っかかったなゆっきー! そのパスタには、これでもかって
言わんばかりにハバネロをぶち込んでたのさーっ! 勝った! これが勝利の味……
くーーーーーーーっ!」
今度は香莉がガッツポーズ。
一方、雪人は悶絶したまま仰向けに倒れ込んだ。
「え? あ、あれ? 勝負だったのコレ? っていうか、黒木!? 黒木これマズくない!?」
「マズくはない……辛い……口が、口が戦火の中に……」
「マズいんだって、アンタの顔色が! きゅ、救急車呼ばないと!?」
「え!? 救急車!? えっと、1192!?」
「私、電話してみる……1192、通じない。救急車がお留守。どうしよう。ゆきが死ぬ」
湖も、宇佐美嬢も、結衣も混乱する中――――
「あーっはっはっは!」
香莉は一人大爆笑。
そんな混沌とした居間に、月海が戻ってくる。
「温めました……あの、一体何が?」
「あー、ありがと。それじゃ、あらためて親睦会をはじめましょ。飲むと色んな
化学反応起こす不思議な水もジャンジャン持ってくるから、みんなしっかり飲んでね!」
おもむろに香莉は席を立ち、直ぐに戻ってくる。
そして、テーブルの空いたスペースにドカドカと缶詰ではない缶や濃い茶色の
ビンを置き始めた。
惨劇は、まだまだ終わりそうにない――――
前へ 次へ