そこに見えるのは、美しい映像。
光の破片が木漏れ日となって、路面に幾つも散らばっている。
揺れる木陰は時折、身を震わせる小動物のように律動し、
小波にも似た音を立て、空気を揺らしていた。
「おおよその結論が出ました。やはり――――この島には『成れの果て』が
大量に放置されていたようですね。随分と調査に時間が掛かりましたが……
それだけに、確かな情報です」
その揺れが、不意に静まる。
風が止んだ――――が、それだけではない。
「つまり、何らかの形で、僕に影響が出てくる可能性が高いんだね?」
「ええ。貴方はこの島を長年調査してましたから。それでも、地上だけなら
まだ問題なかったんでしょうけど……地下まで潜ったのは、まずかった。
恐らく、間違いないでしょう」
「そうか。残念だね」
人間、何かに集中すれば、周囲の音は自然と消える。
この会話には、それだけの意味はあった。
「その割には、余り取り乱している様子はありませんね」
「そうかな? これでも、結構落ち込んでるよ。『不老ではない不死』を
長年研究した結果が、それとは真逆の結果を生み出しそうなんだから、
気分はかなり悪いよ」
「それを表面に出さないのは、流石変わり者……と言った所でしょうか」
不意に――――会話が途切れる。
風は再び流れ出し、新たな音を奏で始めた。
音階も、拍子も存在しない、自然の演奏。
それを、稀にであれ、耳障りに感じる生き物は、間違いなく人間のみ。
人間だけに許された、エゴだ。
「皮肉なのは、もう一つ。貴方の研究の根源と、貴方に生まれる可能性のある
一つの現象が無関係ではない点。仮に――――それが現実となれば、
貴方自身だけではなく、研究にも支障が生まれてしまう」
「だよねえ。どうしたものか」
離島の地で、一人の男が絶望を笑う。
誰もが美しい自然に目を輝かせ、綺麗な海に心を弾ませる離島は、
空気も美味しいと思われがちだが、必ずしもそうとは限らない。
都会と田舎。
都心と郊外。
内陸と離島。
空気の汚染度と言うのは、これ等の比較において、必ずしも前者が
進行しているとは限らない。
排気ガスで汚れる都心部と比較し、田舎は空気が綺麗――――なんて言うのは、
ただの先入観に過ぎないからだ。
日本においては特に、別国の空気が流れてくる西日本において、
田舎であっても大気汚染が確認されるケースは多い。
アスファルトの少なさがアドバンテージとなる事もあるので、有利な点もあるが、
それが大勢を占める訳ではない。
とは言え――――この島は、そんな空気汚染とは全く縁がない場所にある離島。
本来ならば、誰もが笑顔で過ごせる場所。
その地で、絶望が男を笑っていた。
「いずれにせよ――――研究は続行するんですよね?」
「当然だよ。人生だからね、この研究は。なんとか、途中で途切れないように
踏ん張ってみるさ」
「ならば、その日が来ないよう、手伝いますよ。これまで通り。これからも」
声が――――徐々に――――小さくなって――――
景色も――――少しずつ――――色褪せていって――――
それが現実ではない事など、とうに気付いていたとは言え、まるで
映画の途中で映写機が壊れたかのような理不尽さを、雪人は感じていた。
「……う」
口の中がヒリヒリする感覚が気付けとなり。
雪人は自分が意識を失っていた事を自覚し、同時に目を覚ました事も悟り、
無意識に喉を押さえながら上半身を起こした。
一般人が、一生の内で気絶を経験する頻度と言うのは、決して多くはないだろう。
交通事故や転落事故などによる強烈な衝撃が主な原因となるが、そのような
事象に出くわす事自体、滅多にない事。
普通、人間は気絶なんてまずしない。
が――――雪人は既に何度もそれを経験しているので、気絶自体にそこまで
驚きは覚えない。
ただ、辛すぎて気絶と言うのは、流石に初体験であり、同時に人体の神秘を
垣間見た気がして、背筋が凍った。
一つ、明らかになった事実。
人間、辛すぎて死ぬ。
それを防ぐ為、意識のブレーカーを落としたのだから、理屈ではそうなる。
ゾッとせざるを得ない事実だった。
「きゃーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!」
そして――――突然飛び込んできた、けたたましい笑い声に対しても、
同じくゾッとせざるを得なかった。
それが香莉の声であれば、特に問題はなかった。
いつもの事。
が、その声を脳内で分析した結果、そうではない事が判明し、顔を蒼褪めさせる。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
笑い声の主は――――結衣だった。
普段、喋る時ですら余り口をあけない、人見知りの酷い年下の女の子は、
とても上機嫌に、天井を見上げて大きく口を開き、笑っている。
結衣が壊れていた。
それはもう、壮大に。
「ど、どうしたの……? 結衣ちゃん」
恐る恐る、テーブル越しに従妹の名を呼ぶ。
そんな雪人に気付いたのか、結衣は視線を下ろし、首を思いっきり右へ傾ける。
まるで、値踏みでもするかのような、凝視。
そして――――
「きゃははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
またも際限なく笑い出した。
顔を見て笑われた事に若干のショックを受けつつ――――雪人は周囲に視線を移す。
驚いた事に、他の女性陣の姿がない。
慌てて携帯を見ると、時刻は9時12分を表示していた。
かなりの時間、気を失っていた事になる。
ただ、部屋の主の香莉がいない時点で、他の女性陣が帰ったとは考えられない。
まして、この結衣を残して――――と言うのは、不自然だった。
「ひっく……ううっ……」
突然、泣き声がキッチンの方から聞こえてくる。
まるでサバンナにいるような忙しなさを感じ、雪人は怪訝に思いつつ、
台所へと向かった。
「どうして……どうして……どうして死んじゃったの黒木ーーーーーーーっ!?」
そこでは、湖が一人、大号泣していた。
「勝手に殺すな! 死にかけただけで死んでねーよ!」
「ひぐっ……まだ名前で呼んだ事もないのに……なんで死んじゃったの……
わあああああああああああああああああああん!」
本人の強い否定を無視し、湖はガスコンロに突っ伏して泣き続ける。
安全性の面でも、精神的な面でも、色々ヤバい状況だった。
そして、ハバネロショックと寝起きで働きが鈍かった雪人の嗅覚が、
ようやく正常の働きを取り戻す。
かなりの刺激臭が、鼻腔を襲った。
「……酒か!」
思い出されるのは、大友研究室で行った、合同新歓パーティー。
あの時も、多くの参加者が酒に溺れ、悲惨な状況になっていた。
明らかに、その時の状況に酷似している。
結衣は、笑い上戸。
湖は、歓迎会の際に雪人は確認していなかったが――――泣き上戸。
これで、混沌とした現状の説明はあっさりとついた。
そうなってくると、他の面々の惨状も確認する必要がある。
雪人は、記憶を辿って、アルコール摂取時の女性陣の変貌を思い返す。
宇佐美嬢は――――
「どうして私には少女マンガみたいな恋が出来ないのーーーーーっ!?」
愚痴上戸。
それを思い出し、頭を抱える。
声は、奥の方から聞こえて来た。
まだ侵入をしていない、寝室と思われる部屋。
そこに立ち入るか否か、雪人は10秒ほど悩み――――放置を決めた。
色んな意味で、得になりそうにないと言う判断だ。
「いつか、いつか7人の白馬の王子様がやって来て、私に毒入りのガラスのリンゴを
プレゼントしてくれるって信じてるからーーーーーーーーーーーーーっ!」
何か色々ごっちゃになっている宇佐美嬢の叫びを無視し、雪人は他の
女性陣を探す事にした。
残りは二人。
月海と、香莉。
月海の酔った状態は、以前確認している。
当時は、ナチュラルに酔っていた。
それだけに、行動が読めない。
一方、香莉は普段と殆ど変わらなかった。
つまり、行動が読めない。
最悪の二人が未だ稼働中とあって、気は抜けない。
宇佐美嬢と一緒にいる可能性もあるが、それは最後に確認すれば良い事。
念の為、玄関で靴を確認したところ、二人の滞在は確認できた。
残る部屋は、トイレと浴室。
どちらにしても、確認するのは厳しい空間だった。
「あ、黒木さん。こんばんは」
狼狽する雪人の背後から、そんな声が聞こえて来る。
月海の声だった。
向こうから出てきてくれた事に安堵しつつ、振り向くと――――
「……ぬあっ!?」
世にも素っ頓狂な声をあげてしまう雪人を、誰も責める事は出来ない。
理由は明確。
月海が、バスタオルを巻いて湯気を立てながら歩いてきたからだ。
「少し逆上せてしまいました。水温にはいつも気を使っているんですけど、
やはり他人様のお家は勝手が違うみたいです」
「いや、そういうことより、もっと気にして欲しい点があるんだけど……うぐっ」
思わず生唾を飲み込みそうになり、それを堪えた結果、雪人は
喉の骨を折ってしまったかのような、奇妙な音と共に、呼吸困難に陥った。
「それでは、おやすみなさい」
「ちょっ、まっ……」
そのまま、ボーっと歩き出し、居間の方へ戻っていく月海に対し、
雪人は喉を押さえながら見送るしかなかった。
露見していた肩が、生々しい映像として記憶に焼きついたまま、離れない。
「……得したと言っていいものかどうか」
露出の少ない水着姿とは全く違う、欲情をかき立てる姿。
ただ、同時に、不思議な物を見る感覚も混ざっているので、素直に喜べないのが
現状としてあった。
そして、残るは香莉一人。
ラスボスに相応しいその女性が何処にいるのか、雪人には探す理由は特にないのだが、
なんとなく探さないといけない心持ちになり、月海が先程までいたと思しき
浴室の扉に手を掛ける。
「……」
まだ残る蒸気と湯気が、やはり生々しかった。
「香莉さん! いるなら返事! そして説明!」
声は返ってこない。
無視する理由もないので、いないと判断し、雪人はその直ぐ傍のトイレに目を向けた。
もし、飲みすぎたのであれば、そこで吐いている可能性もある。
「香莉さん! 吐いてるなら返事! そして口ゆすいで説明!」
その要求にも、応える声はない。
つまり、必然的に――――宇佐美嬢のいた寝室に、香莉もいるという事になる。
「……はぁ」
香莉と宇佐美嬢。
二人が揃っている事に、ものすごく嫌な予感を覚えつつ、雪人は再び
寝室と思しき部屋へ向かった。
「黒木のバカーーーっ! 死んじゃったら葬式にだって饅頭出るんだからーーーっ!」
途中、湖の意味不明な叫び声が聞こえてきたが、ウンザリしつつ放置し、
目的地へと――――
「ゆき!」
辿り着く直前、結衣が目の前に現れた!
「な、何? って言うか、結衣ちゃん、少し横になったほうが良いよ。酔い過ぎ」
「行こ! 遊ぼ!」
「え? え? え?」
虚ろな目をした結衣が、雪人の手を取り、普段からは想像出来ないような力で
グイグイと引っ張っていく。
そして、その足は一直線に寝室に向かい――――
「どっかーん!」
ノブを回す事なく、体当たりで扉を開いた!
「……」
「……」
そこには。
重なり合う親友同士の姿があった。
と言っても、目を覆うような行為には到っていない。
単に、宇佐美嬢が香莉に上から覆いかぶさり、スゴく息を荒げている――――
と言う時点で固まっている、それだけの事。
その姿も、決して生まれたままなんて事はなく、ただ超乱れていると言うだけの事。
「お、お邪魔しました」
「ノックしなくてごめんなさい」
雪人および一発で正気に戻った結衣は、二度ほど頭を下げ、すいーっと扉を閉める。
そして目を合わせ――――
「これは現実ではない。繰り返す。これは現実ではない」
「これは現実じゃない。ん、これは現実じゃない」
お互いを催眠術にかけるような感覚で、全て忘れる事にした。
こうして、波乱の一日は――――
「ちょっとタンマーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!
その幕引きはダメ! 絶対ダメ! 私、すっごくノーマル! 理想のタイプは
私と丸一日でも話をして、一緒にいて楽しいっていってくれる男の人!
アンタ達は何か誤解してるから!」
「いや、もうそう言うのは良いんで。あ、そう言えば、俺の携帯の登録件数、
何かいっぱいになっちゃったんだんですよ。困ったな。どうしよう」
「唐突に私の番号を抹消しようとしてる!? ゆっきー! 私と縁を切ろうとしてる!?」
「や、決してそんなコトは……」
「目を見て言って!」
雪人の襟を掴んで切実に訴える香莉は、何故か酔ってはいなかった。
「こ、これは大惨事……まさか私にこんな百合容疑が掛かるなんて」
「いや、以前一回自分で言ってた気が。ドッジボールの辺りで」
「あんなの冗談ってわかってるでしょーっ!? こ、こうなったら
親睦会は一旦中止で弁明大会よ!裁判を開いて、私の無実を潔白する!
居間へ集合ーーーーーっ!」
何処までも混沌としたこの夜は、一向に終わりの気配を見せそうにない――――
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